1 真昼時。 メイはアイシュに伴われて、西の塔の一室に来ていた。この部屋に来てから、もう半時が過ぎている。 目の前ではずっとディアーナが泣いている。 最初にディアーナの頬を濡らしたのは、久しぶりに友人に会えた嬉しさゆえの涙だったが、今のそれは、ただ悲しみの涙だ。 メイは、慰め励ますしかできない自分に、だんだん腹が立ってくる。 (そりゃあ、あたしだって、お姫様ってお気楽なだけの人生じゃないだろうとは思ってたけど、これじゃあんまりだよ。いまどき、身分の壁が厚くて恋が実らないなんて・・・) 少し前の夜、神殿の庭で繰り広げられた一幕のことを、メイは密かにシルフィスから聞いた。その翌日に、レオニスは、皇太子セイリオスと騎士団の軍団長とを間に立て、王家に対して正式に、王女ディアーナとの結婚を申し込んだのだ。 一時、国王はこれを許そうとしたと聞く。しかし、高位高官を占める一部の貴族たちが激しく反対し、結局国王は、彼らを説得することができなかった。 その結果がこれだ。 ディアーナは、自分の部屋から西の塔の客間へと連れて来られ、そこから一歩も出ることができないでいる。面会も制限され、軟禁生活というやつを強いられているのだ。 今日メイが来ることができたのも、文官のアイシュが責任を持つからと、尽力してくれたおかげだ。 付き添いの名目で一緒にいるアイシュだが、彼がメイを監視する役目を負っていることを、メイだってわかっている。 そして一方のレオニスは、王宮内のどこかにはいるらしいが、その居場所は、アイシュでさえわからないという。 「レオニスは? ひどい目にあっているのではありませんの?」 ディアーナは、今日何度目かの同じ問いを、また繰り返す。 「大丈夫ですよ、姫様。あの方に不名誉な刑罰を与えたりしたら、それこそ騎士団の抑えが利かなくなりますから〜」 アイシュもまた、律義にディアーナの問いに答えている。 今、騎士団が一触即発の状況にあるのは本当だ。レオニスの人望や騎士団での地位を思うと、彼にこんな処遇をするなんて、いったい高官たちは何を考えているのか、正直、アイシュも理解に苦しむ。 「ええーっと、レオニス隊長は、一両日中に、辺境警備の任務に出発することになってます〜」 「それって、結局は島流しじゃん」 メイが口をとがらせると、ディアーナの目からまた涙がこぼれ落ちた。 「わたくしのせいですわ。わたくしのせいで・・・」 「違うよ、あんたのせいじゃないよ。ごめん、ディアーナ」 あわてて慰めながらも、メイはこの時、ある決心を固めていた。 (やっぱ、こういう時は、良い魔法使いの出番だよね。) 公民や歴史は苦手だったから、政治とかそういうことはよくわからない。でも、だてにファンタジー小説ファンを名乗ってる訳ではない。まずは仲間を増やさなくては。 「ディアーナ、絶対助けるからね、あんたも隊長さんも!」 メイが不敵なオーラを発しながら叫ぶその言葉に、アイシュは気付かない振りをすることにした。 同刻。 騎士団訓練所。ガゼルもシルフィスも懸命に剣を振っている。 レオニスが隔離されて以来、騎士団には王宮から監視がついている。特に、レオニスの直属の部下だった者たちは厳しく管理され、外出もままならない。 (隊長はどうなるのだろう。) 軍団長は、軽挙を慎んでいれば、レオニスの身に危害が加えられることはない、と言う。 軍団長を信頼しない、という訳ではないが、王宮というところは謎が多くて、何が起こるかわからない、というイメージがある。 (もしもこのままずっと、隊長が王宮から戻ってこなかったら・・・) 口にすることも恐ろしい不安と、何もできないことへの焦りとを胸に、ガゼルもシルフィスも、今は剣を振り続けるしかない。 同刻。 セイリオスの部屋にはシオンがいた。窓から外を見ているシオンは、セイリオスと目を合わせない。 「ま、立派な王女になるってことは、立派な政略結婚をするってことだからな」 「シオン、やめてくれ」 椅子にかけたまま、セイリオスは顔をしかめる。シオンのようにあからさまに表現することはなかったとしても、それはセイリオス自身も知っていることだ。だからこそ、胸が痛む。 「お前さん自身はどうしたいんだ、セイル」 シオンだけは、いつもまっすぐにセイリオスの心に切り込んでくる。 父親である国王同様、セイリオスも、今はもう、ディアーナとレオニスとの結婚を認めてもいいと思っている。 反対しているのは、身分制度にこだわる一部の頑迷な貴族たち、そして、ごく少数だが、セイリオスではなくてディアーナに王位を継がせようと狙っている者たち。 開明派のセイリオスを廃して、自分たちに都合のよい婿をディアーナに取らせ、王権をほしいままにしようとする者がいるのは、紛れもない事実だ。 「いつか、時期を見て姫さんを王位に就けたいというのは、お前さん自身の望みでもあったはずだ」 セイリオスの顔がさらに歪むが、シオンは容赦しない。 「セイル。酷なようだが、俺は、お前が国王になるべきだと思っている。お前を廃嫡するような動きがあれば、絶対に事前に封じる」 シオンの口調は静かだが、そこには妥協の余地のない厳しさがある。 シオンなら、自分が口にしたことは必ず実行するだろう。 セイリオスはため息を吐きながらも、そんな友人をうらやましく思う。 「私はね、シオン、自分が皇太子を辞めることができないのなら・・・せめてディアーナには、王女であることを辞めさせてもいいと、そう思っているんだよ。彼女がそれを望んでいるというのなら・・・」 それは、シオンに初めて漏らすセイリオスの真実の思いだった。あの夜、西の空に月が傾く神殿の庭で、セイリオス自身が初めて気付いた真実。 その言葉を最後まで聞いてから、シオンはセイリオスに向き直ると、これまでとは打ってかわった快活な声で言った。 「知ってるか? 王都に住んでいる人間は、貴族より平民の方が多いんだぜ」 唐突な話題の転換に戸惑ったセイリオスは、不審げにシオンを見る。 「馬鹿な貴族より、賢い平民の方が多いだろうなー、って話さ」 そう言いながらシオンが見せた会心の笑みを、セイリオスは、少年時代のシオンが悪戯を思い付いた時のそれとそっくりだと思ったが、ここは親友を信じて、あえて追及しないことにした。 こうしてアイシュとセイリオスは、予期できたメイとシオンの行動を妨害しなかったことによって、暗黙のうちに彼らの共犯者になったのである。
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