真夜の夢語り(まよのゆめがたり)
 

  北風の吹く午後。ぶらぶらと広場を通りかかったシオンの耳に、少女の甲高い声が聞こえてきた。
「宿屋のおじさんに聞いたんだから、本当よ。お見舞いに行っても、追い返されちゃったけど・・・・・・」
  見れば、身なりの良い何人かの少女達が集まっている。
(あれはイーリスの追っかけの子たちだな)
  断片的に聞こえてくる会話から、イーリスが病気で宿にこもっていると察したシオンは、そのまままっすぐ錠前亭へ向かった。
 

  目当てのドアをノックしても、返事がない。
 ―――まるで治る気がないようだ―――
  先ほど帳場で会った宿屋の主人の言葉を思い出しながら、シオンは遠慮なくノックの勢いを強くする。
「いるんだろ。居留守使ったって無駄だぜ」
  どんどんどん!と音が廊下に響く。
「吟遊詩人のイーリスさん、このまま借金払わないで隠れてるつもりかい」
  あたりをはばからず大声でそう叫んだら、かちゃりと鍵の開く音がして、ようやく中からドアが開いた。
「人聞きの悪いこと言わないでください。私は金輪際借金なんかしませんよ」
  予想通り強気の台詞で言い返してきたイーリスの顔は、しかし思っていたよりも真っ白で、シオンは無理矢理ドアを押し開くと、部屋の中に滑り込んだ。
「元気か、なんて聞くだけ無駄みたいだな」
  長逗留のはずなのに、部屋の中にはほとんど何もなかった。商売道具の楽器などが窓際にまとめられている。
  それはまるで、いつでも旅立てる準備がしてあるようにも見え、あるいはまた、急に主がいなくなっても整理に困らないようにしてあるようにも見えた。
「相変わらず生活感のない部屋だ」
  別の言葉で言うなら、生命の力のない部屋。
「・・・・・・何もおもてなしができませんが・・・・・・。お茶くらいなら、ありますよ」
「ああ、いいっていいって。俺が煎れる。その方が絶対に旨い」
「気を遣ってくれるんですか。槍でも降ってくるかも・・・・・・ゴホッ」
  憎まれ口の途中で、イーリスは激しく咳き込む。
  口元を押さえた手のひらが何かを受け止めるのを、見逃すシオンではなかった。
  だがあからさまに指摘するのははばかられて、素知らぬ振りで寝台の方へ首をしゃくった。
「もう寝てろ。そんな状態でも医者の言うことを聞かないらしいな」
「・・・・・・これはただの風邪です」
「ふん。お前もたいがいやせ我慢が過ぎるぞ。どうせお前のことだから、もしも女が相手だったらここで気障な詩でも朗読するところなんだろう。俺には無駄だぞ」
「筆頭魔導士のシオン様と違って、私の唄は女性のためにあるわけじゃありません」
「そうか? バンシーって女なんだろ」
  その名をシオンがあまりにもさり気なく口にしたので、寝台のイーリスはあやうく聞き逃すところだった。
「なっ・・・どうしてそれを?」
  驚きを隠せないイーリスに向かって、シオンはにやりと笑った。
「覚えてねーのか。前にしこたま飲んだ時、教えてくれたぜ。残念ながら俺にはそういう類は見えないんだけどな」
  そういえばそういうこともあったかもしれない、とイーリスは横たわったまま天井を見上げる。
  宮廷魔道士なんて堅苦しい肩書きを得る前のシオンと遠い町で遊び歩いていた頃、そんな話をした時もあった。酔った勢いの上でのことで、いつまでも覚えているようなものでもなかったはずなのに。
「そうか、女の話だから覚えていたんですね」
「違ーう! まあいいわ、そう思いたきゃそう思っとけ。・・・・・・もっとも、その女を追いかけていくようなら、お前の方がよっぽど女好きってことになるぞ」
「追いかけて、ということでは・・・・・・」
  不満そうに応じたイーリスだったが、二言三言言葉を交わすうちに、やはり疲れたのか、そのうち眠ってしまった。
  その隙にイーリスの額に手を当てたりして、シオンは少し考えていたが、あることを心に決めると、食事を届けてくれるように宿屋の主人に頼んだ。
  今日は長丁場になりそうだった。
 

