明日
 
 
      2 
 
 
 同日、夕刻。 
 日暮れ時の薄闇にまぎれて、錠前亭の一室を訪ねるシオンの姿があった。 
「やれやれ、今日はお客が多い日ですね」 
 扉を開けて彼を迎え入れたイーリスは、シオンが厄介事を持ち込もうとしているのを察知して、素っ気ない態度を取る。 
「へえー、俺の他に誰が来た?」 
「少し前に、メイがすごい剣幕でやって来て、さすらいの吟遊詩人は囚われのお姫様を助けるもんだ、とかなんとか、さんざん言って帰って行きましたよ」 
 そう言ってからイーリスは、営業用の笑顔を浮かべ、 
「もっとも、私には何のことやらさっぱりわかりませんが」 
 と付け加えるのを忘れない。イーリスには、シオンの用件の大方は見当がついている。 
 既に二人の間では、大人の駆け引きが始まっているのだ。 
「ふーん、あの嬢ちゃんがねえ。ところで、俺の話も聞いてくれないかな」 
「只働きはお断りです」 
 即答するイーリスに、脈ありとみたシオンは、こちらもまたとびきりの営業用スマイルを見せる。 
「報酬は弾むぜ。ちょーっとハードな仕事だからな」 
 これからが取引きの本番だった。 
 
 
 夜半。 
 シオンは魔法研究院のキールの部屋にいた。 
「辺境の巡回警備に向かうレオニス=クレベール大尉に、途中まで同行する。俺とお前。夜明けに出発だ」 
 シオンの無理難題には慣れているつもりのキールだったが、さすがにこの一方的な通告には驚かされた。 
「そんな、急に言われても・・・だいたい、なんで俺が!」 
「これは、ついさっき決定された緊急の命令だ。今この時間に、研究院で起きている魔導士は、お前しかいないんでね」 
 前半はともかく、後半は真実なので、キールには反論できない。 
「ま、俺も行くんだからさ。攻撃は俺にまかせて、お前は、防御するのが仕事ってこと」 
 くだけた調子で言うシオンの顔を、ちらりと上目遣いで見たキールが、 
「それは、レオニス大尉を守ると理解してよろしいのでしょうね」 
 とぶっきらぼうに言うと、シオンは声をあげて笑った。 
「頭のいい奴は好きだぜ。安心しな。レオニスの暗殺命令なんか出ちゃいないって」 
 キールの懸念はある意味当然だった。辺境に派遣したと見せかけて殺してしまおうなんて、いかにも王宮の陰謀家が考えそうなことである。 
「実を言うと、これは護衛。まったくなー、あいつを俺たちが護衛すんだとさ」 
 そう言ってシオンが肩をすくめる間に、キールは瞬時に思考をめぐらせた。 
 確かに考え過ぎだったかもしれない。王宮の高官たちは、余計な摩擦を避け、むしろ彼を僻地で飼い殺しにする方を選んだのだろう。 
 レオニス個人に特別な思い入れはないが、キールとしても、王宮のお偉方のやり方は腹立たしいものに思える。 
「わかりました。ではこれから仮眠を取って、出発に備えます」 
 こうして一仕事終えたシオンは、キールの部屋を辞した。 
 研究院の廊下に立つシオンの頬が、自然と緩む。 
 今ごろは、自分の伝言を持ってメイの窓の下を訪ねたイーリスも、目的を達したはずだ。 
 シオンは満足げに、暗い廊下をひとり歩いていった。 
 
 
 早暁。 
 王宮内の裏門近くに1台の大型の馬車が用意されていた。 
 緊張した面持ちで小さくなっている3名の兵士の傍らで、少しやつれた顔のレオニスが、青く透けはじめた空を見上げている。 
 彼は、近づいてくるシオンとキールに気付くと、姿勢を正して敬礼をした。 
「筆頭魔導士のシオン様に同道いただけるとは、恐縮の極みです」 
「あーもう、似合わない皮肉を言うなって。お前さんが本気で逃げようとしたら、俺にだって止められないってーの」 
 それを聞いた兵士たちの顔が引きつる。彼らに与えられた命令は、あくまでもレオニスの護送だった。 
 王国一の剣の使い手として名高いレオニスを見張るというだけでも気が重いのに、逃走を防ぐなんて、自分たちの手に負える訳がない。筆頭魔導士が同行すると知らされて安堵したが、考えてみると、この二人が本気で戦ったら、側にいる自分たちはどうなるのか。 
 キールには、そんな兵士たちの考えが手に取るようにわかった。シオン対レオニスの本気の戦闘に巻き込まれたくない、という点ではキールも同感だ。 
「ま、思ったより健康そうなんで安心したぜ、レオニス。大丈夫、俺たちが無事に某所まで送り届けるから、心配御無用」 
「・・・・・・」 
「お前さんが王都を離れたら、泣き暮らす女は一人や二人じゃないだろーけどなー」 
「・・・・・・ご冗談を」 
 シオン様じゃあるまいし、と陰で突っ込みを入れたのは、キールの心の声である。 
 この時レオニスが脳裏に思い描いた少女は、今、確かに泣いているに違いなかった。 
 彼女のことを思うと、自分のした選択の重さに胸が詰まるレオニスだったが、しかしそれは後悔の念ではない。 
 正式に王家から許されて結婚したいという願いは、無謀なものではないはずだった、少なくとも彼女の兄は理解してくれたのだから。 
 沈黙するレオニスに向かって、シオンは言いたくて仕方のない言葉があったが、苦笑しながら飲み込む。 
(あんたのために泣いているのは、姫さんひとりじゃないんだぜ。) 
 どうせ言っても誰のことかわからないだろう。まったく、どいつもこいつも、なんでこんなに鈍くて頭の固い男に惚れるのか・・・ 
「シオン様、そろそろ出立の刻限です」 
 生真面目にキールが告げたのを合図に、一名の兵士を御者役にして、一同は馬車に乗り込んだ。 
 キールも兵士たちも、万が一にも、この馬車を襲う命知らずな賊が現れるかもしれない、などとは、微塵も疑っていなかった。 
 
 
      3 
 
 
 その万に一つの可能性が現実となって、マントですっぽりと顔を隠した謎の人物と彼ら一行が遭遇するのは、王都を出て間もない森の中でのことだった。 
 その賊をどこかで見たことがあるような気がしたキールだったが、考える暇もなかった。 
「味方はまかせた!」 
 と叫んだシオンが全力で矢継ぎ早に繰り出す武術魔法を目の当たりにし、巻き込まれないよう防御の魔法を使うのが精一杯だった。 
 シオンの、まさにめくるめくような魔法の嵐が過ぎ去った後には、馬車が無残な姿をさらしていたが、賊の姿はなく、レオニスの姿もまた見えなくなっていた。 
 それと時を同じくして、王宮でも一つの事件が起こっていたことを、キールは知る由もなかった。 
 
 



 
→つづく
 
 
 
 
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