4 同日、昼下がり。 皇太子の執務室の机には、報告書の山が積み上げられていた。 セイリオスはため息を吐くと、作成者であるシオンがたった今自ら持ってきた報告書を読み上げる。 「逃走せしめたその技量から見て、賊は、噂の辺境の魔王か、又は巷を騒がす森の盗賊団か、いずれかであると断定する・・・やれやれ、よくもまあ・・・」 「おおーっと、筆頭魔導士のこの俺が取り逃がしたんだ。他の奴なら失敗しなかったとでもー?」 シオンの言葉に、セイリオスはこめかみを押さえる。確かに、シオン以外の者だったら、こんな報告書は許されないだろう。 シオンがレオニス移送の責任者を志願した時、何かたくらんでいるとは気付いていた。 とはいえ、王都のすぐそばで、こんなに派手なことをやらかすとは、さすがにセイリオスにも予想できなった。 「しかし、よくレオニスが同意したものだな」 「別に、事前に予告なんかしてないし。それに、想い人が待ってるとあの場で言われたら、いくら石頭だって行くだろ」 セイリオスは、またまた深いため息を吐いて、今度は、先程アイシュが置いていった報告書を手に取った。 それは、今朝早く、シオンたち一行が出発した後のことだった。ディアーナの姿が部屋から消えたのだ。 王宮内はたちまち大騒ぎになった。 その前後、ほうきにまたがって空を飛ぶ魔導士を見たという女官の証言があるが、研究院は、そのような魔導士の存在を公式に否定している。 予想できなかったといえば、こちらもそうであり、王宮にとっては、ディアーナの失踪の方が重大な事件だった。 「で? 姫さんと隊長の駆け落ちってことで、追跡隊でも組むのか?」 というシオンの問いを、セイリオスはあっさりと首を振って否定した。 高官たちの中には、駆け落ちだと主張する者もいた。しかし、レオニスが一人でディアーナを連れ出すのは時間的に困難であることを説いたのは、セイリオスだった。 まがりなりにも、レオニスは公務の旅程中に殉死した可能性もあるのだ。それを、命令違反をして脱走の上、王女を誘拐したという見解を取ったら、今度こそ騎士団が黙ってはいない。王宮内の協力者を詮索することは、さらに政治的な問題になる。 むしろ、セイリオスの気がかりはそこにあった。 「その代わり、シオン、君の立場は微妙なものになってしまった」 彼の言いたいことは、シオンにもすぐにわかった。一方の見方に立てば、シオンはレオニスを故意に逃がしたことになり、正反対の見方に立てば、シオンはレオニスを死なせたことになるのだ。 「騎士殺しのシオンか。上等だ。やばい通り名が増えて、嬉しい限りだね」 それは決して空元気ではない。シオンほどの実力があればこそ、陰で何を言われようと、何を仕掛けられようと、自分の道を進むことができるのである。 皇太子とすれば、これほど心強い味方はない。が、今後、親友にいつもこんな役回りを振ることになるのかと思うと、セイリオスの心は穏やかではいられない。 「勘違いするなよ、セイル。これは自分のためにやっていることだ」 昨日の会話を蒸し返すまでもなく、二人は共通の目的のために歩みを始めていた。もう引き返すことはできない。 「だいたいお前さんには、俺のことより先に、心配しなきゃならない人がいるでしょーが」 一瞬虚を衝かれた顔をするセイリオスに、シオンは片目をつぶってみせた。 「俺が気付いてないと思ってたのか。早く行って、あの子を慰めてやるんだな」 夕刻。 街の広場では、ガゼルとアイシュという見慣れない組み合わせの二人が、夕暮れの日差しの中、熱心に話し込んでいた。 「隊長さんのことはですねえ、逃亡でも死亡でも具合が悪いので、ずうっと行方不明ってことになると思いますよ〜」 二人の会話は、立ち話にしてはかなりきわどい内容なのだが、子供っぽい外見に騙されてか、行き交う人々は少しも関心を払わない。 王女の失踪は伏せられたままで、街はいつもと同じ平穏な日常だった。 噴水の側では、幾人かの少女たちが、お気に入りの吟遊詩人がいつのまにか王都を発ってしまったことを、声高に嘆いている。 「イーリスが隊長の恩人かあ。いや、イーリスだけじゃなくて、いろんな人のおかげだよな」 ガゼルは、あえて他の名前を挙げなかったが、心配は残る。 「でもさあ、メイだってことはバレバレじゃんか。