大地の歌 後編 |
メッセージの場所に向かったエアリスは、そこにツォンを見つけて足を止めた。 何を考えているのか、かすかにうつむいている横顔。長い黒髪に隠れて、その表情は見えない。 夜の闇、淡い人工の青い月光に浮かび上がる彼の姿は、ひどく幻想的に思えた。 それは彼の黒髪と、そして黒に近いスーツのせいかもしれない。 不思議な人だ、と思う。 エアリスが幼い頃から知る彼は、冷静で冷酷で、時に腹が立つくらい横暴で。・・・それなのに時々、驚くほど優しかった。 もちろん、はっきりとした優しさを見せてくれたことはなかったから、ただの自分の思い過ごしなのかもしれないが。 ツォンは人の気配を感じて、振り返った。 小道を降りてくるエアリスと目があう。 エアリスのおろされた髪が、彼女が歩くのにあわせて揺れる。月光をはじいて、そのたびに美しい髪は星屑を飾ったように光った。 それはまるで、この世のものとは思えないほどに美しい情景だった。 「ツォン」 エアリスがツォンの前に立つ。 ツォンはハッと我に返った。苦い笑みが、知らず漏れる。 エアリスはきつい目でツォンを見た。 「いったい、何の用? まさか、キーストーンを返しに来てくれたわけじゃないでしょ」 「当然だ」 「じゃ、何?」 「・・・・・・」 ツォンは、珍しく言いよどむ。何かに迷うように、ツォンの目はエアリスからそれた。 エアリスのきつい眼差しが消える。 かわりに、戸惑った表情になる。 「ツォン?」 「・・・・・」 ツォンは何かを吹っ切ったように、エアリスに目を戻した。 「何があった?」 「え?」 エアリスは言葉をなくす。そして、腕を組んで見せた。 「だから、あなたがキーストーンを奪ったんでしょ」 「そうではなくて。・・・何か、あったのだろう」 「・・・・・・」 エアリスは内心の驚きを隠し、笑った。 「どして?」 「様子がおかしかった」 沈んでいるような。悲しげな。 なんと表現すればいいのか、ツォンにもわからなかった。 ただ、感じたのだ。 まるで、泣いているように・・・。 彼女が苦しんでいる。あるいは、傷ついている。自分の知らない所で、自分が知らない何かが彼女の心を悲しみに震わせていると思った時、ツォンはじっとしてはいられなくなったのだ。 エアリスが泣いている。 そう思うと、とても彼女を放っておくことなどできなかった。 エアリスはくすりと笑った。 「気のせいだよ」 「違う」 自分でも驚くほど、確信に満ちた声がツォンの口から漏れる。 「私には分かる」 強いその調子に、エアリスはツォンを仰いだ。ツォンはそのエアリスの目に気づいて、目をそらせると冷たくつけ加えた。 「・・・・・・君とは長いつき合いになったからな」 「・・・そだね」 エアリスは目を伏せた。 そういえば、昔からなぜか、エアリスが泣いている時いつもツォンがいた。 幼い頃に母親を想っていた時、仲がよかった小鳥が死んでしまった時。―ザックスがいなくなってしまった時も・・・。 エアリスはいつも笑っていた。だから、誰も気づかなかった。 それなのにツォンはそんな時、エアリスに言うのだ。 『エアリス、何があった?』と。 そして隠れて泣く自分の側に、ずっといてくれた。 慰めの言葉をかけてくれた事は、一度もないけれど。 けれどエアリスが泣きやむまで、黙ってずっと側にいてくれた。 「でも、だいじょぶ、なの。ほんとだよ」 エアリスは顔を伏せたまま、笑った。 ツォンはエアリスに手を伸ばした。 その頬に触れる。 「・・・・・・」 エアリスは抗わない。 「・・・なぜ、ふりほどかない」 「・・・・・どして、だろうね」 エアリスはツォンに顔をあげ、笑う。だがその笑顔は今にも泣きだしそうなものにツォンには見えた。 エアリスは目を閉じる。 「・・・・・・あたたかい」 頬に感じる大きな手が、泣けてくるぐらいあたたかかった。 エアリスは目を開けた。自分を見下ろすツォンの瞳は、何の感情も浮かべてはいない。 エアリスは再び目を閉ざした。 ツォンの目は冷たいのに、なぜかこの手はとても優しかった。 ツォンのエアリスの頬に添えられた手が、かすかにその頬をまさぐる。 