夏衣の夕(なつぎぬのゆう)
 

  硬貨を投げたお客たちが噴水の前から散っていく。
  今は一番夜の短い季節。まだまだ日の入りは遅くなる時期で、この時刻でも外は明るい。
  日が沈むまでの時間、まだ外で過ごしてから家に帰る者たちも多いだろう。
  そんなお客たちの後ろ姿を営業用の笑顔で見送りながら、集めた硬貨を皮袋に入れていたイーリスは、
「もう夏服に衣装替えか」
  聞き慣れた声に振り返った。
  よう、と手をあげて近づいて来たのは、思った通りシオンだった。
「商売繁盛みたいだな」
「あなたのおかげではありませんけどね」
「おいおい、こういう時はお世辞でもおかげさまでって言うもんだろーが」
「あなたには社交辞令を言うのももったいないですから」
「言ってくれるねえ」
  そう言って肩をすくめるシオンには少しもこたえた様子はなく、むしろ上機嫌のようだった。
  帰り支度を終えたイーリスが「何か用か」と目で促すと、手で杯を傾ける仕草をして飲みに誘ってきた。
「かまいませんが、あなたから誘ったんですから当然おごりですよ」
「わかってるって。今日はちょっといいことがあったんでね。夕飯おごるぜ」
  シオンの素性を知らなかったなら、どこかの色事師が女から金でも巻き上げてきたかと思うところだが、金に不自由が無いとはいえ常日頃から贅沢はしないシオンだ。純粋に満足な出来事があったのだろう。
「どうせ女絡みでしょう」
「まあな。女と言えば女なんだが。俺のおっかけの嬢ちゃんのお守り役が見つかってね。人心地ついたってところなのさ」
「ああ、噂の隠し子ですか」
「違うってーの! しかしもう知ってるのか。さすがだな」
  錠前亭へ向かって肩を並べながら、シオンは嘆息した。
  噂話の類に耳ざとくなくては、流しの吟遊詩人は勤まらない。
  今日の隠し子騒ぎもとっくにイーリスの耳に届いていた。
  もっともそれは、おしゃべり好きの少女たちのおかげだったのだが。
「姫さんや嬢ちゃんはともかく、シルフィスにまで言われて参ったぜ」
「日ごろの行いが悪いからですよ」
  条件反射のように突っ込んでから、イーリスは呆れたというようにその細い眉をあげた。
「騎士団にまで行ったんですか。あなたという人は・・・」
「あそこはなかなか楽しいところだぞ。歓迎されてないところがまた刺激的でいい」
「冷たくされるのが好きとはね」
「違う。美人がいるところにはどこへでも行くんだ、俺は。シルフィスに会うだけで行く価値があるぞ、騎士団には」
「はあ、シルフィスですか」
「男になっちまったらもったいないが、逆にあれくらいきれいだと、女じゃなくても全然問題ないね」
「そんなものですかね」
  絶好調のシオンに対して、イーリスの方はいつもながら素っ気ない対応だ。
  大通りを歩く美形の二人連れはなかなか人目を集めているが、注目されるのに慣れている二人のこと、まったく無頓着に話を続ける。
「あの子のこと気になってるんだろ、イーリス」
「何の話です」
「なんだ、自覚してないのか」
「何が言いたいんです。絡むのはやめてください」
「絡んでるのはお前の方だ。シルフィスには随分とつっかかってるみたいだな」
「別に」
「ごまかしたって駄目だ。俺が知らないと思ったら大間違いだ」
  イーリスは怪訝そうにシオンの顔を見た。
「お前、シルフィスに他人の事情を詮索するなって言ってたよな」
  シオンは見ていたのだ。イーリスとシルフィスが故郷の話をしていたのを。
「事情があるんですって言っておきながら、あいつが事情を聞いたら教えなかったろう。誰にでも触れられたくないことがある、とか言って」
  確かにそんなことがあった、とイーリスは思い出す。
  あれは会ったばかりの春の日のことだった。
  故郷はどこかとシルフィスに聞かれ、クライン出身だと答えると、王都は懐かしいだろうと言われた。
