ゼクセンの銀の乙女〜盗賊団討伐編 W〜




「あまりに危険です」
 そう、サロメが異を唱える。
「盗賊とはいえ、数百人も従える傭兵あがりの頭目です。貴女にもしものことがあれば」
「では、もっと良い策があるのか?」
 クリスに言われて、サロメは言葉につまる。
 結局のところ、彼女の提案が騎士団にとって最も有益な策だった。
「この部隊の隊長である私は、盗賊団の頭目にとって倒す価値がある」
 クリスの瞳は、迷いのない強いものだった。
「それでいて、相手が敗れれば全てを失うのに対して、万一私が倒れても騎士団にはさしたる被害もない」
 頭目が破れれば盗賊団はお終いだが、隊長の一人であるクリスが敗れたとしても、ゼクセン騎士団としては大きな実害があるわけではなかった。彼女の部隊は一時の退却を余儀なくされるだろうが、盗賊団は根城から討って出ることはしないだろうから追撃される心配はない。
 騎士団に負けがつくのは不名誉ではあるが。
 一騎打ちである以上名誉が傷つくのは騎士団ではなくむしろクリス個人である。団長のガラハドならともかく、騎士団全ての汚名にはならない。
「負けても失うものは小さく、勝てれば得られるものが大きい」
 平然と言うクリスに、パーシヴァルは唖然とした。
 自分の命を簡単に天秤にかける彼女を、潔いと言う言葉では片付けられない。
 少女の、自身を守る意識の薄さに驚かずにはいられなかった。
 命への執着は過ぎれば戦いの枷になる。
 しかし、命への執着がなければ、激しい戦いの中で生き残ることは不可能だ。
 けれど、パーシヴァルが想像するに、彼女はいくつもの戦闘を生き抜いて来ている。
 それを可能にしているのが何なのか、パーシヴァルには分からなかった。
「――貴女はご自分の存在を過小評価しすぎています」
 そう静かに言ったのはロランだった。
「ですが。貴女が決めたなら、わたしは従うまで」
「おい! 何を言っている!!」
 ボルスが、信じられない面持ちでエルフの騎士を睨む。
 ロランは彼の怒声を無視して続けた。
「その代わり、わたしも共に参ります」
 クリスが負ければ、側にいる者も一番危険になる。
 クリスは首を振った。
「お前には、私が勝っても負けてもしてもらわなければならないことがある」
 クリスが負ければ、騎士団が退けるように敵を牽制しなければならず。
 クリスが勝てば、砦から襲ってくるだろう敵に対して、騎士たちが丘を駆け上がる時間を稼ぐ必要があった。
「――お前にしか、任せられない」
 そう真っ直ぐに見つめてくる彼女に、ロランが逆らえるはずもなく。
 彼は「了解しました」と頷いた。しかしそのまま、サロメの方へ視線を流す。
 サロメはそれに、分かっているとでも頷くように目線で返して、クリスに一歩近づいた。
「では、わたしがクリス様に」
「馬鹿な! それでは、誰が万一の時の指揮をとる!」
 最後まで言わせず怒鳴ったクリスに、サロメは少し笑んで言葉を続けた。
「わたしがクリス様についていきますと言いたいところですが、おっしゃる通り、それは適わないですね。ですから、ボルスとパーシヴァル、ミリアムをお連れ下さい」
「サロメ」
 クリスは、サロメを見る目に非難の色を浮かべる。
 しかしサロメはそれに気づかないかのように、平然と続けた。
「敵方も一人では一騎打ちに応じないでしょう。こちらもあちらも3人つける。このあたりが妥当かと」
「――しかし、ミリアムは……」
 クリスはパーシヴァルとボルスの腕を先ほどの戦闘で見ている。
 彼らならば他のどの騎士を連れて行くより、自分が負けても生き残れる確率が高い。
 しかしさっきの状態のミリアムが、力を出せるとは思えなかった。
「彼女は……」
