申し遅れた。わしは「前田慶次郎利益」である。
加賀藩主「前田利家公」はわしの叔父貴だな。
織田信長五大軍団の司令官「滝川一益」の従弟「滝川益氏」の子であるが、
父上(利家の長兄「利久」)の養子になってから前田の名を名乗っておるわけだ。
家督を利家に奪われた父上とわしは浪人し諸国を放浪。
のちに、前田家に戻るが、父上が亡くなったのを機会に、前田家を飛び出し、ブリタニアの地にたどり着いたという次第だな。
ブリタニアでは愛馬「松風」と共に、賭けや狩などをして楽しくやっておるよ。
わしの奇談がいろいろと残されておるようなので、この場を借りて紹介してみるとしよう。
天正十五年八月十四日父利久が死に、慶次郎と前田家をつなぐ糸はぷつりと切れた。
妻子は、七尾城主で妻の父、前田家三男「前田安勝」の元へ送り出した。
慶次郎は「さて...ふふ」と、どこか子供じみた忍び笑いを漏らした。
慶次郎がこのような笑いを漏らすときは何か妙なことを考えているときである。
前田家を去るにあたり利家に茶を馳走する為、朝から支度をしている。
「叔父上には日ごろより心配をおかけいたし申し訳なく思います。これからはまっとうに生きて行くつもりです。
ついては、拙宅にて茶を一服いかがでしょう?」
利家はこの申し出に喜び、約束の日時に慶次郎の家を訪ねた。
茶室に通された利家は慶次郎のたてる茶を飲み干した。
慶次郎は利家到着の直前まで茶室の戸を空けはなち、十分に寒気を取り込んでおいたのである。
この寒い中での茶は格別であったろう。
「今日はもう一つ面白い趣向を用意しております。このような寒い日に熱い風呂を用意したのですがいかがでしょう」
「そうか。それは何よりの馳走じゃ」
慶次郎は利家を風呂場へ案内する。
利家は早速着衣を脱ぎ、すぐにも風呂につかりたくてしょうがない。
「少々、おまちくだされ。まずは湯加減を」
そういうと慶次郎は湯殿に入った。湯をかき回し、手桶で水を足し、ようやく素っ裸で湯殿の外で待つ利家に
「よし、良い湯加減になりました。ささ、どうぞゆっくりとお入りください」
こういうと、湯殿からそそくさと出て行った。
「おおお。そうかそうか。ご苦労であった」
言うや否や利家はざぶんと風呂桶に飛び込んだ。
「うひぃやぁ!!」
熱い風呂と思ったのは実は冷水であったのである。
「えぇい!あの痴(し)れものをひっとらえろ!!」
だが、慶次郎はすでに裏口に繋いであった愛馬「松風」に跨り、小脇に朱槍を抱え
「じいさま。これが本当の年寄りの冷や水というのだ。はははは」
と叫びながら逃げ去るのであった。
天下の傾き者が世に解き放たれた瞬間である。
ある日、慶次郎が従者をつれて京の室町通りをぶらぶらと歩いていたときのこと。
慶次郎は派手な格好を好み、自然と派手な反物を扱う店には目が止まるのである。
今も、ある呉服だなの店先で色とりどりの反物を目にとめ、ふらりと店に入ったところである。
すると、大柄のでっぷりと太った店主が片足を店先に投げ出し、店の者と話をしているのを目にした。
反物の中にあるこの足は明らかに客にとって邪魔なものであった。
聞けばこの店主、傲慢で客を客とも思わぬ態度で有名だという。ただ、扱う反物が一流で、そのため遠く九州等からも
買い付け人が来るほどである。
慶次郎は朱色の派手な反物を手にとり、しげしげと眺めながら言った。
「ふーむ。なかなか良い反物だのぅ」
「ぐふふ。そうやろ。だが、高いで。ぐふふ」
店主は慶次郎が高価な反物を買えるほどお金を持っていないと思ったのであろう。
「ふむ。なるほど。では、わしでも買えそうなこの汚い足をもらおう。おやじ、店先に投げ出している以上、これも売り物だろうな」
主人はへらへらと笑いながら、
「そうや。だが百貫で売り申す」
「よし!買った!!」
と言うや、どかりと主人の足に座り、力をいれてひざ小僧をおさえつけた。
「いだだだ!」と悲鳴をあげる主人。
これには慶次郎の従者も驚いた。百貫といえば金で二十両、現在で6,7百万ぐらいであろうか。
「慶次郎の旦那。こんな薄汚い足に銭百貫とは、馬鹿らしいですぜ。おやめになったほうが...」
「ええい。この足百貫で買ったのだ。叩き切って四条河原にさらすのだ。さっさと家に行って金を取って参れ。
おお、そうだもう百貫払って2本とも頂こう。よしよし、さあ早く行かんか」
言い出したら聞かない慶次郎である。従者は渋々店を出て行った。
大真面目に言う慶次郎を見て店主も泣き喚いた。だが集まった人々はこの状況を面白おかしく眺めるだけで何も言わない。
とうとう騒ぎを聞きつけた町役人、町奉行が出向いてきた。
だが、彼らが懸命に詫びるが慶次郎はまったくの知らん顔である。
値のある商品を買ったのだから詫びをいわれる筋合いも無いし、返す必要も無いというのである。
結局、町中の詫び言として事なきを得たのだが、それ以来、京の町では足を投げ出すことは禁制になったという。
慶次郎の自慢は、いつも手入れを欠かさない愛馬「松風」である。
この「松風」、野生馬であった時分には悪魔の馬と恐れられ、軍馬調達を行う土地の者も困っていた。
当時、父前田利久と共に前田家を出ていた慶次郎は、実父滝川益氏の元にいた。
「うーむ。あの悪魔の馬とよばれる馬を何とかせねば軍馬が調達できん。何とかせんか!益氏。」
「しかし...悪魔の馬などを殺す役目、誰が引き受けましょうか...。」
益氏とその従弟で織田信長関東軍軍団長「滝川一益」は悪魔の馬の処分に困っていた。
しばらく考え込んだ益氏は
「ふむ...。おお。あやつがおりました。あの傾き者にやらせましょう。あやつは普段から素行も悪く、こういうときにしか役に立ちません。」
益氏は慶次郎を呼び、言った。
「慶次郎。お主今日は悪魔の馬を退治して来い。いたずらばかりでなくすこしは殿の役に立つ事をしろ。」
「はぁ、しかし殺すなんてできませんね。そんな馬なら飼い慣らして手前の馬に致します。」
「ええいっ!勝手にしろ!」
さすがに悪魔の馬と恐れられた馬だけに、容易に慶次郎を背に乗せることは無かったが、
毎日のようにやってくるこの奇妙な男を「松風」もついにはゆるした。こうして慶次郎は悪魔の馬「松風」をみごと飼い慣らしたのである。
この「松風」を贅を尽くした馬具で飾り、毎日のように従者に引き回させた。
行き交う人々は、その見事な漆黒の馬と馬具にしばし足を止め、慶次郎主従を見送った。
これを見た慶次郎、「ふむ..。ふふ」。なにか思いついたのである。
「おい、烏帽子と赤衣、赤袴を買うから店へやれ。」
と従者に馬を引かせた。
はたして、それら一式を従者に着せた上で、
「よーし。では、今度道行く者がおまえに、この馬は誰のだ?と聞いら、こう舞って大きな声で叫べ。」
と言うと、みずから足拍子をとり、
「この鹿毛と申すは、赤いちょっかい革袴、茨がくれの鉄冑、鶏のとっさか立烏帽子、前田慶次の馬にて候」
と、謡い舞った。
