それを、たやすく言葉に出来るようなら、それは恋ではないのだ。  
 どう、言葉を綴り、どう思いを表せばいいのか。胸に滾る思いをどうして抑えればいいのか。思い悩み、眠れぬ夜を過ごし、その不条理さを呪い、そうやって、幾度となく反芻した思いこそが恋と呼べる。至上の思いは、そこから生まれる。  
 夜の闇が、彼を変えた。その中で捏ね上げた秘めた思いはやがて悪の影を宿し、許されぬ、許してはならぬその思いゆえに、彼は、変わった。  
 今、彼にあるのはその悪徳が生む快楽だけ。存在してはならぬと、押さえ込み、隠し、否定し続けるごとにそれは芽をふき茎を伸ばし花を咲かせ、そして、それは大輪の、闇の色をした花だった。その花の輝く香気を見た時、彼は決めたのだ。身を染める悪徳に、身を焦がそうと。それが、叶えられない思いなら、それがそうであるがゆえにこそその体を闇の色に浸そうと。そして、その考えはあまりにも甘美で、彼をどうしようもなく魅了した。その思いは、恋と呼ぶにはあまりにも背徳を担ったものであったのかもしれない。  
 その私室へ立ち入ることを許されるのは、ほんの一握りの者でしかない。そこに呼ばれるということは、彼と何か個人的なかかわりを持つと言うこと。クライン王国の皇太子としててはなく、セイリオス・アル・サークリッド、と言う、一人の男との交わりを持つということ。  
 彼は、来た。それが命令だからか、それとも、幾許かの興味を彼に抱いているからなのか。彼は、その闇の夜に、足音も立てずにそこに来た。ごくごく静かに、扉を叩く音がした。  
「入れ」  
 闇の静寂を破るのを恐れるかのように、彼は、ゆっくりと扉を開いた。鍵はかかっていない。それは、彼を誘い入れるように開き、そして、彼の背後で音を立てずに閉じた。  
「…来たのか」  
 それでも、彼にはまだ一抹の揺れる思いがあった。もし、彼が来なければ。その時は、闇へ彼を誘う、この思いを断ちきろうと。そして、何もなかったように、今まで通り彼を近衛騎士として扱う日常に戻ろうと。彼が来なければ。きっと、大きな寝台の上に座って薄く灯った蝋燭の明かりの下、彼を待つ自分の姿は誰にも知られることはなかったのだ。  
 彼は、来た。  
「レオニス・クレベール」  
 重く名を呼ぶと、彼はうっそりと顔をあげた。その衣装は、近衛騎士のお仕着せとして与えられる日常着で、その見慣れた色彩が、彼をほんの少し覚醒させた。  
「……来たのか」  
「はい」  
 しかし、それは一瞬だった。蝋燭の明かりはあまりに頼りなく、ともすれば重い闇に押しつぶされそうになるほど仄かだった。セイリオスは、顔を上げて彼を見つめた。  
「…どうして、私がお前を呼んだか、分かっているか」  
 セイリオスは、扉を背に立つレオニスとは対照的な装いをしていた。彼がまとっているのは薄い夜着と、それを包む白のガウンだけ。髪はほどかれ、足を覆うものはなく、その薄い衣装はここに張りつめる異様に緊迫した空気に肌寒く、セイリオスは少し震えた。それは、ただ肌寒さによるだけのものだったのか。  
 彼の返事は、早かった。  
「ええ」  
 セイリオスは、少し驚いたように目を見開いて彼を見た。レオニスは、いつもの彼の表情を崩しもせずに、ただ静かにそう答えた。  
「…分かってて、来たのか」  
 レオニスは答えなかった。顔をあげて、その深い青の瞳でセイリオスを見た。その色が、まるでセイリオスを緊縛するかのようだった。  
 事実、そうされたのだ。セイリオスは身震いした。  
「……なら、話は早い」  
 秘めた思いにかけられた紐はほどかれた。セイリオスは、ガウンの腰紐に手をやった。  
