ゼクセンの銀の乙女〜盗賊団討伐編 X〜 | ![]() |
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(……押される!) クリスは、ルドと打ち合いながら、目元を歪めた。 反対に、ルドの唇の端がかすかに上がる。 腕は互角だったが、時間が立つほど体力の差が出てきていた。 何十回目かの打ち合いの末、繰り出されたルドの一撃を。 「ク……ぅ……!」 流しきれない、と直感したクリスは、剣で弾きながら大きく飛びのいた。 絶え間ない打ち合いが、止まる。 クリスは、上がる息をなんとか抑えようとする。 ルドがニヤリと笑んだ。 「なかなかそそる顔になってきたじゃないか」 「黙れ……!」 「お望みなら」 ルドは嫌味な上品さで返し、再びクリスに襲い掛かった。 クリスは一撃目は受け流し。 一瞬でさらに踏み込んできたルドに、二撃目を流すことができなかった。 ガキリ、と嫌な音とともに二つの剣は交差したまま止まった。 ルドの力に、クリスは自分の剣ごとじりじりと押される。 目前に迫ってくる剣に。 クリスは死を覚悟した。 しかし。 「――クリス様、クリス様!!!」 甲高い女の悲鳴に。 泣きそうなその声に。 クリスは踏ん張る足元にさらに力を込め。反対に腕の力を下に移動させながら上体を小さく沈めた。 クリスの剣はするりとルドの剣の刃を滑り落ちるようにして、クリスの身体ごと沈む。 そのまま行けば、ルドの剣が彼女の身体に振り下ろされる前に、クリスの剣が彼の腹を切り裂いていたことだろう。 しかし、今度はルドが咄嗟に飛びのいた。 それでも彼の鞘を止めていたベルトが切れて、バサリと地面に落ちる。 「き、貴様ッ!」 ルドの美しい左の顔が、怒りに赤く染まった。 クリスは、すっと剣を構えなおした。 「――私は、倒れぬ」 (――私の後ろに、守るべき者がいるかぎり) 自分が負ければ、ミリアムはおそらく助からないことをクリスは分かっていた。 決意ではなく。 まるでそれがすでに予定されていることのように、クリスは自然と言っていた。 「お前が倒れぬ限り」 「ふ、ざけるな!!」 クリスとルドは、同時に地を蹴った。 ルドの剣を流せずに、クリスの剣がルドの剣と交差して止まった時。 ボルスは呻いた。 ルドが体重を腕にかけて、じりじりとクリスを押しているのが分かる。 ボルスとパーシヴァルの、剣の柄を握る手に力が入った。 しかしミリアムは、反対に柄から手が離れた。 ミリアムがクリスと同じ部隊で戦うようになって3年がたっている。 その間、クリスが敵に押されているのを見たことは一度もなかった。 彼女が、敵に負けるなどと、信じられない。 ミリアムの知るクリスは、いつも、揺ぎ無く強く。完璧な騎士だった。 「い……嫌……」 一騎打ちが始まる前は、ボルスにクリスが負ければ助けなければと言った彼女だったが、本当はそんな心配など全くしていなかった。 なぜなら。 クリス・ライトフェロー。 彼女が、敵に負けるなどあるわけがないからだ。 ミリアムにとって、――いや、クリスと共に幾度も戦ってきた騎士たちの殆どにとって――クリスは自分たちに加護をくれる女神に等しいものであり。ガラハドとはまた違った意味で絶対の拠り所なのである。 その、彼女が。 敵に負けるということは、ミリアムたちにとって世界が崩壊するも同じことだった。 「嫌です……クリス様……」 小さく震える声に、ボルスとパーシヴァルはミリアムに意識が向く。 ルドに押されて行くクリス。 ミリアムは、声のかぎりに叫んだ。 「――クリス様、クリス様!!!」 泣き喚く、といっていい彼女に。 ボルスはとっさにミリアムの身体を抑えた。 「おい、クリス様の集中の邪魔に――」 「――いや、そうでもないようだぞ」 パーシヴァルは、クリスたちの方を見つめるままで、言う。 クリスが先ほどより押し返しているように見えた。 ボルスは、急いでクリスに目を戻した。 彼らの目に、映ったのは。 クリスが上半身を沈め、その剣の軌跡から逃れるようにルドが大きく後方に飛びのいた姿。 だがボルスとパーシヴァルは、ホッと息をついたのではなく、ゾッとしたのだ。 彼女のその戦法に。 もしもルドが退かなかったら。 クリスの剣がルドを殺すのと同時に、ルドの剣もクリスを貫いていたことだろう。 しかし。 ほっと安心したように息をつくミリアムに、ボルスとパーシヴァルは驚いた。 彼女に、クリスの戦法が分からなかったわけではないはずなのにと。 ボルスは、自分の感情に正直だった。 「お前、どうしてそう安心できるんだ! 奴が退かなかったら、クリス様まで……」 殺されるところだったんだぞと。 非難を込めた声のまま、ミリアムを睨む。 ミリアムはそんなボルスに、心底不思議そうな顔をした。 「何を言っている? クリス様が一騎打ちで敵に負けるわけがないだろう?」 そして、にっこりと笑う。 「クリス様は、必ず勝利されるのだから」 全く迷いのない笑顔だった。 そしてそれは信頼ではなく、信仰といっていいほどのもので。 パーシヴァルとボルスは、そんな彼女に何も返せなかった。 パーシヴァルは、ボルスが複雑な顔をしていることに気づく。 きっと、自分と同じことを考えているのだと思った。 パーシヴァルは、ルドと睨み合うクリスを見る。 きっと、彼女のことをまるで人ならざる身であるように感じているのはミリアムだけではないのだろうと思う。 そして、あの少女は。 