| 喪失 |
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呼んでいる。 求めている。 ただ、貴女だけを。 失うはずはないと 叫びつづけている。 |
| 彼の顔は、苦痛に歪められているだろうと思われた。 殴られる痛みのそれではなく、屈辱のために。 少なくとも、シーダにはそう思えた。 (オグマ・・・・!) 胸が焼けるほど悔しかった。 本来ならば、あの傭兵たちなど彼に触れることもできないはずだった。 それだけの強さが、彼にはあった。 やめて、とシーダは何度叫んだだろう。身をよじって訴えただろう。 けれど傭兵たちは、彼女の剣士を弄る手を止めなかった。 そのオグマの向こうに、すでに息絶えた天馬の姿がある。 弓で天馬を射られ、森に落ちるようにして降りたシーダを待ち構えていたのは、敵国に雇われた傭兵の一団だった。 彼女は捕らえられた。彼女を追ってくるオグマを倒す人質として。 鈍い、音がする。 耐え切れず、シーダの目から涙が零れた。 死ぬ。----死んでしまう。 あんなに殴られ、蹴られていれば、いかに彼とて長くもつとは思えなかった。 「オグマ!!」 「・・・・・・・・・」 オグマは、彼の姫の声に顔を上げた。 シーダは言葉を失くした。 オグマの顔は苦痛に満ちてはいなかった。 それどころか。 大丈夫だというように、優しく笑みを浮かべる。 「---っ!」 後ろ手に縛られたシーダの、髪を背後の男が乱暴にひっぱった。 シーダはとっさに悲鳴を堪える。 オグマの目が、激しい怒りに染まった。 「----やめろ!!」 「麗しい主従愛だな」 背後のその声に、シーダは唇を噛んだ。 両手に力を込めるが、縛られた縄はびくともしない。 彼女は、大きな岩の上に立たされていた。その岩の下には、十数人の兵が槍を上に向けて立てている。その刃は、日の光に鈍く光っていた。 シーダは、彼らが自分を助ける気などないことを分かっていた。 (このままでは) オグマまで殺されてしまう。 いつもそばに彼はいた。不安な時も、必ず、振り返れば返してくれる優しく強い笑みがあった。辛い時には、背後に支えてくれるその腕があった。悪夢にうなされて眠れない夜も、扉の外には剣を抱いて眠る彼の姿があった。 いつも守ってくれた。 どんなときも感じていた、強くやさしい気配。 「オグマ・・・・・・」 彼女の声にこたえて、オグマは彼女を見あげた。 こんな時でさえ、彼の自分を見つめる目は揺るぎなく真っ直ぐで、そして優しかった。 胸が痛くて、シーダの目に新たな涙があふれた。 (オグマ・・・・) 守りたい。 あなたを、守りたい。 (私、あなたを、守りたい) そっとシーダは目を閉じた。 脳裏に、マルスの顔が浮かんだ。自分の愛する人。初恋であり、おそらく最後の恋の相手。誰よりも大好きな人。 (ごめんなさい、マルス様) オグマは、彼とは違う意味で、だが同じぐらい大切な人だった。そして、おそらく自分を失うよりオグマを失うほうが、軍にとって----ひいてはマルスにとって痛手になるに違いない。 「姫?」 「オグマ・・・・・・・オグマ!」 シーダの頬を、涙がこぼれ落ちた。 (ごめんなさい。ごめんなさい、マルス様、オグマ・・・・っ) 「マルス様を! マルス様を、お願い!!」 そう悲痛な声で叫んだシーダの瞳には、強い意志が秘められていた。 オグマの胸を、恐ろしい予感が走る。 オグマが何かを発する前に、シーダは力いっぱい後ろに当たった。背後でシーダの両手を縛った縄を持っていた男は、予期しないことに一瞬手を離した。 シーダはそして、前へと飛び出した。----何もない宙へと。 オグマは目を見開く。 「-------っ!」 重力のままに、彼女は落ちた。 「シーダ--------っ!!!」 手を、伸ばす。 その向こうに。 待ち構えているように立っていた数十本の槍が、落ちてきた彼女の身体を貫いた。 彼女の肩を。 胸を。 腹部を。 脚を。 そして、その首を。 「----っ、あっ-----っ」 オグマは首を振った。 嘘だ。嘘だ、こんな。 こんな、こんな!! 血が散っていた。槍を支えていた傭兵たちは驚いて、肉の塊と化したそれを槍ごと投げ出した。 