三木二寸のあれも言いたいこれも言いたい

構造改革で痛むべきは誰か

2001年9月17日

 先ごろの参議院選挙は、改革を進めるためには、
改革を掲げるが守旧派の多い自民党に入れたらよいのか、
それとも、野党に入れたらよいのか、
改革派の有権者にとっては、政策選択と投票行動が分裂した「またさき選挙」でした。
 小泉内閣が支持を受け、改革派の野党もそれなりに議席を伸ばしましたので、
有権者は改革を支持したと言えましょう。
小泉内閣も、道路公団の民営化とか、相当過激な改革案も跳び出し、
いよいよ本格的な改革着手か、という雰囲気は出てきました。
 有権者は痛みを伴う改革を支持したと言われていますが、
以前「小泉政権への期待と不安 」に、書いたとおり、
改革の中身は十分議論していく必要があります。

 私が特に重要だと考えている論点は、二つあります。
 構造改革で痛むべきは誰か、
 どのように構造を変えるのか、
という二点ですが、相互に関係しています。
 2回に分けて、論じてみたいと思います。これは、その第1回。


小泉改革の概要

 前回の投稿以後、検討結果が公表されて、小泉改革の方向が少しずつ見えてきました。
まず、そのおさらいから。

 2001年6月26日には、 「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」 、いわゆる「骨太の方針」が閣議決定されました。
骨太方針は、 概要版や、 パンフレットをごらんになるのが、便利です。
これによって、改革の大きな方向が定まったといえます。
この骨太方針では、
まず、不良債権問題を2 〜3 年内に解決することを目指すと言っています。
また、次の7つの構造改革プログラムを進めることになっています。
1 .民営化・規制改革プログラム〜民間が自由に経済活動を行える社会
2 .チャレンジャー支援プログラム〜「頑張りがいのある社会システム」
3 .保険機能強化プログラム〜 国民の「安心」と生活の「安定」
4 .知的資産倍増プログラム〜「個人の選択の自由の下での人材育成」
5 .生活維新プログラム〜「のびのびと働き、生活できる基盤整備」
6 .地方自立・活性化プログラム〜地方ができることは地方に
7 .財政改革プログラム〜21 世紀にふさわしい簡素で効率的な政府の実現

 その後、9月7日には、 当面の経済財政運営についての閣議における指示が、小泉総理から閣僚に対して出されましたが、
そのなかには、国民に分かりやすい形で『改革工程表』を明らかにすることと、
先行して決定・実施すべき施策を『改革先行プログラム』としてとりまとめることが含まれています。
 9月14日には、さらに、 「改革先行プログラム」の具体的内容について という、内閣総理大臣指示が出されています。

 私も、これらを見る限りでは、だいたいは賛成できるかなと思っています。
 前回の投稿に対していただいた意見をみてみますと、
私の論が、小泉改革に反対していると理解されたようですが、
今のところは、改革の基本方向は正しいように思っています。
私は、現在の日本に改革が必要であるという立場に立っていますが、
改革をすればよいのではなく、どのような改革をするかが重要だと考えています。
ようやく、改革をするという総論は定まってきたように思いますので、
改革の各論が重要ではないかと訴え、そのための論点を読者に提供しているつもりです。
国民主権国家ですから、改革の方向を決めるのは、私たち国民の議論です。
小泉さんがいくらハンサムでも、あなた任せの民主主義はいけません。


痛むのは誰か

 「痛み」を伴う構造改革だと言われていますが、いったい誰が痛むのでしょうか。
 今回の選挙で国民は改革の痛みを覚悟したという論調も一部にありますが、そんなわけはありません。
痛むのはほかの人だと思っているので、改革を支持した人が多いのではないでしょうか。
改革で「痛み」を受けることが分かっている人たちは、真剣になって改革を阻止しようとしました。
郵政関係では、民営化の反対論者を政界に送り込むために、選挙違反を犯していたことが明るみに出ました。

