この広い世界の何処かで




それは、幻の様な一日だった。
『忘れないでね。』
一日だけの、奇蹟。
『私のこと、私がこの世界に生きたこと、覚えていてね。』
一日だけの、夢。
『約束よ?』
けれど永遠に繋がれる恋がそこにあった。

 一面の白い天井。
私が目を覚ました時にまず見えたものがそれだった。
次いで、鼻をつく消毒液の匂いに気付く。
「ここは・・・?」
数秒後、其処が病院であると私は判断した。
「何故こんな所に・・・。」
覚醒したばかりのせいだろうか、思考をしっかりしようと頭を軽く振りつつ、寝たままの体を起こそうとする。
しかし途端に、胸部に激しい痛みが走った。
「くっ!」
痛みによる呻きと共に、私はやっと自分が此所にいる理由を思い出した。
「そう、だ・・・私は、古代種の神殿でセフィロスに刺されて・・・。」
言ったと同時に、部屋のドアが開かれた。
ドアを開けたのは看護婦。彼女は起きている私に驚いたようだ。
それでも、医師を呼ぶ為に走って行こうとする。
おまけに、「動いてはいけませんよ!」と私に釘を刺しもした。
「なかなか仕事に忠実な看護婦だな」などと感心している自分に苦笑しつつ、再びセフィロスに刺された前後の記憶を辿った。
何よりも先に思い出したのはただ一人の女性のこと。
「エアリス・・・。」最後に見た彼女の顔は泣き顔。
自分の死を予感し、自分の為に涙を流すその姿。
そんな時でもやはりエアリスは輝いていると、美しいと思った。
幼い頃、初めて逢った時から彼女は輝いていた。
その輝きは生命の光が見せるもの。
どんな環境、どんな苦境にあっても色褪せないその姿に、魅かれる心を抑えることも難しく、けれどその思いを彼女に告げる訳には決していかず・・・。
見守りたいという気持ちが変化したのは一体何時からだろう?「無事でいるのか、エアリス・・・。」
追想は、慌てて入ってきた医師と先程の看護婦によって止められた。・・・この時の私はまだ、彼女の死を知らなかった。
絶対安静を医師から言い渡され、面会謝絶を仕事に忠実な看護婦に押し付けられ・・・仕方なしに寝ることしか私には許されなかった。
とはいえ、そのままおとなしく従う訳にはゆかない。
神殿でのセフィロスの様子から見て、エアリスが無事である確率は決して高いとは言えないものだ。
一刻も早く。
そう気ばかりが焦る私の前に、都市開発部門の主任であるリーブ氏が見舞いと称して病室を訪れた。 「死んだ・・・彼女が!?」
バサリ、と紙が落ちる音が静かな部屋に響き渡る。
それがどこか遠い所でのことの様に私には思えてならなかった。
実際は、私自身がやったことなのだけれど。
「・・・ええ。エアリス・ゲインズブールは死にました。セフィロスに殺されたんです。」
きっぱりと、しかし何処か辛そうにリーブ氏は言った。
私の体を気づかっているのか、彼はゆっくりと事の経緯を話し始める。
話の内容といえば、古代種の神殿で黒マテリアが錯乱したクラウドによってセフィロスの手に渡り、その後エアリスが姿を消したという。そして、彼女を追いかける形で辿り着いた忘らるる都で悲劇は起きたのだという。
つまり、エアリスがセフィロスに殺されたということが。
彼女の遺体はクラウドの手によって忘らるる都の中にある湖に埋葬された、と言った所でリーブ氏は一呼吸ついた。
そして最後にこう言う。
「彼女は、死の直前に微笑んでいました。穏やかに、どこか嬉しそうに・・・。」
終わりの方は震えた声になっていた。
そのまま、静かにうなだれる。
神羅のスパイとして猫型(?)のロボットの遠隔操縦者でもある彼にとっても、エアリスの死は辛いものだったのだろうか。
「そうです、か・・・。」
うなだれたままのリーブ氏に私が言えたのはそれだけだった。
そう答えるのがやっとだった。
それ以上のことを答える術がその時の私にはまるで思いつかなかった。
実際の所、リーブ氏の姿を視界に入れてはいても、私にはまともに彼が見えてはいない。エアリスの『死』は、目の前に突然暗闇が訪れた様な、そんな衝撃を私にもたらした。