従者も最初は何で俺が..といやがったが、やって見るとなかなか面白い。
こうして従者が舞うほどに人垣は大きくなり、自然、慶次郎の名前が京のまちに知れ渡った。
慶次郎の従者に「吾助」という若者がいた。この吾助、誠実で従順であったが、それゆえ仏教にも熱心で、
所かまわず「南無阿弥陀仏」、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えるのである。
いつもの従事ぶりに不満はないのだが、この四六時中聞こえる念仏には慶次郎もうんざりしていた。
慶次郎はどうにかこの「南無阿弥陀仏」をやめさせようと一計を案じた。
「おーい吾助、吾助」
吾助を呼んだ。
「はい、なんでしょうか」
この時分に呼ばれるのは慶次郎が街歩きをするのだろうと、慶次郎お気に入りの派手な小袖と袴を抱え部屋に入った。
すると、
「ふむ、いや、なんでもない」
「はぁ、左様ですか...」
吾助は小首をかしげ部屋を出ていった。
すると、またすぐに慶次郎の呼ぶ声がする。
「吾助、吾助はおるか」
今度は、なにも持たず、すぐに慶次郎の元へ飛んでいった。
すると、慶次郎は
「いや、用は無い」
と、吾助を返した。
こんなことが3〜4回繰り返された。
さすがに吾助も困り果て、慶次郎に、
「旦那。先ほどから私をからかって、そんなに面白いですか?格別の用がないのなら私の名を呼ぶのはやめにしてください」
と言った。
すると慶次郎は、わしもお主に言って聞かせよう、
「なあ吾助よ、おまえは仏を信じ念仏を唱えておるが、四六時中、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と呼ばれている阿弥陀様は
あの世とやらでさぞうんざりしていることだろう。よいか、そうやって阿弥陀様へ迷惑をかけてよいものかよく考えてみろ。本当に心から
仏を信じるならば、念仏など唱えずとも、心の内で思っておれば通じるものだ」
と、吾助にさとすのであった。
慶長三年(1598年)八月、秀吉が伏見城で亡くなると、次の天下人の座をねらう家康は、伊達政宗、福島正則らと姻戚関係を結ぶなど、
秀吉の定めた法度を次々と破り、着々とおのれの地盤を固めていった。
家康に唯一対抗できる人物は、加賀前田家120万石の雄で、秀頼の後見人である前田利家である。
しかし、慶長四年(1599年)閏三月、前田利家も秀吉の後を追うように、この世を去った。
こうなると、政務は家康の思うとおりである。
まず、亡き利家に代わり秀頼の後見人となった前田利長を、大阪城から追い出し、自国金沢へ帰らせた。
その後、その利長に謀反の兆しありと疑いをかけ、加賀征伐の兵を挙げようとした。
驚いた利長は弁明の為、母芳春院(おまつの方)を江戸へ人質として出し、家康の謀略に組み伏せられてしまった。
次に家康に狙われたのは、上杉景勝である。
景勝は秀吉の死後、会津若松へ戻り、道路の整備や城の改築など、領国の経営にあったている。
越後の掘久太郎秀治らは、「上杉は領内の整備を行ない、堀を高くし、武具軍馬を調達し、各地から浪人どもを呼び寄せ、戦支度をしておるようです」
と家康に訴え出た。
これ幸いと、家康は上杉家に対して詰問の書状を突きつけた。
しかし、上杉家家老、直江山城守兼続はこの書状に対し、ことごとく反論した書状を書き送った。
有名な「直江状」である。
さて、このとき、上杉家に集まった浪人の中には名のある浪人が多数召抱えられていた。
その中に慶次郎はいた。
世は家康の天下と誰もが思っているところ、この上杉家は家康の喧嘩を真っ向から買ったのである。
慶次郎はこの大戦でぜひ自慢の朱槍を振るいたいと、やってきたのだ。
だが、慶次郎の脇に抱えられた朱槍は、上杉家では特に武功のあった者のみが許されるものだった。
それを見た、水野藤兵衛、韮塚理右衛門、宇佐美弥五郎、藤田森右衛門の、いずれ劣らぬ武辺者達が、
「あの慶次郎殿の朱槍はどういうことだ。われらは長年奉公しているがいまだに朱槍を許されておらん。慶次郎殿、朱槍はお止め下され」
と、難癖をつけた。
「ふむふむ、なんとも田舎侍とは嫉妬深いものだのぅ。されば、おぬしら四人とも朱槍を持ったらどうだ?兼続殿に頼んでやろう」
兼続は慶次郎のたっての願いということで、四人に朱槍を許した。
「前田慶次郎とは以外に腰抜けよのゥ。われらに言われたら、ほいほいと朱槍の言上に行きおった。ははは。」と、四人は上機嫌で帰っていった。
しかし、この四人の朱槍持ちは、今後、戦闘中、常に慶次郎と共に行動をするはめになったのである。
朱槍を持つものは武辺の証である為、一人が鎧武者の首を取ればそれにおくれを取る事は出来ない。
自然、五人は一つの小隊のように行動するのである。
こののち、最上との退却戦で、四人は慶次郎と共に大暴れをする。
そのとき慶次郎は「あははは。お主らに朱槍を持たせて正解だったわ。わしのよい援護役になっておる。ついてまいれっ!!」
四人は、はじめて慶次郎が朱槍を許した意味を知るのであった。
直江山城守兼続は多忙であった。上杉家の実質の軍議、政務はこの兼続が行なっていたと言ってよい。
今も、家康の上杉征伐に対する軍議を終え、城主上杉景勝への報告の為、城内の長い廊下を考え事をしながら足を運んでいた。
上杉家先代当主、上杉謙信の死後、当主の座を巡り、二人の養子「景虎」と「景勝」の間で争いが起こった。
「御館の乱」である。
兼続は若い景勝を推し立て、ついには、景勝を上杉家当主へと導いたのである。
それ以来、兼続は景勝から深い信頼を得、ついには若くして筆頭家老となった。
当然、そんな兼続をこころよく思わない古参の家老もいた。
今日の軍議でも、家康との交戦派の兼続と、和睦派の古参の家老とで、激論が交わされたところである。
結局、交戦派の意見をとり、景勝に承認を得る事となった。
「わしも、まだまだ若いな。あのような爺様たちに若造扱いされ、ついかっとなってしまった。あの人なら冗談の一つも言ってひらりとかわすのだろうなぁ。ふふ」
兼続は大阪で出会った男のことを思い出し、口の端がゆるんでいた。
秀吉の上洛要請を受け、景勝、兼続が大阪へ出立したときの事。
秀吉との面会も無事終え、用意された屋敷には、上方の大名が続々と景勝に挨拶にきた。
その中に前田家の者もいた。前田家は、上杉家と長年争ってきた、いわば宿敵である。
景勝、兼続は特に正装をし、前田家の使者を迎えた。使者もみな正装である。
しかし、そのなかに、家紋もはいっていない素袍(上着)を着、髪を茶筅に結った、武将が混じっていた。
それをみた上杉家の家老は、その茶筅の武将に問いただした。
「そなた。わが上杉家が、こうして古式ゆかしく正装をし、迎えておるというのに、その格好はいかがなものか」
するとその男、
「いやいや。ご老体、ようくごらんあれ」
そういうと、その家老の前に進み出た。
上杉家の者も、前田家の者も固唾を飲んでその様子を見守っている。
兼続が、
