Calling U



      
 メイ。
 そう、呼ばれた気がした。
 はっとメイは教科書から顔を上げる。
 黒板に構文を走らせている、教師の背中が映る。
「・・・・・・」
 メイは少し息をついて、視線を窓辺に反らした。
 席替えでの新しいメイの席は、窓側だ。
 真っ青に晴れ渡った秋空が、なぜか悲しかった。
 ・・・会いたいな。
 思い出すのは穏やかなセイリオスの微笑み。そして、ふとした時に見えかくれする怖いほど真剣な自分を見る目。何か言いたげだった、その碧玉の瞳―。
 メイは、小さく笑った。
 何をうぬぼれてるんだか・・・・・・。
 それは苦い笑みだった。
 何か言いたかったのは自分。彼ではない。
 こんなに突然に別れることになるとは思わなかったから、自分の気持ちを伝えていなかった。
 いや、告白するのが怖かったのだ。
 メイは、あの優しい笑みで柔らかく拒絶されるのが怖かったのだ。
 だが、振られたとしてもせめて自分の気持ちを打ち明けていれば、こんなふうに後悔とやるせなさとそして恋しさに捕らわれずにすんだかもしれないとも思う。
 それとも今以上に苦しかっただろうか。
 ・・・セイリオス。
 メイは、一度も口に出したことのない名を心の中で呼んだ。
 半年。
 時はメイのセイリオスへの想いを薄れさせてはくれなかった。
 この苦しみを癒してはくれなかった。
「芽衣?」
 ささやき声が、メイを我に返らせる。
 隣の席の友だちが、教科書を立てながらメイの方を見ていた。
「気分でも悪いの?」
「だいじょぶ。ありがとね♪」
 メイも級友にささやき声で返す。
 笑って、軽くウインク。
 いつものその芽衣の元気な様子に、級友は安心したように前に目を戻した。
 ため息と泣き顔は自分には似合わない。
 大丈夫。
 明るく、強く、メイは自分に言い聞かせ黒板に目を戻した。
 時間が切なさをいやしてくれると思っていた。
 それは無理だったけれど。
 ずっと、ずっと苦しいなら。
 いつかこの痛みにも、慣れてしまうだろう。
 だから。
 ・・・・・・きっと、あたしは大丈夫・・・・・・。







「・・・・・・やっぱ、おかしいよな」
 メイがそこにいれば、「おかしいのはそっちだ」とつっこまれていたことだろう。
 すでに学校では3限目の半ばだというのに、まだ煉は校門の陰に立っていた。
 どこで買って来たのか、その手には缶コーヒーが握られている。
 女子高校の校門の陰に何時間も立つ男。変質者扱いされてもしかたないところだが、幸いにも彼は文武において地元の星であり、極度の姉想いでも知られていた。
 道行く人は目立つ煉をはじめ不審な目で見るが、秀麗なその彼の横顔に煉だと気づくと、何も言わずに通り過ぎてゆく。
 煉は陰からちらちらと、メイの教室を見やる。
 煉の視力は余裕で1,5以上。窓辺の姉の横顔をはっきりと見てとれた。
「・・・・・・」
 メイが無事自分たちの元に戻ってきてくれてから半年。
 姉がどこか落ち込んでいるのを、煉だけが知っていた。
 メイは変わらず明るく振る舞っていたが、今のところ彼女のことがこの世で一番大事な煉が気づかないわけがない。
 異世界の話はメイから聞いていた。煉はメイの言葉だから、そのことを疑ってはいなかった。
 その異世界とかに、正確にはその世界の誰かに、更に正確にはその世界の男の誰かに未練でもあるのだろうか。
 それは煉には正直おもしろくない予想だったが、核心に近いことも分かっていた。
 だからどうしようというわけではない。
 自分がどうできるわけでもない。
 ただ、放って置けないのだ。
 姉の騎士役は自分だと、煉は思っている。
 だが煉自身は気づいていないが、本当は煉の知らないうちに姉がまたいなくなることを恐れているのだった。
 3限目がそろそろ終わろうかと言う時、眩しい光が教室から放たれた。
 悲鳴が聞こえる。
 何か考える前に、煉は空の缶を後方に放り投げると駆け出していた。
 缶は道端のダストボックスの中に、小さく音をたてて落ちた。