  事情があって王都に来たのは初めてだ、と答えたように記憶している。
「俺に言わせりゃーな、事情があるってほのめかす奴ほど、言いたくてしょうがない奴なんだよ。本当に触れられたくないなら、そもそも何にも言わなきゃいいんだ。それを思わせぶりに自分から振っておいて、素直に尋ねたら嫌な顔をする。意地悪だとしか思えないね。あいつ、しょげてたじゃないか」
「・・・・・・」
「商売づくで思わせぶりなのは勝手だが、子供をいじめるのは関心しないぜ」
「別にそんなつもりは」
「あ、お前ってもしかして好きな子に意地悪するタイプ?」
「だからって何でそうなるんですか。そんな話をするために誘ったのならお断りです」
  露骨にむっとした顔で言い返したイーリスに、ひゅーっとシオンが口笛を吹いた。
「おごられるチャンスをふいにするってのか。こりゃ驚いた」
  そんな風にイーリスが表情を変えるのは、シオンの前では珍しくない。
  だが口先だけでもおごりを断るようなことを言うのは滅多にあることではなかった。
「なあ、何あせってるんだ」
  それまでの挑発するような口調をがらりと変えて、シオンは静かな声で低く言った。
「避けてたと思ってた王都に来たのも正直驚いたけどな、せっかく来たんだ、もっと楽しんでいけよ」
  シオンの目が何事か言いたそうな光を帯びていたが、イーリスは気付かない振りをした。
「・・・そうですね。どうせ期限付の滞在ですものね」
  薄く笑って返したイーリスの言葉に、
「ああ、旅行者はみんな期限付だ」
  シオンはやけに生真面目に付け加えた。
「ここの夏はお前には少しきついだろうが、期限一杯、冬が終わるまではここにいろ」
「相変わらず強引ですね」
「ついこの間、春一番に花をつける白いカメリアを手に入れたんだ。大振りの花、見せてやるからな」
  あいまいに肯いたイーリスを一瞥すると、シオンはあっさりと話題を変え、昼間の少女に振り回されてひどい目にあった話を大げさな手振りで話し始めた。
  錠前亭が近づいていた。
  いつのまにか家並みの向こうの西の空が茜色に染まっているのが見える。
  シオンの言葉を待つまでもなく、イーリスとしてもとりあえずは王都にしばらくいるつもりだった。
  なぜ来たのか、とシオンは尋ねなかった。
  イーリス自身にも、なぜこの時期に王都に来ようと思ったのか、正直わからない。
  最近身体が変調を来たしつつあるのは実感していた。
  もっと過ごしやすい西へ行こうかとも思ったものだ。
  だがここクラインの王都へ、自分はやって来た。
  後悔しているのではない。むしろ反対だ。
  今更シオンに会いに来たわけでもないが、この昔なじみがいる地を選んだのは、金銭的にはもちろん、精神的にも正解だったかもしれない。
  そして王都に来て数週間で、興味深い新しい出会いがいくつかあった。
  ここで過ごす一年にも満たない時間が、自分に何かを与えてくれるような予感が、今のイーリスをとらえていた。
  この予感の通りイーリスが何を得るのか、それを本人が知るのはまだ数ヶ月のちのことになる。
 
 
 


 第2話に続く

    シオン&イーリス三部作の第1作。マイナー共和国本に投稿したものです。
    ちょうど6月末のお話です。
    これを読んでイーリス×シルだと思われた方もいれば、シオン×イーリスと思われた方もいらしたようです。
    そのへんはあなたの心の中で〜(笑)
    「夏衣」というのは、夏服のことで、夏の季語です(俳句)なつごろもとも読みますがここでは語呂を尊重しました。
    何気なく出した白い椿を後々まで引っ張ることになるとは、この時は思っていませんでした
 

イーリスの部屋に戻る  創作の部屋に戻る