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『 博多にっき 』
― ファンキーやけん、博多たい!! ―


しっちゃかめっちゃか怒濤の1年間の巻

平成10年3月吉日〜平成10年12月末日


<序章(世間では言い訳ともいう)>


 平成9年の春からNETを始めて一年経った。早かった。
この一年でいろんな人に会えた。本当に濃い一年だった。
やっぱり生命保険を解約してまでパソコンを買っただけはあったなぁ。
パソコンとプリンター、普通はローン組んだりしてさ、カードでお願いって
ことになったりするんだけど、現金で払ったもんなぁ。
あれは気持ち良かったなぁ〜。こういうとこで貧乏がバレるんだな。(汗)

 次の一年は結婚なんかしちゃったもんなぁ。あはは〜。
まぁNETとは別の部分で忙しいことが多かったけど、結局は続けてる。
「博多にっき」を書こうにも博多をこの一年で離れてしまったし。
中途半端な模索の年。これが平成10年だった。
 結婚してからは、まわりが静かになった。
私自身がそうかもしれないけど、やっぱりダンナさんの目とかを周囲が
意識してるような気もする。何故か発言の後で「KENちゃんごめん」という
言葉が多いもん。やっぱ、所帯じみてくるのかなぁ〜・・。
そんな自分がちょっと寂しい。

 「博多にっき」といえば博多。離れたとはいえ結構帰ってるし、
やっぱり私の中から消えることは絶対にない場所だとあらためて確信した。
「好きなときに帰る(お金あれば)」コレ、結婚のときのお約束だし。
私ってよく「君って博多人形みたいだね」
ぬわぁーんて酔ったおっちゃんに言われるしさぁ〜。 
あははぁ〜 誰も聞いてないかぁ。おい。
ま、だから何がなんでも「博多にっき」は「博多にっき」なわけ。
終始一貫して個人的な見解のもとに書かれた個人的な日記なわけね。
まぁ、言い換えれば、ソウルが博多なら何処へ行っても「博多にっき」。
私が書くから何を書いても「博多にっき」!ふぁんきーやけん、博多たいっ!!

 しかし、生命保険、入ってて良かったなぁ〜。


<第一章 ちっぽけな私の大きな変化> 平成10年3月〜5月4日


 結婚ってなんだろう。
                       
あらためて口にしようとすると難しい。
最近、私のまわりは結婚する人が少ない。
皆、30またはもうすぐ31になろうとしている。
                        
でも、そこまで焦ることもなくマイペースで
生活を送っている人がほとんどだ。
私も得に結婚したいわけでもなく、だからといって
したくないわけでもなく・・。
とにかく、私の周囲は静かに水が流れているような状態なのだ。

そんな中で・・私の小さな川に小石が投げ込まれた。
その小さな石が小さな川の流れを変えた。
流れは急に早くなって川の両岸は少しずつ削られていった。

まわりは流れが静かなのに、自分だけが流れが乱れて
しまったようで、少し不安な気持ちがする。
そして静かな中、この流れは音をたててスピードを増していっている。

いつかおさまる時がくるのだろうか?
また静かな流れに戻れるのだろうか?
そのときは小さな川は削られて、もう少しだけ大きな川になっているのだろうか・・。
そして、投げ込まれた石の周りを、私という水がスムーズに流れていくのだろうか。
結婚するって、こんな気持ちになることだろうか・・。


<第二章 スイスイッと結婚> 平成10年3月〜5月4日


 嘘みたいな話だが、私はこっそり結婚することを決めた。
一年後くらいに・・というはずが、本当に何が縁になるのかアッという間に
二ヶ月後、一ヶ月後、と結婚話が具体的に進んでしまった。
よく、結婚は周囲の状況からどんどん進んでいくってことを聞くけど、
本当にそう。
どうせなら結婚してしまえ〜っ
みたいなノリでハイ、ケッテイ!

