ゼクセンの銀の乙女〜Knights〜X





 ……好きで、女に生まれたわけじゃない。
 唇を噛みしめて、俯く子供がいた。
(私は……夢を……)
 夢を見ているのだと、クリスはどこかで思った。
 たしか、12歳ぐらいだったかもしれない。
 その光景は記憶にあった。
 騎士団の中で、女のくせにと罵られて、女だからと嘲られて。
 悔しくて、泣いた。
 涙が出ることにも、悔しかった。
 そんな時。
 泣いていた時に、見つかってしまったことがあった。
 その時のクリスにとって、数少ない味方だった副団長に。
 唇を震わせて、副団長に言った。
『好きで、女に生まれたわけじゃない』
 その言葉に。
 彼はとても辛そうな顔で。
 口を開いた。
『――そんな』
 そこで、光景は途切れる。
 そんな?
 クリスは、覚醒していく意識の中で思った。
 副団長の言葉の続きが、思い出せない。あの時、何と言われたのだったか……。
「………」
 目を開けると、光を感じた。
 それが、ボルスの髪の金なのだと気づく。
 急速に覚醒する頭に、クリスはギュッと眉を寄せた。
 身体中に残る鈍い痛みと重さ。
(ああ……そうだ……。私は、負けたんだ……)
「ク、クリス様……」
「………………」
 こみ上げてくる感情の渦に、クリスはボルスの顔を見られなかった。
「申し訳ありませんッ! 俺ッ!」
「――謝るな」
 平静に答えようとするのに、声が震えた。
「でも、俺、俺は……貴女に、怪我を……」
「謝るなと言った」
 ボルスには何の落ち度もない。
 ボルスも、パーシヴァルも何一つ悪くない。
 それをよく分っているのに、クリスは彼らに微笑んで見せることはできなかった。
 クリスは一刻もはやく、誰の目からも逃げたかった。
 ベッドから立ち上がり、そこを離れようとするが。
 ボルスの腕が、彼女を抑えた。
「――ダメです! まだ休んでいなくては!」
「うるさい」
「ろ、肋骨が折れていたんですよ!? 肩も! 紋章師が治癒しましたが、今日一日は安静にしていなければと言って――」
「離せ……」
 クリスは、ボルスの腕を払おうとする。
 しかし、ボルスの腕はびくともしない。
「ダメです、クリス様! どうかベッドに戻って下さい!」
「離せ……!」
 クリスは、その腕を解こうと力一杯抵抗する。
 それでも。
 騎士の腕は微動だにしなかった。
「離せ!」
「クリス様! お願いですから」
「離せッ!」
 強く、鍛えられた逞しい腕は、クリスの渾身の力でも振り解けない。
 クリスは奥歯を噛みしめた。
 こんなにも。
 こんなにも、必死でも。
 自分を捉える腕一本、動かすこともできない。
「離せ!」
 悔しかった。
 悔しくて、悔しくて。
 自分が情けなくて。
 悲しくて。
 辛くて。
「――離して!!!」
 クリスは身をよじり。
 こみ上げるものを抑えきれずに、泣き出した。
 堪えてきた叫びはクリスの身のうちを吹き荒れ、一度涙となり流れ出した感情を押しとどめることはできなかった。
 クリスは顔を覆い、声を殺して泣き続ける。
 いつのまにかボルスの腕が解かれていたことにも、彼女は気づかなかった。
「―そんなに悔しいか?」
 しばらくして問われた、その軽い声に。
 クリスはしゃくりあげるのを抑えられないまま、顔を上げた。
 ガラハドが、意地の悪い目で笑った。
「その男の腕に抵抗もできない非力さが、悔しいか、クリス」
 持ち前の負けん気がもたげて、クリスは何とか息を抑えながら団長を睨む。
 しかし、次の言葉に。
 クリスは凍り付いた。
「しかたないだろ? お前は女なんだから」
 女だから、とか。女のくせに、とか。
 そんなことは昔、幾度となく言われた言葉。
 しかしそれは、決してこの目の前の人間と副団長からは発せられたことのないものだった。
 自分の耳がおかしいのではないか。
 そう、クリスは思った。
 しかしそれが分かったように、ガラハドはもう一度、ゆっくりと繰り返した。
「しかたがないだろう? 女なのだから」
 その瞬間、地面を、失った気がした。
 蒼白になったクリスに、ガラハドは馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「なぁ、クリス。お前まさか、男に生まれたかった、なんて思ってるわけか?」
「!」
 クリスは、一瞬だけ動揺する。
 自分が男だったら。
 それは、彼女が心の奥で何度も思ったことだった。
 ガラハドはそれにわずかに目を細め。
 そして、それまで浮かべていた笑みをすぅっと消した。
「トチ狂うなよ、小娘」
 その鋭く冷たい目に、胸を切られ。
 そして普段向けられることのない、ガラハドの威圧感に。
 クリスは動くことができなかった。
 しかしその空気を斬るように、ボルスとパーシヴァルがガラハドと彼女の間に立った。
「………何のおつもりか…!」
 ボルスが、怒気で声を震わせる。
 パーシヴァルは無言で、ガラハドを睨んでいた。
 クリスは、突然自分の前に立った二人の騎士の背中に驚く。
 今の今まで、彼らがここにいたことさえ忘れていたのだ。
「……ボルス……、パーシヴァル……?」
 どうして、と思う。
 クリスは、戸惑った。
 睨む二人の若い騎士を、ガラハドは鼻で笑い。
 そして騎士ごしに、クリスへ声をかけた。
「その二人がお前を庇うのだってな、お前が女だからだ」
「―ッ」
 クリスは、目元を歪め。
 ボルスとパーシヴァルも言葉に詰まった。
「……それから。ペリーズのヤツがお前に甘いのも、お前が女だからだ」
 聞きたくない。
 そう、クリスの胸の奥で、もう一人の自分が叫ぶ。
 ガラハドの言葉は残酷なほどよく届いた。
「お前が女だから、ペリーズも、そこの騎士二人も、お前を大切にしているんだ。…………それはな、お前がもし男だったら、価値がないということだ」
「――やめろ!」
 ボルスの、怒声に。
 勢いよく開かれた扉の音が、重なった。
「――クリス! 医師を―。 ………?」
 ペリーズが、部屋を支配する重く刺々しい空気に眉を寄せる。
 ガラハドが、そのペリーズに軽く笑んだ。
「よぉ、ご苦労さん。クリスの怪我なら、紋章師が治して行ったぞ」
「そ、そうですか……。…………クリス?」
 ほっとしながらもペリーズはクリスを見。
 彼女の前に立つ騎士二人と、彼女の涙に濡れた蒼白な顔を認めて。
 穏やかな仮面は一瞬で砕ける。
「ガラハド!」
 ペリーズはガラハドを振り返った。
 もはやパーシヴァルとボルスがこの場にいることなど、頭にはない。
「貴様、この子に何を言った!?」
「おいおい、いきなり俺が犯人か?」
「――お前以外、誰がいるというんだ!!」
「な?」
 そのガラハドの声は、彼の眼前で怒鳴っているペリーズではなく、その向こうにかけられた声音で。
 ペリーズは、振り返る。
 そこには、真っ直ぐこちらを見るクリスの瞳があった。
 ガラハドは、ペリーズに胸ぐらをつかまれたまま、クリスに目を細めた。
「お前が男だったら、コイツがこんなに必死になるわけがない」
「! ガ、ガラハドッ……お前――お前というヤツは!!」
 ペリーズは、あまりの怒りに言葉も続かない。
 クリスは、ぎゅっと唇を噛んだ。







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