「ある挿話 〜古い手記より〜(1)」  HENNA様
 
 
<<以下は、とある日記からの抜粋である。>> 

○月○日 
 
 今日、お父様から、その日身の回りにあったことを思い出して書くようにと、この日記帳をいただいた。 
 自分のことを振り返ってみることで、立派な王女となるにはどうすればいいかを自然に考えるようになるだろう、とのお言葉。 
 少し気が重いけれど、大好きなお父様からのプレゼントとなので、がんばって書いてみようと思う。 
 わたくしの秘密を書くことにしますから、お父様でも絶対のぞいてはだめです、と申し上げたら、困った顔をされていた。 
 やっぱりわたくしがいない時にこっそり読むつもりだったのに違いない。 
 シオンが、姫さんも言うようになったよな、と言って大笑いするので、「あかんべ」をしてみせたら、お父様に見つかって、ひとしきりお小言。 
 それを見ていたお兄様まで、お前を一人前のレディにするなんて、野うさぎにさか立ちを教えるようなものだ、と呆れたようにおっしゃる。 
 失礼なお兄様。わたくし、さか立ちなら大の得意ですのに。 
 そういえば、お兄様もお父様から同じ日記帳をいただいたのかしら。お兄様の日記なら見てみたい。今度こっそりのぞいてみようと思う。 
 
 
○月○日 
 
 授業中にふと、「どの授業が一番嫌いか」というのを考え付いて、授業そっちのけで考え始めたら、結局一つでは収まらなくなってしまった。 
 三番目に嫌いなのは「国史」。 
 覚えることが多すぎる上に、退屈。わたくしなら、王家のきまりで「子供につける名前は短く」と決めるんだけど。長い名前は覚えるのが大変だ。 
 二番目に嫌いな「礼儀作法」。 
 とにかく嫌い。どうやったら好きになれるのか知りたいくらい。 
 でも、お母様もこの授業は苦手だったと、ある時お父様にお聞きしてからはぐっと気が楽になった。(そのことをお父様は失敗した、と思ってらっしゃるみたい。) 
 そして一番嫌いな授業。 
 それは「聖典暗唱」だ。本一冊分をまるまる暗記しなくてはならなくて、しかも書いてあることがちんぷんかんぷん。 
 そんなことを正直に言うと教えて下さっている神官長が卒倒してしまうので、ただもう黙って覚えるしかない。 
 神官長はかなりお年を召していて、しかも少しお耳が遠くていらっしゃるので授業はたいがい難航する…。 
 
 
○月○日 
 
 わたくしの心の声を女神さまが聞き届けて下さったのか、神官長がお腰を痛められてしばらく外出できなくなってしまわれた。 
 …このニュースを最初に聞いたときに、思わず「やった!」と叫んでしまったのは誰にも秘密。人の不幸を喜ぶなんて、いけないことだ、と反省する。神官長のところにはお薬とお花を持ってお見舞いに行くつもり。 
 というわけで、しばらく聖典の授業はないだろうと思っていたら、早速代理の先生が明日から来ることになった、と聞いてがっかり。 
 あたらしい先生はもっとずっと若い方なのだそう。それでも神官長の片腕をされているえらい方だから、きちんと応対して失礼のないように、とお父様のお言葉。 
 その後、お父様は少し笑って「でもきっとお前はあの方を気に入ると思う」とおっしゃった。どんな方なのだろう。 
 
 
○月○日 
 
 素敵、素敵!なにがって、あたらしい聖典の先生のことだ。 
 まさか女の方だなんて、思いもしなかった。お父様ったらわたくしを驚かせようとわざと黙っていらしたのだ。 
 地味な神官のお仕着せ服を着ているのに、今までここ王宮で見たどんな女性にも負けないくらい綺麗な方。 
 はじめて授業に見えた時は、びっくりしてちゃんとご挨拶できなかった。ぼーっとしているわたくしに、エルディーア先生は(これが先生のお名前)にっこりと微笑んで「どうなさったの。わたくしの顔に何かついていて?」とおっしゃった。 
 先生は笑うと可愛らしくて、なんだか親しみやすい方に思え、わたくしは嬉しくなってしまった。 
 その日は授業をお休みして二人でいろいろなことをおしゃべりして過ごした。ほとんどわたくしがしゃべるばかりだったのだけれど、先生はにこにこしてずっと話を聞いて下さった。 
 こんなに楽しかった授業は初めて。次に先生がいらっしゃるのが待ち遠しい。 
 
 
○月○日 
 
 あんなに嫌いだった聖典の授業が楽しくてしかたがない。 
 エルディーア先生は、難しい言葉をわかりやすいように説明して下さるし、内容についても面白い例をあげてお話して下さるので、前よりもずっと授業に身が入る気がする。 
 でも、なんといっても一番楽しみなのは、授業の合間の休憩時間にお茶を入れて二人であれこれとおしゃべりすること。今日、わたくしの家族の話題になった時、先生がふとお尋ねになった。 
「お母様がいらっしゃらなくて淋しくはない?」 
 よく聞かれる質問にいつも答えている通り、 
 ――お父様とお兄様がそばにいて下さるから淋しくありません 
 と答えた。こう答えるとお涙頂戴なお話が大好きな女官や貴族の奥様たちは、あてがはずれたような顔をしてからあわてて愛想笑いをするのだけれど、先生は全く違った。彼女はそうね、と一言だけ言ってから、にこりと笑った。 
 先生の方こそ、なんだか淋しそうな笑顔だった。 
 
 気になって先生のご家族のことを聞いてみた。先生はクラインのお生まれではないそうだ。 
 小さいときにご両親を亡くされてから、知り合いを頼ってあちらこちらの国を転々としたのだそう。 
 自分の家族が皆いなくなって一人ぼっちになってしまうなんて、どんなに辛いことだろう。自分にあてはめて想像しようとして、すっかり悲しい気持ちになってしまった。 
 
 この日の夜は久しぶりにお兄様のお部屋に行ってとなりに寝かせてもらいました。 
 
 
○月○日 
 
 お兄様なんて嫌い。大嫌い。 
 わたくしがさんざん自慢したせいか、エルディーア先生に一度お会いしたいと言ってお兄様が授業の後のお茶会に顔を出したのだ。先生が帰った後で、お兄様はしばらく怖い顔をしてずっと黙り込んでいらした。 
 そしてわたくしにとんでもないことをおっしゃった。 
 ――あの方は見た目通りの方ではないという気がする。あまり親しくならない方が良いんじゃないか。 
 わたくしがどんなに先生を好きか、知っていてそんな悪口を言わなくてもいいのに。 
 お兄様とはしばらく口をきかない。 
 
 
<<以下、次の記述まで数ページの白紙>> 
 
 



 
→(2)につづく
  
 
 
 
ノーチェの部屋に戻る  創作の部屋に戻る