祈り Z

 激しい雨が、路上を叩いている。
 ここ数日の快晴でこのまま災厄も静まっていくのではないかという、希望にもにた人々の憶測は外れた。国境付近を跋扈する狂獣の被害で、クラインと国外の輸送経路はほとんど絶たれていた。商隊はめったに街に訪れず、異常気象で国内の農作物も各地で大きな被害を受けている。
 メイがいるこの街も、じりじりと物価が高くなってきていた。
 いつまでも何の対策も見つけられない王家に対しても、国民から徐々に不満が出てきつつある。
「・・・・・・」
 雨の中、メイは魔法研究院に急いでいた。
 魔法研究院では今も災厄を静める方法を調べている。研究院の1エリアは全てそこにあてられ、研究院に属していない者も含め、国中のトップに連なる魔導士たちが集められていた。
 しかしメイはシオンに止められ、それに参加してはいない。メイはここ最近はシオンの所有の屋敷で、シオンと二人で災厄について調べていた。
 相変わらず指し示されるのはメイの存在ばかり。
 メイ自身、災厄の原因が自分以外考えられなくなっていた。
 どうすればいいのか。
 いや、どうすればいいのかは分かっていた。自分がこの世界を去ればいいのだ。それで全てが元に戻る。早ければ早いほどいい。1日遅くなれば、それだけ被害は増えていくのだ。
 けれど・・・・!
 メイは研究院の門をくぐった。
「メイ!?」
 びしょぬれのレインコートにかけかけた手が、その声に止まる。
 少し驚いた顔で、こちらに駆け寄るキールをメイは見た。
「キール」
「馬鹿っ」
 キールは小さな声で怒鳴ると、メイの腕をつかんで柱の影に引き寄せた。
「どうしてここに来た」
「いきなり馬鹿はないでしょ!? あ、あんまり近寄ったら濡れるよ」
 まだ脱いでいないレインコートの袖からは、ぽたぽたと雨水か滑り落ちている。
 だがメイの言葉を無視して、キールは続けた。
「研究院には近づくなって、シオン様から言われてないのか!?」
「言われてる」
「―ならっ」
「どーしてあたしが言うこときかなきゃならないわけ? どこに行こうがあたしの勝手じゃない」
「お前なっ」
 本気で怒りかけるキールを、メイは制した。
「ここであたしが災厄の原因だって出たから?」
「!? ・・・・・・どこで聞いた」
「聞かなくてもわかるよ、そんなの。シオンとあんたの様子を見てればね」
 メイは、軽く息をつく。
「あーあ、まったく冗談じゃないわよねー。もしあたしがそうだったって、それがあたしのせいかっていうのよ。原因だか何だか知らないけど、あたしが悪いんじゃないんだっつーの」
 あっけらかんとした口調に、キールは言葉をなくす。彼女が受けるショックを思って心配していたぶん、気が抜けたように肩から力が抜けた。
「・・・・・・まあ、その通りだな」
 キールは、優しく笑った。だがすぐにその目は真剣なものになる。
「だがな、メイ・・・この研究院にいる連中は」
「よくものこのこと災厄の元が顔を出せたものだ」
 含まれる棘を隠そうともしない声がかけられた。
 キールはそれに舌打ちすると、メイをすっと背中にかばう。
「まだそうと決まったわけじゃないだろ。それに、それは極秘事項だぞ」
 こんな所で軽々と口に出していいものじゃない。
 そう言外に示すキールに、二人組の通りがかりの魔導士は敵意に満ちた目を向けた。
「決まったわけじゃないだと? それ以外に考えられるか」
「まったく、本当なら即処刑か追放だというのに―」
「やめろ!」
 魔導士の言葉を強い声で遮り、キールは気遣わしげにメイをかすかに振り返った。
 処刑。
 その言葉に、しかしメイはショックを受けた様子もない。
 むしろキールを押しのけ、前に出た。
「あんたたち本当に一流の魔導士なわけ? 極秘って言われてることをこんなとこでべらべらべらべらしゃべっちゃうなんて、もしかしてまだ見習いなんじゃないの?」
「貴様! 自分の立場を分かってるのか!」
「やめろ」
 キールはメイと魔導士の間に割って入った。
「メイの言うことももっともだ。そうだろ。上からの命令に背くつもりか」
 そう言われて、魔導士は言葉につまる。
 悔しさに顔を歪ませたまま、踵を返した。もう一人の方は、
「シオン様もひいきがすぎる」
 そう捨て台詞を残して、先に行った男を追って行った。
 キールはそれを見てから、大きく息をついてメイを向いた。
「お前も。喧嘩売るようなマネはやめとけ」
「本当のこと言っただけよ」
 さらりと答えるメイに、キールは頭が痛くなった。
 まあ、落ち込まれるよりはいいか、とも思うのだが。
 メイはそんなキールを、軽く叩いた。
「んじゃ、あたし帰る」
「え? 何か用があったんじゃないのか」
「まあね。でもたいした用じゃないし、何か今のでムカついて気分悪くなったからさ、もう帰る」
 頬を小さくふくらませて立腹を表してから、メイはにこっと笑った。
「じゃあね!」
「おい!」
 外へ駆け出そうとしたメイを、キールが止める。
 メイは上半身だけで軽く振り返った。
「何?」
「・・・お前、早く結婚しろ」
「はぁ?」
「だから。姫のことは、俺がお許しを頂いておくから」
 キールは笑っていた。けれどその目の奥に隠された光は、真剣だった。
「式なんて後でもいいから、さっさと結婚の届けをだしとけ」
「どうして?」
「・・・・・・。ほら、結婚でもしたら、お前も落ち着くだろーからな」
「余計なお世話!」
 小さく舌を出して―その目は笑っていたが―、メイは跳ねるように雨の中を駆け出して行った。
 軽い足どりで駆け去っていくメイを見送って、キールは安堵に近い息をついた。そして小さく笑みを漏らしてから、研究院の奥へと消えた。
 角をいくつも曲がっていくうち、メイの足どりはとても軽やかとは言えないものになる。
 公園の噴水の前に、足が止まった。さすがにこの天気では、他に人影はない。噴水の水は溢れかえり、メイの足元を流れていく。
「・・・ちゃんと、あたしらしかったよね・・・」
 自分らしくふるまえたはず。
 メイはきゅっと唇を噛んだ。
 研究院では、別の結果がでているかもしれない。そんなはずがないのは分かっていても、一縷の望みを持ってしまった。けれどやはり、研究院が出した結果も同じだった。
 ・・・もうダメだ。
 この世界に自分はいてはいけない存在なんだ。
 この世界を去る・・・それは、元のメイがいた世界に戻るという単純な話ではないのも、今のメイには分かっていた。なぜなら今ある転移の魔法では・・・・・・。
「・・・・・・」
 泣いてしまいそうだった。
 どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 メイは自分の肩を抱きしめた。
 雨で冷えただけではなく、ひどく寒く感じた。
 抱きしめてほしい、今。抱いていてほしい。
「・・・・・レオニス」
 それで何が解決するというわけでもない。ただの気休めでしかない。
 けれどメイはいつものように、大丈夫だと、何も心配はないのだとささやいてほしかった。しっかりと抱きしめて、そばにいると言ってほしかった。