 結婚式は私の地元ですることになったが、そんなに大袈裟にするつもりも
お金もなかったので、式と身内だけの食事会にとどめることにした。
友人にも結婚することを報告したが、KENちゃんとの共通の知り合い
であるまごPへはまだ話してなかった・・・。
どうしよう・・せんせ(まごP)がいたからKENちゃんと知り合ったんだけど、
でもなぁ〜、今、話が大きくなるとキツイなぁ〜・・とNETへの関わり方を
悩んでいるうちに、私はどんどん忙しくなっていった。
結局、NETをしてる暇もあまりなくなり、結婚宣言だけ先にしてbbsを
休業することに決めた。

まごP許してくれ〜
って思ったっけ?ごめーん、覚えてなぁ〜いっ。

 私の結婚話にNET関係者はそれはそれは驚いた。一部では『結婚は?』と心配
してくれる人も出てくるくらいだった私がいきなり予告なしに結婚宣言なんか
したもんだから、もー大騒ぎ。
まぁね、同級生ですら私の結婚に驚くくらいだから、仕方ないけど。

『かなえちゃんってぇ、結婚しないと思ってたのにぃ〜』

えーっうっそー、うそでしょ。なんでー、そんなに驚くわけぇー!
そんなに不思議なの?
うう。。ちょっと、ショック。私って、そんなに変な人間だったのか?(;_;)
くしょー、一言いわせろぉ〜 (-"-)

『な、なめとんのか、こらぁ〜!』

ふ、ふんっだ!(-"-)

でも、私の周りは極めて明るく、結婚式当日に泣いたのはお婆ちゃんだけ。
それにつられて、裏でもらい泣きしたのが私。(笑)それ以外は天気と一緒で晴れ晴れしてた。

 日の差し込むチャペルは気持ち良かった。みんな神妙な顔してるのが
おかしくて、花嫁のくせにクスクス、ニヤニヤ笑ってしまった。
でもね、来てくれてる人の顔をちゃんと見たかったから、あんまりうつむきたくなかった。
結婚式自体に意味があるかないか、それは別にして、こういう祝福の場って
いい意味で気持ちが高揚する。やっぱり、いい気分だな。
友達みんなが祝ってくれて、本当に嬉しかった。
百恵ちゃんの気持ちが分かるよぉ。(年も分かるよぉ)

かなえ『し、幸せになりますぅ〜!』
ま、一瞬やけどね、一瞬。


 二次会は地元の友人に加えてNET関係の友人も参加してくれMEDIA
行った。企画はスパイロにお願いし、踊りまくりの賑やかな二次会になった。

 ここまで駆け足できた。正直言って私自身無理がなかったわけじゃない。
精神的にも体力的にもかなりキツかった。グータラな私が無事に結婚した
のは、周囲の『おめでとう』ってかけ声があったから。これは間違いない。
猛スピードでエネルギーを振り絞って走ってきたから、第一目標にゴールした
ときには、私の中の燃料はすっからかんになってしまった。
二次会が終わって実家に戻ると、ドッと疲れが出てあっという間に
寝てしまった。いつもの様に弟も同じ家で雑魚寝状態。(笑)
後から思えば、これが私の結婚初夜であった。
まぁ、そんなこんなで「不思議現象:私の結婚」が無事完了した。
  

<第三章 さようなら私の街> 平成10年5月中旬


 自分の結婚が終わったら、その2週間後には実兄の結婚が待っていたので、
私は大阪へは兄の挙式後に行くことにした。それまでは、荷物まとめをしな
くてはいけない。
部屋の片づけってのは面倒くさい。細々としたものがゴチャゴチャっと出ては、
「あ〜、これはぁ〜・・っどうしよっかなぁ〜、んー、後回し。」
なんてやってると全然先へ進まない。気がつくと、部屋の中は悲惨な状態。


めちゃ汚い部屋

 兄の結婚式で熊本県阿蘇郡へ行った。阿蘇山のカルデラの中だ。
考えると不思議なことに、ここはカルデラのなかに人が住んでいる。
その上何故か、プリンスホテルなんかあったりして、ゴルフなんか楽しめる。
日本人って、ゴルフ好きなんだなぁ。その為にはホテルなんかドドーンって
山の中に作ってしまうんだなぁ。でも、阿蘇はやっぱり田舎ならではの楽しみ、
温泉はもちろん、白川の水源は地下から水が湧き出る様子が目ではっきりと
見ることが出来るなど、自然の有り難さを堪能できる土地であった。

兄の式は緑に囲まれた、なかなか雰囲気のよいもであった。
人前式で私は立ち会い人を経験した。親戚だけとはいえ、ちょっぴり緊張。
その後の食事会では親戚中のおばちゃん達が一同に大泣きし、
兄が「長女の長男」という期待される立場で育ったことをあらためて感じた。
そして意外だったのは弟。

