2001年5月15日

衆議院予算委員会議事録

衆議院HPから

○横光委員
   次に移ります。
 国連に加盟しておりますのは世界百八十九カ国、現在あるそうですが、この中で、首相公選制を採用している国はあるのでしょうか。
○小泉内閣総理大臣
 首相公選制というのがどういうものかはまだ具体的にわかっていないですね。
大統領制的なものがあるとか、あるいは議院内閣制とどう違うのかとか、イスラエルの首相公選制とか例を挙げています。
私は、日本型の首相公選制を考えていきたい。世界のどこにも例がない。天皇制も世界に例がありません。
 それぞれ、国の独自の制度があっていいんじゃないでしょうか。
○横光委員
   総理は、我が国の元首はだれだとお思いでしょうか。
○小泉内閣総理大臣
 憲法でも、天皇陛下のことを元首と規定していません。象徴と言っています。
しかし、外国の中では、ある意味においては元首的な行為を陛下はとられているなと思っている向きもあるでしょう。
政治的な権力、最高権力者は総理大臣ですね。しかし、天皇陛下に対しては、権力以外の長年の歴史的な伝統、重みがある。
権威の面においては、天皇陛下の重みはすごい大きなものがあると私は思っております。
○横光委員
   外交儀礼的には、やはり天皇陛下が日本の元首の役割を担ってくれていると思うのですね。
ですから、そういったあなたの言われる元首とは、 主権の存する日本の国民の総意に基づいて初めて天皇は、外交儀礼的とはいえ日本国の元首たり得ている、このようにお考えでしょうか。
○津野政府特別補佐人
 天皇が元首であるかということにつきましては、これは従来から国会で、私どもの方からいろいろ答弁をさせていただいております。
 天皇が元首であるかどうかは、要するに元首の定義いかんだろうというふうに思われるわけでありますけれども、 かつて帝国憲法におきましては、元首とは内治外交のすべてを通じて国を代表し、行政権を掌握している存在であるということで、 帝国憲法上は天皇が元首であるということも明記されておりました。
しかし、現憲法下では、そういった定義の上から見れば元首というわけにはまいらないわけでございます。
 ただ、今日では、実質的な国家統治の大権を持たなくても、 国家におけるいわゆるヘッドの地位にある者を元首と見る見解も有力になってきているわけでございまして、 この定義によるならば、天皇は国の象徴でございまして、 さらに、一部ではございますけれども、外交関係におきまして国を代表しているという面もございますので、 現憲法下においても元首であると言ってもいいであろうというふうに考えております。
○横光委員
   元首法とか元首を定めた規定はないわけですから、今のような説明でありましょう。
 あなたの提唱されております首相公選制というのは、 いわゆる全有権者の投票によって、全有権者の総意によって選ばれるということになろうかと思います。
例えば、任期が四年だろうか五年か六年かわかりませんが、そういった形で、全有権者の総意によってそのヘッドが選ばれる。 いわゆる統治権を持っている国家の一番の長になるわけですから、元首ということになりますね。
その人を選んだ瞬間に天皇陛下は元首でなくなるのではありませんか。
○小泉内閣総理大臣
 その意見は私も理解できないのですが、なぜ国会議員が選んだ首相が弱くて、国民の選んだ首相が元首にならなきゃいけないのですか。
私は、今、国会で指名した総理大臣候補を天皇陛下が任命する、国民が選んだ首相候補を天皇陛下が任命する、 天皇制と矛盾しないと思いますよ。
そして、元首かどうかというのは、今、天皇陛下は国民の象徴なんですから、法制局長官が答えられたように元首ではない。
しかし、外国から見れば、元首的な国事行為をする場合もある。 しかし、厳密に法的な解釈からすると元首とも言えない。いろいろ解釈があるわけです。
 私は、首相公選制を考える場合も、天皇制と共存できる首相公選制を考えていますから、何にも矛盾しないと思っております。
○横光委員
   今、首相は、いわゆる議会の中で選ばれているわけですね、議院内閣制の中で。
ところが、今度、国民の、選挙という有権者の総意によって選ばれる。 直接なるわけですね。そうしますと、やはり私は、この問題は、 元首という言葉から天皇の地位に非常に影響を与えるんじゃないかという気がいたしておりますし、 また、国会の存在、議会の位置づけ、こういったところにも非常に多くの問題を抱える。
国民には、みずからの一票で首相を選べる、非常にこれもわかりやすいし、賛意を示している人も多いんですよ。
しかし、多くの問題がまだまだ残っているということもやはりこれから論議していかなければならない非常に重要な問題であると私は思っております。
 次に、憲法第一章は「天皇」から始まっております。
この七条の十項に、天皇は「儀式を行ふこと。」というくだりがございます。
天皇が、国民統合の象徴ということで、多くの儀式や行事に出席されておるわけですが、 この中で、国民と接する行事といいますか、これは行幸啓というんだそうですが、 いわゆる国体とか植樹祭とか、あるいはスポーツ観戦、大相撲とかサッカーとか、 そういったことで出席される行事が大体年に五十回ぐらいあるということをお聞きいたしております。
 そんなに多くないなという印象がするんですが、 これは、そんなに軽々しく天皇を扱うことはできないんだということだと私は思うんです。
総理もそのようにお考えでしょうか。
○津野政府特別補佐人
 この第七条の第十号に、国事行為として「儀式を行ふこと。」というのがございます。
ここに儀式と申しますのは、国家的な性格を有する儀式を申しまして、 私的な性格を持つものは含まないということでございます。
立太子礼とかがこれに当たり…… (横光委員「植樹祭とか国体とか、そういったことを聞いておるんですが」と呼ぶ)そういうのはこれには当たらないと存じます。
○横光委員
   こういった天皇の出席される行事、これは非常に重要でございますし、 当然、国民みんなが天皇の出席される行事はとうとばなければならない、このように考えておりますが、総理も同じお考えでしょうか。
○小泉内閣総理大臣
 天皇陛下の存在というのは、私は日本国民にとって非常に重いものがあると思います。
 今、各行事の出席回数が多いか少ないかというお話なんですが、 その前に、私は……
(横光委員「回数じゃない。重いかどうかです」と呼ぶ)重いものがありまして、 これは、議会制民主主義が始まってから百二十年そこらでしょう。
首相公選、たとえ国民から首相が選出されたとしても、天皇陛下をしのげるような権威のある方が首相になれると思われません。
 それと、将軍の時代から天皇制はあったんですから、 もう絶大な権力を持った時代から天皇制というのはあったんですから、 これから儀式も、私は、多いか少ないかわかりませんけれども……
(横光委員「回数じゃない。とうとばれるかどうか」と呼ぶ)とうとばれるものと思います。 これは大変重いものがあると思います。

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