Love panic U





 クリスは、前日のショックからまだ完全に抜けきれないでいた。
 自覚してみれば、周りの人間の態度もみな、リリィの言葉を裏付けているように見えてくる。
 まず。
 本拠地を歩いていると、振り返る者が多い。
(……つまり、それほど私はヒドイということか………)
 目線を感じることも多い。
 今までそれは、自分が騎士団長という立場であり、望んだことではないがそれなりに名が知られているからだと思っていた。
 けれど。
(つまり、目立つほどヒドイと……)
 たしかに女らしいことは何一つできないし、できるようになろうと思ったこともなかった。だが、それ以上に見た目も女として普通以下、しかも目立つほど酷かったとは。
 ああ、それに気づかなかった自分が恥かしい。
 自分の見た目は普通レベルはあると思っていたクリスだった。
 いや、別に見た目などどうでもいいことだ。いいこと、だが……。
 人に振り返られるほど醜かったとは、あまりに辛い。
 女性陣に言えばどんなイヤミかと呪われそうな思考だったが、クリスはいたって本気である。
「クリス様?」
 声をかけられて、はっとクリスは我に返った。
 今は夕食後の、恒例の状況報告の場。
 六騎士揃ったそれは、クリスにとって騎士団長としての場でもあった。
「す、すまん……」
 個人的なことを考えているような時ではなかった。
 クリスは、自分を恥じた。
(女としてマイナスだから何だと言うのだ。私は、騎士としてまずちゃんとしていなければならないのに)
 サロメの報告を聞く途中で、自分の考えに没頭するとは騎士団長失格だ。
 ますます、落ち込んで来る。
「お疲れのようですが……」
 サロメが、気遣う視線をかける。
 クリスの表情が暗いのは、朝から気になっていたことでもあった。
 それはボルスやパーシヴァルたちも同じで。
「今日のところはここまでに致しましょうか」
「え? いや、続けてくれ」
 慌てて、クリスは首をふる。
「大丈夫だ」
「いえ。こう言っては何ですが、状況も膠着状態で、先日の報告とさして変わったことは申し上げられないのですよ」
 サロメは苦笑をのせて言い、席につくパーシヴァルたちを見回した。
「では、今日はここまでということで」
「そうだな」
 レオが、頷く。
 今日はクリスの部屋ではなく、すでに閑散となっている食堂の一角を使っている。
 元々報告することが少なかったため、サロメが夕食後にそのまま報告をすることにしたからだ。
 レオが、給仕を呼びシャーベットを頼む。
 他の騎士たちは、おのおの自分の前に置かれたティーカップを手にとった。
 解散ということだが、クリスが席を立つまでは誰も席を立つつもりはないらしい。
 クリスはというと。
 サロメの提案に申しわけないと思いつつ、彼の思いやりをありがたく思っていた。
 六騎士仲間の信頼と絆をクリスは疑ったことがない。
 だからこそ、リリィの言葉がショックだった。
 クリスはちらと談笑している騎士たちを見る。
 実際にはクリスの様子をかなり気にしているのだが、彼女はもちろんそれに気づかない。
(ああ…………)
 クリスは苦悩した。リリィの言っていたことは、本当なのだろうか。
 自分はそれほど彼らに気を使わせていたのか。
 知るのが怖い気もするが、このまま彼らの好意に甘えすぎてはいけない、と思う。
(確かめなくては……)
 しかし、内容が内容である。
 一番、彼女を言葉に出して称えるのはパーシヴァルとボルス。
 パーシヴァル、か。
 思って。
 クリスは内心首を振った。
(ダメだ。あいつは、絶対本当のことを言いそうに無い)
 街の女子への対応は、騎士らしく丁寧でソツがない。
 クリスが聞いても、一応女である自分を傷つける真実は言わないだろう。
 では……。
 クリスは、ボルスを見た。
 彼は真っ直ぐな男だし、クリスが望めば正直に答えてくれる気がした。
 ボルスは、給仕に珈琲を注文している。
 しかしクリスは、中々踏ん切りがつかない。
 クリスは、給仕を呼んだ。
「一番強い酒をくれ」
 そのクリスのオーダーに、騎士たちは動きが止まる。
 元々、クリスは自分から酒を嗜む方ではない。誘われれば、それなりに飲むが。
 それに、弱くは決してなかったが、驚くほど強いというわけでもない。
 その彼女が、いきなり自分から一人で酒を頼むとはどういう事態が起こっているのか。
「どうぞ」
 と、給仕がクリスにグラスを差し出す。
 この食堂にも、酒場には足元にも及ばないが一通りのアルコールは置いてある。
「ありがとう」
 驚きのあまり言葉もない騎士たちを無視して、クリスは勢いよくカパリとグラスをカラにした。
 よほど強い酒らしく、焼きつく痛みがクリスの喉を流れ落ちた。
 胃がカッと熱くなるのを感じる。
 よし、とクリスは覚悟を決めた。アルコールの力で勢いをつけたというより、理性が飛んでいるだけだということに自覚がない。
「………では、私はそろそろ戻る」
 クリスはそう立ち上がった。
 騎士たちが我に返って、一斉に立ち上がる。
 普段なら「ゆっくりお休み下さい」とでも言う騎士たちだが、いつもと違いすぎる彼女の行動に頭がついていけていない。
 クリスはそんな彼らを不審に思う余裕はなく、テーブルを後にしようとし、だがまるで今何かを思い出したかのように、ごく自然に見えるように意識しながらボルスを振り返った。
 だがそれは本人だけで、周りから見ればかなり不自然だったのだが。
「……ボルス」
「はい!」
 打てば響くという調子で、ボルスは力いっぱい答える。
 クリスは少し視線を泳がせてから、意を決したようにボルスを見た。
「すまないが、ちょっと……いいか」
「もちろんです」
 ボルスはクリスのそばに近寄る。
 クリスは、ボルスが頼んだ珈琲がまだ来ていないことを思い出して(まだ少しはアルコールに飲まれていない理性も残っていたらしい)、彼を食堂の外に連れ出すのではなく、食堂の隅に促した。
 残されたパーシヴァルたちは。
 何気ないふうを装いながら、食堂の片隅、カーテンの影に見え隠れする二人の様子に全神経を傾ける。
 クリスは声をひそめているつもりなのだろうが、殆ど酔いが回っていると言っていい彼女の声はそれほど小さくなく。
 ボルスの声に至っては、集中する必要もなかった。