  真夜中だった。
  イーリスの枕元に椅子を引いて、シオンは腰を下ろしたまま目を閉じていた。
  時折、外でひゅうと風が鳴る。
  その音が乱れた呼吸のようで、その都度シオンは目を開けてイーリスの表情を確かめたが、とりたてて何ということもなく無事な様子に、小さく息をついて目をつむることを繰り返していた。
  そのうちに、うとうととまどろんでしまったようで、ふと気が付くとそこは暗闇の中だった。
  どこからから女のすすり泣く声が聞こえてくる。
(なるほど・・・・・・夢の中ってわけか)
  澱みの底のような暗がりの中を、泣き声の方に向かって歩き始めた。
  方向のつかめない闇の中を声を頼りに進んで行く。
  どれほど歩いたのか、不意にイーリスが現れた。
「・・・・・・」
「ここにいたか。とっとと帰るぞ」
「筆頭魔道士様にここまで来ていただけたとは光栄です。けれど、この先は・・・・・・一人でお行きください」
「この期に及んでまだ突っ張るつもりか」
「・・・・・・私は、行けませんから。・・・・・・ほら」
  イーリスの背後に髪を振り乱し恨めし気な目をした女の姿があった。
「やっぱりな・・・・・・」
「私の死を、嘆いてくれているんですよ。・・・・・・それを、捨てていくわけにもいかないでしょう。それに、特に現実に未練もありませんし・・・・・・。私は、天涯孤独の身。彼女が私を連れて行きたいというなら・・・つきあってさしあげようと思います」
  青白い顔で語り続けるイーリスをシオンは黙って見ていた。
「そうすれば、もう彼女は泣かなくて済む。私の命で一族の血は絶えるのですからね・・・・・・。彼女を永きに渡って縛り付けた一族の因縁は、私が決着をつけるべきでしょう。それに、こんな余興も風変わりでいい・・・・・・」
「お前って意外としょってるんだな」
「魔道士様には関係のないこと。お帰りください」
「思い上がりもいい加減にしろって言ってるんだ。自分が犠牲になってバンシーを解放してやるなんて美談にするつもりか。自分が生きるのに疲れただけなのにバンシーのせいにするのはいただけないな」
「・・・・・・」
  シオンを見返すイーリスの目にはどこか拒絶に似た色があった。
 ――強い体と心を持ったあなたにはわからないでしょう――
  けれどそれを無視して、シオンは今度はバンシーに向かって語り掛けた。
「バンシーのお嬢さんにも言いたいことがある。この男はあんたの愛した男じゃない。違う男に同情されて一緒にいてもらっても全然嬉しくないだろう。こいつに惚れたってんなら考えなくもないが、どう考えても俺の方がいい男だぞ」
「!・・・・・・ちょっと! 何を言っているんですか!」
「だけど俺が代わりに行こうなんてことは言わない。俺は死にたくない。たとえ人から後ろ指さされても、生きていたい」
  いつもの余裕めいたシオンには感じられない、なにか思いつめたような調子が珍しくて、イーリスはなんだか見知らぬ男を前にしているような気がした。
「だいたい、デートもしたことない女と行っちまったんじゃ、順番待ちの皆さんに申し訳ないからな。あんたが俺のスペシャルな女になりたいなら、茶を飲むところから始めよう」
「・・・・・・また訳のわからないことを・・・・・・」
「なあ、思い出してみろよ。お前さんのスペシャルな男のことを。そいつは今どこにいる。そいつを探しに行くがいい・・・・・・一人で、な」
  ひゅうひゅうと音がする。
  風の音かもしれないし、バンシーの叫びかもしれなかった。
  バンシーと呼ばれた女の顔はよく見えなかったが、痛ましくも悲しげな風情で、それでも憎しみや恨みの感情を残さないまま、気配を消していく。
  暗闇が、急速にシオンとイーリスを包みこんでいった。
 

