四月になれば


  シルフィスが王都に来たのは、春の初めだった。
  何のために、アンヘル村からわざわざ王都に出てきたのだったか。
  大人の事情としては、友好関係がどうのこうのとか、いろいろあったのかもしれない。
  だがシルフィス本人に関して言うなら、見聞を広めると同時に、異文化からの刺激が分化のきっかけになれば、というのが主目的だった。
  そういう意味では、身を置くのは別に騎士団でなくてもどこでもよかったはずだが、何の因果か、騎士団に籍を置くことになった。幸いにも、本人はすっかり騎士団に馴染み、今では立派な騎士になることを目指して、日々訓練に励んでいる。
  それはよい。
  それはよいのだが、シルフィスが王都に来てから既に半年以上が過ぎ、真冬の最中を迎えようというのに、いっこうに分化する気配がない。
  本人も周囲も、表面上は特に話題にすることもないが、内心ではいろいろ期するところがあった。
  なぜなら、シルフィスが王都にいるのは三月末まで、というのが最初の約束。四月以降も王都にいられるという保証は、今のところない、という状況なのである。
 

  その日、シルフィスはディアーナの部屋にいた。侍従にお忍びをブロックされた王女は、たまたま訪れた騎士見習いを「一緒に勉強するから」と言って自室に引きずり込んだのだった。
  一応、机の上に歴史の本を広げてはいるものの、ディアーナの心は、その本ではなく、さらに上の方を漂っている。まさに上の空というやつだ。
「それでね、シルフィス、あの方のお誕生日のプレゼントを考えているのですけど、何がいいと思います?」
「姫のお心がこもったものなら、何でも喜んでいただけると思いますよ」
「何でもって、それじゃダメなんですの。やっぱり本当に欲しいものを差し上げたいんですもの。思い切って直接うかがってみようかしら」
「え、直接聞くんですか?」
  プレゼントというのはサプライズ、つまり、何がもらえるかはもらってみないとわからないものだ、と思っていたシルフィスにとって、ディアーナの言葉はまさに驚きだった。
「そうですわね。自分のセンスで選んで、相手に喜んでもらうっていうのも、もちろんプレゼントの醍醐味ですけれど、仲が良ければ、相手の欲しいものを直接聞くっていうのも、いいんですのよ。よくお兄様に、今年のプレゼントは何が欲しい?って聞かれたものですわ」
「そうなのですか」
「シルフィスのお誕生日は五月だったんですのよね。今年は何をもらいましたの?」
「村の家族からは、手紙と一緒に服が届きました」
「ステキですわね。じゃあレオニスは? レオニスは何をくれましたの?」
「隊長ですか? 隊長からは特に何も・・・・・・ガゼルからはもらいましたが」
「まあ! 面倒見のいいレオニスのことだから、絶対何かくれたんだと思ってましたわ! じゃあレオニスの誕生日には? シルフィスは何か差し上げましたの?」
「いいえ、隊長の誕生日を知らなかったものですから。気が付いたら過ぎてしまっていました」
「ええーっ、わたくしに聞いてくださればよかったのに」
  ディアーナの勢いに、シルフィスは不安になった。
「クラインでは、誕生日プレゼントは絶対に必要なのでしょうか」
「そんなことありませんわ。贈った方が楽しいってだけのことですわ。いいんですのよ、次の誕生日に差し上げれば。わたくしこそ、今年のあなたのお誕生日は知らないでやり過ごしてしまいましたもの。今年こそプレゼントを差し上げますわね」
「お言葉は嬉しいのですが、四月から先、私がクラインにいるかどうかは・・・・・・」
「何を言ってますの。シルフィスは騎士になってここに残るんでしょう」
「今まで騎士はすべて男性ですから・・・・・・未分化のままでは・・・・・・」
  まして女性になったら、という言葉が、シルフィスの内心では続いていた。女性に分化したときの自分の未来が、まったく想像できなかったからだ。
  ディアーナは、そんなシルフィスの心中を慮ってか、
「シルフィスなら、今のままでもきっと立派な騎士になれますわ。それに、たとえ女の子になっても、今みたいに仲良しでいられるから、わたくしは嬉しくってよ」
  そう言って微笑んだ。
  冷静に考えてみるなら、そういうディアーナ自身が四月以降どこで何をしているのかは、実のところやはりあやふやだ。想い人とともにクラインにいるのか、それとも異国の地にいるのか、はたまた、隣国へ無理矢理嫁がされてしまうのか。まだ誰にもわからない。
  だが、そんなことを考える余裕はシルフィスにはない。今のシルフィスは自分のことだけで手いっぱいだった。
  早く分化したいという気持ちも強かったけれど、男か女か、どちらかになってしまったら、今の人間関係も微妙に変わってしまうのかもしれない。四月以降の自分のことを考えると、期待と不安がいりまじって、結局不安が勝ってしまう。そんなお年頃である。
 