立ち上がり、蝋燭の明かりを背にレオニスを見た。彼の瞳の色は変わらない。まるで、セイリオスが何をするのか、見届けんとでも言わんばかりにじっとその視線をこちらに注いでいる。  
 夜着は、薄かった。肌が透けてしまいそうなほどに。  
「…こちらに」  
 レオニスは逆らわなかった。柔らかな絨毯を踏んで、セイリオスとの距離を縮める。その一歩一歩が、彼を震えさせる。  
「レオニス」  
 今度は、名で呼んだ。まるで、恋人同士のように。  
「私の求めるものを、与えてくれ」  
「……」  
 まるで、怒っているようだと思った。彼の、感情を表さない顔はわずかな青い炎に揺れ、それはセイリオスを移して穏やかに火炎をあげた。それが近づいて、セイリオスは、自分の身長の上に迫ったレオニスの目を見つめる。  
「…私は、母に似てはいないか?」  
 囁くように言った。それが、レオニスの瞳の炎を燻らせるのを知っていて。  
「お前の愛した女に、似てはいないか?」  
「……」  
 噛みつくように、口づけられた。まるで、それ以上の言葉を綴ることは許されないかのように。  
「ん……っ…」  
 待ち望んだ瞬間が、ここにある。セイリオスは手を伸し、レオニスの腕をつかんだ。それは、振り払われる。そして、まるで逃げる獲物を捉まえるとでも言ったような荒々しさで、腰を引き掴まれた。  
「…っ…」  
 それが、快楽を生むためのものではないことは分かっている。しかし、目前に迫る求め続けた悪徳の影は、セイリオスをいやおうなしに興奮させた。  
「は…っ……」  
 技巧も何もなかった。それが悦楽のためではない、ただ、必要だからそうするというだけの乱暴な行為に、セイリオスは悲鳴を上げた。  
「そんなはずは、ない……」  
 セイリオスの呟きは、夜着にかかったレオニスの手に遮られた。  
「……っ…」  
 夜の冷たさが、剥き出しの肌を刺した。  
「似ているなどと、そんなはずは…」  
 皮を矧がれるように、裸体があらわになった。蝋燭の明かりが、それを白く照らし出す。レオニスの瞳には、何の感情も読み取れなかった。  
「そんなこと、あるはずもないのに…」  
 己の体には、青い血は流れていないということを知ったのはいつだったか。自分は偽りの王子であり、ここにいることなど、本当は許されないのだと。そのような間違いが起きたのは、何ゆえだったのか。  
「ああ………」  
 深い息が漏れた。レオニスの腕が、セイリオスを抱きしめた。その唇が、首筋に降った。そこに、小さく痛みが生まれる。  
「は、ぁ……っ…」  
 その行為そのものに、セイリオスは溺れた。  
 逃げられない罠から、逃げようともがいた。ここにいるべきでない存在である自分が許せなかった。しかし、そうと言ってどこに逃げ場があるのか。誰も、彼の本当の姿を知らないのだ。彼は、皇太子だった。王の唯一の男子で、ゆくゆくはこの国を治めるべき、君主となる。  
 笑い話だ。どこの誰ともわからないこんな自分を、王に据えるなど。  
「あ……っ…」  
 レオニスの手が荒々しく体を這って、その先に息づく自分自身に絡んだ。セイリオスは身を固くする。  
「……っ…」  
 レオニスは、息を乱しもしない。  
「レオニス……」  
 囁いてみると、重いいらえがあった。  
「…そのような、感傷は必要ありません」  
 まるで、恋人同士のように名を呼ぶことを、レオニスは拒絶した。セイリオスの唇から笑みが漏れる。それは、冷たく凍っていた。  
「そう、だな…」  
 己を否定することが、この男への思いへつながったのか。心などいらない。ただ、体が彼を求めている。彼は、忠実な騎士だ。その身をもって、王家を守る。そして、そんな彼の、昔の恋の話はあまりにも有名だった。  
