木漏れ日


それは決して失えない
日常の幸福



           
 誰もいない。
 何もない。
 ただ寒い暗闇。
 見たことのないはずの、多数の剣の煌き。聞いたことがないはずの、怒号と悲鳴。
 暗闇を切れ切れに流れていく情景。
「・・・・・・っ」
 真っ赤な血。多くの屍。だが彼女の心を切り裂いたのは、大切な人の倒れた姿。
 嫌、嫌、嫌!
 頭の中でただ繰り返される言葉。
「・・・ラっ、ポーラ!」
 揺り動かされ、ポーラははっと目を覚ました。
「あ・・・」
 目に飛び込んできたのは、彼女が誰よりも愛する人。デルフィニア国王ウォル・グリーク・ロウ・デルフィン。その姿を認めて、ポーラはほっと息をついた。胸に満ちてくる、暖かい空気。
「陛下・・・」
「ポーラ」
 ウォルは事実上のただ一人の妻の頬に優しく触れた。
「大丈夫か」
「はい・・・」
 ポーラはにこっと微笑んだ。夢の中の不安も寒さも、きれいに消え去っていた。かわりに胸いっぱいに幸せで暖かなものが広がる。
 ウォルは優しく笑った。
「そうか」
 ポーラは頷いてから、はっと我に返った。夢にうなされるなど、まるで子どものようだった。恥ずかしさと申し訳なさに身を小さくする。
「あの、申し訳ありません、陛下」
「何を謝る?」
「だって・・・・・・起こしてしまったのでしょう」
 今にも泣きだしそうなポーラに、ウォルは少し笑ってしまう。
「かまわんさ」
「でも・・・」
「それより、すまなかった」
「え?」
 ぽかん、とポーラはウォルを見る。
「今日・・・いや、もう昨日か・・・貴女の前で戦の話などしてしまって」
 戦の話、というほどのものではなかったが、ポーラのいるところでイヴンと2、3言話してしまったのだ。ポーラは赤面した。
「そんな・・・とんでもありません」
 恐縮してしまうポーラだったが、ウォルにそっと髪を撫でられて肩から力を抜く。
 ポーラはウォルと目が合い、はにかんだように微笑んだ。
 ポーラはウォルの手も、腕も、そして優しいその瞳も、全部が好きだった。彼をこうして見つめ、その手のぬくもりを感じているだけで、幸福だった。これほどの幸せがあるのかと、そう思うほどに。
 他には何もいらなかった。
 愛してます。
 一点の曇りもなくただ自分を見る瞳に、ウォルは表情を崩した。
 想いがあふれる、というのはこういうことだろうかと思う。
 ポーラの感情は真っすぐに現れて、これほど内と外が変わらない人間はいないのではないかと感じる。
「もう一眠りしよう」
「はい」
「大丈夫だ」
 頷くポーラを愛しげに見て、ウォルは彼女を腕の内に抱きしめた。
「もう怖い夢は見ない」
「・・・・・・はい」
 安心しきった顔で、ポーラはゆっくりと目を閉じた。暖かな胸、優しい声、そして聞こえる鼓動。それが彼女を穏やかに包み込む。
 ウォルはしばらくそんな彼女の寝顔を見つめていたが、自らも静かに目を閉ざした。
 胸の内のぬくもりが、愛しかった。
 寝所を共にした女性は数多くいたが、こんな想いを抱いたことはなかった。
 ポーラの側はまるで木漏れ日のように心地良い。胸に染み入るような幸せ。ひどく満ち足りた気分だった。
 穏やかで幸福な時間に包まれながら、二人は眠りについた。


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