「彼女ならば、見届けたいと願うのではないですか? それとも、ミリアム殿が女性だからこの場を逃げ出したいと思っていると考えていらっしゃるのですか?」
「…………」
 こう言われては、同性であるクリスは否とは言えない。
 それを分かっていてサロメは言うのだが、彼女はそこまで気づかなかった。
 クリスは静かに目を閉じ。小さく息をつくとそのサロメを見た。
「分かった。ミリアムも連れて行こう」
 そして、パーシヴァルとボルスを見る。
「危険な役目だが、頼めるか?」
「もちろんです!」
 ボルスは、強く言い。
 その横でパーシヴァルは涼やかに笑みを浮かべた。
「光栄ですね」
 しかしその表面とは裏腹に、パーシヴァルはボルスに負けずある決意をしていた。
 クリスが負ければ、彼女を守ると。
 もしそうなれば騎士としての一騎打ちを汚されたと彼女は怒るかもしれなかったが、名誉も何も生きてこそだとパーシヴァルは思っている。
 そして何よりパーシヴァルは、もっと彼女を見ていたいと、そう思い始めていた。
「ありがとう」
 クリスは二人の騎士に言い、そして再びサロメを見た。
「では、私はミリアムの様子を見てくる」
「はい。その間に、敵方に一騎打ちのことを伝えておきます」
「頼む」
 クリスは頷き、パーシヴァルやサロメたちを残して他の騎士たちが休む場所へと歩いて行った。
 それを見送ってから、ボルスがサロメに口を開いた。
「サロメ殿、ミリアムは外した方がいいのでは? 彼女はとても戦える状態ではないと思うのですが」
「クリス様の勝利を確かなものに近づけるために、彼女は必要なのです。……ミリアム殿には申しわけないですがね」
 本来ならばそこまで説明することはないのだが、サロメは前途ある青年騎士に応えた。
 サロメはパーシヴァルとボルスの戦い振りを見て、確信したのだ。
 彼らは、騎士団の、そして彼の大切な少女の力になり得る騎士だと。
「今のミリアム殿は、クリス様がもし負けるようなことになれば、戦い抜くことは不可能ですから」
「――あの方は、守る者があるほどに、強くなられる」
 ロランはサロメの言葉を継ぐように、静かにそう言った。
「後ろに戦えぬ者がいれば、クリス様は決して倒れない。あの方は力なき者を守る剣であり盾であることを、ご自分の魂に望む方ですから」
 真の騎士。
 パーシヴァルは、先頭で剣を振るう彼女の強さの源を、初めて知った。
 彼女は後ろの騎士たちを――その後ろにあるゼクセンの地を守り、そうすることでまた。その騎士たちとゼクセンの地そのものが、彼女の命を守っていることになるのだ。
 言葉を発せられないパーシヴァルとボルスを優しい目で見てから、サロメは表情を改めた。
「ロラン殿、では、わたしが書く文を矢で撃って頂けますか」
「分かりました」
 ロランは頷き。
 サロメと共にパーシヴァルたちの視界から消える。
 しばらくして。
 ボルスは、パーシヴァルをバッと振り向いた。
「パーシヴァル! 俺、俺は……」
「ボルス?」
「俺は……。なんだろう、……どうしようもなく、その、感動している」
 気性のごとく真っ直ぐな台詞に、パーシヴァルは苦笑した。
「そうか」
「笑うな!」
 ボルスは赤面する。
 しかし上気した顔は怒りや照れだけのせいではないだろう。それは、その緩む口元を見ていれば分かる。
「……俺は、その、彼女に出会えて、無性に今、嬉しいんだ」
 その言葉に、パーシヴァルは目を閉じた。
 真実命をかけられる存在を。
 騎士というものは――嫌、もしかしたら誰でも ――多かれ少なかれ求めているのかもしれない。
 そう、パーシヴァルは思う。
 自身の魂が、かの人に従えと命ずるほどの存在を。
 自身にとって、世界の中心となる存在を。