 眩しい光が、教室に広がった。
 あちこちから、悲鳴が上がる。
「な、何!?」
 メイも目を庇いながら席を立つ。
 光は急速に収まった。
 床に走るのは魔方陣の残光。
 そこに立っているのは。
「―殿下・・・・・・」
「!?」
 セイリオスもまた、メイに気づいた。
 悪戯を見つけられた子どものような、困ったような笑顔を浮かべる。
「・・・・・・やあ」
「ど、どうして」
 喜びに、胸が高鳴る。
 諦めていた再会が、こんなに突然にかなうとは。
 教室は静まり返っていた。
 メイはセイリオスに近寄ろうとする。
 だがその前に、教師が我に返った。
「き、君はいったい何者だ!」
 声が震えているのはいたしかたない。
 セイリオスは彼を見、少しだけ頭を下げた。
「失礼。すぐに終わりますので、少し待って下さい」
 柔らかなのに、否を言わせない声。
 それに気圧されて、誰もが口をつぐんでしまう。
 セイリオスはメイに目を戻すと、優しく笑んだ。
 メイは上ずった声を上げる。
「で、殿下。どうしてここに?」
「キールの魔方陣で。・・・・・・すぐにも帰還の魔法が働くだろうが」
「そ、そっか・・・」
 喜びが、しぼんでいく。
 メイは少しだけ目を伏せた。
 当たり前だ。セイリオスがずっとここにいられるわけがないのに。
「・・・・・・・・・」
 セイリオスはそんなメイを見つめ、そして意を決した様子で口を開いた。
「君を迎えに来た」
「え?」
 メイは、反射的に顔を上げる。
 セイリオスは彼女を真っすぐ見ながら続けた。
「―たしかに君は、特別美しいわけでも聡明なわけでも気品があるわけでもない」
「・・・・・・あのねぇ」
 怒るのを通り越して呆れてしまう。それは、メイだけではなかった。
 突然現れた美形の、語られる内容に誰もがあっけにとられている。
「しかし、君には強さがある。(私を)救ってくれる本当の強さが」
「それって、殿下・・・・・・」
「君でなければダメなんだ」
「あたしを兵士に勧誘してんの?」
「違う!」
 言って、セイリオスは額を押さえた。
 『言っておくが、嬢ちゃんには遠回しな表現は通じないぜ。ことに、恋愛関係は』
 シオンの忠告が甦る。
 セイリオスは気を取り直し、メイに手を差しのべた。
「君がいなくなってから、私は、私人としての私の心は、全てを失ったように空虚だった。私がどれだけ君の笑顔に救われていたか、思い知ったよ」
「殿下・・・」
「メイ。どうか私の手を拒まないで欲しい。―私の王妃になってくれないか」
 教室から驚きの声が上がる。だが、更に大きな声をメイは上げた。
「あああ、あんた!!」
「あ・・・あんた?」
 思わず絶句してしまうセイリオス。
 メイは構わず怒鳴る。
「殿下! あたしをあんたのお父さんと結婚させるつもりなの!?」
「ばっ、馬鹿者!! そんなわけなかろう!!」
 珍しくセイリオスはあせったように声を荒げた。
 それでも睨むのをやめない少女に、セイリオスはふうと息をついた。
「『私の王妃に』と言っただろう。―今度父が退位する。わたしが王になるのだ」
 愛し合ってダリスにディアーナが嫁いだとはいえ、これからもダリスとの交渉は続けていかなくてはならない。クラインは若い王を求めていた。
「え?」
「つまり」
 こほん、と咳払いし、セイリオスは居ずまいを正した。
 端麗な面に穏やかな微笑みが浮かぶ。
「君を、わたしの后に迎えたい」
「ええ!?」
「却下」
 冷たい・・・だが何か爆発寸前の静けさを漂わせた声が、響いた。
 つかつかと煉は近寄ると、メイの肩を抱く。
「芽衣は俺の(姉貴)だ。勝手なことほざくな」
「煉、あんたいつから―」
「だいたい、黙って聞いていれば・・・。失礼だろ。芽衣は充分可愛いし可愛いし可愛いぞ」
 『聡明でない』『気品がない』にはフォローがない煉の言葉だった。
 そんな弟にメイは「失礼なのはあんただ」と思う。
 セイリオスはメイになれなれしいその少年に、ムッとした表情を隠さなかった。
「君こそ彼女になれなれしいんじゃないか?」
「俺はいいんだよ。俺と芽衣とは(姉弟だから)特別だからな」
「・・・・・・ちょ、ちょっと煉!」
 誤解される。
 メイは激しく弟の腕を振り払った。
 『迎えに来た』。
 そう、手を差しのべてくれたセイリオス。
 まだ実感はわかないが、鼓動が早まっている。
 彼も。彼も?
 自分を想ってくれている?
「―セイリオスは、あたしの好きな人なんだからね!!」
 夢中で叫んでしまって、ハッとメイは口元を押さえた。
「メイ・・・」
「芽衣・・・」
 漏れたのは、同じ彼女の名。
 それなのに一方は驚きを隠せない喜びが、一方は苦いものに満ちていた。



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