Calling



      
 メイが突然異世界へと帰還してから、半年が過ぎようとしていた。
「無茶ですよぉ、殿下〜」
 アイシュは泣きそうになっている。
 キールはチッと舌打ちをした。
 周りの魔導士たちも、魔方陣の真ん中で片膝を折っているセイリオスをおろおろと見つめていた。
 平然としているのは疲れに肩で息をしているセイリオスと、それを見ているシオンだけだった。
 セイリオスはふう、と息をつく。
 そして、キールを見る。
「どうだ?」
「・・・・・・かすったのですが」
 つとめて冷静に答えるキールの声は、だが悔しさに小さく震えていた。
 しかしセイリオスの声には喜色が混じる。
「かすったのか」
 では、もう少しだな。
 そう続けるセイリオスに、アイシュは再び声を上げる。
「やめてください〜。本当に危険なんですぅ」
「・・・・・・殿下」
 問いかけるキールの目に、セイリオスは強く頷く。
 アイシュはあせってかたわらのシオンを見た。
「お願いです、止めてください〜」
 キールがメイを送り返すために研究していた魔方陣が、最近になって完成したのだ。
 セイリオスはそれを使って何度もメイの世界にとぼうとしていたが、失敗続きだった。
 何もセイリオスが自身でやることはないとキールも今までに何度も訴えていたのだが、セイリオスは彼特有の柔らかい・・・けれど決して折れないだろう笑みでもってその提案をやんわりとはねつけていた。
『姫を迎えに行くのは、王子と決まっているのだろう?』
 そんな彼の言葉に、キールは抵抗を諦めたのだ。
「危険すぎます〜。今まで無事だからと言って、今度も無事とは限らないんですよー!」
 アイシュのその言葉は至極もっともだった。
 それでも、その事をよく分かっているだろうシオンは何も言わない。
 アイシュはそんなシオンに、苛立ちさえ感じ始めていた。
 普段なら、真っ先に止めるだろうシオンがこの件に関して何も言わないのが不思議だった。
「・・・・・・しょーがねーだろ。セイルのお姫様は嬢ちゃんしかいないし」
 ぽつりとシオンは呟くように言った。
「・・・・・・嬢ちゃんの王子様にはセイルしかなれねーんだから」
 その声に複雑な響きが混じっているのを、アイシュは気づかなかった。
 魔方陣が再び光を放ち始める。
 アイシュは慌てて目をやった。
「殿下・・・!」
 セイリオスは圧迫する空気に、眉を寄せる。
 これぐらいの苦しみがなんだ、と思う。
 メイを失ったと思った時の、あの衝撃に比べれば。
 彼女がいないのだと、日が過ぎるごとに思い知らされた、彼女が次元の向こうに消えてから今までの空虚な毎日に立ち尽くしていた時間に比べれば。
『殿下ー!』
 明るい、彼女の声が耳に甦る。
 そう言えば彼女は一度も自分の名を呼んではくれなかったな、とこんな時なのに苦笑に近い感情がセイリオスの胸に浮かんだ。
 セイリオスは襲ってくる激しい頭痛にぎゅっと目を閉ざした。
 今度は、殿下、ではなく自分の名を呼んでほしいと思う。
「・・・・・・メイ・・・・・・」
 セイリオス。
 そうセイリオスにかすかに届いたメイの声は幻聴か。
 呼んでくれ、私を。
 もっと。
 もっと強く。
 そうしたら。
「私は・・・・・・」
 その声は、次元を無理やり越える圧力に言葉にならなかった。
 私は、君を迎えに行くよ。
 今。
 私が行く。






