Love panic W![]() |
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クリスは、ボルスに顔を上げた。 「……ボルス」 「はい」 ボルスは、姿勢を正す。 そんな彼に、クリスは少し辛そうに笑んだ。 「………すまなかった」 完全にとは言えなかったが、理性が戻ってきていたクリスは、先ほどの理不尽な自分の行動を恥じた。 ボルスは慌てる。 「いえ! 俺の方こそ……!」 理由は分からなかったが、それでも自分の言葉が彼女を傷つけたのなら、自分にとって許し難いことだった。 そう自分を責めるボルスだったが。 しかし。 理由を知りたいと思うのは当然のことで。 ボルスは、逡巡しつつ、クリスに口を開いた。 「あの……。俺の何が、いけなかったのでしょうか」 「お前は何も悪くない。私の方からお前に正直に話してほしいと願ったのだ」 クリスは苦しげだった。 彼女の形の良い眉がキュッと寄せられて、ボルスの胸は痛む。 「俺が正直に……?」 ボルスは思い返すが、彼女の言葉が意味している台詞は一つしかなく。 それのどこがそんなにも彼女を傷つけてしまったのか、ますます分からない。 「クリス様の魅力が、普通などではないと申し上げたことですか?」 「……あ、ああ」 言って、黙り込むクリス。 苦悩が、彼女に影をおとしている。 なぜだ。 そう、ボルスは自分の理解力のなさを嘆いた。 「俺が……でも、俺は、本心から、クリス様の魅力は普通などではないと」 「分かっている……私の、お、女としての魅力が、とてつもなくマイナスだということは……」 「――は?」 思わず大きな声で問い返してしまうボルス。 クリスがゆっくりと目を上げる。 それに気づいて、混乱しつつボルスは身を乗り出した。 「あの……今のは、冗談なのでしょうか……」 「なぜ私が、こんなことを冗談で言わなければならないのだ」 「…………どうして、その、マイナスなどと……」 彼女の誤解が、ボルスには理解不能だった。 どこからどう見ても、クリス・ライトフェローは魅力的だ。 断然だ。 確実だ。 絶対だ。 ボルスは、そう断言できる。 しかし、クリスはギュッと膝の上で拳を握り締めた。 「だって…………が、そう言ってたし……それに」 クリスの頬が、羞恥に染まり。 そして、彼女はギュッと目をつぶった。 「それに、私、今まで一度だって異性に好かれたことがないんだ!」 ガシャン! 机に突っ伏したボルスの腕に当って、空のグラスが床に落ちて割れる。 クリスは焦って立ち上がった。 「お、おい。大丈夫か!?」 「あ! す、すみません!!」 ボルスも慌てて立ち上がる。 クリスは足元に散らばるグラスの破片を拾おうとし、 「ッ!」 眉をひそめる。 ボルスは焦って彼女の手を取り上げた。 「――クリス様!」 見れば、彼女の白い指先が、小さく切れている。 赤い血が、流れ落ちようとする。 「かすり傷だ。――! ボルス!!」 叫ばれて。 ボルスは自分が、彼女の指の傷を無意識に舐めてしまっていたことに気づいた。 自分の行為に、ボルスは我に返ると彼女の手を離す。 「し、失礼を!!」 「あ、いや……」 クリスは、その手を抱くように庇うと、羞恥の色か頬を淡く染める。 その姿に、ボルスの心臓が早鐘のように激しく打ちだす。 目を伏せる瞳にかかる長い睫、白く美しい彼女の頬は薄いバラ色に染まり。 鎧を脱いだ彼女の姿は、どこか無防備で。 手を伸ばせば、抱きしめられる距離に。 ボルスは必死で理性をかき集めながら、声を絞り出した。 「――クリス様は、とてもお美しいです」 「そうやって気を使ってもらうほうが、辛い」 「本当です!」 「ボルス、ありがとう。もういいから……」 彼女の悲しげな微笑みは、ボルスのことを少しも信じていず。 その魅力に苦しい理性との戦いを続けているボルスには、二重の辛さだった。 しかし、彼女の誤解を解くには、彼女の苦しみを消すには今しかないのだと思うと、ますます焦りが出る。 「クリス様……!」 (異性に好かれたことがないなどと! 貴女は美しくて、本当に綺麗で、とても可愛らしくて、今すぐ抱きしめてしまいたいくらいなのに!) そう心の内で叫び。 まさか後半を言うわけにはいかないので、ボルスは焦る頭で言葉を組み立てる。 「もう、いいと言っているだろう、ボルス!」 「よくありません! クリス様は!!」 クリス様は美しくて。 本当に綺麗で。 こう申し上げては不興を買うかもしれませんが、とても可愛らしく。 「――今すぐ抱きしめて押し倒して俺だけのものにしてしまいたいくらい魅力的です!!!!」 力いっぱい叫んでから。 ボルスはザッと血の気が引いた。 (後半だけ言ってどうする――!!!) しかも、増えている。 自分で激しく突っ込むも、もう遅い。 