「よかったな」
 そしてボルスは出会ったのだろう、その運命に。
 それは誰もが手に入れられる邂逅ではない。
 彼の幸運を素直に祝福する自分もいたし、同時に先を越されたような気分もあった。
 それは邂逅を手に入れたことへか、それとも邂逅に気づいたことへかは分からない。
(俺にとっては……)
 パーシヴァルの目に、ミリアムとサロメを伴って現れたクリスの姿が映った。
 クリス・ライトフェローという上官を、好ましく思ってはいる。
 しかし彼女がボルスのように自分にとってそれほど大きな存在かと問われれば……。
(まだ、分からんさ)
 そう、パーシヴァルは自身に笑った。
 焦ることもない。
 とりあえず、今は、せっかく上官に恵まれたのだから。その上官をいきなり失うことを避けられればそれでいいと。
 そう思いつつ、パーシヴァルはボルスと共にクリスの元へ歩き出した。












 一騎打ちは丘の丁度中腹。
 お互いに立会い者は3人ずつ。
 丘の上に盗賊団。丘の下に騎士団。全ての目前で行われることになった。
 騎士団側はクリス、パーシヴァル、ボルス、ミリアム。
 クリスは、鎧を外している。
 盗賊団側の4人から、一人が進み出た。
 クリスもまた、一歩進み出る。
「私がゼクセン騎士団第二部隊隊長、クリス・ライトフェローだ」
「俺が……」
 同じように返しかけた男を、後ろから他の盗賊の男が止めた。
「待て、シックス」
 盗賊団、というイメージには合わない、完璧なほど精巧な顔立ちの男だった。
 どんな女も寄って来るだろうほどの。
 しかし、それも右半分の傷がなければ、ではあったが。
 刀傷ではない。焼け爛れたようなそれは血肉がそのまま盛り上がったように固まり、その上を血管が走っているのが見える。
 左半分が完璧な美しさを持っているだけに、一種人外を思わせる風貌だった。
 ミリアムは、思わず目を背ける。
 それを見て男は顔を歪ませるが、すぐに薄い笑顔を浮かべた。
「第一部隊が来ないとは、我々も舐められたものだ」
「盗賊団ごとき、団長と副団長が出るほどのものではない」
「ふん……。ペリーズがそれほど大層なものか。ガラハドの幼馴染みというだけで、出世した男だろう」
「貴様!」
 クリスの目がきつくなる。
「ペリーズ副団長を侮辱することは許さんぞ!」
「へぇ……。アンタ、ペリーズの女か。奴などやめて、俺にしとけよ? そうしたら、アンタは助けてやってもいいぜ?」
「ふざけるな!!」
 クリスが、すらりと剣を引き抜く。
「それ以上侮辱するなら、頭目でなくとも我が剣で相手をしてやる」
「………つまらん小娘だ」
「「――貴様!!」」
 怒りの声を上げたのは、ボルスとミリアムだった。
 二人の手が腰の剣にかかっている。
 男はそれを見ると、すうっと目を細めた。
「おいおい、一騎打ちじゃなかったのか、騎士様方?」
「……シックスと言ったか。では勝負を初めよう」
 クリスは男を睨んでから、シックスを見る。
 しかしシックスは戸惑ったように男を見ていた。
 男は、ニヤリと笑うと、シックスの肩を叩いてクリスたちに一歩近寄る。
「俺がやる、シックス」
「――しかし、お頭……」
「あの小娘には、お仕置きが必要らしいからな」
「女性が相手と知って、隠れるのを止めたらしいですね」
 充分盗賊にも聞こえる声で、パーシヴァルはクリスに言う。
 しかし男は怒ることなく、芝居がかったしぐさで肩をすくめた。
「万が一を考えていると、言ってほしいねぇ。集団をまとめるのは、腕だけでは無理なのさ」
 クリスが鎧を脱いでいたことは、やはり正解だった。
 彼女を侮ってこそ、頭目は自分で戦うことに心変わりしたのだろう。