 なぜ、彼だったのか。その漆黒の髪、鋭い碧の瞳。その剣を握る肢体にこの上もなく惹かれたのは。  
「あ、あ……っ…」  
 こうすることは初めてだった。しかし、何が起こるのか知らないわけもない。身を固くして、彼の訪いを待った。  
「あぁ…っ!」  
 鋭く、闇を切り裂く音がする。レオニスの指が、彼の岩戸をこじ開ける。その痛みに、セイリオスは瞼を固く閉じて耐えた。  
「…っ…!」  
 レオニスは容赦はしなかった。労りも、気づかいも何もなく、その衣装を一枚とて解くことすらなく、セイリオスを犯しにかかったのだ。  
「……ぁ…」  
 声を失って、立ったままの膝を揺らせた。しかし、背後にある寝台に身を横たえることをレオニスは許しはしない。まるで、心をかける価値すらない存在のように、甘い吐息も潤いもないまま、ただ機械のように彼を抱いた。  
「っぁ……」  
 押し込められる、レオニスの怒張にセイリオスの腿を伝う何かがあった。気づけばそれは無理に体を裂いた傷から流れる血で、その奇妙な生暖かさが彼の薄い皮膚を刺した。鉄の匂いが、痛みよりも快楽を誘った。  
「あ、ぁぁっ…」  
 セイリオスのことなど、何も考えていないような残酷さで、レオニスは一気にセイリオスを最奥まで貫いた。  
 王家への裏切りと忠誠。その二つを合わせ持つレオニスに、娼婦のように犯される自分。そのことが、セイリオスをいやおうなしに興奮させた。王子と呼ばれながらも、その体には一滴の青い血も流れない自分の体が、棒切れのように扱われるのを。どうでもいいものであるように、ただ投げ捨てられるのを。そのことが、セイリオスを満足させた。  
「く、ぁぁっ……」  
 レオニスが荒く突き上げる、その奥に快楽の泉があった。そこをレオニスが嘖むたび、セイリオスは歓喜の声を上げた。それが、闇に包まれた部屋に奇異に響いた。  
「は、ぁぁっ…」  
 レオニスの肩に爪を立てると、彼が小さく呻くのが聞こえた。しかし、それでもレオニスの攻めは止まなかった。その獰猛さが、まるでセイリオスを憎んでさえいるようで、セイリオスはそれに酔った。  
「あ、ぁ、ぁ……」  
 セイリオスの固く閉じた瞼から、滴が一つ流れ落ちた。それを見たはずだったレオニスは、果たしてそれをどう取ったのか。それがどんな色をしていたのか。それに気づかないレオニスではないはずだった。  
 それは、闇に咲く花の色。薄く色づく、背徳の色。  
「うぁ………」  
 セイリオスが昇りつめ、二人の下腹部に刺激されていたそれが精を解き放つ。セイリオスが深く息をつき、一瞬体を弛緩させた。  
「……」  
 その耳元で、レオニスが何かをささやいた。ほんのわずか、意識を手放していたセイリオスにそれは届かない。そして、聞き返そうとするその刹那。激しい突き上げがセイリオスを襲い、彼は声を失った。  
「…ぁ………」  
 熱い潮流が彼を包んだ。脳に指を突き入れられかき混ぜられたような感覚が彼を襲う。セイリオスは、体の力を解き放った。  
「……っ…」  
 緩んだ神経には、何が起こっているのか捕らえることは出来なかった。彼に分かったのは、自分の汚れた裸の体が使われなかった寝台に、塵芥のように投げ捨てられたこと。レオニスが、その温もりを振り切るようにそこから離れ、そして一瞬の躊躇いもなく、扉を開け、闇の中にセイリオスを残して消えたこと。  
 蝋燭が、断末魔の声を上げて燃え尽きた。  
  
 月もない漆黒の闇の中、泥のように寝台に身を横たえ、そこには疲れたように薄く微笑む、セイリオスの姿。  
 
  
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