 時が全てを癒してくれる。
 そう、思っていた。
 シルフィスやディアーナやキール、シオン達に会えない寂しさも。
 そして。
 メイの脳裏にセイリオスの優しい眼差しが甦る。
 ・・・・・この、恋も。
 時間が、癒してくれると・・・・・・。
 メイは小さくため息をついた。
「芽衣!」
 背後から、よく知った声がかけられた。
 メイは足を止めると、振り返る。
 そこには予想していた通りの人物が立っていた。
「煉」
 人込みでもハッと誰もの目を引くだろう秀麗な顔。だが鋭い眉と口元、そして陽に焼けた色が彼を軟弱には見せない。どこから見ても文句のないハンサムな少年が、メイににこりと笑った。そうすると、歳よりずいぶんと大人びた印象の顔だちが、ぐっと歳相応に幼く見える。
「俺をおいて先行っちまうんだからな〜」
 そうぼやく弟に、メイは肩をすくめた。
 藤原煉(れん)。メイの2歳年下の弟である。
 まだ14歳なのだが、とてもそうは見えない。身長からしてすでに176センチもある。男子は女子より身長が伸びるのが遅いはずなのに、煉は小学校の5年で160あった。将来的には180センチどころか2メートルまでいくのではないかと言うのは、彼の周りの誰もの意見だ。
 有名高校からスカウトがくるバスケットプレーヤーであり、全国区の模試で必ず100番以内に入る秀才でもある。数年前に始めた剣道と空手でも、有段者の実力は身につけているらしい。
 この辺りで煉のことを知らない者はいない。
 眉目秀麗。文武両道。
 天から二物どころか三物も四物も与えられている煉だが、「その分欠点も大きい」とは彼にあこがれる女の子たちの言。「世の中上手くできている」とは煉の男友だちの意見。
 すなわち。
 彼は極度の、世に言う所のアレだった。
 本人は恥じるつもりも隠すつもりもないらしく、「芽衣が姉貴じゃなかったら、恋人にしている」と公言してはばからない。
「だってあんた、今日創立記念で学校休みでしょーが」
「だからさ」
 煉はひょいとかがむと、メイのかばんを手早く奪い取った。
「今日は芽衣の学校まで送っていくよ」
「やめてよ〜」
 こいつが校門まで来た日には、どんな騒ぎになることか。
 頭が痛くなって、メイは首をふる。
 友人たちは泣いて喜ぶかもしれないが、メイは冗談ではなかった。
「煉が来ると、皆大騒ぎなんだから!」
「そりゃ、俺がかっこいいから」
「・・・・・・」
 確かにそのとおりなのだが、平然と言われるとムッとくる。
 だいたいメイはこの弟と歩くことがあまり好きではないのだ。ただでさえ低い身長を気にしているのに、それがさらに目立ってしかたない。
「・・・・・・心配だからさ。頼むよ、姉貴」
 ふいと浮かぶ真摯なその目の色に、メイはしかたなく折れてしまう。
 自分が行方不明の間、この弟の落ち込みようといったらひどかったらしい。
 あの日、迎えに行っていれば、と自分自身を責めてもいたようだ。
「・・・・・わかったわかった」
 意識的に軽く言って、メイは笑った。
 煉はほっとした表情になって、彼女の横を歩き出す。
 メイは並んで歩きながら、なんとはなしに弟の端正な横顔を見た。
 そう言えば前々からかなりシスコンだと呆れてはいたが、メイがこの世界に戻ってからはさらに度が増したような気がする。
 セイリオスも、けっこうシスコンだったよね。
 ふとそう思って、ズキリと胸の奥が痛んだ。
 きゅっと唇を噛む。
 どうしてだろう。
 どうして、何も見ても何を思っても、すぐに想いがセイリオスの方へ行ってしまうのだろう。
「芽衣?」
 気がつくと、心配げな目がすぐ間近にあった。
「え?」
「どうした?」
「あ、何でもないよ」
「・・・・・・何でもないって顔じゃないな」
 すう、と煉はメイの頬を指で触れる。
 メイは元気良く笑って見せて、その手をはじいた。
「大丈夫だってば。煉もいいかげんに姉ばなれしなさいよ?」
 からかうように言ってから、メイは学校への道を駆け出した。
 煉はあわてて、その後を追った。



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