「この男、何をしでかすのか...。事が起これば...切るか」
そう思った瞬間、その男はこちらに振り向き、ニコリと笑った。
兼続は背筋に冷たいものがスッと通るのを感じた。
「こやつ。命を掛けて遊んでいる...。こんな男が前田家にはいるのか..」
家老は目を凝らした。
「ほれほれ、もっとよく見てくだされ」
すると、素袍の本来家紋のあるところに、なにやら白く動くものがある。
「ふーむ。なんだこれは。なにかおるが、これがいかがいたした」
「おお。見えましたか。これは、虱(シラミ)でござる。わが家紋はシラミであるゆえ、問題ないでしょう」
と、こともなげにその男は答えた。
そのやり取りを見守っていた一同は、どっと笑い出し、一気に場が和んだのである。
その男、もちろん慶次郎である。
慶次郎は兼続の方に一礼すると、シラミを払い、着ていた素袍を裏返した。
素袍の裏には家紋が縫い付けてあった。
「いやいや。失礼いたした。これにて前田家、上杉家の行く末も安泰であろう。はははは」
兼続は、この珍妙な男が、すべて計算した上でこのような遊びをしたことを知ると、いずれこの男を上杉家に迎えたいと思うのであった。
明日は上杉家中において、馬揃えが行なわれる日である。
「馬揃え」とは、近く行なわれる戦の前に、各人が馬を飾り、披露する式典である。現在、競馬場で、出走前の馬をパドックで披露するようなものでる。
披露する相手はその時の戦により、天皇であったり、時の権力者(信長や秀吉)であったりと様々である。
このたびは上杉家の戦である為、上杉家当主景勝への御披露目という事になる。
当然、慶次郎にも、明日の馬揃えに出席するよう、御達しがあった。
慶次郎の愛馬「松風」は、漆黒の馬体に長いたてがみをなびかせた評判の馬である。
家中の者は、慶次郎がどのような馬具で松風を飾るのか一目見ようと、たいした用もないのに訪ねてくるのであった。
それをうっとうしく感じた慶次郎は、一計を案じ、庭先に粗末な馬具一式を飾らせ、訪ねてくる者に、
「お金がないので、あの馬具で馬揃えに出席するつもりです」
と答えた。
実際に明日の馬揃えに使う馬具は、一月前から大和の鍛冶屋に発注していた。
従者はその馬具を引き取りに、町外れの橋のたもとの茶店に出向いた。
半刻ほど待つと、橋の上に三頭の馬を引いた商人風の男が現われた。
「いやいや、遠いところご苦労様でした。これが旦那が注文した馬具一式ですね」
「へえ。ですが、こんなもの一体何に使うのです?わしの店でもこんな注文ははじめてですので、お気に召していただけるかどうか...」
従者は代金を払って、荷台に馬具の入った箱を積み、慶次郎の家へと帰ってきた。
「おお。来たか来たか。どれどれ」
慶次郎はうれしそうに馬具の箱を開け、中の馬具を手にとって満足そうに眺めた。
「よしよし。良い出来だ。これを明日付けて出席するので用意をしておけ」
従者は、その馬具をみて仰天した。
「だ、だ旦那。こ、これは...」
「ふふふ。耳を貸せ」
慶次郎は明日の馬揃えの手はずを従者に伝えると、上機嫌で町歩きに出かけてしまった。
「はぁ...。旦那はまったく子供だな...」
馬揃え当日。
家中の者が、色とりどりの馬具に飾った自慢の馬にまたがり、次々と御披露目をしていく。
粗末な袖なし黒染服を着て、慶次郎もその御披露目の列に並んだ。その様子を見た、上杉家の馬廻り頭は、慶次郎のもとに飛んできた。
「け、け、慶次郎殿!そ、それはなんでござるか!」
「ああ。これか。これは牛だのぅ」
なんと,慶次郎は荘厳な馬具(この場合牛具か)に着飾った牛にまたがっていたのである。
「そんなの見ればわかります!!馬揃えに牛とはなんだと聞いておるのです」
「そうかそうか。あははは。わしは小禄ゆえ、馬を飼えないのだ。それゆえ牛を飼っておるのだが、戦時に役に立てば、馬でも牛でもよいのであろう」
そういうと、その牛にひとむち入れた。
すると、その牛、普通の馬に勝るとも劣らない足取りで、場内を駆け回り、ぐるりと一周すると、ぴたりと止まった。
その手綱さばきの見事さに、景勝以下、一同、さすがは慶次郎殿、と絶賛したのである。
関ヶ原の合戦後、上杉家に身を寄せた慶次郎は、米沢で花鳥風月を詠む生活を送っていた。
ある日、地元の肝煎(庄屋)で太朗兵衛という者から、新築祝いに慶次郎を一番の客として迎えたいと使者が来た。
太朗兵衛の家とは普段から交流があり、慶次郎もよく従者を使いに出していた。
「おお。それはそれは、祝着至極であるのぅ。わかった。祝いの品を持って伺おう」
使者は慶次郎の快諾を受け、喜んで主の元へ帰っていった。
慶次郎は従者を呼び、
「ここに書いたものを太朗兵衛の祝いの日までに用意しておいてくれ。特にこの大斧は忘れずにな」
「旦那ぁ。この、反物や箪笥(たんす)は判りますが、祝いに大斧とは...」
「いいから、用意しておいてくれ」
従者はまたいつものことだと深く理由も聞かず、手配をするのであった。
当日、慶次郎は太朗兵衛の寄越した使者とともに新築の庄屋屋敷へ向かった。
「さすがは慶次郎様です。これだけの品をご用意していただけるとは」
太朗兵衛の使者は、従者が引く荷台に乗せられた品々を見て言った。
檜の香りが漂う広間で、主人の太朗兵衛が挨拶をした。
そして、今日の上客である慶次郎を紹介した。
慶次郎は手にした杯を一気に空け、立ち上がると、祝いの言葉を述べた。
「いやいや。このたびは、このような祝いの席に呼んでいただき、ありがたいことである。
新築祝いに、これからわしが、御家繁盛、家内安全のまじないをしてやろう」
そう言うと、従者に大斧を用意させた。
一同、慶次郎がなにか祝いの儀式でもするのかと、興味深く見守っている。
従者から大斧を受け取った慶次郎は、
「そりゃぁ!!」
と叫ぶと、おもむろに家の真中の柱にその大斧を打ち込んだ。
それを見た太朗兵衛は、仰天し顔を真っ赤にして怒り出した。
周りの者も非難の声をあげた。
「まぁ落ち着いて聞け、太朗兵衛よ。お主はこれまで、律儀に商いをし、こんなに立派な屋敷を立てるに至った。
これは、まことにめでたい事である。だがな、太朗兵衛。これで満足しては、そこが頂点で、あとは転がり落ちるばかりである。
この柱の傷を眺めて、今日わしが言ったことを思い出し、日々精進を続けることが、
御家繁盛、家内安全の元と言うものである」
太朗兵衛も、一同もなるほどとうなずき、以後、太朗兵衛も精進を怠らず、末永く繁盛したという。
慶次郎が京にいたころの話。
当時の風呂屋というのは、現代の銭湯のようなものではなく、サウナのような蒸し風呂であった。
その風呂屋に仕える垢掻き女と呼ばれる女に、竹でできた長ヘラで垢を落としてもらうのが、慶次郎の毎日の日課になっていた。
ある日、いつものように風呂屋の脱衣場で主人と話しをしていると、三人の若い傾奇者がどやどやと入ってきた。
「おいおい。聞いたか。なんでも、前田利家の甥とやらが、この京の都に住み着いておるそうだぞ」
