Red Zone

前編



「ガーヴ・・・?」
「なんだ?」



 白い面。何の感情もないその顔には、同じく何も無い血の瞳と唇だけが艶を放っていた。



『まるで・・・・白子を見てるようだな・・・。』



 ガーヴは心中独りごちた。
 彼の目前の・・・・主は別に髪から爪の先まで色素がないわけではない。髪は黒いし、それなりに濃い薄いはあるのだから。
 おそらく、この肌と瞳の所為なのだろう。彼はそう結論づける。
 その血色の瞳は彼を映していた。そこに映る自分を眺めながら、ガーヴはぼんやりと思う。
 この何もない血色は一体何を見ているのか。と、だが、それは彼だけではなく、誰しもをそう思わせる不可思議な雰囲気を持っていた。







 魔王とその腹心がいる。

 今、二人は、他者の気配が感じられない広間の片隅で、グラスを傾けていた。
 共に、何か用があったわけではなかったが、気がついた時には、魔王はガーヴを呼びつけていたのだ。
 そのガーヴはガーヴで文句を言いつつも、乞われるがままに魔王の元へ出向いていた。
 で、することもないままに、二人して今まで酒を飲み続けていたのだ。(そうなる前に一悶着あったことは言うまでもない。)
 そうして、流れ続けるアルコールの匂いの中、他愛のない会話と倦怠感。そして、何処かに少しだけ残された緊張感を満喫していたのだ


 そんな二人の背後には、窓ガラスがまだ落ちきっていない陽を受け、どす黒い赤光を返している。
 その陽光の中に浮ぶ緋の唇。
 ガーヴの目にその鮮やかさが飛び込んできた。


『男のくせに・・・。』



 ガーヴは不意に脳裏浮んだ言葉に自嘲する。魔族に性別などと・・・馬鹿馬鹿しい事でしかないのに。そんなものは幻影にすぎないのだから。
 だが、目の前の主の唇は紅を塗っているわけでもないのに、濡れたような色で奇妙な色香を放っていた。おそらく、絶世の美女と呼ばれる女を横に並べてもこの主の方がはるかに艶やかに見えたろう。男でも女でもない・・・・それが拍車をかけているのだろうか?
 そう思いつつガーヴはなぜか女達の持つ艶やかな赤より、目の前でグラスに口付ける唇の方が気に入っていた。

 そこへ一段と毒々しさを増したどす黒い陽光が射しかかる。
 白い肌が薄墨色に染まっていく。
 白い面輪が翳っていく様は、目の前で他者に蹂躙されているのを、見せつけられているようで・・・・・嘲られているようで。
 なぜか、ガーヴは苛立ちを感じていた。少しずつ増していく苛立ちは、微量の毒のようで。
 ガーヴは、そのじわりじわりと沁み込む毒素をせめて中和させようとでもいうのか、急ピッチでグラスを煽り始めていた。




「いい加減にしたらどうだ?」
「なにがだ?」



 軽い音が響き、ガーヴの手の中のグラスが琥珀色に染まっていく。なみなみと注がれた酒をガーヴはまたも一息に嚥下する。



「・・・・・・・この城の酒蔵を空にするつもりか?」
「べつにかまわんだろう。あんたは殆ど飲まないんだからな。代わりに飲んでやってるだけだ。」



 すでに何ダースも空にしているというのに、全くかわりない様子に魔王は呆れとも諦めともつかない溜息をついた。



「ったく・・・しようのないヤツだな。」
「・・・・・・・・・」
「どうした?」



 ガーヴは沈黙していた。グラスを手の中で転がしながら魔王を見ていた。だが、その目はどこか遠かった。
 魔王は普段のように軽い悪態をつくわけでもなく、ひたと自分を見つめるガーヴになぜか気圧されていた。絶対君主が臣下に気圧される?そんなことは、あってはならないというのに。



「どうした?ガーヴ?」
「いんや。なんでもない。」
「それがなんでもないなどと言える態度か?
 それに、その言葉が嘘だと言っているようなものだぞ?」



 魔王の何気ない言葉に、ガーヴは針のように鋭く視線を返していた。



「らしくない・・・・?
 嘘?
 なぜそんなことがわかる、あんたは俺か?」
「どうした、やはり変だぞ、ガーヴ?」
「変?
 変・・・・か。」



 ガーヴがぽつりと呟いた。
 魔王はそれに首肯した。
 魔王はガーヴの様子にただただ首を傾げている。長い黒髪がさらさらと音をたてる。それに合わせるようにアルコールが氷を溶かす音が鳴り響いた。



「・・・・・・・あんたが『変』だってんなら、そうなんだろうな。」
「ガーヴ?」



 魔王の言葉に釣られ、ガーヴは白い顔を見た。先ほどまでの穢れを思わせる赤が落ち、青白いほどの白い肌が甦っていた。
 よくよく見れば、もう窓からは陽は見れなくなっていた。 



『何時の間に陽は沈んでいたのか?』



 ガーヴの心に浮いた疑問は彼の体を突き動かしていた。



「なっ!?
 ガ、ガーヴッ、何を!?」



 魔王の慌てた声が広間に響く。それもそのはず、その白い玉顔に臣下であるガーヴの手が触れていたのだから。



「綺麗なもんだな。」



 無骨な片手が女のように白いおとがいをなぞり上げる。
 くすぐったいようなその感触に魔王はぞくりと体を震わせていた。



「ガーヴッ!
 私の言葉を聞いているのか?!」



 魔王の声が荒くなる。だが、ガーヴはまったく意に介さず、親指で白い頬をなぞった。何かを探るように。



「!!!??」



 魔王はまたもやこそばゆい感触に一瞬、目を瞑り息をつめる。いきなりの事というのもあってか、一度も経験のない感覚に身を震わせていた。だが、不快なものではないと彼にそう思わせていた。
 そんな魔王の様子にガーヴは悪戯を思いついたような顔をした。だが、不幸かな魔王はそれに気づく間もなく、心地よさ気なまま。



「なあ・・・・食ってもいいか?」

(続く)


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