「汚れ無き心で…(1)」  Noa様
 
 
  第1章 
 
「ゴーン、ゴーン」 
 丁度午後2時を知らせる時計台の鐘の音が入道雲を引き連れた夏空に快く響きわたった。 
 突然のその音に驚いた小鳥たちは青々と茂った若木から1羽、また1羽と逃げるように飛び立っていく。 
 彼らは一体どこに行こうとしているのだろうか。 
 
 
 北側に壮大な城を抱えるクライン王国はここ数ヶ月、大きな戦争もなく平和な状態が続いている。 
 この国は他国よりもひときわ自然が多く、人々の温厚さも手伝ってか人気も高まってきつつある。 
 ただそうやって徐々に人口が増加していくうちに必然的に悪人も増えていくものであり、先日も数人組の 男が幼い風貌の見習い騎士と魔法少女をグルリと取り囲んでいた。 
 ただ悪党どもは見習い騎士の放つ訳の分からない名前の必殺技と可憐な少女のフライパンアタックに よって見事撃沈されていたが・・・。 
 概して平和に見える国であってもこのような小競り合いは頻繁に発生している。 
 そして今日も繁華街から少し離れた裏通りでは・・・ 
 
「は、離して下さい!私、神殿に早く行かないと。急いでいるんです!」 
「おい、お前、今俺にわざとにぶつかったよな。スリでもするつもりだったんだろうがな、甘えぇんだよ。」 
 そこでは二十歳前後の神官の格好をしたエメラルドグリーンの髪をした美しい女性と、それとはあまりにも対照的なごつい風貌の男がなにやら口喧嘩をしていた。 
「誤解です!私はただこの道が狭いので邪魔にならないように避けようとして。少し肩がぶつかっただけなんです。スリなんてそんな神の意志に反するようなことは決して・・・」 
「ゴチャゴチャ言っているんじゃねえよ、姉ちゃん。落とし前は付けてもらうからな。」 
 そう言うと男性は側にあった青いゴミ箱を勢いよく蹴り飛ばし、恐怖でビクビク震えている女性の肩口に手をかけ、透明感のある白い羽織を力ずくで強引に剥ぎ取った。 
「きゃあ!」 
 弱々しい悲鳴を聞いて、右手にしっかりと羽織を掴んでいるその男性は目を一瞬大きく開け、ニヤリと笑った。 
 一方、女性は自分の身の危険を過敏に感じ取り、今にも泣き出しそうな表情をして男性の方を怖々と見ている。 
「お願い。ゆ、許して・・・」 
「まあ姉ちゃん、悪いようにはしねーから、ゆっくり楽しもうじゃねーか、なぁ。」 
 更に男はその美女のふくよかな胸を狙い、そこを掴もうと大きく開いた手をゆっくりと伸ばそうとした。 
 その瞬間である。 
「おい!そこでなにをしている!!」 
 繁華街側の、この狭い通路への入り口の方から大きな怒鳴り声が聞こえた。 
 その声は赤い煉瓦作りの建造物の壁で幾度と無く反射を繰り返し、エコーにも似た響きを持って二人の元に届いた。 
「ん!」 
 声を聞いた男性は一瞬ビクッとし、そろりそろりと後ろを振り返った。 
 やがてその中性的な声の主を自分の視野に入れた男性は、ホッと肩の力を抜いた。 
「なんでぇ、驚かせやがって。誰かと思えばこれまた美しいお嬢ちゃんじゃねえか。へへ、今日は豊作だな。」 
 徐々に近づいてくるその外見麗しい人物に向かって、男は一目散に飛びかかっていった。 
「じゃあ遠慮なくいただくとするか!」 
 
ドターンッ! 
 
 しかし次の瞬間、石畳の床に倒れていたのはその男自身だった。 
「・・・へ?????」 
「どうします?彼女に謝ってさっさと立ち去りますか?あなたは私には勝てませんよ。こう見えても誇り高きクライン騎士団の一員ですから。」 
 じっと目を睨み続けられて恐れを覚えたのだろうか。それともその言葉に偽りはないように感じられたのだろうか。 
「お、お嬢ちゃん、本当にすまなかったな。じゃ、じゃあな。」 
 床に跪いた悪党は、先ほどの少女に謝罪の言葉を残すと一瞬にして走り去っていった。 
「ふぅ、危なかった。なんとか事なきを得ましたね。」 
 男の消え去った方向を数秒見つめてからその騎士はクルリと振り返り、今度はその女性に声をかけた。 
 男を退治していた先ほどまでの険しい表情が信じられないほど穏やかな優しい顔で。 
「お怪我はありませんでしたか?」 
 多少乱れた襟元を素早く正しながら女性は静かに口を開いた。 
「え・・・えぇ、おかげさまで助かりましたわ。あ、あなたは?あれほどの大男を投げ飛ばすあたり失礼ながら普通の女性には見えませんけれども・・・?」 
 その問いかけに対し、シルフィスは首筋に手をやり、少々照れ笑いをしながら答える。 
「あ、申し遅れました。私はクライン騎士団のシルフィス=カストリーズと申します。『シルフィス』と呼んで下さって結構ですよ。それと、私、正確には女性ではないんです。アンヘル種族でまだ未分化の状態でありまして・・・」 
 途中まで言い始めてシルフィスはハッと気が付き急に話をするのをやめてしまった。 
 初対面の人に詳しく話す必要はないと思ったのか、あるいはその話題については自分自身が抵抗を感じるモノがあるのだろうか、どちらにしろここで話す内容ではないと思ったのは事実であった。 
「あぁ、あなたアンヘル種なのですね。噂には聞いておりましたが実際にお会いするのは初めてです。道理で美しい容姿をしていらっしゃいますこと。えっと、私の名前は・・・『エルディーア』・・・です。」 
「エルディーア様ですね。」 
「そうです。私、いつも神殿で働いておりますの。またよろしかったら一度覗きにいらして下さいませ。お世辞にも面白いとは言えない場所かもしれませんけど、あなたと・・・シルフィスとゆっくりお話ししてみたいですわ。」 
 エルディーアは少し首を傾け、目を細めてにっこりと愛嬌を振る舞ってみせた。 
 そのようなちょっとした仕草からも彼女の透き通った汚れなき心の内は十分感じられる。 
「はい、分かりました。近いうちに是非お伺いしますね。それでは警備の方に戻りますので今日はこのあたりで失礼します。」 
 シルフィスも少し名残惜しそうな表情を垣間見せたものの、すぐに普段の凛々しい顔つきに戻り、エルディーアに一礼をした。 
「今日は危ないところを本当にありがとう。それではまたね。」 
 エルディーアは今日のお礼を言うと、太陽に照らされて綺麗に輝く金色の髪を風に靡かせ街に霞んでゆく 
 シルフィスをずっと見送った。 

 思えばそれが運命の出会いであったのかもしれない・・・ 
 
 



 
→第2章につづく
  
 
 
 
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