「シルフィス暗殺指令(2)」  空葉月様
 
 
                    * * * 
 
 騎士団宿舎に戻ったら、ばったりシルフィスと会ってしまった。 
「あれ? ガゼル。出かけていたのか?」 
「まあね。ちょっと醤油をきらしたから。」 
「醤油…。」 
 ほれ、と手に下げた袋を掲げて見せる。シルフィスの顔が引きつった様に見えるのは気のせいではないだろう。 
「シルフィスは…早かったな。」 
「…ええ、少しね。」 
 言いにくそうにシルフィスが語尾を濁す。隊長との用事で遅くなると、行く前には言っていたのだ。それにガゼルは気がつかない振りをした。 
「用事が早めに終わったんだよ。」 
 そっか、とガゼルは笑う。 
「どうしんだガゼル。元気がないね。」 
「そんな事はないぜ。ただ、いつものお店が閉まっていたから八番街までダッシュで買い出し行ったから疲れたかな?」 
 騎士団で鍛えている以上それくらいでスタミナ切れをおこすわけがないのだが、シルフィスは気がつかなかった。 
「そう? それならいいんだけど。」 
「シルフィスは、五番街って言っていたっけ。」 
「ええ、八番街からだったら通り道ですね。」 
「うん。」 
 会話が繋がらない。淡々とした空気が二人の間を流れた。 
「あ、俺部屋にこれ置いてこなくちゃ。」 
「そうだね。じゃあ、これで。」 
「ああ。…そうだ。ちゃんと手首は治療しておけよ。」 
 え?という表情でシルフィスは自分の手を持ち上げて見る。確かに自分の手首に細い切り傷が出来ていた。シルフィスが気がつかなかったほど些細な傷。 
「あ、ありがとう。」 
「じゃあな。」 
 シルフィスの前を横切ったガゼルからある匂いを嗅ぎ取りシルフィスは首を傾げた。 
(消毒液? 気のせいかな。) 
 本当に微かな匂い。それゆえに確信が持てなかった。 
(それよりも、明日からは身辺に気を付けないと。) 
 白鴉はまた来るだろう。隊長には経緯を話さなかった。巻き込みたくないのだ。 
 だから、自分一人で乗り切らなくてはならない。 
 堅く決意を浮かべシルフィスも自室へと向かった。 
 
 
 無造作に醤油の袋をテーブルに置き。ガゼルはベッドに横になった。 
 深く息をつき。目を瞑る。 
 自分のしたことはシルフィスに対する裏切りだろう。 
 いや、それだけに留まらないことは容易に想像がついた。 
 それでも、蹲るエルディーアの姿は放っておけなかった。 
 まるで泣いているように見えた。体ではない何処かが傷ついている様に見えたのだ。 
 魔導士を呼びに行く振りをして迷った。迷った末に手当てに戻った。騎士団や自警団に通報することなく。 
 シルフィスは何事もない様子だった。それは、ただ襲われたのではないことを示している。どんな事情か知らないが、聞き出すことは出来ないだろう。 
(見つけちゃったんだよな。) 
 改めて先程の事件のあらましを思い出してみる。そこに、何か手がかりがあるかもしれない。 
 
 八番街からの帰り道。路地に消えていく隊長とシルフィスの姿を遠くに見掛け、後を追った。近道をするつもりだろうとあたりを付けたガゼルは少し驚かそうと声を掛けずに近寄ろうとした。しかし、待てとシルフィスの鋭い声が聞こえ、続いて誰かが飛び出てきたのを見るとその足を止めた。その人物が剣を持っているのが分かると、今度は持っていた荷物も放り出し後を追ったのだ。追う事が出来たのは単に相手が自分の存在に気がつかなかったのと、ガゼルの地の利の所為だ。身を隠せる場所をと限定するのであれば注意するべき場所はそんなに多くはない。そして、刺客と同じ傷を押さえたエルディーアの姿を見た時、愕然とした。 
 近所の女の子が迷子になったときも必死になって探してくれた姿も知っているし、肉屋の隠居がぎっくり腰になった時も家まで引きずってきてくれた。清廉実直と噂の高い神官だった。 
 何かの間違えなんかではないことが彼女の目を見れば分かった。少なくとも、いつもの慈愛を含めた輝きはそこにはなかった。 
 呆然と立ちすくみ、迂闊ながら足元に転がる木材に気がつかなかった。ゆえに彼女に発見されてしまった訳だけども…。 
 その後元の場所に戻り、醤油の袋を回収して宿舎へと帰宅した。 
 
 
 だめだ。ちっとも分からない。一通り思い出してみたが、シルフィスの抱えている問題には行き当たらなかった。 
 彼女は再びシルフィスを狙うだろうか? きっとそうだろう。 
 何故なら彼女の意思でシルフィスを襲ったのではないだろうから。 
 させない。それだけは絶対に。 
 
                    * * * 
 
 それから一見穏やかな日々が流れた。しかしそれは危うい均衡の上に成り立っているもので、平和のそれとはかけ離れていた。 
 一方ダリスとの戦線も悪化。この類はいくら内密に事を進めてみたところで国民にはわかってしまっているものである。流石に北の砦の壊滅のような詳しい戦況までは伝わっていなかったが、ダリスとの戦乱が近いことは流れてくる商人や吟遊詩人から徐々に浸透しつつあった。 
 その中でクラインの王女ディアーナが戦乱を押さえるべくダリスへ輿入れした事までは伝わっていなかった。クライン側では始めから時間稼ぎにしか使わないつもりだったので、正式に且つ盛大に送り出す事をしなかったのだ。見送りは内々でささやかに行われた。その中に親しい友人の一人でもあるシルフィスが居たのはいうまでもない。 
 ガゼルは後になってシルフィスから聞く形となった。 
「そっか…。」 
 そう呟いたきりガゼルも押し黙ってしまった。ディアーナとはガゼルもそこそこ親しい付き合いをしていた。しかも同世代の女の子。二人とも散々宝物の指輪を見せられ初恋の君の思い出を聞いていた。 
 そういえば、このところメイも見掛けない。王宮で雑用に引っ張り回されているのだろうか?大方そうだろう。けれども、何故かそれをシルフィスに聞くのは躊躇われた。 
 突然シルフィスが席を立った。 
「どこか出かけるのか?」 
「ええ、広場近くの雑貨屋さんに買い出しに。」 
「俺も行く。」 
 シルフィスにしてみれば白鴉の事もあり、周囲の人間とあまり行動を共にしたくなかったのだが、理由なく拒んでも不審に思われるだろう。軽く頷いた。 
 それにしても、このところガゼルと居ることが多い。騎士団でなら兎も角、休日にも一緒で、それというのもシルフィスが何処かへ出掛けようとする度にガゼルが「俺も」と付いて来るのだ。 
 一体どうしたというのだろう? 
 考えてみたがガゼルの行動の理由や根拠はわからず。結局気のせいだということで片付けてしまう。
 
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→(3)につづく
  
 
 
 
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