ゼクセンの銀の乙女〜Knights〜





 ゼクセンとグラスランドの国境は、常に緊張と弛緩の連続であった。
 どちらも長くは続かない。
「女神に感謝を――」
 騎士は、評議会の円卓を前にお決まりの台詞を述べてから席を立った。
 穏やかで優しげでさえある、彼の整った顔には、不満の色も非難の色もない。
 評議員が、笑みを向ける。
「さすがは、ペリーズ副団長。我々も重荷が下りた気分ですよ」
(――そのまま、議員の座からも下りろ)
 内心のその皮肉は、もちろんおくびにも出さず。
 ペリーズはにこりと笑んだ。
「いえいえ。こちらこそ、いつも皆さんにはお手間をかけさせて申し訳ないと思っているのですよ」
 では、と優雅に礼をし。
 ペリーズは評議会議員たちに見送られて、部屋を退出した。
 扉の前で待っていたサロメが近寄る。
「ペリーズ副団長、どうでしたか」
「ああ。やはり和平協約は破棄せよと仰せさ」
「今すぐ、ですか……」
 今度のリザードクランとの和平協定が結ばれたのは、つい三ヶ月前。
 数週間前から、評議会はリザードクランとの協約を破棄し国境を押し広げるよう騎士団に指示していた。
 しかし騎士団はこの命令に不服だった。
 理由は二つある。
 こちらから一方的に協約を破るのは、騎士団としての名誉にかかわるからであり。
 そしてもう一つは、時期だった。
 この時期、問題となっている国境沿い付近は雨が多くなる。その辺りは土が軟らかく、騎馬では動きをとられやすい。なぜか泥に足をとられぬリザードたちとの戦闘では、騎士団が圧倒的に不利になることは分かりきっていた。
 ひどい時には足首まで埋まる時もあるその一帯では、最悪の場合、騎士たちは戦闘どころかまともに歩けるかも怪しい。
「選挙が近づくと、やたらと戦いたがるのは彼らの欠点だね」
 ペリーズは、少し困ったように笑む。
 その穏やかな横顔に、サロメは内心苦笑した。
 騎士団のほとんどの者はペリーズ副団長を、優しげで冷静な騎士だと思っている。
 戦場においてその剣筋は微塵の隙もなく正確で、平時においても取り乱すことなく穏和であると。
 けれどその彼が、実はガラハド団長以上に激しい性格であることを、サロメは長い経験から分かっていた。
 今この時のペリーズの心が、その見た目ほど穏やかなものではないことも。
「それでは、出撃はいつのことに?」
「――ああ。最大限の努力を払って一週間以内には出撃する、と申し上げたよ」
 さらり、とペリーズは言う。
 ゼクセの街へと出る扉を開けながら、サロメは頷いた。
「なるほど。それで、次の一週間は何と?」
 正しく理解しているサロメに、ペリーズは微笑する。
「そうだね。体調を崩す者が多く出るだろうね」
 それで、合計2週間。
 時を稼げる。
 雨期を避けるには、まだ少し足りないが、それもまたどうにかすればいい。
 そう、サロメは思った。
 それにしても、評議会の古狸を相手に一歩も引けをとらない副団長に感じ入る。
 いかに優れた武勇を持つガラハド団長だとて、こうはいかない。
 評議会も、いつ暴れ出すか分からない団長よりも、穏やかで話の分かる副団長の方を歓迎している。
 実際には、のらりくらりと評議会の命令を騎士団の都合の良いように持っていくのがペリーズの常であったが。
 しかし、交渉が巧みなのと、好き嫌いはまた別の話で。
「………はやく、ブラス城に戻ろう」
 言って、ペリーズはサロメを連れ立って歩き出した。
 その表情と反対に、ペリーズは内心かなり苛ついていた。
 評議会も評議会だが、ガラハドもガラハドである。
 本来なら、団長のガラハドが来なければならないのだ。
 いつもいつもいつもいつも。
(――――やっかいなことは、俺に押しつけやがって……!)
 ムカムカしながら、ペリーズは愛馬に近寄った。