「わしも聞いたことがあるぞ。五条河原で酒盛りをしたり、傾奇者の私闘を禁止したりと目障りなことだのぅ」
「まったくだ。だが、奴はかなりの傾奇者で腕も立つらしいぞ」
「ははは。なんのなんの。わしらが三人でかかれば一ひねりじゃ」
慶次郎はそのやり取りを聞きながら、三人のきらびやかなふんどしに目をやった。
「ふむ..。いやな餓鬼どもだ。三人でってとこで負けておるのもわからんのか..。主人、ちと頼みがあるのだが...」
慶次郎は主人にそういうと、なにやら耳打ちをした。
やがて、三人の傾奇者は慶次郎の話題で盛り上がり、風呂場へと入っていった。
慶次郎も後に続き、風呂場に入ると、早速垢掻き女を呼んだ。
ちなみに、ふんどしは着用したまま入るのがこの時代の風呂の作法である。
「おいおい、あいつのふんどし見てみろよ。真っ白だぞ」
「ははは。なりは傾いておったが中身はちんけだのぅ」
すると慶次郎、何食わぬ顔で、どかりと三人の向かいに座った。
「お、お、おい。見ろ!」
一人が驚き声で言った。
「こ、こやつ!ふんどしに脇差を差しておるぞ!」
三人は風呂場から飛んで出ると、おのおの自慢の脇差を手にして戻ってきた。
慶次郎は、三人が戻ってきたのを見ると、おもむろに手にした脇差を抜き放った。
「ぬ、抜いたなぁ〜。殺るか!」
すると、次の瞬間、三人の傾奇者は度肝を抜かれた。
なんと、慶次郎は持っている脇差でがりがりと自分の体を掻きはじめたのである。
「あ〜、気持ちがいいのぅ。ほれ、背中はおぬしがやってくれ。そうそう、うまいぞ」
そう言って持っていた脇差を垢掻き女に渡すと、
「おい、女!その脇差をよこせ!」
一人が垢掻き女の手から脇差を奪い取った。
「な、なんだこれは?!」
「ああ、それかい?ここの主人に言って、わし用にこしらえてもらった物だ。脇差の形だと使い勝手が良いのでね」
「ふぬ〜。そ、そうであるか。なかな傾いておられるのぅ」
「あはは。そうかい。ところでお主たち、脇差なんか風呂場にもってきて、そんなことをしたら、つかも鞘も手入れが出来なくなるぞ」
「は、はは、まぁ、その、あれだ、近頃は物騒だからな。用心のためだ」
三人はそそくさと風呂場を出て行った。
すると、垢掻き女が慶次郎に聞いた。
「なんであんな餓鬼相手にこんな危険なことまでして遊ぶんです?」
「ああ。あいつらのふんどしを見たかい?あれはいけない。ふんどしは男が最後まで肌につける代物だからな。
真っ白でなくてはいけないんだよ」
「はぁ、そんなもんですか。おなごのわたしには良くわかりません」
「ははは、ま、心構えが大事って事だな」
そう言うとまた垢掻き女に体をあずけた。
ある日、京の慶次郎の屋敷に、細川家に出入りをしている問屋の息子、彦六という若者が尋ねてきた。
「問屋の息子がわしに何の用だ」と、慶次郎は若者が訪ねてくる理由がわからぬまま、彦六を部屋によんだ。
「はじめまして。わたくし細川様のお屋敷に出入りさせていただいております、呉服屋の彦六といいます」
若者はさすがに問屋の息子というだけあって、礼儀もなっていて、慶次郎はこの若者に好感を持った。
「ふむ。で、わしに何か用事かな?」
「はい。実はわたくしの家は代々呉服屋を営んでおりますが、先ほどわたくしの父が病気で亡くなり、その家長の座を引き継いだのですが、
父に付いていた使用人の中には、わたくしが家を継ぐのをこころよく思わない者もいるのです」
ははぁ、若いうちに家を継いだことで周りからの嫉妬も激しいのだろう、と慶次郎は思った。
ましてや、あの女系で有名な細川家に出入りしているとなれば、あらぬことを女共に吹き込んで、若い主を追い出そうとするのだろう。
細川家は現在の頭首、細川忠興が妻玉子(細川ガラシャ)への異常なまでの愛情ゆえに、一歩も外へ出さず、屋敷内に女性ばかりの奥を築いていることで有名である。
女に嫌われたら、それこそ商売上がったりである。これは、今日の日本の会社にも言えることだが...。
「はぁ、いやな世界だのぅ」
「ええ。ですが、わたしは家を守らねばなりません。ですが、このところ心労が激しくて、商売にも身が入らないのです」
なるほど、どうも初めて若者の目を見たときにどこか覇気のなさを感じたが、これが原因か。
「先日、京の町で傾奇者達がうわさしているのを聞きました。なんでも、あの秀吉様から傾奇御免のお墨付きを頂いた方が京にいるとか。
このような自由な方とお話が出来れば、何か得るものがあるかと思い、その傾奇者たちに前田様のお宅を聞いた次第であります」
「うーむ。わしは阿弥陀様やデウスではないんだぞ。それに、わしは問屋や庄屋などの堅苦しいことはからっきしだしのぅ」
「申し訳ありません。わたくしの勝手な思い込みでここまでやって来てしまいました」
「よし。では、おぬしにひとつ聞こう。犬や猫と人とはどこが違うかわかるかな?」
「えっ..と、人は2本足で歩く...とかですか」
「ふむ。それもあるな。だが、ちと違う。人は後悔や嫉妬、希望という感情を持っておるということだ。これがまた厄介な代物で、それのために人は他人を殺めたり、
自分で自分の命を絶つといった愚かなことをするんだ。さて、おぬしは、今が一生の中で一番つらいと思っておるかな?」
「はい。生きてきて今が一番つらいです」
「そうかそうか。では、2番目はどんなときかな?」
若者は少し考え、
「子供のころに細川様のお屋敷で小姓の方々にいじめられていた時です」
「うむ。だが、今その小姓たちのやっていたことを思い出してみろ。どうだ。たわいもないことであろう。なぜあの時はあんなことで辛かったのか、と。」
若者はすぐに慶次郎が何を言いたいのかが判ったようで、はらはらと泣き出した。
「おいおい。わしの話はまだ終わっておらんぞ。おぬしは頭が良いのだな。そうだよ。人というのは辛さやうれしさも学ぶという特技を持っているんだ。
おぬしが今、お家騒動で四苦八苦しておることも、後になればきっとおぬしの力になっておろう。人間落ちていると思っているときは、実は人としての価値が上がっておるのだよ
逆もまた然りだがのぅ。あははは」
「は、はい。ですが前田様は、うわさでは鬼神のごとく強いと聞いたのですが、やはり今のお話のように辛い修行をなされたのですか?」
「はははは。虎や狼が修行をするかね?わしは寝たいときに寝、喰いたいときに喰うという生活だから気をもむこともないんだよ。だから、おぬしのような商売はさぞかし辛いだろうと思うよ」
「なんとも。前田様はうわさ以上のお方で、お会いできたことを心から感謝いたします」
「ま、心がきつくなったらまた来るがいいよ。そのときは茶でも馳走するからな。あはははは」
若者は晴れ晴れとした気持ちで慶次郎宅を後にした。
だが、慶次郎は思うのである。生と死の狭間に生きている、虎や狼の悩みはそれはもう凄まじいものだと。
そしてそれは、おのれの漠然とした野生の感覚に似ているのだろうと...
