願い 後編




「・・・・・・エアリス・・・」
 エアリスが自分にキスするとは、ツォンには信じられなかった。
 けれど、確かに残る柔らかい感触。
 ツォンの驚いた表情に、エアリスは耳まで赤くなった。
 何をしたのだろう。
 今、自分は何を。
 ツォンに・・・眠っているツォンに、キスを・・・。
 エアリスは口を覆った。
「わ・・・わたし・・・・・・っ」
「・・・・・・」
「違う、わたし・・・違うの、ただ・・・っ」
 言葉が、続かない。
 なんて事をしてしまったんだろう!
 エアリスはツォンから顔を背けた。
 ツォンがどんな目で自分を見ているかと思うと、恥ずかしくて消えてしまいたかった。
 ツォンはどう思っただろう。どう感じただろう。
 嘲りか、それとも嫌悪か。
 その両方かもしれない。
 そのどちらも、エアリスには耐えられそうになかった。
 このまま、逃げ出してしまいたかった。
 ツォンはソファーから半分身を起こし、片手で口を覆った。
 エアリスはツォンから顔を背け、羞恥に震えている。
 彼女の振るまいの意味することは一つで。
 ツォンの胸の奥が、熱くなる。期待とかすかな緊張、そして歓びに。
 ツォンは立ち上がると、エアリスの側にゆっくりと近寄った。
「・・・エアリス・・・」
 エアリスはビクリとする。

「な、によ・・・っ」
 エアリスはぎゅっと拳を握りしめた。
「わたしの事、バカだと思ってるでしょう!? バカで愚かだって! 笑えばいいじゃないっ」
 情けなくて、なにより悔しくて、エアリスは涙が零れた。もう思考が無茶苦茶で、自分で何を言っているのかも分からなかった。
「どうせ、わたしの事、仕事でしかたなく係わってたんでしょ!」
「しかたなく、じゃない」
「じゃあ、どうして会いに来てくれないの!?」
 エアリスはツォンを仰ぎ、叩きつけるようにそう叫んだ。
 碧の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
 ツォンは息を飲んだ。
 エアリスは唇を噛んで、俯いた。
 思わず、漏れた言葉。それで、分かってしまった。自分は、ツォンが好きなのだ。
 どうして、と思う。
 どうしてツォンなんかに。
「・・・どうせ、わたしが嫌いだからでしょ・・・!」
「―嫌い?」
 ツォンはあまりにかけはなれた言葉に、驚くのを通り越して笑ってしまう。
 クッと喉の奥で笑いを漏らすのに、エアリスはムッとなった。ツォンを睨む。
「何がおかしいの!」
「君は想像力豊かだな」
「どういう意味よっ」
「―お前を嫌える男などいない」
 ツォンがゆっくりエアリスを抱きしめる。
 決して手が届かないと思っていた。かけらの期待もなかった。
 それが。
 今は腕の中に。
「君こそ、私が嫌いじゃなかったのか?」
「嫌い。・・・でも」
 ツォンに触れられている所が、熱を持ったように熱かった。
 だから、やっぱり好きなのだ、とエアリスは自覚する。
 ツォンはエアリスの顎を軽く上向かせる。
「ちょ、待っ・・・」
 慌てるエアリスに、ツォンはそのまま口づけた。深い、深い口づけ。
 エアリスはツォンの胸に手をあてて抵抗する。
 ツォンはかまわない。
 エアリスの手はやがて、支えを求めるようにツォンの背中と首にまわされた。
 ツォンは胸の中のエアリスを片腕で支える。
 長いキスの後、ツォンの声がエアリスの耳をくすぐった。
「立てるか」
「・・・ツォ、ン」
「・・・・・・」
 応えられないエアリスを、ツォンは抱き上げた。