「――――駄目だ」
 きっぱりと首を振る少女に、ボルスとパーシヴァルは顔を見合わせた。
 やはり、とは思ったが。
 ここで引き下がるわけにはいかない。
 彼らがクリスの隊に配属されてから、9ヶ月がたっていた。
 その間に幾度もの戦場を駆けている。
 当初でこそクリスの足手まといにもなりかけたこともある彼らだったが、今では騎士団で頭角を現すほどになっていた。
 彼らは19歳を迎え、体つきもさらに逞しく。
 そしてファーストナイトになる前以上に鍛錬を重ねた。
 すでにパーシヴァルは、馬術では誰にも肩を並べられることがなくなり。ボルスは、あのガラハド相手に訓練で10本に1本は勝ちをあげるようになっていた。
 それでも、クリスの前で剣を振るうことを許されなかった。
 常に、クリスは一人前衛で。
 彼女の隣にも前にも、どの騎士も立つことはない。
 ボルスは息をついた。
 自分は、彼女の背中だけでなく、その隣も、そして前をも守りたいのだ。
「クリス様。今回もし出兵することになれば、今までとは違います」
 そう、パーシヴァルは言う。
「おそらく我らの機動は意味をなさなくなるでしょう」
「…………分かっている」
 憮然とクリスは頷く。
 分かっていない、とパーシヴァルは言いたかった。
 彼女の腕は天才的だ。
 それは、パーシヴァルもボルスも分かっている。
 しかし、クリスの剣はその素早さあってこそ。
 足を完全に止められた状態で打ち合うのは、少女には不向きな戦法すぎた。
 今度の戦いが雨にたたられれば、足を埋めての戦闘になる確率が高い。
 その時、クリスに打ち込んでくる敵を裁き続けることが可能だとは思えない。
 だからこそ、今回は自分たちがクリスの前で戦いたかった。
 けれど頑ななほどに、クリスはそれを許さない。
「………クリス様、なぜですか」
 パーシヴァルは問う。
 体力は自分たちの方がある、と言っては彼女の矜持を傷つけてしまうだろうか。
 そう、頭のかたすみで思う。
「隊長たるもの、常に先頭で戦うのがゼクセン騎士団の倣いだ」
「しかし、ガラハド団長でさえ時には後方で騎士団全体を指揮し、先頭を行く時もペリーズ副団長やレオ殿、そしてクリス様が第一部隊の時にはクリス様が隣や前で戦う時もあったはずですが」
「ガラハド団長は、騎士団長だ。一人突出することなど許されないのは当然だろう。私とは違う」
 きっぱりと、クリスは断じる。
 その時、場違いな軽い声がかかった。
「俺が、どうしたって?」
「――団長」
 ボルスが、近寄ってくる騎士団長を認める。
 クリスはボルスたちの視線に振り返った。
 訓練を終えたところなのか、模擬剣を肩に担いでいる。
「クリス、何かあったのか?」
「――いえ、何もありません」
「今度の戦いで、クリス様より前で戦うことを許して頂きたいと願い出ていたところです」
「パーシヴァル!」
 余計なことを、とクリスの彼を見る目が鋭くなる。
 しかし、パーシヴァルはその視線に臆することなく続けた。
「お許しを、頂けないのですがね」
「――――なるほど」
 ガラハドは頷き、そしてちらりとクリスを見た。
 クリスは、一歩下がる。
「…………」
「どうして駄目なんだ?」
「――どうしてって……その。私は隊長ですし」
「だが、一番強いヤツが前に出るのは悪くない戦法だと思うが?」
 さらり、と軽く言われた言葉に。
 クリスはキッと顔を上げた。
 ガラハドは――それは、パーシヴァルの目から見て――意地悪げに笑う。
「違うか?」
「わ、私は!!」
「クリス!!」
 ペリーズの声が廊下に響き。
 サロメを伴った彼が、クリスたちに駆け寄る。
「――よう、はやかったなペリーズ」
 ガラハドが声をかける。
 ペリーズはガラハドを睨むが、そこにパーシヴァルたちもいるのを認めて口調を押さえた。
「ええ。団長と違いまして。誰かを代わりにさせるわけにも参りませんしね。そうなら、何事もできるだけはやくすませてしまいたいのですよ」
「真面目なことだ」
「ええ。貴方と違って」
 同意味のことを2度繰り返し、にっこりとペリーズは応える。
 そして、クリスを見た。
「どうかしたのかい、クリス?」
 何かもめていたのでは、と問う副団長の目に。
 クリスは目をそらせる。
「クリス……?」
「証明されればいいか?」
 ガラハドの言葉に。
 クリスは目を上げた。
 ガラハドはニッと笑うと、パーシヴァルとボルスを見る。
「明日の正午きっちり、中庭の訓練場で模擬戦を行う。そこでお前たちがクリスに勝ったら、クリスより前で戦うことを俺が許そう」
 パーシヴァルとボルスは言葉を失う。
 クリスは、キュッと拳を握りしめると訴えた。
「――鎧はお互いに無しにして下さい」
 その必死とも言える目に、ガラハドは黙り。
 そして頷いた。
「分かった」
「団長!」
 ペリーズが、ガラハドの肩をつかむと、低くささやく。
「いったい、どういうつもりだ……!」
「さて?」
「ガラハド……!」
 副団長の非難の目を無視し、ガラハドは話はすんだと部屋へと戻っていく。
 ペリーズは表情を堅くしたままのクリスを気遣わしげに見、それから去っていくガラハドを追っていった。
 クリスたちの視線の先で、ペリーズがガラハドに追いつき、さかんに何か言っているのが分かる。
 団長と副団長の姿が消えてから、残された3人は互いを見るしかなかった。




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