機械で彩られた街、ミッドガルには昼夜という感覚があまり無い。

まして下層に存在するスラムにいれば尚のことだ。
そのスラムに、私はいた。
リーブ氏が病室から去って暫くした後、病院を抜け出したのだ。
胸の傷は完治していない。
これは脱走と呼ばれるものに近いだろう。
それでも、構わなかった。
目指した場所は唯一つ。
エアリスが育てた花々の咲く廃教会。
何故其処を?と聞かれると上手く説明は出来ない。
ただ行きたいという衝動のままに動いてしまった。
上層から電車に乗り込み、疼く胸の痛みを気力で無視しつつスラムに降り立つ。
ガラス面にひびが走った時計台が午後3時を示しているのを眺め、まっすぐ廃教会への道を目指した。
すれ違う人々のほとんどが、口々にここ最近の世界の異常について語っている。
突然現われた隕石、巨大な怪物・・・何も知らされていない彼等でも、この不安は神羅の情報網を以てしても隠蔽することは難しいだろう。
「世界の終わり」、そう叫びながら熱弁を奮う者もいた。
その単語がやたら耳に残った。
確かにそうかもしれない、と思ってしまったのだ。
らしくない考えだ、と自分をあざ笑いたくなる。
エアリスの事を考える。
すると、自分の中でぽっかりと大きな穴が空いてしまったような心地になった。
大きな、どこまでも底の見えない暗い穴が。
彼女の死を思うと、そんなものが頭をよぎる。
「情けない・・・。」
こんな思いをするなんて。
「どうして・・・。」
何故、私はここにいるのだ。
エアリスが死の危険にさらされた時になにも出来ずにいて。
「これではただの・・・。」
道化だ。
幼い頃から追い続けた少女を、こんな形で見失うとは。
自分自身の存在が、これ程疎ましく感じたのは今までなかった。 フラフラと、ではあるがどうやら教会には無事着いたらしい。
以前よりも更に、朽ちたように見えるのは私の目の錯覚だろうか?
神の教えを伝えるという役目を終え、その後の主ももうこの世にはいない。
もう、この世には・・・。
錆びた扉に手を掛ける。
鍵などついている筈もなく、けれど油の差してもいないその扉は重々しい音を立てながら開いた。
内部はスラムの中にしてはかなり明るく、今が確かに日中であることを思い出させた。
そして、中心にはエアリスの育てた花が・・・。
「なっ・・・!」
思わず声を出してしまった。
信じられない存在が花畑の中に居る。
まさか、と錯覚を吹き飛ばすように首を振る。
しかしそれでも、『彼女』は其処に変わらずたたずんでいた。
「幻・・・?」
非現実的な事さえ口にしてしまう。
私の中の彼女に生きていて欲しいという願望が叶えた幻なのだろうか?
けれどその幻は、扉の側で動けない私を見つけて微笑みすらしたのだ。
そして幻のエアリスはゆっくりと唇を動かす。
「どうしてそんな所に立ったままなの、ツォン?」
・・・と。 「生きて・・・いたのか。」
彼女を前にしてまず発せられたのはその一言。
それを至極不愉快そうに(当然のことではあるが)彼女、エアリスは受け止めた。
「何よそれ〜、感動の再会シーンで言う台詞じゃないんじゃない?」
しかめ面を浮かべてそう言う。昔、冗談混じりで彼女はよくそういう仕草を私の前でしたものだった。
けれど今の状態では、余り効果はない。
砕かれたステンドグラスの隙間から漏れる陽光が、彼女の身に降り注いでいる。
光の中でエアリスはじっと動かないまま。
神聖さすら感じさせるその光景に、息を呑まずにはいられなかった。
一度でも瞬きをしたら消えてしまうのではないかと思い、何も言わぬままじっとエアリスを見つめる。
そしてゆっくりと彼女に近づいた。
私の指が髪に触れても、頬の線に指が降りてきても、エアリスは何も言わなかった。
最後に、確かめるように、ゆっくりと唇をなぞる。
「生きて、いたんだな・・・。」
もう一度、噛み締める様に同じ言葉を絞り出す。
そんな私の目の前でエアリスは静かな調子で口を開いた。
「聞いたんだね、私がセフィロスに殺された、ってこと・・・。」
「ああ。でも誤報だったようだな。」
何時になく浮かれる自分とは正反対に、エアリスは悲しげに眉を寄せた。
「・・・・・・本当のことなの。」
「エアリス?」