 ツォンとエアリスは、エアリスが捕らえられている部屋に在った。
 エアリスの安らかな寝顔に、ツォンの口元はほころぶ。
 まだ耳に残っている。自分を求めるエアリスの声。
 繰り返される名前。
 エアリスが自分を慕ってくれていたとは、考えもしなかった。
 どれほど想っていても、エアリスと自分の距離は変わらないのだと思っていた。
 たとえすぐ側に立っていても、自分たちの間は果てしなく遠いのだと。
 けれどエアリスは、ツォンの元へその距離を一足で飛び越えて来た。
 ツォンはエアリスの頬を、そっと指でなぞった。
 愛しい、と思う。誰よりも何よりも。どんなものとも比べようがないほど。
 けれど、彼女と共にあれないだろうこともツォンには分かっていた。
 エアリスがエアリスであるゆえに。
 ツォンが、ツォンであるからこそ。
「私が『タークスのツォン』でなければ・・・君が『古代種』でなければ・・・」
「・・・わたし、これでよかったって、思ってる」
 エアリスは目を開いた。ツォンは少し驚き、そして苦笑した。
「起きていたのか」
「今、ね」
「起こしてすまなかった。まだ、朝までは時間がある」
「うん。・・・わたしたち、わたしたちだったから、出会った。わたしたちがわたしたちだったから、好きになった。ちがう?」
 優しい光。明るい輝き。それを、ツォンは感じる。
「そのあなたと、このわたしとだからこそ。出会った事に、きっと、意味があるよ」
「エアリス・・・。辛くはないか」
 ツォンと想いを通じ合わせたことか、捕らわれの身であることか、どちらでもとれるニュアンスだった。
「未来は、あるから。わたし、あきらめてない。きっと、何もかもうまくいく時が来るって、信じてる」
 だから、とエアリスは笑った。
「辛くない」
「・・・あのソルジャー、クラウドと言ったか・・・彼が助けに来るだろう」
「うん」
「・・・私は、本気で戦う」
「わかってる。それが、ツォンだもの」
 エアリスはツォンを正面から見つめる。
「でも、わたしも、本気で抗うから。・・・クラウドたちと、行くから。それがわたしだから」
「知っている」
「・・・・・・。ねえ、ツォン」
 エアリスはふ、と調子を変えて言った。ツォンはエアリスを見る。
「笑って見せて」
 笑顔のそのエアリスに、ツォンは困ったような顔になる。期待の目で自分を見つめるエアリスに、ツォンは息をついた。
「・・・『笑ってくれ』エアリス」
 エアリスはそのツォンの言葉に、にっこり笑った。花がほころぶような、鮮やかな笑顔。
 ツォンは一瞬見惚れる。そしてエアリスのもの問いたげな眼差しに、我に返った。額に軽く手をやる。
「・・・・・・普通、面と向かって笑えと言われて、笑えるものじゃない、と分かってもらおうと思ったんだが」
 エアリスは躊躇なく微笑んで見せたのだ。そこで、ツォンは少々困ってしまう。
 エアリスは子どものように、軽く唇をとがらせた。
「なによ〜。わたしが、異常みたいじゃない」
 そのエアリスの様子に、ツォンは笑ってしまった。
 瞳が、優しく細められる。
 エアリスはどきりとした。
「・・・・・・ちゃんと、笑えるじゃない」
 エアリスは少し照れたように、毛布を口元まで引きずり上げた。
「エアリス?」
「ツォンの目って、綺麗。雨上がりの夜の色。深くて、今は、優しい」
 正面からそう言われて、ツォンは言葉をなくす。本当はエアリスの瞳のほうがずっと綺麗だと言いたかったが、とても言えるはずがなく、ただ微苦笑を浮かべただけだった。
 エアリスの瞳に、ふいに悲しげな光を見つけてツォンは口を開きかけた。だがその前に、エアリスはそれを上手に隠してしまう。
「おとぎ話って、たいてい愛し合う二人が一緒になって、終わるの。その先はもうないの」
 それって、少しだけ、うらやましいね。
 そういたずらっぽく、エアリスはふふっと笑った。
 ツォンは何も応えられない。
 エアリスはツォンに背を向ける。
 薄暗い照明に、エアリスのむき出しの背中が白く浮かび上がる。
「ツォン・・・。もし、神羅がわたしを殺せって命じたら、どうする?」
 沈黙がおりた。
 長い、時間をおいて。
「その時は、私は、君を殺す」
 ツォンの冷たい声が響いた。けれどその瞳には、深い苦悩の影があった。
「私は・・・タークスだ」
 一呼吸の間があり、
「なら、しかたないね」
 エアリスは明るい声とともにツォンの方を向いた。にこっと笑う。
 無理をしているのではない。それは、屈託のない笑顔だった。
「・・・エアリス・・・」
「でも、一つ、お願いしていい?」
 エアリスはツォンに手を伸ばした。ツォンはその手を握る。
「その時は、他の人にさせないでね。ちゃんと、ツォンの手で、殺してね」
「・・・・・・ああ。他の誰にも、君を殺させない」
 胸が痛かった。
 エアリスと、ツォンは思う。
 そんな時は、永遠にこなければいい。
 ツォンは半身を起こすと、エアリスの手に口づけた。
 エアリスはふわりと微笑む。その頬を、一筋だけ涙が伝って落ちた。
「・・・・・・優しく、殺してね」
「・・・・・・ああ」
 ツォンはそっと、エアリスを抱きしめる。
 エアリスはツォンのたくましい背中に手をまわした。
 しばし二人は無言で抱き合い、そして軽いキスを交わす。
 エアリスはおどけたように、笑った。
「でも、わたし、簡単には殺されないよ? 思い切り抵抗するんだから」
 それに、とエアリスは自分をのぞき込むツォンの頬に触れた。
「きっと大丈夫。わたし、運強いもん。わたしたち、最後にはハッピーエンドになるわ」
 エアリスは今にも泣きそうな、しかし輝くような笑顔で言った。
「心清らかなヒロインは、最後は恋人と幸せになるって、昔からのルールなんだよ」
「・・・・・・。そうだな」
 ツォンは、優しく笑って見せた。お互いに、そんな事を信じていないのは分かってはいたが。
 だが今だけは。
 ツォンはエアリスの首筋に顔をうずめる。
 エアリスの手は何かを求めるようにツォンの頭を抱きしめた。
 今、時が止まればいい、と思う。
 けれど時は止まらないから。
 せめて、ゆっくりと過ぎればいい。
 それは、二人の想いだった。
 決してかなえられる事がないと、知っている願いだった。
 

END


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