「シルフィス暗殺指令(1)」  空葉月様
 
 
 きん。 
 高く響く金属音がこだました。 
 一瞬の膠着。 
 すぐに重さを失ったそれは次の金属音へと続く。 
 計算外であった。 
 今、自分の剣を受けている男の顔を認識して彼女は己の失敗を知る。 
 確か名はレオニス=クレベールとか言った。標的の周囲くらいは調べ上げているが、そんなことをしなくても彼の名前は知っていた。それくらい腕は立つ男だ。 
(今日は退いた方が良さそうね。) 
 白鴉の装いでいたが標的は彼女の正体を知っているし、その目的までもお見通しだろう。だからこそ暗殺指令が出たわけだ。 
(この失敗は痛いわね。) 
 狙われていると知った以上、標的は警戒心を持つだろう。意表を突いての始末はもう出来なくなる。 
 ノーチェが振り下ろした剣は受け止められ、返す刀が襲ってくる。 
 騎士団では警戒が強かったので態々人目があるのにもかかわらず街中を選んだのだが、肝心のところで抜かってしまったようだ。 
 剣に集中していなかった為か、ノーチェは左から来た白刃を避けるタイミングを一拍逃してしまった。 
 左肩から斜めに裂かれ、それを追うように肌に朱が走る。 
(やっぱり退いた方が良さそうね。) 
 ゆったりと笑うとノーチェは路地を後にした。 
「ま、待て。」 
 標的の声がする。でも、追いつかれることはないだろう。その点ノーチェはプロだった。 
「追っても無駄だ。」 
 剣を収めてレオニスは今飛び出そうとしている標的であった人物を制する。余力を残しての逃亡。とすれば、追いつくのは至難であろう。それに、標的となった人物は丸腰であった。見習いゆえに。そのことが今は悔やまれる。 
 標的の名をシルフィス=カストリーズという。 
 
                    * * * 
 
 あの場に騎士見習いがいたそうじゃないか。 
 男は鬼の首でも取ったかのように得意げだった。 
「いたわよ。それが?」 
 あの場、アイシュ=セリアンの事件を指すのは明白だ。この男と話すことは最近それしかない。 
「いいのか? そんな口を利いて。確かにあの文官は役に立つかもしれないと言ったが、その騎士見習いまでも見逃しているのはどういうつもりだ?」 
「別に深い意味はないわ。…あの少年を使えばいざという時に文官も動くかも知れないと思っただけよ。」 
 人質…そういう意味では何もシルフィスにこだわる必要はないのだ。クラインには文官の弟も住んでいるはずなのだから。 
 でも、それくらいしかノーチェには説明できなかった。 
 こだわる意味。それはノーチェにも分からない。 
「ふん、そんなのはどうでもいい。さっさと始末しろ。」 
 見抜いているのか、いないのか。この男にそんな能力などありはしないのだろうけれど。 
「わかったな。命令だ。これ以上失態を重ねられては困るからな。」 
「わたくしが正体を知られるような失態を冒すと?」 
「うるさい。実際に文官の件があるだろう。」 
 事あるごとにあの話を持ってくる。それくらいでしか男はノーチェに対抗するすべはないのだ。 
(つまらない男。) 
 いっそ哀れに思える。 
「いいか、騎士見習いは始末だ。」 
 言った瞬間男がぎくりと身を振るわせる。 
 浅く笑う白鴉。その瞳はけして笑うことなく…。 
 ふいに、男は剣では彼女に敵うことがないのを思い出した。 
「わかったわ。」 
 まあ仕方がないわね。運が悪かったと思って諦めてちょうだいね。 
 あからさまな安堵の息が聞こえたが、ノーチェはわざと無視した。 
 