どうすんだよ」 「いやあ、それがですねえ、メイのことは存在そのものが最重要機密なわけですし、そもそも異世界人だから処罰とかもできないわけですし〜」 アイシュが言うには、メイは、研究院内では、「ディアーナを連れ出して郊外の森で別れた」と自分のしたことを認めている。むしろ研究院の方が、騒ぎになるのを恐れて、このことを隠し通すつもりのようだ。 「キールは? 監督責任とかがあるんだろ?」 「それも大丈夫なんです〜。キールは、特別の公務で研究院を離れていましたから、咎めだてできないんですよ。すごい偶然ですよね〜」 考えてみれば、騎士団も監視が付いていたために、今回の一連の事件には無関係と判断され、その結果、こうして監視も解かれたのだ。二人とも、これをすべて偶然だなどとは、実のところ少しも思っていない。 「強引に根掘り葉掘り聞いて、悪かったな」 「いいえ〜・・・でも、寂しくなりますね〜」 ぽつりと呟いたアイシュの言葉に、ガゼルは、 「うん、でも、これでよかったんだよ。二人とも、幸せになれると思う、俺」 あたかも自分に言い聞かせるようかのような口調で答える。アイシュは大きく微笑んで、賛同の意を表した。 同刻。 夕焼けで茜色に染まる湖のほとりで、シルフィスは膝を抱えて座っていた。 顔を伏せた姿勢のまま、もう長いこと動かないでいる。 「シルフィス・・・」 背後から静かに名前を呼んだのは、セイリオスだった。 驚いて顔を上げるシルフィスに、ゆっくり近づくと、隣りに腰を下ろした。 「・・・あの二人は行ってしまったね」 「殿下・・・」 シルフィスは唇をかんで、またうつむいた。 「私は、駄目な人間です・・・自分で望んだ結末だったはずなのに、とっくに覚悟はできていると思っていたのに・・・」 そう言った後、はっとして、シルフィスはセイリオスの顔を見た。 「申し訳ありません。殿下も、姫さまとお別れなさったというのに、こんなこと・・・」 「いいんだよ。あの晩、ディアーナはもう私の元から巣立っていったのだから」 セイリオスの心に、あの夜のことが甦る。 夜明け前の神殿の庭で、初めて自分の想いに真正面から向き合ったあの夜。あれ以来、自分に正直になれたような気がする。 「シルフィス、ひとりで泣くのはつらくないかい。その、よかったら、私にここにいさせてくれないか」 日頃は雄弁なセイリオスの、なんと不器用な台詞だろう。 「私に、彼の代わりが勤まるとは思っていない。だが、今は、君の側にいたいと、そう思っているんだ」 シルフィスは、束の間セイリオスの顔を見つめていたが、すぐにその目を伏せた。 「ありがとうございます。・・・もう少し、もう少しだけ、このまま泣かせて下さい」 そうしてまた、膝を抱えてうつむいたシルフィスの肩が小さく震える。 セイリオスは黙って、その背中に手を回した。そっと、赤子をあやすように。 (いつかきっと、あの二人が堂々と王都に戻って来られるような、そんな国を、私はつくろう、君のために・・・) それは、自分自身の人生もまた、血筋や家柄というものに振り回されたセイリオスの、心からの誓いだった。 すぐにはできない。だがいずれ、自分の力でそれを実現できる日が来るだろう。いや、実現しなくてはならない。メイの世界には身分など無いと、彼女は言っていたではないか。 夕闇の迫る岸辺で、若き皇太子は、自分が守るべきもの、目指すべきものを心に刻みつける。新しい明日を信じて。
でも、やはりそう簡単には結婚できないような気もしたので、別バージョンのつもりで『明日』を書きました。 クラインに身分がある限り、隊長とディアは幸せになれないような気がする。(っていうか、ディアの場合、ほとんどの相手がそうかも…) 途中から、全員を出してみようと思ったので苦労しましたが、意外ときれいにまとまったかな、と自分では思っています。 場所や時間の設定等、ちょっと芝居のような流れを目指してみたのですが、思ったような効果が出ているとも限りませんね。 実は、世界中の人が隊長のために動くのは当たり前、というレオニストの思想が全開しているお話です。 でも恋人同士の二人より、殿下に尽くすシオンの方が圧倒的に目立ってますね。これがみかるのシオンの基本かも。 最初はコメディ仕立てで企画したのですが、こんな話になってしまいました。 ちなみに蛇足ですが、最後のシーン、シルフィスは隊長を想って泣いているのです、念のため。 |