三木二寸のあれも言いたいこれも言いたい

    構造改革を論じる・ひと休み
  ある経済学者の説を紹介

2002年1月14日

 「構造改革、二つの論点 その1 構造改革で痛むべきは誰か」 を発表した時(2001年9月17日)には、 その2として、「どのような構造を、どう変えるのか」を論じようと思って、少し書きかけていました。
 その1では、構造改革で痛むべき人が違っているのではないか、と論じたつもりですが、 その2では、社会の構造をどう変えようとしているのかが示されていないではないか、 と論じるつもりでした。 どの方向に改革すべきなのか、私なりの意見も言いたいと思っていました。

 その後、米国の同時多発テロが起って、 米国のアフガン攻撃や、自衛隊派遣のための特別法の議論に、私の関心がいって、 論をまとめることができなかったこともあります。
 当初予算編成や公団改革をめぐって、 いわゆる族議員、守旧派との間での政治的な駆け引きが強くなってきたようで、 小泉改革がどの方向に進められているのか見えにくく、つまり論じにくくなってきました。 政治的な動きの陰になって、 小泉内閣自体は何がしたいのかは、いっそう不鮮明になってきているように思います。
 その一方では、「改革」は進められていて、昨2001年10月26日に、 「改革先行プログラム」 が経済対策閣僚会議において決定、12月18日には、 「特殊法人等整理合理化計画」 が、特殊法人等改革推進本部によって決定されました。

 このように改革が具体的になってきますと、 それぞれ発表された文書を一応読まなければ、論じることができませんが、 次々に文書が発表されるようになってきて、 少ない余暇を利用してモノを書いている者にとっては、なかなか追いつけなくなってきました。

 というわけで、長い間が空いてしまいましたが、 今回は、私の考えをご披露するのではなくて、 昨年11月に新聞に載った構造改革と景気の関係についての学者の説をご紹介することにしました。 それに対する私の意見も末尾に少し加えました。

 私の考えている構造改革は、 私たち庶民の力がもっと解放されて、生き生きと暮らせる世の中、 それを実現する社会の仕組み、構造を変えたいということです。
 エビやカニは、体が成長すると殻を脱いで、一回り大きくなります。 サナギから脱皮した蝶は美しく変身します。 私たちの社会も中身がどんどん成長して、 社会の仕組みや制度が体に合わなくなってきたように感じます。
 昆虫や甲殻類は、どのように脱皮するか、遺伝子レベルで決定されていますが、 私たちは、新しい殻を自分で探さなければなりません。ヤドカリの宿探しのようでもあります。
 今までは、先進国を探せば体にあった制度や仕組みが見付かりましたが、 これからはそうはいかないかもしれません。 他の諸国も、時代の大きな変わり目に立っているからです。
 ということは、他の諸国の取組みも参考に、お互いに学びあいながらも、 日本は日本で考える必要があります。

 考えるのは、一人ひとりの私や皆さんです。 この論考が、少しでも、読者の皆さん自身に考えていただくためのお役に立てばと念じております。

それでは、どうぞ、学者の先生の意見をご覧ください。

構造改革参考・ある経済学者の説

「構造改革と景気」
専修大学教授・野口 旭

 構造改革と景気の関係を論じた興味深い記事が新聞にのりました。 日本経済新聞の「やさしい経済学」に 2001年11月20日から27日まで6回にわたって連載された、 専修大学・野口教授の「構造改革と景気」です。
 筆者の野口旭教授は、1958年生まれ、東京大学卒、 専修大学講師、助教授を経て現在教授、専門は国際経済論。