弟が最後の最後に感極まって、
涙を流した。

ふーん、そっか、そうなのかと私は冷静にそれを眺めていた。
つもりだったけど、もらい泣き。ついでにしっかりビデオに収まって
いた。あぁ・・恥ずかしい。

 阿蘇から戻ったら・・いよいよ、引っ越し。温泉に浸かりながら、家族一緒の
阿蘇を覚えておこうと思ったりした。

うーん、センチメンタルジャーニー。

家へ戻り、車に自分の荷物を積んだ。パソコンも引っ越し屋さんに頼むと不安
なので車に乗せた。でも、ほとんどの荷物は梱包し引っ越し屋さんに運んで
もらうことになっている。兄の結婚式前になんとか梱包を終わらせたが、
実際には大した荷物にはならなかった。・・というか

『え?私の荷物ってたったこれだけ?ほんとに?』

と目を疑いたくなるほどに少なかった。あらためて、自分の貧しさを認識。
嫁入り道具なんてものはない。大物といえば就職して初めて自分で買った整理
ダンスを一つと飾り棚が一つくらいかな。あと、布団を母が新しく2組作って
くれた。たった、これだけ。ま、行く先も狭いからいいけどね。
 いよいよ、車が出発。

『気をつけてね〜』『ばいばいー』『またね〜』

なんだか、もうちょっとしんみりなんないのかなぁ。
そういえば、私の式のときは皆笑ってたのが、兄の式のときには皆号泣してた。
う、うーん。私は遠くへ行くんだけどなぁ、兄ちゃんはそのままいるのよぉ。
なんだか、家族内での自分の位置ってのをかいま見た気がした。

ふーんだっ!ええい、発車だ!
大阪へ向かって進めぇ〜!

 大阪へは車で向かった。途中でフェリーを使って、一泊しながらの移動だ。
フェリーに乗るのも楽しいかな〜なんて思ったんだけど・・・。
これは大きな間違いだった。まず、修学旅行の中学生と一緒だったこと。
キャーキャーとうるさいだけでなく、突然話しかけられたりと落ち着かない。
夕食はレストラン(?)で。これがまた困りものだった。丁度、出発頃に食事を
とったため、ガンガンガンという猛烈な音と振動が胃袋と脳みそを直撃した。
皿やコップは手を触れなくてもテーブル上を移動し、ビールビンは飛び跳ねる。
さっきまで腹ぺこ状態だったはずが、いっきに食欲減退。食事もそこそこに部屋に戻った。
でも、何より最悪だったのは、部屋が臭かったこと。

相当、臭いぞ!

これでも特等?と目と鼻を疑いたかった。
新婚早々、生活苦の試練なのか?思わず口で息をしそうになる。
そんな室内での私の心の拠り所はベッド。病院のベッドみたいに真っ白で
まわりにはカーテンがついてる。
なんだか修学旅行気分になってきた。このカーテンがいいよね〜。
安っぽいよね〜。なんだか、嬉しくなってきた。

〜 入院することを想像 〜

ここが病院なら、もう消灯時間だなぁ。(カーテンは閉めている)
まだ隣の人は起きてるなぁ(隣の人=自分のダンナ)
もうすぐ看護婦さんとか見回りに来たりするよなぁ(灯りが心配)
この狭い空間がいいよなぁ。
でも、もう寝ないとなぁ(消灯時間が気になる)
でも、このカーテンを開けたり閉めたりするのがいいんだよなぁ
(消灯時間無視)

『こんばんは〜』(隣のダンナに向かって挨拶)
『お宅、どこが悪いの?』(カーテンから顔だけ出す)

*** 何やってんのよ〜と、注意される ***

暫くは一人でカーテンを開けたり閉めたりして遊んでみた。

〜 飽きたので退院することにした。 〜

安っぽいシングルベッドでフェリーの振動を感じながら、私は眠りについた。

 次の日の朝、目が覚めるとフェリーは大阪の波に揺られていた。
ダンナさんはフェリーの振動音で寝不足らしい。
私はハテ(・_・?)そんなに大きな音したっけ?
と、比較的清々しい朝を向かえていた。外を見ると・・もう、私の生まれ育った
ところからは遠く離れてしまった、見慣れない景色がある。

これからは、新しい生活が始まるのだ。
さよなら、私の街。




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