Guardian knight V



 ルースの眼差しが、脳裏から消えなかった。
 そして、自分の制止も聞かないボルスの激昂が信じられなかった。
 クリスは、自分が酷く混乱していることを自覚していた。
 何から考えればいいのか、どうすればいいのか、分からない。
「――クリス様」
 何度か呼びかけられて、クリスはハッと顔を上げた。
 普段は冷静なロランが、それと分かるほど心配げな表情をしている。
 クリスは、自分の出口のない思考を断ち切り、彼を見た。
「すまん。なんだ?」
「…………何があったのですかと、お聞きしてよろしいですか」
「……………そう、だな」
 クリスは、少しだけ逡巡し、そして話し出した。
 誰かに話すことで頭を整理できるかもしれないと思ったのと、ルースの想いを他の人間なら分かるかもしれないと考えたからだった。
 ロランはそれを静かに聞いていた。
「――お前は、私の何が間違っていたと思う?」
 クリスが、全てを話し終えてロランを仰ぐ。
 ロランは彼女をじっと見つめ。
「…………」
 そして、視線を前方に戻した。
「………わたしには分かりかねます。が、貴女が間違われたとは思いません。お気になさらないのがよろしいかと」
「…………」
 クリスは、エルフの騎士の横顔をじっと見つめた。
 冷静なその横顔には、何の変化も現れなかったようにも見える。
 けれど、共にいる時間の長いクリスは、彼の微妙な表情の変化を読み取っていた。
 たしかに、一瞬、目を離す前。彼は何かを言いかけたのだ。
 ロランには、ルースの心の動きが分かったということだった。
 ロランには分かって、自分には分からない。
 クリスは、自分とロランの違いを考える。
 ロランは異種族の出であるぶん、様々な見方を知っているのかもしれないと思った。
(様々な視点…………)
 自分だったら、どうだっただろう?
 今まで、無力な少年を殺してしまった罪悪感にばかり捕らえられていたクリスだったが、この時初めて自分と少年の位置を置き換えてみた。
 もちろん、かの少年と自分とは環境も考えも全く違うのだから、完全に理解することなど不可能であったが。
 もし、自分が敵の剣に倒れたら。
 本来の状態だったなら、簡単に手加減ができたのだと言われたら。
 クリスの、足が止まる。
 『―――馬鹿におしでないよ!!!』
 ルースの叫びが、蘇る。
(ああ……私は……)
 慙愧の念が、クリスの胸を鋭く締め付けた。
 カラヤ・クランは戦士の村。
 自分は、彼等を侮辱したのだ。
 すぐ傍で息をつく気配に、クリスは顔を上げた。
 いつのまにか、ロランが彼女の前に立っている。
「………貴女の聡明さを、今は苦く思います」
 クリスが口に出さなくとも、ロランは彼女の様子にそのたどり着いた答えが分かっていた。
「そのようなことに、気づく必要などありません」
「――ロラン、私は……」
「貴女が心を痛める必要が、どこにあるのです」
 ロランの声には、静かな怒気が込められていた。
 その手が、クリスの腫れた頬の上で止まっている。
 触れれば痛むだろうそれに、ロランは手を添わせなかった。
 クリスは、目を伏せる。
「傷つけられたのは、私ではない。ルースだ。――私が、彼女を傷つけたのだ」
「わたしは、貴女を心より……心より敬愛しておりますが、それでもこのような時は、貴女に苛立つ自分もおります」
「ロラン……?」
「お許しを。ですが、本心です。貴女は、なぜそれほどに他人に心を砕かれるのです。あのような蛮族どもに、貴女がそれほど苦しまれることなど」
「――ロラン!!」
 クリスの鋭い非難と、咎める目に。
 ロランは目を歪ませた。
「わたしは……。わたしは、悔しい」
 自分の故郷より、命より大切な騎士団を。そして彼女を。ロランは、傷つけるものが許せない。
「貴女を傷つけるあの者たちが。あの者たちに簡単に傷つけられる貴女が……!!」
 普段の彼からは想像もできない激昂に、クリスは言葉を失っていた。
 ロランは、そんな彼女を見、そして顔を背けた。
 そして、再びクリスを向いた時、彼はすでにいつものロランだった。
「――お許しを」
「……ロラン」
 クリスは、ロランを見た。
 エルフの騎士にかけるべき言葉が、クリスには分からない。
 そんなクリスに、ロランは静かに口を開いた。
「――一つだけ、貴女が思い至った考えに付け加えさせて下さい。ルース殿の想いは確かにそうでしょうが、貴女が彼女の想いを考えつかなかったのと同様に、彼女も貴女の想いを考えつかなかったのです」
 戦士を侮辱したことになるのもカラヤの考えで真実なら。
 無力な子どもを手にかけた罪悪感を持つのも、ゼクセン騎士の考えとしての真実なのだ。
「どちらが正しいわけでもなく……どちらも正しいはずです」
 クリスだけが自身を責めることはないのだと、ロランは言っていた。
「……すまん、ロラン」
 ありがとうと言う事は、クリスにはできなかったけれど。
 彼の言葉に全て納得できたわけではなかったけれど。
 だが、クリスは心からそう言った。
 ロランの、自分を想ってくれる心は痛いほど伝わってきたから。
 自分の痛みが、彼をも傷つけたのを理解したから。
「すまん……」
「いいえ」
 ロランは、少しだけ笑んだ。
 そして、目線で医務室へと続く廊下の先をさす。
「参りましょう」
「ああ、そうだな」
 頷き、クリスたちは医務室へ向かって再び歩き出した。