「何があった?」 「何でもない」 ただ。 「ちょっとだけ、寒かっただけ・・・」 怖くて。 なぜだか分からないけれど。 身体の芯が、震えるようだった。 「でも、もう平気」 エアリスは微笑んだ。 もう、大丈夫。私は、大丈夫。 ツォンの手が引かれる。 ふい、と頬に触れる空気がさっきよりも冷たく感じた。 エアリスが目を開いた時、彼女はツォンの胸にあった。 「あ・・・」 ツォンはエアリスを抱きしめる。それは強いものではなく、柔らかな抱擁だった。 彼女の求めているのは、人のぬくもりなのだ。それは子どもが母親の腕を求めるのに似ている。 だからツォンはややもすれば、尽き上がる想いのままに彼女をきつく抱きしめようとする自分の腕を意志の力だけで止めていた。 エアリスはツォンの胸に頬をつけた。 「・・・動物は、自分が死ぬときが分かるって、ほんとかな」 「・・・さあな」 「・・・・・・。・・・私、もうすぐ死ぬと思う」 ツォンはすんでの所で、驚きを隠した。震える声を、なんとか平静に保とうとする。 「・・・馬鹿なことを・・・」 「私は風になるの」 エアリスは顔を上げると、ツォンににっこりと笑った。 「大地を抱きしめるのよ。素敵でしょ?」 「エアリス・・・」 「泣いてる子どもがいたら、キスしてあげるの」 エアリスはツォンの胸に顔をうずめると、その背に手をまわした。 「皆に歌を歌ってあげるの・・・」 エアリスのツォンの背中にまわされた手が、きゅっと強く彼の服を掴んだ。 ツォンは無意識に彼女を深く抱き込む。 地面がひどく不安定な気がした。 いなくなる? この腕の中の娘が。エアリスが、いなくなってしまう? 失ってしまう? 命令なら、自分の手で殺せると思っていた。今この瞬間も、それを疑いはしない。 それなのに。 ツォンにはエアリスを失うことが、堪えられそうになかった。 死ぬとは、誰かが、エアリスを殺すということなのか。 ツォンはギリ、と凶悪な歯ぎしりをした。 そんなことは許さない。 激情を押さえ込むように、ゆっくりと息を吐き出す。 ツォンはただじっと、エアリスを抱いていた。 キュ、とネクタイを直す。 ツォンはもう一度腕時計に目をやった。 時間まで後11分。ちょうど5分前に、ポートに着くだろう。 「ツォン」 エアリスは一歩踏み出した。ツォンがエアリスを見る。 「私がこんな事言うの、変かもしれないけど。・・・気をつけて」 「・・・・・・」 ツォンはそれには応えず、エアリスに背中を向けた。ターミナルフロアへの出口に向かう。 そのゲートの前で足を止め、エアリスを振り向くことなくツォンは口を開いた。 「エアリス。・・・我々神羅は君を完全にあきらめたわけではない」 「! 私は神羅にはっ」 「だから勝手に死なすわけにはいかない」 「えっ?」 「わたしがお前を死なせない」 静かに、だが強くそうツォンは言った。そしてツォンはエアリスに背を向けたまま、そこを去った。 ツォンはポートについた。まだ、ヘリの姿は見えない。 ふ、とエアリスの残り香が、ツォンの鼻腔をかすめる。 ツォンは自らの片腕を掴んだ。 なぜ、こんなに彼女が欲しいのか分からない。自分の感情に舌打ちしたくなる。 エアリスを抱いて、自分だけのものにしてしまいたい。 自分のそばから片時も離さずに、この腕の中で彼女を守ってやりたい。 ・・・それが、できたなら・・・! ヘリの音に、ツォンは思考をとぎらせる。 「・・・馬鹿なことを・・・」 自嘲に唇を歪ませ、ツォンはヘリを見上げた。 ヘリはゆっくりと降りてくる。 ヘリの側面には大きく神羅のマークがあった。 エアリスの視界から完全にツォンの姿がなくなってから、エアリスは囁くように言った。 「ありがと、ツォン・・・」 エアリスはそして、おどけるように笑う。 「私が風になったら、ツォンのところにもちょっとだけ行ってあげるね」 風が、エアリスの頬を撫でていった。 「・・・・・・皆に歌をね、歌ってあげるの」 ふわりとしたほほ笑みがエアリスの顔に浮かぶ。 「だから私は幸せ」 エアリスは胸の前で両手を握りしめた。 「・・・・・・幸せすぎて、きっと泣いてしまうね・・・・・・」 |
END