クリスは、ボルスの前から飛びのいていた。 ボルスは激しく首を振る。 「ち、違うんです!! 今のは、間違いです! いえ、間違いじゃないんですが! いえ、違う、違うこともないのですが、そうではなく!! 俺は、ただ、違うのです!!」 もう自分でも何を言っているのか分からない。 クリスが顔を伏せていることに気づいて、ボルスはハッと我に返った。 彼女が、小さく震えている。 (お、俺は……!) 今は、真夜中で。 部屋には自分と彼女二人きりで。 彼女はいつもの剣も下げておらず。 彼女は女で、そして自分は男で。 腕力も体格も、もちろん自分が上で。 こんな状況で、こんなことを言われたら。 「……クリス様……」 クリスを、誰よりも大切で心から愛する女性を、自分が怯えさせてしまったのだと、ボルスはギュッと痛いほど拳を握り締めた。 嫌悪と後悔で、吐き気がする。 情けなさに、泣きたくなる。 「俺は……」 貴女を、傷つけたりしない。 無理矢理なんて、そんなことは。 有り得ない。 「俺は……」 守りたいと思っているのに、その自分が、彼女をこんなにも怯えさせてしまうなんて……。 クリスの震えが、激しくなる。 そして。 クリスは涙の浮かんだ瞳で、ボルスを見た。 「クリス様……」 「プッ」 「?」 「く、苦しい……。もう、ダメ……」 「クリス様!?」 「あはははははは!!!!」 普段でもお目にかかれない大爆笑であった。 クリスは苦しげにお腹をかかえて、笑い続けている。 茫然となるボルス。 クリスはひとしきり笑い終えると、それでもまだ苦しげに肩で息をしながらボルスを見やった。 「なんて顔をしている」 クリスは、そう笑んだ。 ボルスが力いっぱい叫んだ内容に、さすがにクリスは退いたが。 彼女の目の前で、男は真っ赤になったり青ざめたり。 一人で百面相状態で。 怒るより、呆れるよりも。 クリスは、無性に可笑しくなった。 それでも必死な様子のボルスに、笑っては悪いと思うのでお腹に力を入れて我慢しようと努力する。 しかし裏返ったボルスの叫びに、もう吹き出しそうになる。 烈火の剣士と謳われるボルスは、戦場において味方にとっては最も頼れる男であり。 その鬼神のごとく剣を振るい駆ける様をよく知るクリスは、普段のこういう彼にはつい笑みを覚えてしまう。 クリスが顔を上げると、ボルスはとんでもなく情けない顔をしていて。 ついにたまらず、クリスは吹き出した。 (私を殺す気か?) 笑いすぎてお腹が痛くて、息をするのも苦しい。 なんとか呼吸を整えて、ボルスを再び見ると。 やはり、泣きそうな顔の彼がいて。 「なんて顔をしている」 クリスは、笑みを零してしまう。 こんな体格の良い、大の大人が。誉れ高き六騎士とも呼ばれる騎士が。ゼクセの街の女性に騒がれている男が。 (――可愛い) 自然とクリスの唇がほころんで。 そして、彼女は自分の浮かんだ想いにハッと我に返った。 (かかかか可愛いって、可愛いって、ボルスがか!?) クリスは内心焦る。 ボルスは、まだ少し情けない表情のまま、クリスを見つめていた。 「……あの……。お怒りでは、ないのですか……?」 それは、ボルスには悪いが、大型犬の子犬が飼い主の機嫌を伺うような目で。 クリスはふっと笑んでしまう。 そして、子犬か子どものように彼が可愛いのかと、どこか自分の心にほっとしつつ。 クリスは小さな弟にするような心持ちで、ボルスに近寄った。 「……怒ってなどいないよ」 顔を伏せる彼の前髪を、そっとはらってやる。 触れた髪が、ひどく柔らかくて、クリスはドキリとした。 間近で見たことはなかったが、じっと見てみると彼の顔はたしかに整っていて。 目を伏せたままのボルスの睫が、結構長いのに気づく。 (……あ、睫も金色――) そう言えば。 そう、クリスはぼんやりと思う。 自分が呼べば、彼は必ずすぐに応える。 ボルスを呼んで待たされたという記憶も、彼を探して苦労した経験もない。 そんなにいつも側にいたのかと気づきつつ、それでもこれほど至近距離で彼を見たことはなかったなと。 クリスは彼の伏せた目を見ながら思った。 無意識に。 何かに引き寄せられるように、つま先立ち。 クリスはその手を髪から、頬へ落とし。もう片方の手で彼の頭を引き寄せていた。 重なるだけの唇は、弾力があって痺れるように熱い。 その、感触に。 クリスは突然我に返った。 「!」 ボルスを、突き放す。 (わ、私――!!) 何てことを。 クリスは自分の口元を覆った。 驚いたように目を見開いて自分を見るボルスに、クリスは耳までが熱くなるのを自覚する。 自身の信じられない行為のショックで、クリスは震えた。 何か言わなければと思うのに、あまりの羞恥と混乱に言葉も考えも浮かばなかった。 |
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