 しかし。
 パーシヴァルはクリスを見た。
 相手はやはり、相当な腕に見える。
 だが、もはや一騎打ちを止められるはずもなく。
 クリスが、パーシヴァルたちを振り向いた。
「下がっていろ」
 その彼女の指示に、3人はしかたなく少し下がる。
 同じように、頭目を残して盗賊たち3人も退いた。
 クリスは、男を睨んだ。
「名を、聞こうか? 墓標に刻む名がいろう」
「ルド。なに、俺の下でよがるのに名がいるだろうからな。ペリーズの女だと分かれば、尚更、あっさり殺してやるわけにはいかない」
「下種が。副団長と私はそのような仲ではない」
「さあて? ペリーズには、俺の顔をこんなにしてくれた礼をせねばならん。……が、泣いて謝るなら今なら許してやってもいいぜ?」
「どうせ逆恨みだろう!」
 クリスは、すうっと剣を向けた。
「お前こそ、投降するなら今のうちだぞ」
「本当に、身のほどを知らんガキだな」
 ルドは顔を歪ませた。
「壊れて死ぬまで犯してから、ペリーズの前に死体を送りつけてやる」
 クリスの頬に朱が昇った。羞恥よりも、怒りのそれ。
 彼女たちを見守る位置に立つ場所で、ミリアムが憤るボルスを抑えていた。
「ボルス! ダメだ!」
「くそ、あの野郎……!」
「――落ち着け」
 パーシヴァルが、鋭く言う。
 ボルスは、ぶつけられない怒りに、パーシヴァルを怒鳴った。
「お前は、何とも思わないのか!! あの男、よりによってクリス様を……!」
「――だから、落ち着けと言っている。神経を集中させていろ」
 パーシヴァルは声を低くしたまま、クリスたちから目を離さずに言う。
「もしもあの方が敗れるようなことがあったら、すぐに動かねばならん」
「そうだぞ、ボルス。クリス様をお救いせねば」
 そしてミリアムもそうボルスに強く囁き。
 ボルスは震える拳を広げると、剣の柄に置いた。
「……そう、だな。分かった」
 自分を落ち着かせるように、強くかみ締めた歯の間から震える息を吐き出す。
 パーシヴァルはそんなボルスを認めてから、剣を向け合うクリスとルドに意識を集中させた。






 クリスの、剣を持つ手があまりの怒りに小さく震えている。
「き、貴様……ッ」
「なんだ、随分可愛い顔もできるじゃないか。――いい声で、鳴いてくれよ?」
「――下種め!!」
 クリスから、仕掛けた。
 普段でも鋭い剣は、鎧を脱いだせいで更にスピードを増している。
 それをルドの剣が迎え撃った。
 一度、二度と剣が打ち合い、そして離れる。
 ……強い……!
 クリスは眼前の男を驚いて見た。
 しかしそれは、ルドも同じらしく。
 その顔色が完全に変わっている。
 さきほどまでのような挑発も、出る余裕もなく。
 向かい合う二人の空気が張り詰められていた。
 しばらく痛いほどの静けさの中で、睨み合いが続き。
 そして空気が、動いた。
 ルドが地を蹴る。
 勢いよく繰り出される剣を、今度はクリスが受け流し、弾いていく。
 剣で完全に受け止めることはできなかった。
 力で押し合えば、勝てないことをクリスは自覚している。
 打ち合う剣の音だけが響き、刃から火花が散る。
 ルドも手を休めることはできなかった。
 剣を退けば、そのままクリスの剣が自分に刺さるだろうことが分かったから。
 その息をつかせぬ攻防に、見守る盗賊たちも騎士たちも言葉一つ発することはできない。
 どれだけの時間がたったのか。
(……これは……!)
 パーシヴァルの目が、険しくなった。
 まだ他の誰も気づいていないようだったが、じりじりとクリスが押され始めていた。





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