「メイが来てたのか」
 シオンがキールからそれを聞いて、彼を振り返った。
 シオンは研究院の様子を見に来ていたついでに、キールの研究室に寄っていた。
 キールはうなずく。
「ほんの今さっきです」
 キールはそして、さっきの出来事を話す。そして、ふっと優しい笑みでしめくくった。
「本当に、彼女は強いですよね」
「・・・・・・・・・。そうだな」
 シオンはそう答えながら、別のことを思い出していた。
 つい先日、シオンはディアーナに会いに来たシルフィスとばったり出くわした時に、メイの様子を聞いたのだ。シルフィスは「元気です」とにっこりと微笑んだ。
「・・・・・・」
「シオン様?」
「ん? ああ、何でもない」
 胸にあるのはかすかな苛立ち。それはメイへのものか、はたして自分へのものかシオンには分からなかった。
 シオンは軽く手を上げた。
「じゃあ、オレはそろそろ王宮に戻ることにする」
「はい」
「お前さんも、災厄のこと続けて調べていてくれ」
「分かっています」
「頼んだぜ」
 ことさら軽く言い、シオンはキールの研究室から出た。
 外を見ると、シオンが来た時よりさらに雨は激しくなっている。
『元気です』
『強いですよね』
 シオンは、変わらないメイの笑顔を想った。
「・・・・・・あの、馬鹿」
 シオンは、雨の中に駆け出した。

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