織田信長が、本能寺で家臣明智光秀に討たれた後、その明智光秀、ついで、織田家最家老「柴田勝家」を北の庄城にて打ち破り、
実質上の天下人となった羽柴秀吉(豊臣秀吉)は、後陽成天皇を京に迎えるため、壮大な城郭「聚楽第」を作らせた。
その聚楽第の謁見の間に、秀吉をはじめ、前田利家、徳川家康、池田輝政等、豊臣家重臣たちが緊張の面持ちで、ある男の登場を待っていた。
特に前田利家は、冷や汗をかいたり咳払いをしたりと落ち着かない様子である。
それを主人の座に居る秀吉は面白そうに眺めている。
先日、前田利家の甥に慶次郎という面白い男がいると聞いた秀吉は、ぜひ会ってみたいので参内するようにと利家に申し付けたのである。
利家は、あの傾奇者を秀吉の御前に召し出したら何をするかわからないので、前もって慶次郎に言い聞かせたのであった。
「当日は関白様のご機嫌を損ねぬよう、立ち振る舞いに気を付けよ。決して傾いた事などするなよ。」
すると、慶次郎、
「いやぁ。ははは。手前は犬猫とは違い、感情を持った人であるゆえ、気にくわなければ怒りもするし、泣きもいたしまする。
そのような約定は守れませんなぁ。あはは。ま、叔父御殿には悪いようには致しませんのでご安心を。へへへ」
そう言うと、そそくさと出て行った。
そして当日。
「うーむ。遅い!前田慶次郎はまだか。」
秀吉が利家に聞く。
「はっ。しばらくっ。」
(ええい。慶次郎め。なにおしておる。早うでてこんか)
やがて、従者に案内されて慶次郎が入ってきた。
「前田慶次郎利益殿、お目見えにございます」
その慶次郎の姿を見て利家は一気に血の気が引いた...。
髪は片方に引き寄せ正面を向くはずのちょんまげが、横に向いているのである。
また、召し物も虎皮の上着でなんとも傾いたいでたちである。
「あははは。慶次郎。なんとも傾いた男と聞いておったが、格好だけだのぅ」
秀吉が言った。
「ははぁ」
慶次郎が平伏した。
その瞬間、この男が、命がけでこの場に来たことを秀吉は悟った。
慶次郎は畳に頭をこすり付けるほどに平伏してはいるのだが、頭は横を向き、ちょんまげだけが秀吉に相対しているのである。
これには秀吉もその場にいた一同も「あっ」っと息を呑んだ。
そして秀吉がこの男を切ることを望んだ。
だが、秀吉も天下人である。
ここで怒っては居並ぶ大名、家臣達に自分の度量が知れるというものである。
「なかなか、面白い趣向であるのぅ」
「ありがたき幸せ。では、舞を一指し..」
そう言うと、ひらりと立ち上がり、自ら調子を合わせ舞い始めた。
この舞を見て、再度、一同がぎょっとなった。
なんと、慶次郎の舞は猿回しを表現したものであった。
さすがにこれは秀吉も捨て置くわけには行かなかった。関白のこけんに関わるのである。
切るか...と秀吉が思った瞬間、慶次郎の一にらみが秀吉を凍りつかせた。
「こやつ、わしを殺すつもりだ....」
「くっ!さすがに天下人秀吉殿だ..気づきおったか...」
慶次郎は秀吉殺害をあきらめ、どかりとその場に座り込んだ。
「慶次郎。なぜだ?」
居並ぶ諸大名にはこの、「なぜ殺すのか」という問いの意味がわからない。判るのは秀吉と慶次郎だけである。
「ふーむ。なぜ...といわれても、しいて言えば傾奇者の、いや人としての意地でござろうか...」
人が人を呼びつけて、さらし者にしていいわけがない。それを慶次郎は身をもって秀吉に伝えたのである。
自分の意地を通すには秀吉を殺す以外にないのである。
「そうか。その意地貫き通すつもりかな?」
「手前にも判りませぬ。ははは」
「なるほど、形だけでなく、肝も傾いておるのう。おぬしの叔父、前田利家殿も若いころ傾奇者と呼ばれておったが、おぬしの傾奇様はそれ以上だわ」
「いえいえ。前田利家様は、亡き織田信長公の赤母衣衆筆頭として活躍はなはだしく、とても拙者には及びも付きませぬ」
「ふむ。気に入った!馬を取らせよう」
「ありがたき幸せ。では、半刻ほどお待ちください」
そう言うと、慶次郎はそそくさと退出していった。
この間、利家は冷や汗をかきつつ、「慶次郎めうまいこと言いおった」とほっと胸をなでおろしていた。
そして半刻後、今度はきっちりと正装をした清楚な武者がそこに居た。
「ほほう。見違えるものだのぅ」
「此度は傾奇者には要はござらんと思いましたので」
「うむ。今後どこででも、心のままにその意地を立て通すが良かろう。わしが許す。よいな、又左(利家)殿」
このうわさはたちまち京の都に広まり、傾奇御免の御墨付きをもらった男として一躍有名になったのであった。
太閤秀吉は晩年、加藤清正ら諸大名を朝鮮へと出兵させた。
これは、太閤が(淀殿との第一子をなくした悲しみから)もうろくしたからとも、
恩賞として分け与えるための褒美(土地)が国内にとぼしくなったからとも言われているが、実のところは解釈がまちまちである。
そんな中、上杉家にも朝鮮出兵の命が出されたが、釜山城の修復後、すぐに帰国を命じられた。
そして、帰国後、伏見城の築城をするようにとの命を受けた直江兼続は、
「太閤もなかなか考えましたな。われらの財を減らすことで、武力を抑えようとの魂胆でありましょう」
と景勝に漏らした。
「まぁ、そういうことだ。来春には京へ上るゆえ、万事たのんだぞ」
「はっ」
そして翌年の春、景勝は京へ発った。
その間、慶次郎は留守居である。
朝鮮半島で大々的に暴れられると思っていた慶次郎は、毎日くさくさしていた。
そうなると、遊びに出かける回数も増える。
家中の若い連中を連れて繁華街へと繰り出し、女を呼び景気よく遊ぶのである。
供をする若衆もさすがに慶次郎の遊びが過ぎるので、
「そろそろお家へ帰りませんと、お家の方たちが心配致しまする。もう3日も家に帰っておりませんぞ」
すると、
「いやいや、大丈夫。こうやって酒を飲み、博打をすることは、わしの身を助けるいわば仕事のようなものだからのう。はははは」
「はぁ?」若い武士たちはわけがわからない、といった顔である。
「なんだ、素っ頓狂な顔をするな」
「はぁ、おっしゃることがいまいち...」
「ふむ。それは頭が悪いからだ。もっと酒を飲め。ほれ」
そう言うと、若者の杯になみなみと酒を注いだ。
若者はその酒を一気に空けると、また聞いた。
「酒を飲むと頭が良くなりますか」
「うむ。なかなかの飲みっぷりだ。もうひとつ頭の良くなる秘訣を教えてやろう。それは博打だよ、ば・く・ち。それでもっと良くなるぞ」
「へーえ」
若者一同も、揚屋の女たちも慶次郎の話に引き込まれてきた。
「でも、どうして酒と博打で頭が良くなるのさ」女が聞いた。
「ふふふ。なによりもわしがいい証拠だろ――――まぁ、聞け。酒の場というのはいろいろな者たちが出入りをしておるだろう。