 ボルスはもちろん、今日の朝からクリスが沈んでいることに気づいていた。
 だから夕食後のテーブルで、サロメの報告に心あらずというふうに物思いにふけっている、珍しい彼女の様子をじっと見つめていた。
 何をそれほどに苦しんでいるのだろうと思う。
(ああ、これが目の前に存在する敵ならば、この剣で斬って払えるというのに!)
 彼女の心の中では、ボルスとてどうすることもできない。
 だが。
 それにしても。
 美しい、と思う。
 いつも凛とした彼女ももちろん素晴らしいのだが、今の彼女は普段の彼女と全く趣きが違った。
 憂いを帯びた瞳は、ランプに揺れて。
 落ちた影は彼女を、ひどく儚げに見せる。
 抱きしめたい。
 その衝動は苦しいほどで。
(俺の腕の中で、クリス様を安らげさせることができたなら……!)
 全然サロメの報告を聞いていないボルスであった。
 が、ボルスが一心にクリスを見ている間に、報告会はお開きになったようで。
 ボルスは、我に返って珈琲を頼む。
 心を落ち着かせなければ、と思う。
 が。
 クリスが突然食堂で一番強い酒などを頼み、ボルスの目は点になる。
 しかも、一瞬でグラスをカラにするクリス。
 よほど強い酒なのか、アルコールに弱くは無いはずのクリスの頬が一瞬で赤く染まる。
 それにドキリとする間もなくクリスが席を立ち、ボルスも慌てて立ち上がったのだが。
 クリスはテーブルから離れようとしたに思えたが。
 たいへん不自然にボルスを振り返ったのだ。
「ボルス」
「はい!」
 かの人に名前を呼ばれて、ボルスの心臓が跳ね上がる。
 クリスは少し迷ったような様子だったが、再びボルスを見た。
「すまないが、ちょっと……いいか」
「もちろんです」
 ボルスはクリスのそばに近寄る。
 酒場の隅、カーテンの影に促されて、さすがに恋の告白などではないのは分かったが。
 それならば何か相談事だろうかとも思う。
(クリス様……!)
 騎士の中で自分が選ばれたという喜びもあり、彼女の苦悩への痛みもあり、クリスと二人こうしていることの緊張もあり昂ぶる気を抑えるのに必死なボルスだった。
「たいしたことではないのだが……。……ボルス」
 声をひそめ、彼にとって至上な女性は、すっと一歩近づいた。
「ク、クリス様」
 真剣な、だがどこか泣きそうな瞳が自分を見上げている。
 状況も忘れて抱きしめかけるボルスの腕を、クリスの一言が止めた。
「普通、か?」
「は?」
 思わず間抜けな声を返してしまうボルスであった。
 クリスは、少し目を伏せる。
「正直に答えてくれ。……普通か?」
 何が。
 そう思うのは当たり前のことで。
「その……意味が……」
 分からないのですが。
 そう続けるボルスに。
 クリスは顔を上げた。
「私は……普通……だろうか」
 見れば、クリスは羞恥の色を浮かべている。
 酒がかなり回っているらしく、瞳が僅かに潤んでいる。そばにいると、彼女の持つ熱がこちらに伝わってくるようで。
 普段とはまるで違う彼女の、立ち昇る艶と不安に揺れる瞳に。
 ボルスの頭はクラクラする。視線が離せない。
 彼女の酒で湿ったのだろう揺れたような唇が、動く。
「そ、の……。お、女として、み………魅力、が、普通……」
「まさか!!!」
 ボルスは、ぎゅっとクリスの手を両手で握り締めた。だけですんだ、自分の理性をボルスは誉めたかった。
「クリス様の魅力は普通などではありません!!!!!」
(貴女を天上の月だとすれば、そこらの女など道に転がる石っころ。いや、地中に埋まった土くれです!!!)
 言葉に出して叫んでいようものなら、次の日には胴体と首がさよならしていたに違いない。
 第三者から見ればクリスより優れた美女も美少女も、クリスではないというだけですでに点が引かれる一途な男ボルスであった。