 とても厳しい雇用情勢の中で、とうとう 完全失業率が5%を記録しました。
厳しい経済情勢のなかで、勤労者が「痛み」を感じていることは確かです。
 企業は、厳しい経済情勢の中で生き残りをかけて、経営革新に取り組んでいます。
人件費をいかに切りつめるかということは、経営にとっては、大きな要素です。
生産を減らさずに人を減らすことは、企業経営にとってはとても良いことなのです。
経営体質も強化され、国際競争力も付くでしょう。
ということは、今後、企業の経営体質が改善されるにつれて、雇用吸収力は小さくなると考えなければなりません。
 このあたりは、「景気の回復と雇用」で少しだけ書きました。



不良債権処理の影響

 小泉内閣は、金融機関の再生のために、不良債権処理を急ぐとも言っています。
バブルの崩壊以後、日本の金融機能が低下していて、経済全体に悪影響を与えていると言われます。
その意味で、金融機関を早く健全化したいというのは理解できます。
 しかし、国民が疑問視するなかで公的資金を注ぎ込みましたが、不良債権は増える一方です。
それは当たり前で、景気が悪くなれば、企業の業績は悪化し、
それまでは優良債権だったものが、どんどん不良債権化しているのです。
バルブを閉めずに水をくみ出しているようなもので、キリがありません。

 不良債権の処理を急ぎますと、銀行は、少しでも危ない会社には貸しません。
少しでも業績が悪化しそうなら、早めに債権を回収しようとします。
 これでは、金融機関の経済に果たすべき役割を果たしていることにはなりません。
 以前、NHKで見ましたが、パソコンの夜明け時代、アメリカでのことです、
高校生だかがパソコンを組み立てて売るビジネスを考えました。
銀行に2000ドルの融資を頼みに行きました。
銀行の頭取は、熱心にビジネスの計画に耳を傾け、ポンと融資したそうです。
日本の銀行ならどうするでしょうか。
「子ども」の言うことに真剣に耳を傾ける銀行家がいるでしょうか。
リスクの高いビジネスに担保を取らずに融資するでしょうか。
この融資のおかげで、今日の大電脳会社があるのだそうです。
ベンチャー企業に対するこのような姿勢こそが、今の日本の経済には必要だと思えてなりません。
 不良債権の処理を進めると、産業構造の改革は遅れる方向にはたらきます。

 もう一つ影響があるのは、資金を引き揚げられた企業は、
経営を縮小したり、倒産したりしますから、不景気を加速し、失業を増やす方向に働きます。

 構造改革のためにも、まず金融機関の機能を再生してから、という判断もありえますが、 今までの経過をみると、余りうまくいきそうにはないな、と経済の素人なりに心配です。

痛むのは勤労者?

 このままでは、とりあえず「痛み」を我慢しなければならないのは、
勤労者と中小企業ということになりそうに、思われます。
  「改革先行プログラム」の具体的内容について(2001年9月14日内閣総理大臣指示)で、 雇用・中小企業に係るセーフティーネットの充実を図ることになっていますが、
これも、逆読みすれば、そういうことに聞こえてきます。
 小泉首相は、「米百俵」を例に出して、長い目でみて構造改革への支持を訴えたのですが、
しばらく辛抱して欲しいというのは、ひょっとして勤労者に向けられた言葉なのかもしれません。
セイフティネット:
安全網。綱渡りとか危険な曲芸をするときに、落ちても生命の危険がなければ大胆な演技ができることになぞらえて、
社会保障制度を、健全な競争社会に必要な安全網ととらえる考え方です。

米百俵:
小泉首相は、 就任後国会での所信表明で、 次のように述べています。
 明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。
米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。
しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。
その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることとなったのです。
今の痛みに耐えて明日を良くしようという「米百俵の精神」こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。