武芸者、傀儡子、旅商人。連中の話をよーく聞いているとおのずと天下の情勢、民の声もわかるというものよ。
そして、博打だが、これはもう、天下取りと同じだな」
「酒の話はわかりましたが、博打が天下取りとは、ちと大仰過ぎませんか」
「なんのなんの。ほれ、こたびの太閤の朝鮮出兵。あれはどうみても大博打であろう。あれだけの博打を打てるのだから大したものよ」
「それもそうねぇ。でも慶さん、朝鮮では虎退治の清正公が連勝と聞いたけど、これでは賭けにならないんじゃなぁい」
「ふふふ。そこが、博打の面白いところでな。今は羽振りが良いように見えるが、そのうち...」
「負けますか?」
「負ける。ここでさっと引いておけばよいものを、博打下手のやつにはそれができん。もうすこし、もうすこしと追ううちに、夢中になって
結局すっからかんになって、がっかりするのが落ちよ。戦も博打も熱くなったら終わりだよ」
「太閤様は博打下手でありますか」
「うーむ。昔は良い博打を打ったし、引き際も見事で、亡き信長公に幾度となく勝利を捧げたらしいが、もうだめだな。
若い淀君に魂をぬかれ、もうろくしたひひじじいに、博打の駆け引きをするだけの気力も考えも残っておらんだろう。はははは」
「ひっ、ひひじじい!!」
一同あきれて目を見張った。
太閤秀吉にこれだけの暴言を吐くのは慶次郎だけであろう。
織田信長亡き後、天下取りに乗り出した秀吉は、前田利家と共に加賀征伐を行った。
慶次郎は、父利久と共に、この頃前田家に帰参したといわれている。
当時、隣国の猛将、佐々成政との間に幾度となく小競り合いが行われていた。
有名な末森城の戦いもこの頃のことである。
慶次郎は当然、これらの戦に参加。数々の武功を立てた。
利家は、慶次郎の武功もさることながら、常々、兄利久の目の黒いうちに慶次郎を城持ちにしてやりたいと思っていたので、
この機会に越中阿尾城を呉れてやった。もちろん、守りのための城主であるので、一国の主ではないが...。
慶次郎は、城持ちになどこれっぽっちもなりたいとは思っていなかったが、父利久の為にと、城主になることを受け入れた。
「うーん。このわしが城持ちとはのぅ...。これでは今までのように気ままに街歩きや釣りができないではないか。困った...」
自分を養うので精一杯。そんな俺が、民百姓、家来達を養っていけるのか....。
そんなことを考えるたびに、心底暗い気持ちになるのであった。
阿尾城に入った慶次郎は、ほとんど城内に居る事はなかった。
ふらふらと城下に出ては、博打をしたり、酒を飲んだりと、遊びほうけていた。
だが、そんな気楽な暮らしも一時であった。
阿尾城を奪われた佐々成政の軍勢が、水軍を用いて城を攻め立てはじめたのである。
慶次郎はこれを難なく追い返すが、すぐに兵を整えてやってくる。
「次から次へと、これではらちがあかんのぅ。」
相手のしつこさに嫌気がさし、一思案した慶次郎は、家来二人を書斎に呼んで一刻ほど密談をした。
「さぁて。たのしくなるぞ。へへへ」
心配げな家来達をよそに、慶次郎は一人うれしそうに笑った。
それから一月の間、慶次郎は毎日のように、家来を一人連れ、粗野な召し物でどこかへ出かけていった。城に帰って来ないこともしばしば。
「はぁ。わが城の主はなんとも心もとない....。利家様の甥ということで頭に乗っておられるのか」
利家付きの家来衆の中からそんな声が聞こえてきた。
前回の襲撃から1月あまり経った頃、また佐々の水軍が押し寄せてきた。
慶次郎は、今回も派手な青地麻の陣羽織姿で高見櫓に登り、遠く富山の海に浮かぶ敵船を眺めていた。
数は20艘。
すると、開戦を告げる法螺の音が海風に乗って聞こえてきた。
慶次郎はそれに呼応するように、城内からも法螺を吹かせた。
弓矢隊500、大砲10、鉄砲隊100という陣容である。
前日の軍議で、おもだった家来衆は、
「なんとも心もとない陣容であります。利家様に援軍を頼んだほうがよろしいのでは」と言った。
だが、慶次郎は、
「いやいや、あれしきの相手を打ち返すのに、わざわざ叔父御の手をわずらわせたくはないでのぅ。
わしに考えがある。だから、皆、明日は大船に乗ったつもりでいてくれ。まぁ、わしの大船ならば、あちらの小船は粉みじんであろう。あはははは」
からりと言った。
家来衆は、こんな戦で命を落としたくはない。慶次郎に作戦の仔細を問いただしたが、
「まぁ、おたのしみ、おたのしみ」
それっきり、軍議を終えてしまった。
さて、櫓上の慶次郎。敵船が湾内に差し掛かるのを見て取ると、すべての守兵を城の西側に集めるよう下知した。
それを受けた家来衆らは一様に、「そのような陣立ては見たことも聞いたこともありませぬ。東に回られたら我らは丸裸。何をお考えか!」
と、櫓上の慶次郎にむかって叫んだ。
だが、命令撤回はなかった。
しぶしぶ、陣立てを整えた頃、敵船が湾内に入った。
するとどうであろう。敵船はみな、城の西、城兵がびっしりと待ち構える方へ旋回しはじめた。
城内からはどよめきが走った。
「なんと!わが城主様の策は見事的中。まるで敵陣を見てきたかのような采配じゃ」
だれかがそう言ったとき、家来衆の一人が、
「あっ!も、もしや...」
と叫び、海上の敵船に目を凝らした。敵船の周りには戦目付けらの乗る小船が浮いている。その中に、
「ま、間違いない。あれは、慶次郎殿だ!す、すると、今我が陣内で采配を振るっておるのは...」
そうである。慶次郎は1月の間、阿尾城から抜けてきた城兵と偽って、家来一人を相手方の水軍の衆に忍ばせ、
こともあろうか阿尾城攻めの指南をさせたのである。もちろん嘘の情報だが。
その家来から、開戦日を聞きだし、当日、こっそりと敵方に忍び込んだのである。
敵の城主といっても、一般の兵が慶次郎を知っているはずもなく、何食わぬ顔で混ざることが出来た。
城からは一斉に矢玉を撃ちかけ、不意を付かれた敵方は反撃するまもなく次々と打ち砕かれていった。
「よーし、あらかた沈んだかのぅ。ふふふ。城方ではそろそろわしの代役がばれておろう。さて、一働きして城に戻るとするか」
そういうと、つれてきた供廻りの一人に目くばせし、同乗している戦目付けらを海に叩き落し岸へ向かって漕ぎ出した。
その後、利家からはこっぴどく叱られ、また、これ幸いと、そのことを理由に城を返上してしまった。
「ふう。やっと、いやな役から外れることが出来た」
上杉家が各地の牢人を雇っていた頃。
慶次郎がいつものように城下町の揚屋で女たちと酒を飲んでいると、どうも通りが騒がしい。
「なんだなんだ。喧嘩か?ちと、表へ見てきてくれないか。興が醒めてしまうわい」