  数日後。
  大通りを歩いていたシルフィスの前に、不意に人影が立ちふさがった。
「ねえ、彼女、いまひとり?」
  見知らぬ若い男が、笑顔で立っている。
  いや、もしかして自分が忘れているだけで、前に会ったことがある人なのかもしれない、とシルフィスは思った。というのも、それほど男の態度が気さくだったからだ。
「前にお会いしましたでしょうか?」
「あれぼくのこと、知っててくれた? うれしいなあ。早速これからお茶でもごいっしょに」
「いえ、そういうわけでは・・・・・・」
「まあまあ、そうおっしゃらずに」
  にこにこ顔の男は、大胆にもシルフィスの腕を取る。
「せっかくお会いできたんですから、私と楽しい時間を過ごしましょう」
「ええと・・・・・・」
  ずうずしいとも厚かましいとも言える男の態度に、シルフィスは正直どのように対応していいのかわからないでいた。
  この人は知り合いなのだろうか。
  覚えがないなら知らない人だと思えばいいのに、そうすっぱり思い切れないところがシルフィスである。
  とはいえ、遊んでいる暇はないのであって、間もなく騎士団に戻らねばならない時間だ。
  そんなシルフィスの逡巡にはお構いないで、
「まずはお茶して、それからいろいろ楽しいことを」
  男は腕を取ったまま歩き始めようとする。
「あの・・・っ」
  その時、シルフィスの頭上を黒い影がかすめて飛んだ。
  ゴキッ☆
「ぐはあっ」
  ものすごいスピードで飛んできたフライパンの直撃を受けて、男が地面にめり込んでいた。
「シルフィスッ!」
  そして、通りの向こうからものすごいスピードで駆けてきたのは、予想通りメイである。
「もうっ! だめじゃん! 行くよ!」
「え? ええ?」
  今度はメイがシルフィスの腕をつかむと、これまたすごいスピードでその場から離れて行った。
「メイ、いったいどうしたんですか?」
  いくつか通りを過ぎたところで、シルフィスの問いかけに、メイはようやく立ち止まった。
「どうしたじゃないわよ。危ないところだったわ」
「ええ、街中でフライパンを投げるのは、やっぱり危ないです」
「ちがーう! あたしが言ってるのは、シルフィス自身のことよ。あたしが駆けつけたからよかったようなものの、あんな見え透いたナンパ男に引っかかるなんて」
  いったいどこから見ていたのか知らないが、メイにはすべてお見通しのようである。
「ナンパ、ですか?」
「そうだよ。前にもあったでしょ。シルフィスってば、無防備すぎ」
「前にも、ですか? 喧嘩を売られたような記憶はありますが・・・・・・」
「最近のシルフィス、すっかりきれいになってきたから、ああいう連中が寄ってくるの。気を付けなきゃ」
「はあ・・・・・・ですが、もしかしたら知り合いだったかもしれないし・・・・・・」
「そんなことありえないって。あんなの、片っ端から女の子に声をかける奴の、口先だけの決まり文句なんだから」
「そうなのですか?」
「そう! 口先だけなんだから、だまされないでね」
「・・・・・・クラインの言葉は難しいです」
  シルフィスは少し沈んだ声で言った。
「難しくなんかないって。場数よ、こんなもん」
  シルフィスががっかりしているのは、お茶に誘ってくれた男がナンパだったからでは、もちろんない。彼の言葉が口先だけのものだと、自分がわからなかったからだ。
「とにかく、シルフィスくらいキレイだと、性別問わず口説かれる危険あるんだから。これで女の子になったりしたら、もーどうなっちゃうかと思うと、あたし心配で。ちょっと、シルフィス、ちゃんと聞いてるー?」
  メイが何を心配しているのか、シルフィスには実はあまりよくわからかったけれど、彼女の善意は伝わっていた。
  分化してから先のことなどは、今心配してもしょうがない、とシルフィスは思っている。そんなことより、自分はいまだにクラインの文化に馴染めていないのかも、という方が気がかりだった。
  この場合、シルフィスの悩みは微妙に現実とずれているのだが、そこがシルフィスらしいとも言える。
  シルフィスに、いまだ分化の兆しはない。
 

