いざ歌わん 勇者アマディスの詩を 無敵の剣の騎士アマディスを称えん 「シルフィス、ずいぶん進んだんじゃありませんの?」 「そうですね、姫。メイはどうですか? 課題は終わりそうですか?」 「うーん、もうちょっとってとこかなー」 穏やかな冬の午後、ディアーナの部屋では三人の少女がそれぞれ本を広げていた。 ディアーナとメイが切羽詰まった課題に追われているのに付き合って、シルフィスも文字の勉強にと本に向かっていたのだ。 「お茶にいたしましょう」 ディアーナが席を立つのに合わせて、メイはテキストを閉じると、シルフィスの手元を覗き込む。 「シルフィスは何読んでんの? なんか年季の入った本みたいだけど」 シルフィスが読んでいたのは、古めかしいがきれいな装丁の本だ。 「待ってね、自分で読むから。えーと、・・・きし、あまでぃすの、うた?」 「隊長が貸してくださったんです」 「ねえ、恋人になったのに、まだ隊長って呼んでるの?」 「だって、隊長は隊長ですから」 毎日一回は交わされる会話だ。こういうところ、シルフィスは妙に頑固で譲らない。 「アマディスって、有名な騎士の物語ですわね。レオニスが好きそうなお話ですわ」 侍女からお茶のお盆を受取ったディアーナが、ティーカップを置きながら言う。 「姫もご存知なのですか?」 「ええ。前に、離宮で大きな園遊会があった時、吟遊詩人が詠唱するのを聞きましたの」 クラインに古くから伝わる伝説の英雄アマディスの物語は、子供の頃からよく聞かされるものだという。 ドラゴンを退治した英雄が、放浪の末隣国の姫君を娶るが、その後も、騙されたり怪物に出会ったりと、波瀾万丈の運命が待っているのだ。 「あたしの世界にもあったなー。そういうの」 メイが語る異世界の騎士達の物語に、シルフィスは興味深そうに耳を傾けた。 騎士たちの友情。降りかかる試練。美しい姫君。 「じゃあ、イーリスに頼んだら詠ってくれるでしょうか?」 「どうかな。確かイーリスはそういうのやんないって言ってたよ」 「そうですか。残念ですね」 「ところで、どこを読んでいましたの? やっぱりドラゴンとの戦いの場面かしら?」 「いえ、騎士アマディスがオリアーナ姫と結婚した後、湖の岸辺を歩いているところです。 隊長が、ここから読めとおっしゃるので」 それを聞いたメイは一瞬考え込んだ。 それは、文字の勉強なのだから、どこから読んでもいいのだろうが、なぜにわざわざ新婚夫婦の場面を読まねばならないのか。 (隊長さんて、意外とロマンチストなのかな・・・?) 一方、ディアーナの反応は違っていた。 「まあ、シルフィス。そこよりもその前、オリアーナ姫にプロポーズするところが素敵なんですのよ。 アマディスはドラゴンを倒したけどただの騎士だからって馬鹿にする貴族たちが、二人の邪魔をするのですけど、姫の手助けでアマディスは難題を乗り切るんですわ」 そうしてディアーナは一番有名な文章だといって、騎士が姫に愛を誓う時の詩を教えてくれた。 うっとりと語るディアーナの様子に、シルフィスは笑顔になる。 「姫は、どなたか好きな方がいらっしゃるのですね」 「え・・・?」 ディアーナが赤面して口ごもるのと、メイが固まるのが同時だった。 「お相手を詮索するつもりはありません。姫にはお幸せになってほしいと思っています」 遠慮深げに言うシルフィスの顔を、二人はまじまじと見つめる。 「実は最近、ガゼルにも大事な人ができたらしいのです。でも私ったら、何の力にもなれないみたいで・・・」 「シルフィス・・・」 相変わらず顔を赤くしたままのディアーナを目で制して、メイが口を開いた。 「そこまでわかっていながら、どうしてその二つを結び付けて考えないかなあ?」 「え?・・・・・・・・・ええっ、そうなのですか?」 「きゃあー、メイったらー」 照れまくるディアーナを前に、唖然とするシルフィス。 