 医務室の前には、ボルスが立っていた。
 ボルスは、クリスたちに気づいて駆けて来る。
「――クリス様!」
 ボルスはそして、クリスの頬に顔を歪める。
「だ、大丈夫ですか……」
「そんなに酷いか?」
「い、いえ! そんなことは!」
 焦って否定するボルスは、クリスがいつも知る彼で。
 クリスは少しだけホッとしている自分を自覚した。
 そしてクリスは、ロランを見た。
「――ロラン、ありがとう。ここでかまわない」
「……分かりました」
 ロランは軽く目を伏せ、そしてゆっくり踵を返した。
 ボルスが、医務室の扉を開ける。
「クリス様」
「ああ」
 クリスは、ボルスを伴って部屋に入った。





「歯は……大丈夫のようですね」
「はい」
「口の中が切れていますから、この薬を塗っておいて下さい。あとは、外から冷やすこと。いいですね?」
 トウタは塗り薬の入った小さな入れ物をクリスに渡しながら、ボルスに先に状態を教えられていたことから、事前に用意していた氷袋をテーブルに置いた。
「時々氷を代えて、今日1日は冷やしていて下さい。2,3日は跡が残りますが、1週間もしないうちに綺麗になると思いますよ」
「ありがとうございました」
 クリスは、トウタに申しわけなく思いつつ礼を言う。
 本来なら、わざわざトウタに見てもらうほどのものではないのだ。
 ただの打撲なのだから、冷やしておけば勝手に直る。骨や歯に異常がないことは、クリスは自分で分かっていた。
 だが、トウタは優しく笑んだ。
「いいえ。クリスさん、お大事に」
「ありがとうございます」
 クリスは礼を繰り返し。
 そして椅子から立ち上がった。
 氷袋は、すでにボルスが手に下げている。
 クリスとボルスは、医務室を出た。
「クリス様、これを……」
「ああ」
 クリスは、ボルスからそれを受け取ると、頬に当てる。
 ヒヤリとした感触に、ズキリと頬が痛んだ。
 ボルスの目が、目の前のクリスにではおそらくなく、だが剣呑な色を再び浮かべるのを感じて。
 クリスは氷袋を頬から離すと、ボルスを見た。
「ボルス、話がある。お前の部屋へ行ってもいいか」
 クリスの部屋には、今の時間ならルイスがいるはずだった。
 少年の前でできる話ではない。
 ボルスは、彼女の話がどういうものか、分かっているらしく。
 クリスからの誘いだというのに、珍しく言葉を濁した。
「今から……ですか」
「そうだ」
 行ってもいいか、と言いつつ、それは命令に近い。
「……分かりました」
 ボルスは、頷いた。

 
 

                             



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