水底の仮面 ヴェヌスの秘録1 (産業編集センター)
 Faces Under Water (The Seceret Books of Venus Book I / Overlook Press)
作品紹介

 タニス・リー最新シリーズ・ベヌスの秘録シリーズの第一巻「Faces Under Water」の登場です!

 今回は前シリーズ「パラディスの秘録」と比較して、サスペンスタッチのダイナミックなストーリー。しかしそこはリー、随所に幻想的なシーンが登場し、我々を現実のベニスから、どこか他の地球の都「ベヌス」へといざないます。

 登場する主人公は放蕩の青年フリアン、この享楽の都ベヌスに耽溺し暮らしています。自らもその源を知らない暗い情熱に突き動かされながら...
 そしてこの都に、狂気の1週間−全ての人々が仮面をつけ悦楽に溺れる「謝肉祭」がやってくるのです。
 その初日の夜、ゴンドラで水路を行くフリアンは、まるで水面に浮かぶ顔のような不気味な仮面を見出します。仮面に漂う不気味な雰囲気に惹かれ、それを手に取ったフリアンに次々と謎と死が襲いかかるのです。

 仮面に潜む禍禍しい呪い、
 フリアンに迫る謎の仮面の男達と新たな殺人
 そして、美しい蝶のマスクをつけた蒼い瞳の女との出会い...
 仮面の謎を追い求めるフリアン。その前に姿を現すこの蒼い女に、フリアンはしだいに魅せられていくのです。

 海の都と仮面の謝肉祭というエキゾチックな舞台に、謎と死がさらなる謎と死を呼ぶ展開。それを追いつづけるフリアンの姿はまるでハードボイルドの探偵のようなカッコよさです。しかし、蒼い女が現われると世界は一変し、まるで闇を歌うセイレーンに出会ったかのように、夜の幻想につつまれます。そして、この世界に死の臭いを滑りこませる仮面の呪い。異教の神の咆哮が音もなく響きます。
 物語は死と青とに彩られながら進み、最後に恐怖と魔術に吹き荒れる壮絶なクライマックスを迎えるのです。

  リーの幻想的語り口調を十分堪能できる傑作、しかも、ミステリー色もありサスペンス風なので、パラディスシリーズと比較して読みやすい作品に仕上がっています。リーの作品に初めてトライされる方にもお勧めの一作です


作品モチーフ: 錬金術
 さて、このベヌスの秘録シリーズのモチーフの一つは錬金術。どこか惑乱の王チャズを思い起こさせる老錬金術師シャーキンが登場し、いい味を出しながら要所、要所でアルケミスト(錬金術師)らしい魔術をふるいます。これがまたかっこいい。そうでない時は完全にあっちの世界にいっちゃてるマッドサイエンティストなんですが(^^;

  そして錬金術と言えば誰でも知ってる「地・火・水・風」の四大元素。今後発行される巻も含めて、この四大元素を順に一つ一つテーマとしていくようです。今回は、水の都ベニス(ベヌス)を舞台にするのにふさわしく「水」がテーマ。初めは水面に浮かぶ仮面から始まり、ベヌス(ベニス)のラグーン、水中宮殿と様々な美しい水のシーンが登場します。
  そしてこの作品のイメージカラーは水を表すブルー。リーの色使いはいつも見事ですが、作品の中でも美しい青が次々と登場します。ベヌスのラグーンを彩るブルーグリーン、黄昏に沈む水路の藍、そして最も青いのは、ヒロイン・エウリディケの瞳の青、蝶のマスクに縁取られたその双の青は、物語の始まりでもあり、終わりでもあったのです。


作品舞台: 海の都ベヌス
 それでは、若干背景についても説明をいたしましょう。物語が展開するのは、平たい地球のような何処か別の地球、それで地名の呼び方も若干異なっています。例えばベニスはベヌス、アメリカはアマリスといったように。ちなみに前シリーズのパラディスシリーズは、パラレルワールドのパリを舞台にしていました。