「本当のことなの。私が忘れらるる都でセフィロスに殺されたってことも、そして、その体を湖に沈められたっていう事も・・・全部、本当のことなの。」
エアリスが何を言いいたいのか、全く理解出来なかった。
まるきり矛盾した発言だ、と思う。
「では目の前にいる君はどうなるんだ?どう説明をつけるというんだ?」
当り前の疑問を当り前のようにぶつける。
それに対してもエアリスは静かな調子のままで答えた。
「本当なら、死んだ私の魂は星と一つとなる筈なの。でも、古代種である私にはまだ果たさなければならないことがあるから・・・だからまだ、私の意識はライフストリームの中にあっても独立したままなの。」
「意識が・・・。」
確かに古代種である彼女ならば、そんな不可思議なことが起きたとしてもおかしくはないかもしれない。しかし。
「では、この体は、私が今触れた君の体はなんだというんだ?」
つい先程エアリス自身が「湖に沈められた」と言った体が何故このミッドガルにあるというのか。
「それは・・・言えないの。ごめんなさい。」
「言えない?何故・・・。」
「・・・理由を話してしまった途端に私はこの状態を保てなくなってしまうから。」
だから聞かないで、そう言ってエアリスは顔を伏せてしまった。
そんな彼女を前にしてはこれ以上の言及は出来なくなってしまう。
「・・・・・・解った。もう何も聞かない。」
そもそも私にとって、何故彼女がいるのか、その理由など必要なものではなかった。
本当に必要な事は、今彼女が私の目の前にいるということ。
それだけだ。
「ありがとう、ツォン。」
感謝の言葉と共にエアリスが私を見上げた。
幼き頃から変わらぬ緑色の眼差しに、少年の様に心を弾ませている自分を感じて、私は思わずエアリスから目線を反らしてしまう。
その一瞬だった。
「なら、ハイ!」
嬉しそうなエアリスの声に気付くと思えば、目の前でひらひらとチケットが二枚揺れている。
「・・・これは?」
努めて冷静な声を出しつつエアリスを見た。
「何って映画のチケットよ、『LOVELESS』。知らない?」
そんな私にお構いなしとばかりに、エアリスは笑顔で答える。
先程までのしおらしい態度はなんであったのだろうか。
「いや、私が聞きたいのはそうじゃなくて・・・。」
めまいを感じつつ、尋ねる。
「そうじゃなくて?」
可愛らしくエアリスは首を傾げて見せる。
こういう彼女の仕草に弱い・・・のは置いておいて。
「解っているのか?何故君がミッドガルにいるのかは目をつむるとしても、私は・・・。」
そこから先は、エアリスの手による制止で遮られた。
「「神羅のタークスなんだぞ」、でしょう?いつもそればっかりなんだね、ツォンは・・・。」
でもね、とエアリスは言う。
「今日は、今日だけは別にして。今日だけでいいから、タークスじゃないツォンを私に頂戴・・・お願い。」
「タークスじゃない、私だと?」
当惑を覚えずにはいられない発言だった。
遠い昔に出会って以来、そんなことは一度として彼女が言ったことはないのだ。
何時だって私は、『タークス』のツォンとしてしかエアリスに見られていたのに。
「今日だけ、なんだな?」
「え?」
「今はまだ怪我の静養の為の休暇中だ。・・・だから私はタークスのツォンではない。」
「! ツォン、それって・・・じゃぁ、いいのね?」
その問いに私は言葉ではなく頷くことで肯定の意を示した。
私の返答に子供の様に喜ぶエアリスを見つめながら、私はこれが夢ではないかと思った。
本当の私はまだ病院のベットに横たわったままで、真昼の惰眠を貪っているのではないか、と。
そんな眠りの中で、こんな夢のような夢を見ているのではないか、と。
ところがその思案は、差し出された手のひらによって中途を余儀なくされる。
差出人は言うまでもなかった。
「決まったなら早く行かなくちゃ。映画、始まっちゃうわよ?」
未だ戸惑ったままの私の手を無理矢理に引っぱり始める。
温かい、生きている人間の熱が手のひら越しに伝わってくる。



まるで、疑っている私に「夢ではない」と言い聞かせるように。
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