そんな彼らの絶対の信仰と期待を受けて、それを裏切らずに立ち続けているのだ。 今までのいくつもの戦場を。 そして、今この時も。 そう思った時。 自分の奥底から湧き上がった感情をなんと呼べばいいのか、パーシヴァルには分からなかった。 哀れみではない。感動でもない。尊敬でもない。憤りでも、苛立ちでもない。 けれど、そのどれもに近いような。 ただなぜか、どうしようもない切なさに似た痛みがあったのだけは確かだった。 パーシヴァルとボルスたちが見守る前で、クリスとルドの攻防は再び始まっていた。 「あいつ……!」 「いかん!!」 思わず、ボルスとパーシヴァルから声が漏れる。 ルドは。 剣が何度目か打ち合った瞬間に。 クリスへ蹴りを放ったのだ。 しかし。 彼らの予想に反して、クリスは反対にルドの残った軸足に足払いをかけていた。 それにルドが耐えられるわけもなく、ドウと地に倒れる。 衝撃で、ルドの手から剣が飛んだ。 クリスの剣の切っ先は、ルドの首に押し当てられていた。プツリとそこから血の粒が浮く。 「――投降か、死か」 短い声に。 ボルスは喜色を浮かべて駆け寄った。 「クリス様!!」 その後をミリアムとパーシヴァルが続く。 結果で見れば、クリスの完全な勝利だった。 相手の命を奪うまでもなく、倒したのだ。 ルドが殺されれば、すぐに死に物狂いで襲ってきただろう盗賊たちもいたはずだったが、頭目が生きているのではそうもならない。 惑ったようにただ見つめるしかない。 「今だ! 突撃せよ!!」 サロメの、声に。 勝利を確信した鬨の声と共に、騎士団は丘を駆け上がってくる。 その見えない圧力に押されるように、盗賊たちはバラバラに散った。 もはや勝利の行方は決まった。 クリスたちを通り越して、騎士団は砦へと向かって行く。 ミリアムは、動こうとしないルドを後ろ手に縛り上げた。 大人しすぎる男が不気味な気がしたが、それ以上何があるというわけでもなく。 「――お見事です、クリス様」 パーシヴァルが、剣を鞘に収めるクリスへ近寄った。 クリスは、にこりと笑む。 「ありがとう」 「それにしても、クリス様。あの男の蹴りに動じられないとは、さすがですね」 一騎打ちには、相手を蹴ったり、掴んだり、または頭突きをしたりという所謂喧嘩に近い戦法は普通ない。 そもそも一騎打ちというのはある程度以上名誉をかけたものであるため、互いがそのような手を使わないのが暗黙のルールだった。 それなのに、このどう考えても上流階級出の彼女が、こう言ってはなんだが品の悪い戦法に慣れている様子なのが不思議でしかたがない。 そんなパーシヴァルに、クリスは何でもないことのように言う。 「ああ、あれか。昔よく、訓練時にガラハド団長にやられたからな」 「なるほど」 言いながら、パーシヴァルはガラハドの評価を高くする。 優れた武勇の騎士と噂に名高いが、それだけでなく。 (我らが団長は、騎士の型に捕われすぎた融通のきかない人間ではないらしい) 「それで、あの足払いですか。あのタイミングで出されては、ガラハド団長もたまらなかったでしょうね」 「いや」 クリスは、思い出したのか苦笑した。 「あまりに何度もやられたのでな。頭に来てこっちから蹴りを入れようとしたのだ。――足を払われて痛い目にあったのは私のほうさ」 縛られ、顔を上げないルドをちらりと見。 クリスはパーシヴァルに平然と続けた。 「自分の身で効き目は知っている。あの時は腕の骨が折れたからな」 鎧を着ていて、さらに受身を取りそこなったのだった。 パーシヴァルは絶句する。 「クリス様」 サロメが、クリスを呼ぶ声が聞こえた。 クリスたちはその声の方を向く。 サロメは、10歳ほどだろうか、一人の少年を連れていた。 その意味に気づいて、ミリアムの顔が蒼白になる。 かすかに震える同僚の女騎士を、パーシヴァルとボルスは庇うように立った。 クリスはサロメたちに歩み寄る。 「――サロメ」 「砦に捕われていた者たちは全て保護しました。盗賊団は捕らえられる者は捕らえました」 「そうか。我が方の被害は」 「死者はありません」 「そうか」 クリスの身体から強張りが消える。 しかし彼女はすぐに厳しい顔を戻した。 「それでは、この少年は、あの?」 「はい。話を聞く限り、例の商人の息子さんかと」 「―――お父さんは!?」 まだ声変わりもしていない少年の声が、待ちきれずに会話に割り入った。 ボルスは、ミリアムの肩がビクリと揺れたのに気づく。 そしてパーシヴァルは――守るべき者を殺してしまった彼女の心痛を思いやり、気休めにもならないことを分かりながら、それでも低く囁いた。 「貴女のせいではありません」 「そうだ、盗賊どものせいだ」 ボルスも、小さく言う。 ミリアムは、唇を噛んで顔を伏せた。 「――お父さんは!? ねえ、騎士様、お父さんを助けてくれたんでしょう!?」 「――貴方の名は?」 クリスは、少年の正面に立った。 「ロット」 「――ロット。貴方のお父上は亡くなられた」 その言葉は、小さな少年へ向けるにはあまりにも優しさに欠けたものに聞こえた。 ただ事実だけを突きつけられることになったロットは、衝撃に言葉を失う。 クリス以外の、そこにいる誰も、言葉を発することはできなかった。 「ロット」 クリスは、彼の名を呼び。 片膝を地につけると、彼の視線と自分の視線を同じ高さであわせた。 |
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