二人とも身近な存在なのに、自分はなぜ気付かなかったんだろう。 「・・・・・・隠すつもりはなかったんですのよ。シルフィスはガゼルから聞いて、もう知っているんだと思っていましたわ」 「ま、ガゼルもきっとそう思ってたんだと思うよ」 (てゆーか、今まで気付かないのって鈍すぎ) とは言わないで、メイは別な言い方でシルフィスを冷やかした。 「シルフィスは、別の人のことを考えるんで忙しかったんだもんねー」 案の定、今度はシルフィスが赤くなる番だった。 「あー、いいわねー、二人とも、素敵な騎士がいてさー」 「あら、メイにだってあの方がいらっしゃるじゃありませんの」 年頃の少女らしい華やかさと恥じらいと共に会話は盛り上がり、お茶の時間が終わっても、勉強が再開されることはなかった。 メイと共にささやかな夕食をご馳走になってから王宮を辞したシルフィスは、なんとなくもやもやしたものを抱えていた。 レオニスに渡された物語の粗筋を、さっきまで彼女は知らなかった。 騎士と姫君。メイのしてくれた異世界の騎士物語にも、主君の妃になるはずの隣国の姫と許されぬ恋に落ちる騎士の話があった。 レオニスが物語の中身を教えなかったことに、何か意味があるのか、それともそれ自体ただの考えすぎなのか。 シルフィスにはよくわからなかい。 今まで、こだわっているつもりはなかったのに。 自分はレオニスの過去に嫉妬しているのだろうか。 やりきれない気持ちのまま、宵闇の街を足早に騎士団へと急いだ。 その頃レオニスは、執務室でガゼルと向かい合っていた。 彼の眉間はいつもよりきつく寄せられ、深刻な話題であることを物語っている。 「結局、身分違いだから止めろって、隊長はそうおっしゃるんですか!」 ガゼルの口調はいつになく反抗的な調子を帯びている。 「・・・・・・そうではない。お前の気持ちを聞いている」 むしろレオニスの方が歯切れが悪い。 彼の目に浮かぶ表情は、怒っているというより困っている時のそれだった。 昼間、軍団長に呼ばれたレオニスは、王女が騎士見習いの一人と特に親しくしていることが、王宮の一部で問題視されている、と告げられた。 あまり大事にならないうちに何とかするように、と騎士団に内々に申し渡されたらしい。 「何とかしろ」というのが、「別れさせろ」という意味だと分かるまでに、かなりの時間を不毛な会話で費やした。 なぜ自分が、という疑問の答えに、問題の騎士見習いがガゼルだと知らされると、さらに消耗した。 気付かなかった自分が鈍いと思うより、そういうことにだけやたらと敏感な王宮の一部というものに、今更ながらうんざりしたからだ。 直接の指導者なのだから、自分が言うしかないのだろうが、しかし何と言えばいいのか。 レオニスの逡巡する胸の内は、ガゼルにはいまひとつ伝わっていなかった。 むしろガゼルは、隊長が自分に対して厳しいことを告げるのを躊躇っている、と受け取っていた。 「ディアーナが好きだっていう、それだけじゃ駄目なんですか!」 真摯に言いつのるガゼルを前にして、レオニスは不思議な感覚にとらわれた。 「・・・・・・ただ友達でいたいだけなら、誰も何も言わん。 だが、お前がもしも、本気で王家の姫を手に入れたいと望むなら・・・・・・周囲に雑音が起きるのを覚悟しなければならない」 ガゼルが唇を噛む。 「お前はそれでも、自分の想いを貫くことができるのか・・・?」 自分で言いながら、レオニスは自分の台詞に違和感を覚える。 ガゼルを説得して姫を思い切らせるよう命じられたはずなのに、何を言っているのだろう。 「俺は、俺は、ディアーナのためなら、何だってするつもりです! でも、だから身を引けだなんて!」 むきになるガゼルのまなざしは、既に少年のものではなく、大人の男のものと言ってよい。 「・・・・・・それなら、最後まで貫けるのか。