以下、私の責任で要約してご紹介します。
○日本では、「景気対策か構造改革か」という経済議論が続いてきており、 両者は互いに相容れないはずだとという思い込みがある。
○構造改革重視=景気対策否定派の人々はしばしば 「日本は小手先の景気対策ばかりで構造改革を先送りしてきた」と主張するが、 規制緩和、行政改革、金融ビッグバンなど、1990年代の日本ほど構造改革を真摯に追求した時代はない。 これらの構造改革にもかからわず景気は回復しなかった。
 構造改革の目的は政府規制などを見直し、経済システムの効率性を高めることであり、 景気回復そのものではない。 「構造改革なくして景気回復なし」という考え方は思い込み。
○景気回復には、マクロ経済政策、すなわち金融政策と財政政策が必要で、 日本の景気が回侵しないのは、マクロ経済政策が不十分または不適切だったことを意味する。 90年代の日本の金融・財政政策が十分だったという考えもまた、思い込み。
○構造改革は、資源配分の効率性改善へのインセンティブ(誘因)を生み出すような各種の制度改革のことで、 一国の生産資源、すなわち資本や労働などの、より適正かつ効率的な利用を促し、 潜在国内総生産(GDP)ないしは潜在成長率の上昇に寄与する。
 つまり構造改革とは、経済の効率性向上を通じたサプライサイド(供給側)の強化策。 構造改革が必要になるのは、 不適切な政府規制や政府関与によって資源配分にゆがみが生じており、 社会的に望ましい生産および消費水準が達成できない状況においてである。
○現実の成長率がその潜在成長率とかい離しているときに必要になるのが、マクロ経済政策。
 マクロ経済政策とは、総需要の調整により、 このGDPギャップを縮小させ、適正なインフレ率と失業率(自然失業率)を達成、維持する政策である。
○マクロ政策と構造改革を実際に適用するには、 日本経済の長期停滞の原因は総需要不足なのか、 それとも供給側の構造問題なのかについての「診断」が必要。
○「構造改革派」は、この日本の経済成長率の低迷は、 構造問題による潜在成長率の低下が原因で生じたと考えている。
 それに対して「マクロ重視派」は、 それは総需要の縮小が原因で生じたと考えている。
○日本の成長率低下の原因をすべて潜在成長率の低下に帰す見方は明らかな誤りである。
○総需要不足=デフレギャップが主な原因だからといって、供給側の潜在成長力に全く問題がないわけではない。 実際、多くの推計は、潜在成長率が低下していることを示している。
○景気回復のためには総需要の拡大が必要、 本質的に供給側の政策である構造改革にそれを求めるのは筋違いである。
 むしろ、需要が低迷する中で供給側だけを拡大させれば、 デフレギャップは一層拡大し、デフレと失業はより深刻化するおそれさえある。
○本来、景気対策としてのマクロ政策と、構造改革すなわち供給側の効率性改善政策とは、 その目的および手段を異にしており、対立するものでも矛盾するものでもない。
 むしろ、構造改革の進展には安定的なマクロ環境が必要という意味では、両者は相互補完的。

 最後に、この記事を読んでの二寸自身の感想を、補足させてもらいます。
 ここで論じられているのは、経済問題としての構造改革についてです。
多分小泉改革が目指しているだろうと思われるもの、あるいは日本が今めざすべき改革は、 社会全体の構造改革だと思います。 それは、社会の枠組みそのものから変えようとしているという意味で、 平和裡に行われる無血革命に近いものといえるかもしれません。
 経済再生をどうするかを考える上で、 構造改革と景気対策を二者択一に考えるのは間違いという論は、大変参考になります。
構造改革とともに、需要側の対策をしないと景気が回復しないということですね。
 ただこの場合、今までの景気対策のように公共事業 (簡単に言えば、税金を使った土木工事のことです)に税金を投入することは、 景気の底上げ効果はあっても、 構造改革を遅延させ、財政を悪化させるので、 中長期には景気にもマイナスという論者に賛成です。
こうきょう‐じぎょう【公共事業】
@社会公共の利益を図るための事業。
A国または地方公共団体の予算で行う公共的な事業。道路・港湾の整備、河川の改修などの類。
(広辞苑第4版)
公共事業予算〔財政予算用語〕
河川、道路、港湾、空港などの公共土木事業や住宅、下水道、公園など 国民の生活に直結した施設の整備を行うための事業のうち、 国の一般会計予算等がつくものを一般に公共事業という場合が多い。
(現代用語の基礎知識1996年版)
 私が今考えていることは、単に税金を使って景気対策を行うのではなくて、 社会全体の需要構造も改革しないといけないのではないかということです。
 過去の日本は、国内でモノを作って海外の市場(主にアメリカ)に輸出することによって経済を拡大させてきました。 そのような時代は終わったと考えざるを得ないとすれば、 今までは社会のお荷物と考えられていた福祉にお金を使うとか、 楽しむのが悪という考えは捨てて、文化などの「遊び」にお金をつかうとか、 需要側の構造を改革しないと経済は回復しないのではないでしょうか。
 そのためには、どこに税金を注ぎ込むかという、政策的な変更が必要になると思います。
 供給側に対する政策である「構造改革」と、需要側に対する政策である「景気対策」の両者が、 社会構造の改革という意味で同じ方向に向かった政策をとることが必要だと思います。
 「構造改革」は規制緩和などによる供給側の効率性改善であるという、 野口先生の論は、教科書的には正しいのでしょうが、 現在の日本で必要な対策は、 先生の論じるような意味での「構造改革」や、 需要創出のための「景気対策」だけではないようにと考えられますが、 いかがでしょうか。



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