                    * * * 
 
 シルフィス暗殺指令の一件を思い出し、ノーチェは何かを振り払う様に頭を振る。 
 先程の剣を交えた場所からからさほど遠くない路地でノーチェは肩を押さえて蹲っていた。 
 別に傷が深いわけではなかったのだが、出血が酷い。用意してあったエルディーアの服も汚してしまった。 
 別に今、人の目に付いても白鴉として追われる心配はしていなかったのだが、神殿のエルディーアが何者かに襲われたとあっても(実は襲ったのだが)騒ぎになるだろうし目立つことは避けたい。それに教区に居なかった事や誰にやられたかを問い沙汰されれば、どう答えても疑問が残るだろう。以後の仕事に支障をきたす訳にはいかないのだ。 
 しかし、教会の五つ鐘が鳴り終わるまでに帰らなければ、それも騒ぎとなる。ここでいつまでもこうしている訳にはいかない。 
(騒ぎになって肩傷が表沙汰になればあの男に気が付かれるかも知れない。) 
 先程剣を交えたあの男。実のところノーチェはシルフィスが正体を漏らす可能性はないと考えていた。真実が伝われればレオニスも狙われるのは必定。それが分からないような子ではなかったし、分かっていて尚上司を巻き込むような子でもなかった。それも、傷が刺客のものと同じであれば、いやでも察せられるというもの。 
 彼だけで済めばよいが、バックにも伝わる可能性は多分にある。ノーチェは神殿にも度々訪れる皇太子や、それに付き添っている王宮魔道師の姿を思い起こし、忌まわしげに舌打ちした。 
(まあいい、いざとなったら全部始末すれば) 
 警備の厳重さを考えるとそれは少々難しい事のように思うのだが、一先ずはそうしようということで落ち着いた。 
 無駄な時間を過ごした。 
 何の解決にもならない時間を…さて、どうしよう。 
 手当ての道具など用意していなかった。怪我をするとも思っていなかったのだが、エルディーアが個人的に用意できなかったのもある。やはり、教会の物資を少々失敬してくればよかった。 
 なるだけ人通りの少ない道を選んで…後はいつものエルディーアぶりっこで誤魔化そう。なんとかなるだろう。 
 踏ん切りを付けて腰を上げた。 
 ガタッ。 
「何者!」 
 聞こえた物音に反射的にノーチェは鋭い声を上げた。 
「あ・・・エルディーアさま?」 
 呆けたような表情の一人の少年。その姿に軽い安堵を覚え、ノーチェは息を吐いた。 
 シルフィスらが追ってきたのではないか、と思ったのだ。 
「大丈夫ですか? 怪我してる。」 
「…。」 
 心配げに自分を見つめる、その顔には見覚えがあった。 
(確かシルフィスの回りをうろついているサル。) 
 酷い言い様だ。 
「ええ、少々手荒な者に…。」 
 語尾を濁らせて悲しげに微笑む。後は、相手が勝手に納得のいく理由を考え出してくれるというもの。 
「酷い輩がいるもんだぜ。」 
「大した事はないんですよ。ただ、派手に出血しているだけで。」 
 会話を遮るようにノーチェの肩から赤い雫が音を立てて落ちた。 
「あ、待っててください。今、魔道士でも呼んで来ます。」 
「待って!」 
 それは不味いと引き止めてから、思案を巡らせた。 
「私を…傷つけた者は自ら驚いた様子でした。きっとそんなつもりではなかったのだと、今ごろは後悔していると思うのです。ここで、この事を表沙汰にしてはその心を無下にしてしまいます。どうか、表沙汰にしないで下さいませんか?」 
 少年はゆっくりとノーチェを見下ろすと、何も言わずに路地を後にした。 
 
 
 数分後、消毒液やら包帯などを手にした少年が戻ってきて手当てをしてくれた。。 
 先程のノーチェの言葉を間に受けてかご丁寧に染み抜きも持参だった。思わぬ功を奏したものだ。 
「うん、これでおーけー。」 
 包帯を巻き終え、満足げに少年が笑う。 
「ありがとうございます。あの・・・名前を伺ってもいいかしら。」 
 大して名前になんか興味はなかったが、そう聞くのが定石であろう。 
「俺?ガゼルっていうんだ…です。」 
「わたくしはエルディーア。」 
「あはは。知ってます。」 
「そう言えば、そうですね。先程名前を言っていましたものね。」 
 ふふふ、と笑い、和やかな空気を作る。 
「あ、夕刻の鐘がなりましたね。申し訳ないのですがわたくしは神殿に戻らなくてはなりません。ろくにお礼も出来ないのですがご容赦下さいませ。」 
「そんなの気にするなって。」 
 丁寧な物言いに若干照れた様にガゼルが笑う。 
「機があったら神殿にもいらしてくださいな。では、」 
「あはははは、機会があったらね。」 
 どうやら神殿のような場所は苦手らしい。もう一度頭を下げてノーチェはガゼルと別れた。 
(扱いやすいサルだわね。) 
 ノーチェは振りかえりもしなかった。 
 
                    * * *  
 


  
→(2)につづく
  
 
 
 
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