店の御用男にそういうと、また酒をあおり、女の弾く三味線の音に耳を傾けた。
しばらくすると使いに出した男が帰ってきて言った。
「最近この界隈に無法者があらわれ、つまらぬ因縁をつけては酒代を踏み倒すという噂は聞いていたのですが、
その男が、そこの酒場に現れたようです。なんでも、さんざん飲み食いをした挙句に、酒徳利の中に鼻毛が入っていたとかで...」
この無法者、常に鼻毛を伸ばし、あろうことか自分の鼻毛をむしって酒徳利に入れて騒いでいたのである。
付いたあだ名も「はなげ」、そのままである。
「あはは。この城下にそのような者がおったのか。直江殿もいろいろと人集めに苦労しておるようだのぅ」
そう言うと従者を呼び、そのはなげのあとをつけるように指示した。
「みんな、見ておれ。わしがそのはなげとやらに一泡食わせて進ぜよう」
女たちは慶次郎の奇行や傾きぶりは十分知っているため、拍手喝采し大いに盛り上がった。
その帰り道、従者ははなげの良く行くという酒場を調べ上げ、明日も来るらしいとの情報を慶次郎に伝えた。
「よし。でかした。早速明日はなげに会ってみるか。ふふふ」
慶次郎が一人酒をやっていると、ぼうぼうと鼻毛をのばし、髪もぼさぼさ、ひげも伸び放題の男がふらりと入ってきた。
「おやじ!酒だ!」
なんとも、横柄な男である。
「お?良いところで出会った。そこのおぬし」
慶次郎ははなげに呼びかけた。
「なんじゃ。わしか?」
「そうじゃ、そうじゃ。おぬしのことは聞き及んでおる。ちと頼みがあってな」
そういうと、自分の猪口と徳利を持ってはなげの向かいに座った。
「まず、一献。ささ」
はなげは、「うむ。気がきくのう。して、わしに頼みとはなんじゃ」
慶次郎の差し出した酒を一気にあおると機嫌よく聞いた。
「実は訳あって、おぬしの鼻毛を売ってくれぬかと思ってな。聞けばおぬしの鼻毛は相当に有名らしいからのぅ」
「なぁんだ。そんなことか。ほしいというなら売ってやろう。だが、こんなもの何に使うのだ?ま、わしには関係ないがな」
「そうかそうか。承知してくれるか。どれどれ...」
そういうと慶次郎ははなげの鼻毛をしげしげと眺めた後、
「うーーむ。惜しい。惜しいのぅ。少し長さが足りんようじゃ。あと一月もすればよいあんばいに伸びるかのぅ。
そしたら、金壱両で買ってやろう。まずは手付けとして半金の二分を渡そう。一ヶ月したらわしの家に来てくれ。そのときに鼻毛と引き換えにもう半金をくれよう」
はなげは二分銀を懐に入れ、大喜びで帰っていった。
そして一ヶ月が経ったある日。
はなげは慶次郎を訪ねて来た。
「ごめん!前田慶次郎殿はご在宅か!」
「おお。よう来た。よう来た。待っておったぞ。どーら伸びたかのぅ?」
といいながら、鼻毛を見たが、
「うーむ。もう少々長さがほしいとこだのぅ。よし、少し肥料をくれてやろう。そうすればたちまちのうちに伸びるぞ」
といって、庭にムシロを敷き、そこにはなげを寝かせ、従者たちに手足を押さえつけさせた。
はなげは、これから何が始まるのかと不安げである。
それを見た慶次郎は、
「なぁに、心配することはないぞ。すぐに終わるからな。そしたら金を支払ってお役御免だ」
それを聞いてはなげは安心した。
すると、従者の一人が裏のかわやから小便を汲んで来た。慶次郎はそれをひしゃくにすくうと、なんと
はなげの顔にざばざばと掛けはじめた。
「肥料だから少し臭いが、がまんがまん。終われば金になるぞ」
そういってひっきりなしに掛けるので、身動きの取れないはなげは、抵抗も出来ずに
「助けて!助けて!」
と、叫ぶばかりである。
それを見た慶次郎は、
「うむ。肥料も効いたことだし、もう放してやれ」
従者ははなげを解き放った。
ふらふらと立ち上がったはなげに慶次郎は、
「こら、はなげ。おぬしの所業は町のものから聞いて知っておる。
つまらぬ因縁をつけては酒代を踏み倒し、喧嘩をし、弱いものいじめをしておるそうな。
これを機にそのようなことはやめると誓え。もし、これに懲りずにまた悪さをしたら、今度はその首落としてくれる。わかったな」
はなげも恐れ入った様子で、
「わたしが悪うございました。これからは性根を入れ替えます。ご勘弁を」
と、頭を地面にこすりつけ、泣きながら詫びを入れた。
それを聞くと、「ほれ、残りの金だ」ポンと2分銀を与え、
「よし、水を掛けてやれ。臭くてかなわん。それと、鼻毛も切ってやれ。見苦しいぞ」
と言ってはなげを洗ってやった。
この噂はたちまち巷に流れ、町内での無銭飲食はめっきり減ったという。
慶次郎はその武辺もさることながら、源氏・伊勢の秘伝を受け、茶の湯、和歌の道にも明るかった。
無苦庵の改築も無事終わり、以前にもまして趣のある庵になったと喜んでいたころ...
「ふーむ。なかなかよい茶室が出来たぞ。そうだ、茶をたてるための水を張る桶を見立てに行くか」
そう言うと、朝早くに松風にまたがりいつもの町歩きをはじめた。
慶次郎の町歩きは非常に気まぐれで、興味深いものがあるとふっと路地に入ったり、突然立ち止まったりするのである。
以前、前田利家の放った忍びが慶次郎を尾行したが、ついに見失ってしまったほどである。
しばらくうろうろしていると、慶次郎に話しかけてきた女がいた。
「何をお探しでしょう?よかったら私がお力になりましょう」
「おお。それはかたじけない。水を張る一抱えほどの桶のようなものを探しておるのだが...」
女は卑弥呼と言った。大きな龍の化け物を連れ、炎の馬にまたがったいでたちである。
卑弥呼は慶次郎を自宅へと案内した。
慶次郎は松風を表につなぎ、卑弥呼の家に上がりこんだ。
「ほほう。なかなかよい家だねぇ」
「ありがとうございます。いま、お望みのものを作りますのでしばらくお待ちください」
「うむ。では、少し店を見させていただくよ」
しばらく店の中で商品を見ていると、卑弥呼が、
「はい。できました。これでよいですか?」
と、出来上がった水桶を差し出した。
「おお。いいねぇ。早速使わせていただくよ。して御代は?」
慶次郎が代金を払おうとすると、
「いいえ。これしきのことで御代はいただきません」
「うーむ。そういう訳にはいかんのぅ。では、今度わしとサイコロ博打をただでいたそうか。はははは」
「はい。そのときはよろしくお願いします」
水桶を手に入れた慶次郎は、卑弥呼の家を後にした。
無苦庵に戻った慶次郎は、早速先ほどの水桶を取り出し、水を張って茶をたてた。
「ふむ。うまい」
慶次郎の点前は礼儀作法などにはのっとっていない。
「茶など美味く飲めればそれでいいんだ。わび?さび?そんなかたっくるしいのは嫌いだ」
それが慶次郎流だ。
ひとしきり茶を楽しんだ後、所用の為、徒歩で出かけていった...