例えばすべてを捨てて、姫と王都を離れることになったとしても」 レオニスの最後の言葉を聞いた瞬間、ガゼルは息を止め、そして弾かれたように、前にも増して大きな声で叫んだ。 「逃げるなんて、そんなこと考えてません! 駆落ちしたって幸せになんかなれない! 隊長がそんなこと言うなんて!」 ガゼルの剣幕に驚いたのはレオニスの方だった。 シルフィスが、執務室の扉をノックをしようと片手を上げたちょうどその時、何もしないうちから扉が勢いよく開いた。 「俺はぜったい、逃げたりなんかしませんから!」 そう叫んで、廊下も見ないで飛び出してきたガゼルは、振り向きざまシルフィスにぶつかりそうになった。 目をぱちくりさせているシルフィスを、気色ばんだ勢いのままにねめつけると、挨拶もしないで廊下を走っていってしまった。 (ガゼルが隊長とケンカ・・・?) 「中に入れ」 「はい、隊長」 素直に従って、シルフィスは執務室の中に入って扉を閉めた。中ではレオニスが、難しい顔をして椅子にかけている。 話しかけることを躊躇いながら近づいたシルフィスに、レオニスは眉間を寄せたまま問いかけてきた。 「お前なら知っていたかもしれないな・・・・・・ガゼルの・・・好きな女性のことを知っているか?」 「はい・・・・・・今日、聞きました」 シルフィスの答えに、レオニスがため息をつく。 それだけで、レオニスとガゼルとの間に何があったか、想像がついた。 「お前から先に聞いていれば、また違ったことが言えたのかもしれんが・・・・・・」 「申し訳ありません」 「謝ることではない。・・・・・・まったく、部下の恋路に口を挟むのが、仕事だとは・・・・・・」 冗談ともつかない台詞と共に、レオニスはまたため息をつく。 「この私がな」 「隊長・・・・・・」 「そんな顔をするな。・・・・・・私には、本当なら何も言う資格はない」 正直なところ、シルフィスが今一番心を痛めているのはそのことだった。 レオニスにディアーナとの交際を咎められたのであろうガゼルのこともさりながら、立場上ガゼルを叱責せねばならないレオニスの心中は、どのようなものか。 高貴なひとへの許されぬ恋。 「姫を諦めろと、そうおっしゃったのですか?」 「最初はそのはずだったのだが・・・・・・」 「・・・・・・?・・・・・・」 「すべてを捨てる覚悟があるのかと尋ねたら、怒られた」 普段は寡黙なレオニスだが、シルフィスといる時は饒舌になる。 「それは逃げることだと・・・・・・どんな困難も必ず乗り越えて幸せになるから、逃げるなんてありえないそうだ」 返答に窮して、シルフィスはあいまいに頷く。 知らないこととはいえ、ガゼルの言葉がレオニスに与える痛みを思うと、身が縮む思いがする。 気が付くと、レオニスの肩に手を置いていた。 「逃げる、か・・・・・・確かに、今から逃げることを考えていては、敵前逃亡だからな」 いずれガゼルも知るだろう。何かを手に入れることは何かを失うことなのだと。 何の犠牲もなく愛を手に入れることができる幸福な者は、滅多にいない。 恋に落ちた者はみな、自分の持ちうるすべてと引き換えになっても、愛する人を手に入れたいと願う。 とはいえそれは、己の愛に純粋で潔癖な恋人たちにとって、障害から逃げることであってはならないのだ。 その結果、たとえすべてを失うことになろうとも。 「私は過去から、何も学んでいなかったのかもしれない。 自分を信じることができなくては、相手にも信じてもらえるはずがない」 そう言いながらレオニスはシルフィスの手に自分の手を重ねる。 「ガゼルに教えられた。・・・・・・若いというのは、一つの才能だな」 「応援してあげたいですね」 「そうだな。私たちだけが幸せなのは不公平だからな」 レオニスはシルフィスの手を引くとそのまま腕の中に抱き寄せた。 彼の膝の上で、シルフィスはそっと目を閉じた。 |