  それからまた数日後のことになる。
  夕食を終えた後の食堂では、シルフィスを相手にガゼルが悩んでいる最中だった。
「なあなあ、シルフィス。どう思う?」
「どう思うって言われても・・・・・・」
  ガゼルも悩んでいたが、シルフィスも困っていた。なぜなら、ガゼルの相談事が、自分にはどうしようもないことだったからだ。
「俺としては、何とかしてバレント・デーの前に勝負を決めてえんだよ」
「どうして?」
「だってそうしたら、バレント・デーにチョコくれって言えるじゃないか」
「ああそうか、その日は女の子がチョコを贈る日だったっけ」
「だからさ、その前に、そのぅ、ちゃんとだなあ」
「それはわかる。愛を告白するってことなんだろう」
「うわあ、そんな言葉をはっきり言うな、恥ずかしいだろ」
  要するに、ガゼルはバレント・デーを控えて、女の子に好きだと言いたいのだが、どういうふうにすればいいのか迷っていて、こともあろうにシルフィスに相談しているのである。
「他の言い方なんて、わからないよ。言ったことも言われたこともないし」
  しかも、言われたとしても、ナンパと区別のつかないシルフィスである。
「そうなんだけどさー。他に相談できる奴なんていないし。それにおまえ、ディアーナやメイとも仲いいいから、女の子の気持ちとかって少しはわかるんじゃないかと思って」
「私はまだ分化してない」
「そう尖がるなよ。今のおまえの性別はどうだっていいんだよ、この際。俺よりはわかるんじゃないかって話なんだから」
「ごめん」
「気にするなって言っても無理だろうけどさ。そのうち分化すればいいってことよ」
「・・・・・・女になりそうだと思う?」
「さあなー。俺にはわかんねーや。仮に女になったとしても、訓練で手加減するつもりはねーからな。どうせ四月になれば俺達は騎士になるんだし」
  そうでない未来など、ガゼルは考えたこともなかった。騎士になることがゴールではないから、「騎士になっても未熟な自分」について考えることはあっても、「騎士になれない自分」なんて、考えようと思ったこともない。
  そんなガゼルの一直線なところは、シルフィスからもまぶしく見えるときがある。
「だからさっきのことも俺と一緒に考えてくれよ。なんかこう、気の利いたことが言えればいいんだけど」
「それこそ私にだってわからないよ」
「ちぇ〜。こういう時、隊長だったら何て言うのかなあ」
「隊長?」
「ああ。隊長だったらきっと、かっこよく大人っぽい台詞で決めるんだろうなあ」
「なんだか、想像つかない」
「好きだとか、単純には言わないと思うんだ。なんかこう、大人っぽい言い方があると思うんだ」
「単純じゃ、だめなのかな」
「だめじゃないけど、隊長のイメージってもんがあるだろ」
「だったら、隊長は隊長、ガゼルはガゼルなんだから、隊長が言いそうな台詞を言ったってだめなんじゃない?」
「・・・・・・シルフィスって、時々きっついこと言うよな」
 うらめしげなガゼルとは別に、シルフィスの胸にはある考えが閃いていた。
 

  シルフィスは、隊長の執務室にいた。
  休日にいろいろな人を訪ねていって話を聞くのは日課のようになっている。王宮や魔法研究院まで出かけることもあるが、騎士団の中でそんな風に話をするのは、この時期になっても結局ガゼルとレオニスの二人だけだ。
「なんだか頼りなさそうな顔をしているな」
「そうでしょうか」
「心配事があるのか」
「心配というか、いつになったら分化するのかと思うと、やっぱり不安になります」
「あまり思いつめてもしようがないだろう。腰を据えて訓練を続けることだ」
「はい、隊長」
  返事をした後、シルフィスは少し考えてから、思い切ったように口を開いた。
「ひとつ、お伺いしたことがあるのですが」
「何だ」
「こんなことはごく親しい間柄ではないと許されないだろう、ということはわかっているつもりなのですが・・・・・・」
  シルフィスがくちごもると、レオニスは
「何かわからんが、言ってみるといい」
  軽く頷いて、先を促した。
「ありがとうございます」
  シルフィスはあからさまにほっとした表情になる。
  そんな表情を見せるということは、自分に対して気を許している証拠なので、レオニスも悪い気持ちはしないのだろう。
  そういう空気に押されて、シルフィスは聞いてみた。
「隊長は、好きな人に告白する時はなんとおっしゃるのですか」
「・・・・・・なんだと?」
「ですから、隊長は・・・・・・」
「聞こえている。繰り返すな」
「はい」
「・・・・・・・・・過去の話か」
「いいえ。今、これからの話です」
「なぜそんなことを聞く」
「ガゼルが」
「ガゼル?」
「告白の台詞を考えていて、それで、隊長ならなんて言うかな、と言っていたので」
「ではガゼルのために聞くのか」
「いいえ。私が知りたいからです」
「・・・・・・誰かに言いたいのか」
「クラインの表現は、私にはよくわからないことがあって、だから、上手く言えないと困ると思ったので」
  シルフィスの頭には、先日の大通りでのことがあった。
  口説かれているのだとわからなかった。だったら、自分がそういうつもりで告白しても、相手にそう思ってもらえないかもしれない。
「・・・・・・そうか」
  レオニスは大きくため息をついた。
「そんなことは、シオン様にでも聞けばいいだろう」
「いいえ、シオン様ではだめなんです」
「それくらいの分別はあるということか」
  言いながら、レオニスの眉間にしわが寄る。
「私から言うことは何もない。自分が言いたいように言うがいい」
  シルフィスが納得いかない、という顔をしていたせいだろう。
「とにかく、そういうことを私に聞くな」
  あからさまに、この話はもう終わりだ、という素振りだったので、シルフィスにはそれ以上食い下がることができなかった。
 


→つづく

 

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