 そしてベヌスの元となるベニス(ベネチア)ですが、海の上の干潟を固めることで出来上がった都市です。街は道路ではなく水路で結ばれ、人々はどこへ行くにもゴンドラと呼ばれるボートに乗って移動します。ベネチアは7〜8世紀には都市作りが完成し、14世紀には船を使った海外貿易でその絶頂を迎え、東地中海の女王と歌われました。人口10万に満たないベネチア一都市の歳入が。フランス一国をはるかに上回ったと言うのですからその豪奢さは容易に想像できます。当時のベネチア貴族の奥方の化粧箱にはフランス王妃のものより豪華な宝石が無造作に置かれていたそうです。

 しかし、16世紀に新航路が発見されると地中海貿易に頼ったベネチアは少しずつ衰え、やがて貿易都市から歓楽の都として知られていくようになります。そのなかでも仮面をつける謝肉祭は有名で、他のヨーロッパの都市では王宮でしか見れないような食べ物や、出し物がふんだんに振舞われ、仮面をつけた人々の間には全ての障害が取り払われ快楽の火が灯されたそうです。この物語もそんな快楽の祭りを背景に展開されています。

 全てを快楽に変える退廃の都、その中に溺れる青年フリアンはどのような謎と恐怖に巻き込まれていくのでしょうか。
 


 
第一章 The Mask 
(粗筋紹介)

  謝肉祭、仮面の祭りが華やかなベヌス。
 夜、闇の中を滑るゴンドラの上にフリアンはいた。

 いつもの様に錬金術師シャーキンのために死体を捜すフリアン、その彼が見つけたのは水面に浮かぶ一つのマスクであった。
 古の黒いアポロをかたどった不吉な半顔のマスク。それはまるで顔面をかきむしったかのように、幾つも小さく切り裂かれ、その目からは泥が一筋流れ出した。まるで、この下に沈む男が流したような... フリアンがそのマスクを手にすると、ゴンドラの漕ぎ手は十字を切った。

 そのマスクをシャーキンの館にもたらすと、シャーキンは、そのマスクに何か禍禍しい呪いが込められていることをフリアンに告げた。

 翌日サロンに赴いたフリアンは、そのサロンのマダムから、都で流行っている歌を作曲した青年デル・ネロが失踪したニュースを聞かされる。マダムはドーチェの息子であり音楽の才に恵まれた青年を惜しんだ。しかし話しが彼の付けていたマスクになった時、フリアンの記憶が蘇った。半顔の怪しく美しいマスク、それはフリアンが水面に浮かぶのを見つけたそのマスクであった。

 都はデル・ネロの歌で満ちていた。その歌は、笑わぬ姫への愛を歌った古いおとぎ話。その姫の愛を得るためには、その顔に笑みを浮かばせなければならない。しかし、できなかった男達に待つのは、死...ゴンドラの漕ぎ手達は、デル・ネロがそんな歌のような女に恋をしていたの噂を語っていた。

 夜、フリアンはゴンドラの上にいた。昨日の夜の記憶だけを頼りに、あの場所へ...

 闇はゴンドラを包み、水はリズミカルに船べりに寄せていた。
 そして、目の前の館の門に明りが灯り、開いた。長い柄の先に吊るされたランプが現われ、手に持つ従者の衣装が、光の中で浮かび上がった。
 そして...女の姿が門から現われた。女が水の上に浮かぶ足場へと歩み出すのを、影の中から、フリアンは見つめていた。

 女のガウンはエイリアンブルー、それはカササギの聖女のごとく。
 女の肌はアラバスターのごとき白、まるでもう一つのランプを持つがよう。
 女のマスクは蝶、大きく開かれた羽には蒼い模様。

 だが、何かそこに...何かが...ワインはうなるようにフリアンの頭のなかでざわめいた。
 そんな、ばかな...彼女はまるであの歌われた姫そのもの...
 甘い痛みがフリアンを針のごとく刺した、色と肌触り、ランプが女を縁取るさままで...

 彼女の優美な姿は船の中に消え、厚い水銀のような水面の上を、船はさざ波を立てながら滑っていった。
 「あれは、悪い女ですよ...」
仮面の漕ぎ手はそう言い、十字を切った。

 次々と起こる死、フリアンに迫る仮面の男達、
 フリアンのマスクを追う道に、女は姿を表す。沈黙と共に。



 フリアンと笑わぬ仮面を持つ女、物語が今始まる...



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