「クリス様の魅力は普通などではありません!!!!!」
 ボルスの断言に。
 普通ではない=マイナス、の図がクリスの頭に浮かぶ。
 ああ(涙
(やはり、私はマイナスなヤツだった!!!)←大ショック
 これほど強く言われるのだから、よほどマイナスなのだろう。
 覚悟は決めていたはずなのに、思った以上にダメージが大きかった。
 ショックで顔が熱いし、血がドクドクするのが鬱陶しいし、頭の奥までクラクラしてガンガンする。
 それのほぼ全部が余裕でアルコールのせいなのだが、すでにマトモな思考ができなくなりつつあるクリスは気づかない。
 正直に話してくれた部下に礼を言うべきだと、かすかに残った理性がクリスに言うのだが。
「どうせ……マイナスだ……」
 昨日リリィから言われたことから、今日の出来事、そしてボルスの言葉。それがグルグルとクリスの頭を回って、ブチリと何かが切れた。
「え?」
 言われたボルスの方は、クリスが何を言っているのか分からない。
 クリスの瞳にぶわっと涙がわきあがり。
「だけど、何も、そんなに強調しなくたっていいだろう!!」
 怒鳴りつけ。
 ボルスを置いて食堂からダっと駆け出した。
 食堂を出て、夜の回廊を曲がり、ドンと誰かにぶつかった。
「おっと」
「!」
「あれ? クリスじゃ……」
 ナッシュの言葉は、彼女の様子に途切れる。
 ちなみに、騎士団長としてではなく共に旅した気安さからか、素でもナッシュとは公務と全く関係のない話をすることもできる間柄で。
 年齢差もあって。
 完全に酔っ払い状態なクリスは、ナッシュの首にとびついた。
「ナッシュ〜」
 涙声のクリスに、ナッシュはよしよしと彼女の頭をなぜ。
(こりゃ、完璧に出来上がってるな……)
 そう、苦笑する。
「リリィが、ボルスで、皆が、普通で、見ててマイナスなんだ!」
 全く意味不明。
 だがそこは年の功か。
 ナッシュはうんうんと分かってもいないのに頷く。
「それは、ヒドイよな……」
 とにかく、またリリィが何か関わっているのは間違いない。
 クリスは突然静かになり、ナッシュの首から腕を放すと彼を見上げた。
「私……そんなにダメか?」
「クリス……」
「ボルスのヤツ、私の魅力が普通より酷くマイナスだって言うんだ……」
(それは絶対ない)
 天と地がひっくり返ろうが、あのクリス一直線の男がそんなことを言うなど有り得ない話だ。
 そう、ナッシュは思うのだが。
 潤んだ瞳。月明かりに照らされる美しい顔は辛そうで。
 ヤバイ、とナッシュは思う。
 しかも自分は彼女の身体を抱きとめているままで。さらにアルコールのせいで服ごしに伝わる体温は熱く、その吐息も熱を帯びていて。
 ナッシュは目を細めると、クリスの顎をくいと軽く持ち上げた。

 
 
 
 



      
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