祈り Y

 コン、とシオンは開いている扉を叩いた。
「今、いいかい?」
「シオン!」
 ディアーナは顔を上げると、ぱあっと表情を輝かせた。
 とても嬉しそうに、傍らに立つ作法の教師を仰ぐ。
「シオンが何かわたくしに用事があるようですから、今日はここまでにしてくださいませんこと?」
 教師は渋い顔になるが、扉のところに立つ宮廷筆頭魔導士がいっこうに遠慮するそぶりを見せないので、しかたなく頷いた。
 シオンは、軽く手を振って教師を見送る。そしてするり、と部屋に入った。
「よー、姫さん」
「助かりましたわ、シオン」
 そろそろ作法の授業には飽き飽きしていた所だったのだ。
 ちょうどいい口実ができてよかったのだが、ディアーナは不思議になって首をかしげた。
 シオンは授業を邪魔―ディアーナにとっては救いの手だが―するようなことは、今までなかったはずだ。
「何か・・・ありましたの?」
 しかし、政治向きのことなら自分ではなく兄の方へ行くはずだった。
 ディアーナが少し不安そうな目になるのに気づいて、シオンはいつもの軽い笑顔を浮かべた。
「深刻になるような話じゃないって。・・・ちょっと、まあ、姫さんにお願いがあってな♪」
「わたくしに?」
「そろそろ、メイとレオニスの結婚を許してやっちゃくれないかなーってな」
 ディアーナはその内容に驚きの声を上げた。
「まあ。いったいどういう風の吹き回しですの? シオンがそんなことを言うなんて・・・」
 ディアーナがレオニスとメイの結婚を反対した時、一番おもしろがってディアーナを応援していたのはシオンのはずだった。
 しかしディアーナも、いい加減祝福してあげようと思っていた所だった。ディアーナの願いはメイの幸せなのだから、レオニスには少し不満だがしかたがない。
「それはもちろん、わたくしもそろそろレオニスを許してあげようと思っていましたけど。だってメイがレオニスがいいって言うのですからしかたないですもの」
「なら、OKだな」
 ディアーナは気づかなかったが、口調は軽いがシオンの目は真剣だった。
「今週中にも結婚式をあげさせよう」
 あまりの速さに、ディアーナは呆れてしまう。突然結婚に賛成したかと思えば、もう数日のうちに式を上げさせようとするシオンの変わり身に驚くばかりだった。
「・・・少し、急ぎすぎではありませんこと? メイたちにも聞かずに・・・」
「こういうのは早い方がいいんだって♪」
「・・・・・・その話はまた今度にな」
 突然、かたい声が二人の間に割って入った。
 シオンは小さく舌打ちしながら、声の主を振り返る。
 声の主もまた、硬い目で幼なじみの魔導士を見ていた。
「お兄さま」
 ディアーナも、セイリオスを振り返る。セイリオスはすっと厳しい表情を消して、優しく妹に笑んだ。
「ディアーナ」
「どうなさったんですの? お兄さま」
「ああ。少しシオンに用事があってね。捜していたんだよ。シオン、わたしの執務室まで来てくれないか」
「・・・・・・。わーったよ」
 シオンは大げさにため息をつく。セイリオスはにっこり笑った。
「仕事から逃げてばかりいられると思わないことだ」
「そうですわよ、シオン」
 ディアーナはくすくすと笑う。
 いつものシオンと兄とのやりとりに、先ほど一瞬だけ感じた違和感がなくなっていた。
「シオン、お話はまたお仕事のない時に、ですわ」
「はいはい」
 シオンはそう軽く肩をすくめて笑う。
 シオンとセイリオスはディアーナを残して部屋を出た。扉が閉まった瞬間に、さきほどまでの和やかな雰囲気は消え去る。互いに押し黙り、セイリオスの執務室へと向かった。
 執務室につき、扉をしっかりと閉めてからシオンは黙ってセイリオスを見た。
 セイリオスは、きつい眼差しでシオンを見る。カギのかかった棚から取り出した書類を机にばさりと放った。
「どういうことだ、シオン」
「どうって?」
「・・・・・・なぜわたしの所まで書類がまわってこなかった」
「わざわざお前に見せるまでもないと思ったからさ」
「シオン!」
 わざとふざけたように応えるシオンに、セイリオスは珍しくダン、と机上を手で打った。
「お前は・・・お前は、故意に書類を自分のところで止めたんだぞ。それがどういう意味になるかわかっていないわけないだろう!?」
 下からの報告を、宮廷の筆頭魔導士が握りつぶしていた。
 それは決して許されることではなかった。
 シオンが不在だった時、指示を仰ぎに研究院の者が来た時にセイリオスがいたからよかった。セイリオスはその場は自分が知っているように納められたからいいものの、いくらシオンといえど、事が明るみにでれば失脚も免れないところだった。
 しかもその報告は、誇張ではなくクライン王国の―いや、この世界全ての命運がかかっているものなのだ。
「・・・・・・」
 頭を抱えるセイリオスに、シオンは口を開いた。
「セイリオス・・・セイル、その報告書は正しいものじゃない」
「それを判断するのは、お前だけではないだろう」
「事の真偽なんか、関係なくなっちまうだろ! それが発表されれば!!」
 報告書のそれは、メイを災いの元凶であるとしていた。一刻も早く、メイ=フジワラをこの世界から追放するべし、と。
 もちろんそれをセイリオスは鵜呑みにしたわけではない。
「・・・発表するつもりはない。事の真偽がもっと明らかになるまで、パニックはおこしたくない」
 メイが傷つけられるのも、セイリオスは嫌だった。彼女はセイリオスにとっても、大切な友人の一人なのだ。
 シオンがメイを思ってやったことなのも分かっていた。けれどそれでも許されないこともあるし、何より自分がこの報告書を額面通りに受け取ってさらに公表すると思われたことが辛かった。
「わたしが、何も確かめずに公表すると、そんな事をすると思ったのか」
「セイル、セイル、お前はわかっちゃいない」
 シオンは、言い聞かせるように言う。
「俺はお前がそんな事をするなんて微塵も思ってない。けどな、お前は人間を信用しすぎるよ。これがお前の手に渡り、ほんの一部の高官たちと俺たちで討議される。・・・いいか、この『ほんの一握り』の人間がやっかいなんだ。―何も言うな、俺も高官たちを全員疑ってるわけじゃない。けどな、どうしたって情報は漏れる・・・・・・こういうものならなおさらだ」
 シオンは報告してきた研究院の者達にもきつく口止めしている。研究院内でも内密にしろと。
 しかし・・・ゆるやかに、ゆるやかに情報が漏れているのをシオンは知っていた。
「正式に討議された報告となったら、ただ『研究院で出てきた一つの予想』以上の真実味を帯びる。それが、漏れたら」
「・・・・・・」
「初めはゆるやかだろうさ、だが後は倍々ゲームのように知る人間は増えていく。そうなったら止められない・・・爆発するだけだ」
 だが、もう遅い。
 シオンはそれを知っていた。書類はセイリオスの手に渡ってしまった。報告だけでなく書類の形になっているということは、すでに幾人かの手を渡っているのだ。
 もう自分にもその情報が流れるのを止められないことも、シオンは分かっていた。

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