痛むべきは既得権者

 構造改革で「痛む」べきは、本来誰なのでしょうか。
勤労者であるはずはありません。

 今の制度でおいしい思いをしている人たちがいます。
このような「おいしい」ことが、権利のようになってしまうことを「既得権」といいます。
(法律の世界では、違う意味があります、必ずしも悪い意味ではありません。)
きとく‐けん【既得権】個人または国家が既に獲得している権利。立法政策上、既得権はできるだけ尊重すべきものとされる。(広辞苑)
おいしい思いをしている既得権者たちにこそまず、 「痛み」を感じてもらわなければなりません。

 痛みを感じてもらわなければならないのは、例えば、土木建設業界です。
 日本が成長するには、産業基盤を整えることが急務でした。
以前は鉄道網、最近は道路網、
こういったものは、社会資本とかインフラ・ストラクチャーとか呼ばれますが、
単に日常の生活を便利にするだけでなく、産業の発展には欠かせません。
 そのために、土木・建設事業には、たくさんの税金を投入してきました。
今では、社会資本は大体の水準に整備ができて、投資してもそれほど産業の発展に結びつかなくなってきた一方、
大きな投資に国家財政が耐えられなくなくなってきました。
 ところが、公共事業といわれる土木事業に、基本的に役割を終わったのに、税金の大きな部分を投入し続けています。
談合体質も指摘されていますが、本当に競争すれば、かなりの事業者が倒産するともいわれています。
それを避けるために、仕事を作り続けているという面があることも、指摘されています。
 小泉政権も、公共事業を見直すとは言っていますが、
いわゆる族議員といわれる「抵抗勢力」が強いので、見直しがどれだけ進むか分かりません。


 もう一つ例を挙げると、社会福祉法人です。
例えば、介護の必要になったお年寄りが入所する施設として「特別養護老人ホーム」がありますが、
これを経営できるのは、民間では、社会福祉法人だけです。
社会福祉法人として認めてもらうためには、特別養護老人ホームのような「社会福祉施設」を経営していなければなりません。
一方、特別養護老人ホームの経営を始めるには、厚生労働省の補助金を受けなければ、経営が成り立ちません。
結局、厚生労働省が認めた人たちだけが、特別養護老人ホームを経営できることになります。
特別養護老人ホームは、入りたいというお年寄りに比べてその数はまだ少なくて、いつも満員です。
ですから、サービスが悪くても、いったん補助金と社会福祉法人の認可をとってしまえば、確実にもうかります。
極端な言い方をすれば、サービスが悪い方がもうかることになります。

 以前、埼玉県の社会福祉法人で、厚生省の次官まで巻き込んだ不祥事がありましたが、このような福祉の構造が生んだのです。
 このような仕組みを早く改めて、誰でも介護サービスに参入できることにすることが、
お年寄りにも、経済にも良いはずですが、既得権をもった人たちがいます。
 改革案として、「ケアハウス」(老人用のアパートのようなもの、名前に相違して、ケアサービスは付いていない)に規制緩和を考えているようですが、
ということは、本丸には手をつけずにまず外堀をという作戦かもしれません。

 構造を変えるために、既得権を廃して、そのために「痛み」を感じる人が出るのは仕方ないことです。
構造改革のために、土木・建設業の一部がつぶれたり、サービスの悪い介護施設が淘汰されるのは、 市場経済をとる以上は自然なことです。
今まで甘い汁を吸っていただけのことです。
 しかし、土木・建設業に働いていた人たちが失業したりします。
が、この「痛み」も我慢しなければ、仕方のないでしょう。
そのような「痛み」を最小限に抑えるためにこそ、「セイフティネット」が必要になります。

 ニュージーランドで徹底した経済改革が行われたときには、
旧構造におけるすべての「既得権」を例外なく廃止するという基本方針が立てられたそうです。
小泉改革では、あまり聞きません。「抵抗勢力」に遠慮しているのでしょうか。


次号に続く

ここまで書いたら、すっかり長くなってしまいました。
もう一つの論点は、稿を改めたいと思います。



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