この手の先に


この手の先に貴方が見えるなら
この手の先にお前が見えるなら

もう決して迷わない。







      
 メイが元の世界に戻ってから、三カ月が過ぎようとしていた。
「んじゃーね、芽衣」
「うん。バイバイ♪」
 友人と家の門の前で別れる。
 メイは家に入った。
 両親の姿がない。
「今日は仕事休みなはずなのに。買い物でも行ったかな?」
 言いながら洗面所に向かう。
 顔を洗ってから、二階に上り、自室に入った。
 かばんを机の横に置く。
 着替えようと着ている制服に手をかけ・・・その手はそのままぱたり、と落ちた。
 ベッドにすとんと腰かける。
「・・・・・・ディアーナ、シルフィス、キール、皆元気かな・・・・・・」
 ―レオニス・・・・・・。
 突然の帰還だった。彼とは一目も会えずに。
 『またね、隊長さん』
 たしか、最後に会った言葉はそれ。
 なぜまた、なんて言えたのだろう?
 次が来る保証などありはしなかったのに。
 別れも言っていない。お礼も言っていない。
 それから。
 ズキリ、と鋭く胸が痛んだ。
 『心配したけど、相変わらず元気でよかった』
 それは、友だちたちの言葉。
 メイは無理やり笑顔を浮かべた。
「元気が、あたしの取り柄だもんね」
 明るく言って、立ち上がる。
 机の方へ歩いていく。
「あーあ、また山のように宿題があるよ〜」
 レオニスは、少しは自分の事を思い出してくれているだろうか。
「一年近いブランクは大きいよいね」
 彼の心の聖域には、ディアーナの母親が住んでいる。他の誰も、彼の心の奥を占めることはできないのだ。
「少しは先生も手加減してくれてもいいのにさー」
 それどころか自分は、あの人にとって親しい人間の一人にさえ入っていなかったのかもしれない。
 ・・・きっと、うるさいのがいなくなって清々してるよね。
「ま、追試受けさせてくれるだけいいかー。・・・・・・」
 メイは顔を伏せた。
 会いたい。
 会いたい。
 けれどあの世界は、月よりも遠い・・・・・・。
 メイはこの世界に戻ってから、一度も泣いたことはなかった。
 彼女の周りには絶えず誰かがいたし、彼女はそんな友人や家族に心配をかけたくなかったからだった。
 けれど、今は一人。
「・・・う・・・」
 嗚咽が、漏れる。
 いいよね?
 メイはしゃくりあげた。
 明日からは、ちゃんと笑うから。すぐに、元気な自分に戻るから。
「・・・うう・・・」
 会いたいよ・・・貴方に。
 キィン。
「!?」
 鋭い頭痛がした。けれど異世界に渡った時ほど酷いものではない。
 窓の外から眩しい光が一瞬はじけた。
「何!?」
 驚いて、窓を開けバルコニーに出る。
 その手すりの下に。
 自分を見上げているのは。
「―レオニス!?」
「・・・・・・」
 間違いなくレオニスだった。彼の足元にある魔方陣が、かすかに光を残している。だがそれは見る間に消えていった。
「どうして!?」
「・・・・・・忘れ物だ」
 言って、レオニスはメイに向かって何かを投げた。
「ひゃっ?」
 なんとか、メイはそれを受け止める。
「危ないじゃないの! ・・・あ、これ・・・・・・」
 MDウォークマン。
 向こうの部屋に置いたままだった・・・・・・。
「ありがとう・・・・・・じゃなくて! どうやってここへ!?」
「キール殿が作っていた魔方陣ができあがったのでな。その機械がお前と空間の座標を作るのに役立った」
「それじゃあ・・・・・・?」
「もうここへ来ることは不可能だろうな。それに・・・あまり時間もないだろう。キール殿たちがすでに私の帰還の魔法を向こうで唱えているはずだ」
「そ・・・っか・・・」
「・・・・・・泣いていたのか」
 レオニスの言葉に、メイはハッと目元をこすった。
 にこっと笑うと、明るい調子で言う。
「ううん、あくび♪ ・・・・・・でも、会えて嬉しいな」
 胸が痛かった。
 ああ。
 やっぱり、レオニスが好きだ・・・!
「さよならも、言えなかったから・・・・・・」
「・・・・・・そうか」
「・・・うん」
 メイは少し、笑って見せた。
「突然だったでしょ。あいさつもできなくてさー」
「ああ」
「だから、ちゃんとお別れが言えて嬉しい」
 届きそうで届かない距離。階段を駆け降りれば触れられる。けれど二階のベランダから見下ろす彼の姿は、ひどく遠く感じた。
 それは次元の見えない壁。
 こんなに近くに見えていても、メイとレオニスは生きていく世界が違う。
 そこに立っているレオニスに、メイはへへ、と照れたように笑った。
「さよなら」
 自分のその言葉が、ぐさりと胸をつく。
 ち、がう。
「元気でね、隊長さん」
 違う!
 違う!!
 ―こんなことが言いたかったんじゃない!
 本当は。
「お前もな・・・メイ?」
 レオニスは驚いたように少女を見た。メイの笑顔が、くしゃりと歪んでいた。
「―さよならが言いたかったんじゃない! お別れがしたいんじゃないの!!」
 二度と会えない。
 もうこうやってしゃべることも、見ることさえできない。
 胸が痛い。
 苦しくて死んでしまいそうだった。
 メイはぎゅっと目を閉じた。それでも涙は、止まらなかった。
「離れたくないの! ―もう会えないなんて嫌だ!!」
 無茶苦茶言ってる。
 そう、メイは思った。
 レオニスは困っているだろう。彼は自分を好きなわけじゃないのに。
「・・・・・・」
 ごめんね、困らせて。
 メイは涙をぬぐい、笑って見せようとした。ちゃんと、さよならを言おう。そう思って顔を上げようとしたメイに、強い声が響いた。
「来い!!」
 え?
 そう顔を上げた先に。
 レオニスが手を伸ばしていた。
 ただ真っすぐに―メイへと向かって。
「レオ・・・」
「来い、メイ! 私の手をつかめ!!」
 何も考えられず。
 メイは手すりを乗り越え、レオニスへと飛んだ。
 レオニスの逞しい腕が、彼女を抱き止める。
「・・・相変わらず、軽いな」
「あ、あたし・・・」
「芽衣!!」
 悲鳴のような声が聞こえた。
 メイは振り返る。
 そこには、買い物袋を落とした母親とその横で立ち尽くす父親。
 レオニスはそっとメイを下ろした。
 地面に立ったメイは、二人を見た。


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