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夜もとっぷりと更けた頃、酒もしたたかに飲んでいい気持ちで帰ってきた...つもりだったが、
「おや?ここは..たしか...」
そう、慶次郎は今朝水桶を作ってくれた卑弥呼の店の前に来ていたのである。
「ふむ?酔ったかのぅ...それとも物の怪に化かされたか...」
いろいろ考えたが一向にわからない。とりあえず、無苦庵へと向かった。
無苦庵に着いた慶次郎は、愛馬「松風」がいないことに気が付いた。
「な、なんとしたことか...」
従者を呼び松風のことを聞いた。すると、従者は、
「何を言っておられるのです。今朝乗って出かけたままではないですか。一人で酔って帰ってきて...町に置いてきたのではないですか?」
「な、なに?」
そういうと、今朝頂いた水桶を確認しようと茶室へ向かった。だが、
「な、無い!水桶が無いぞ!も、もしや、先ほど卑弥呼殿の家にわしが行ったのは道に迷ったのではなく、今朝の時点まで時間が戻ったと言うのか...。す、すると、松風は...」
慶次郎は卑弥呼の店へと急いだ。
「おーーい。卑弥呼殿ー!松風ー!」
どちらも、返事が無い...。
「しまったぁ...わしに愛想を尽かし逃げ出したか...」
しばらくあたりを探したが、松風は見つからなかった..
しかたなく、以前秀吉にお目見えした際に褒美として頂いた「野風」という馬にまたがり、
とぼとぼと町を歩いていた。
すると、町の中でも人通りが多い堀沿いのかたわらに、大きな龍と炎の馬を見止めた。
「も、もしや。卑弥呼殿か」
すると、卑弥呼も慶次郎を見つけるや、
「ああ。慶次郎さん見つけたー」
と、駆け寄ってきた。
「おお、やはりお主か!実は..」
事の成り行きを説明しようとする慶次郎に卑弥呼は、
「判ってます。ふふふ。松風でしょう。あれほどの名馬ですからね。わたしが丁重に預かってますよ」
なんと、卑弥呼は慶次郎と別れた後、偶然主に置き去りにされた松風を見つけ、厩舎へつないでおいてくれたのだ。
「うーむ。この町にわしがふらりと来たのも偶然だが、お主と出会えたのも奇遇だのぅ」
「そうですね。わたしも、どこでお会いできるかわからなかったので、とりあえず人通りの多い、ここでお待ちしていたのです」
「なんとも、かたじけない。これからは、極力松風にまたがっておくことにいたそう」
「ふふふ。そうですね。何があるかわかりませんからね」
人との出会いや縁とは不思議なものだと思わせる騒動であった。
慶長二年春。朝鮮の役の情勢が泥沼化していた頃、上杉家に会津若松移封の命が出された。
直江兼続はみずから上京し、秀吉に拝謁した。
「我が主人景勝は、殿下にいっぱい食わされたようです」
「ふむ。なんのことだ。石高が増えたではないか。それでも不足かな」
「いえ不足などとは...ですが、会津には佐渡金山はありません」
「ははは。そうであったのう。で、国替えが気に入らんと申すか?」
秀吉は兼続をじっと見据えた。
「滅相もございません。ですが、初めての土地にて諸整備もございますし、また、奥羽の固めもいたしとうございます。
つきましては、向こう三年、主景勝の上洛を免除頂き、国内の整備に当たりとう存じます」
「うむ。ま、よいだろう」秀吉はあっさりとそれを許した。
兼続が帰国すると、すぐに会津移動の準備がはじまった。
だが、ひとつ問題があった。それは、春日山城内にある上杉謙信の廟墓である。
元来土着民の多い土地で、上杉謙信は土地のものにとっては神様のようなものなのだ。
それを移動することは民の不安をあおることとなる。しかたなく、廟墓は残していくこととなった。
国替えも無事終わり、まもなくした頃。
春日山城の城主となった堀左衛門督秀春から、
「上杉家の廟墓をそちらへ移すか、城外へ改葬してもらいたい」
と訴えがあった。
他人の先祖の墓が城内にあるのである。堀の側からすればもっともだと、会津若松へ移すこととなった。
その使者として、慶次郎も名乗りを上げた。
「慶次郎殿、くれぐれもよろしく頼み申す」
兼続が言うと、
「まぁ、多少のごたごたがあるでしょうが、お任せくだされ。残してきたおなご達にも会いたいですからのぅ。あははは」
あいかわらずの楽観ぶりである。
さて、春日山城下に着いた一行は、堀家へ行ったり、寺の住職との打ち合わせなどで忙しく立ち回っていた。
慶次郎はというと、城下の昔馴染みのところへ行って酒を飲んで遊び回っている。
ほろ酔い加減で一行の旅宿へ戻ると、みな困惑した顔で話し合っていた。
「これは、いかがいたしたかな?なにか揉め事か?」
「いや、ちと面倒がござってなぁ」
その面倒とは、謙信が幼少の頃住んでいた、林泉寺の発心和尚が墓の移送に反対しており、町民を煽って、自分の寺に改葬しろと訴えているというのだ。
「こうなったら、いったん会津の殿に伺ってくるしかないかのう」
一行の一人が言うと、
「なぁに。そんな面倒は要らんでしょう。殿は和尚が反対したらやめろとは言わなかったしな」
「だが、相手はあの発心和尚だぞ。手荒なまねは...」
上杉家から重用されてきた寺の和尚なだけに、みな弱気である。
「発心だかしっしんだが知らんが、わしが行って説き伏せてくれよう」
そう言うと、酒もまだ残る体で出かけていった。
「坊主、こら、発心坊主。おるか!」
坊主呼ばわりされた発心はすぐに飛んできた。
「なんじゃ。このばか者が。酒を食ろうておるな。帰れ帰れ」
「いやいや、今日は坊主に用があって来たのだ。おや、それは碁盤だな。一指ししながら話をするか」
そういうとずかずかと座敷に上がりこんだ。
「なんという痴れ者じゃ。礼儀も知らんのか。それに酔うた頭で碁など打てるか」
「あははは。くそ坊主相手ではこれくらいでもお釣りが来るわい。それともなにか?酔っ払い相手に負けると申すか?」
「よーし、相手になってやろう。そのかわりわしが勝ったらお前の酔いがいっぺんに醒めるほどぶん殴ってくれる」
「決まりだ。では、わしが勝ったら言うことを聞けよ。くそ坊主」
発心和尚をかんかんに怒らせて対局した。
だが慶次郎は碁の腕も達人であった。あっさりと和尚を負かすと、
「ふふふ。どうだ。くそ坊主。では言うことを聞いてもらおう」
「ええい。なんでもいい。早く言え」
「では。謙信公の墓の移送に文句を言うな」
「な、なんと。景勝殿の使者か。それはならん。この寺と謙信公は切っても切れぬ縁があるのだ」
すると、慶次郎はこぶしを握りしめて和尚の頭を思いっきりぶん殴った。
「うっ、うう。なんということを。このばか者め」
「ばか者はどっちだ。縁が切れるとは申しておらん。会津に墓を持っていくなら林泉寺も移せばよいのだ。そんなこともわからんのか。この馬鹿坊主」
殴られた頭をさすりながら慶次郎をにらんでいた発心和尚だが、にわかに頷いて、
「おお。そうかそうか。なるほど、やられたわい。俗世にまみれて、ことの本芯を外れておったわ。弟子に教えられたようだ」
と慶次郎の言ったことを理解した。
「わかっていただけましたか。さすがは発心和尚です」
「うーむ。やられたわい」
数日後、廟墓は城内からきれいに取り払われ、会津へ向け発送した。
その後ろを慶次郎と発心和尚が楽しげに話しながら歩いていた。