Guardian knight



 まだ幼い子供をこの手にかけた感触は、今も胸に残り。
 多くの命を奪ってきたこの手に、一人分の血を新たに加えただけだというのに。
 自分がひどく汚いものに思えて、クリスは動くことができなかった。
 守るもののために相手を殺す。
 そのことを後悔などしない。
 けれどあの少年のことは、それとは違って。
 自分の不覚を悔いることで、見えない何かに許しを請うているようで。
 ただ、そんな自分が卑怯に思えて。
「…………」
 本拠地での見回りで、少年の母親に会った時。
 クリスは動けなくなっていた。
 ルースはクリスに気がつき、そして彼女に近寄った。
 そして聞いたのは、自分の息子のことを、どう思っているか。
 ルースはじっと、クリスを見ている。
 騒がしい船の上で、彼女たち二人のいる空間だけが切る取られたように静かだった。
「…………正直なところを、知りたいね?」
 沈黙の後に続いたルースの声に、クリスは言葉を紡ごうとする。
「その……」
 けれど、何と言っていいのか分からない。
 父親の鎧に気を取られていた自分。襲ってきた少年に気づかなかったこと。危険を知らせる叫びに、背後に殺気を感じて、考える間もなく振り向きざまに切り捨ててしまったこと。
 まだ少年と呼ぶのさえはやいような、子供だった。普段の彼女なら、十分手加減できた技量だった。
 その握られた短剣は、まだその小さな手にはなじんでもいないのではないかと思った。
 様々な思いが表れて。
 けれどルースから目を背けることはいけないと感じて。
 絞り出た言葉は。
「…………すまなかった」
 それは、少年に対する謝罪というより、自分の不覚に対する悔恨だったのかもしれない。
 ルースは、ため息をついた。
 そして。
 キッと顔を上げる。
「―――馬鹿におしでないよ!!!」
 振り上げられた手は、渾身の力でクリスの頬を打った。
 殴打に近い音が響き、クリスの身体は傾ぐ。
 なんとか踏みとどまったクリスの耳に、ルースの激しい声が響いた。
「何様のつもりだい!! あんたは、今、私の息子を馬鹿にしたんだよ!?」
 その剣幕に、周りのざわめきが止まる。
 人壁になりかけたところを突っ切って、ジョルディが駆け入って来た。
「何のさわぎだ!」
「あんたは、自分だったら、手加減できたって、そう言いたいんだろう!?」
「…………」
 クリスは、口の中に広がる血の味を自覚できないほど、ルースの言葉に驚いていた。
 子供を殺して責められるのは、当然だと思っていた。
 けれどルースの怒りはそれのことではなく。
「落ち着くんだ、ルース」
 集まって来た人目もあり――まがりなりにも、協力中の関係だ――、ジョルディはルースを押し止めようとする。
 そこに。
「――クリス様!!」
 六騎士の一人、烈火の剣士ボルスが駆け入って来る。
「何事で……!!!」
 無意識に顔を上げたクリスの、頬にはっきりとした殴打の跡を見て。そして、その唇に滲む血の赤さに。
 ボルスの表情が消えた。
 彼の激昂は良く見たことのあるジョルディだったが、そんなボルスを見たことは初めてで。
 嫌な予感にそっと武器に手をやる。
 クリスは、そんなボルスを怪訝に見た。
「……ボルス?」
「…………」
 ボルスは珍しくクリスの声に応えず。
 周りを見回すと、カラヤ族の男に肩を抑えられている、まだ顔を上気させたルースを認め。
 おもむろに、腰に下げた剣を抜いた。
 ざわり、と空気が揺れる。
 クリスは、ボルスの視線の先に違わずルースがいることを見て、驚いてかの騎士を見た。
「ボルス! 何を考えている!」
 怒るも、切れた口と腫れだした頬で上手く発音ができない。
 ボルスは、剣を向けているのが丸腰の、ごく普通の婦人だということをまるで意識していないようだった。
 ジョルディが、なんとか穏便に場を治めようと意識して軽く言う。
「おいおい、理由も聞かない気か?」
「理由など必要ない」
 返す言葉は、冷たく。
「クリス様に手を上げたこと、許さん」
「は! 許さなかったらどうするっていうのさ!」
 ルースは目の前に突きつけられた剣に怯ます、強気に胸をそらした。
 ボルスは無造作に。
 剣を、振り下ろした。
 ジョルディは手にした武器を振るい。
 クリスは剣を抜き放った。
 ガキリ、とジョルディの武器とクリスの剣が、ボルスの剣先がルースに届く直前に食い止める。
「ボルス! 剣を引け!」
 ボルスは、そう叫ぶクリスを見、そして腕を伸ばすと彼女の腕をつかんだ。
 ぐい、と自らの方にひっぱる。
 予想していない動きに、クリスはボルスの横に引き戻された。
 そしてボルスは、まだ打ち合っている状態のジョルディを、そのまま力で乱暴に弾きとばす。
 ルースを庇う位置で武器を突き出していたジョルディは、踏ん張りがきかずに横の地面に叩きつけられた。
 しかし、すぐに転がるようにして立ち上がると今度は真正面にボルスと向かい合う。
「――おいおい。落ち着けよ、小僧」
 騎士団一の剣の使い手ってのは、ガセじゃないようだな。
 そう、内心驚きながら、とても普通とは言えない様子の騎士に武器を向けた。





                             



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