  そこは錠前亭、ペガサスの部屋だった。
  外はまだ暗く、風が窓を鳴らしている。
「よう、目が覚めたか」
  シオンは椅子にかけたまま、イーリスを見下ろした。
「夢を・・・・・・見ていました」
「そうか。俺も見てたぞ」
「あなたもですか」
「お前がどこかの女と駆け落ちしようとしていた」
「私の夢では、あなたがその女性を口説いていましたよ」
  二人を顔を見合わせて、少しだけ笑った。
「どうせ私は死ぬのに。ご苦労なことです・・・・・・」
  台詞だけ聞くと、ありがた迷惑だと言わんばかりだったが、その声色は穏やかだった。
「たとえば、このままお前が死んだとする」
  シオンはわざと難しい顔をして腕を組んだ。
「葬式を姫さんに伝えるのは俺の仕事だ。泣かれるのは目に見えてる。だからといって、黙って葬式を出したりしたら、姫さんどころか、お前をひいきにしている嬢ちゃんだの、果てはシルフィスにまで何を言われるかわかったもんじゃない。どっちにしたって損な役回りだろーが」
  言いながら立ち上がるといつのまに用意させたのか、酒瓶と杯を取り出した。
「人間いつかは死ぬ。だが死ぬ時は一人だ。バンシーのせいにはするな」
「彼女には気の毒なことをしました・・・・・・結局は私も彼女を裏切ったのですから」
「だーかーら! それが思い上がりだってーの!
  お前が生き続ける。そういう供養の仕方もあるだろうよ」
  そう言って勝手に酒をあけるシオンの顔は、かつて王都ではない場所で月日を共にした男のものだったので、イーリスは横たわったまま、まぶしげに目を細めた。
「イーリス。現実もなかなか捨てたもんじゃない。もうちょっと生きていてもいいだろ」
  生きていくことは楽しいことばかりではないと、大人なら誰でも知っている。
  昔話を始めたら、思い出すのもつらくなるような記憶を、誰でも持っているはずだ。
  シオンにも忘れ得ぬ過去がある。それを決して忘れないからこそ、常に生に執着するのだ、それがどんなにつらい現実であろうとも。
「・・・・・・そういえば、以前はよく一緒に酒を飲んだことがありましたね」
「そうだな。あの頃のお前は将来の夢とか語ってたぞ」
「それは王宮に出仕する前のあなたの方でしょう」
「自分のことは忘れた。せっかくだ。夢の話でもするか」
「語る夢など、いまさらありませんよ」
「将来じゃなくて、昔見た夢でいいからさ。・・・・・・行っちまった女の代わりに、俺が聞いてやるよ」
「嫌だと言っているでしょう」
「そう言うなって」
  二人の会話はいつまでも途切れることがなかった。
 

  ようやく朝の光が窓の外を白く塗り替える頃、イーリスは穏やかな顔で眠りに就いていた。
「・・・・・・もう、ぐっすり眠れるよな」
  空の酒瓶を軽く振って、シオンは大きく伸びをする。
「お前が王都を発つ時には、ちゃんと見送ってやるって言っただろう。俺を嘘つきにするなよ」
  厳しい季節ももうすぐ峠を越し、やがてかすかな春の足音を聞くようにできるだろう。
  ものみな花開く春は、別れの季節でもある。
  シオンの胸のうちには、イーリスが旅立つ朝に咲いているはずの大きな白い花が見えていた。
 


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    シオン&イーリス三部作の第2作。さえさんのシオン本に投稿したものです。
    イーリスのバンシーイベントをシオンで、という思い付きはよかったと思うんですけどねえ。
    次回が旅立ちの話です。シオンとラブラブEDってわけじゃありませんよー!
 

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