それは、どさり、とオグマの前に転がった。 「う、・・・あ・・・あああああああああああああ!!!」 獣じみた悲鳴を上げているのが自分だと、オグマには分からなかった。 シーダが幼い頃から、彼はいつも彼女のそばにあった。 忠誠と剣を彼女にささげ、どんなことからも彼女を守ってきた。 彼女を見つめてきた。 その喜び。その悲しみ。その迷い。そして、その恋。 彼女のそばで、彼女だけを見守ってきた。 自分の命の恩人。そして、自分が生きる理由。 たとえ想いは届かなくとも。彼女が生きて、幸せなら、他には何も望まないと。 それ、なのに。 『ずっと、そばにいてね』 それは、幼いころの彼女の声。 こちらを振り向いて微笑む、今の彼女。 『オグマ』 そう呼んだ、少し不安な様子で。 『オグマ!』 そう呼んだ、自分に助けを求めて。 『オグマ』 そう呼んだ、とても嬉しそうに。 声にならない声で、叫び続ける。オグマには自覚はなかった。しかし、それを止めることもできなかった。今、彼を襲ったなら、傭兵たちは苦もなく彼を殺せたに違いなかった。 しかし、傭兵たちは我に返るのが遅すぎた。 ふいに彼の咆哮はやみ、オグマはゆらり、と立ち上がった。憎しみというより狂気に近い目に、傭兵たちは慄いた。その傭兵たちの中に、オグマは飛び込んだ。一番近くにいた者の剣を奪い取る。その後は、もはや戦いではなく、一方的な殺戮でしかなかった。 「姫・・・・」 返り血に染まったオグマは、彼女のそばに膝をついた。 「申し訳ありません、姫」 あなたを、守れなかった。 (そばにいながら、あなたを------お前を、こんな目に) わたしが----俺が、そばにいながら!! 震える手を、シーダの頬に伸ばす。 「姫・・・・・」 どれほど痛かっただろう。辛かっただろう。---恐ろしかっただろう。 「・・今、抜いてさしあげます・・・・」 涙は、留まることを知らなかった。 彼はシーダの身体に刺さった槍の一本に力を込めた。 ずぶり、と音をたてて槍は抜ける。その重みに、オグマは再びつき上がる鋭い痛みに唇を噛んだ。 「姫・・・!」 槍はかたく、オグマでさえ相当の力を込めなければ引き抜けなかった。彼女の身体を地面に押さえつけ、一本一本槍を抜いていく。そのたびに、彼女の身体は硬く反動で反った。 オグマは一人、シーダの身体から槍を抜き続けた。 夕日に空が染まり始めたころ。 「どうしたオグマ!?」 本陣のマルスのテントの前に現れたオグマに、見張りに立っていたカインが驚いて声を上げた。 オグマは、全身真っ赤に染まっていた。それが血であるのに気づいて、絶句する。 そしてカインは、オグマがマントに包んで何かを抱き抱えているのを見て顔をこわばらせた。 「・・・・それは・・・・」 「マルス王子に」 あわせてくれ、とゾッとするほど感情の欠落した声でオグマが言った。 カインは動けなかった。目は、マントに包まれたその何かにくぎ付けになっていた。 「騒がしいぞ、カイン」 そう、アベルがテントの入り口の幕をあげて顔を出した。 「!?」 そして、オグマのその姿と彼が抱きかかえる何かを見て、顔を悲痛に歪ませる。 オグマは無言で、カインと、そのアベルの横を通り過ぎるとテントの中に入っていった。 それから数瞬後、マルスの悲痛な叫びと他の者の悲鳴や泣き声がテントの中から聞こえてきた。 オグマは、空を仰いだ。 空は、青く、広く。 それは心地よいものかもしれなかった。 それなのに、だめなのだ。 何も、感じない。 『----オグマ』 そう呼ぶ、あの人の声がないことが。その笑顔が、その気配がないことが。 「-----っ」 こみ上げる痛みに、オグマは顔を覆った。 姫。 シーダ姫・・・・! 呼んでいる。求めている。彼女の姿を、声を、気配を。 シーダの願いだから、オグマは死を選べない。 けれど。 「・・・・姫・・・・・」 このどうしようもない喪失感と。痛みと。 こうして今生きていられることが不思議なほどだった。 風に、彼女の声が聞こえた気がして、オグマははっと顔を上げる。 しかし、そこには何もなく。 ただ、空虚な風が木々を揺らしているだけだった。 |
| End |