The moon is only one.





貴女に代わるものは、何もなく。

 パーシヴァルの言葉に、クリスは微かに首を傾けた。
「イクセの村?」
 馬の用意をしていたパーシヴァルに声をかけたのは先ほどのこと。
 パーシヴァルはクリスをイクセの村の豊穣祭に誘ったのだ。
「ええ。馬で行けば、それほど時間もかかりませんよ。どうですか、クリス様」
「…………」
 クリスは少し考える。
 騎士団の用ではなく、どこかへ行くのは久しぶりに思えた。
「そう、だな。たまには息抜きもいいか……。案内してくれるか、パーシヴァル」
「もちろん。あ、しかし、クリス様だと分かれば騒ぎになると思いますので、できればあまり目立たないようにして頂ければ」
「…………まるでいつも目立っているようではないか」
 少し憮然とクリスは返す。
 そんなクリスに、パーシヴァルは少し笑った。
「自覚がありませんでしたか?」
「パーシヴァルッ」
 少し頬を染めて怒鳴るクリスに、パーシヴァルは笑う。
「では、クリス様の馬も用意してきます。少しお待ちを」
「ああ。……そうだな……私も、用意してくる。待っていてくれ」
「? はい」
 少し不思議そうなパーシヴァルを置いて、クリスは自室の方へ戻った。
 パーシヴァルの言うように目立っているつもりは全くないが、なるほどこの格好では村娘には見えない。
 騎士団の甲冑は遠目からでもよく分かる上に、女騎士の数はそう多くはなかった。
 反対に言えば、甲冑を脱いでしまえば誰も騎士だとは分からないだろう。
 そう思ったクリスは、手早く甲冑を脱いでいく。
 少し迷って、髪も下ろした。
 さらり、と長い銀髪がクリスの肩をすべる。
「クリス様!?」
 かけられた声に、クリスは振り返った。
 そこには目を丸くしたルイスの姿が。
「ルイス……」
「どうかなさったんですか、クリス様」
「いや。さきほどパーシヴァルにイクセの村の豊穣祭に誘われてな」
 言いながら、クリスは少し迷ったあと剣だけは腰に下げる。
「いつもの格好では忍びにならないかもしれないので、鎧を脱いで行くことにしたんだ」
 おかしいか?
 と、クリスはルイスの前で少し衣服を気にして見せる。
 こういう私服は、最近着たことがない。
「普通の村娘に見えるだろうか?」
「いえ……」
 ルイスはゆっくりと首を振った。
 目立たない服を選んでいるつもりなのだろうが、いかんせん彼女の髪も姿かたちも秀ですぎる。
 騎士としての立ち振る舞いが身に染み付いているようで、背筋が綺麗すぎるしどこか凛とした品があった。
「……普通の村の女の人には見えません」
「……そうか……」
 困ったようにクリスは言い、腰に下げた剣を撫でる。
「たしかに、普通の村の女性が剣を帯びているわけもないな。しかし、これがなくては落ち着かなくてな」
 そう、苦笑する。
 ルイスは少し笑って、クリスを見た。
「それで、クリス様、お二人で出かけられるのですか?」
「ああ。そんなに遠くではないし……。大勢で押しかけては村の者も驚くだろう」
「……そう、ですか」
 一縷の望みが消えて少々がっかりしながら、しかしルイスはにっこり笑った。
「楽しんでらして下さいね」
 最近元気がないのを心配していたのも事実。
 楽しげなクリスを見るのは久しぶりだった。
 クリスはルイスの心遣いに微笑んだ。
「ありがとう、ルイス。遅くならないうちに戻るが、後は頼んだ」
「はい」
 頷くルイスに頷き返して、クリスはパーシヴァルの待つ所に急いだ。
 パーシヴァルはすでに2頭の馬の用意を終えているようだった。
「パーシヴァル、待たせた」
「いえ」
 振り返ったパーシヴァルは息を呑む。
 その気配に、クリスは首を傾げた。
「……そんなに変か?」
「いえ……」
 パーシヴァルは言葉を切ってから、完全にいつもの表情に戻った。
「あまりの美しさに、言葉を失ったまで」
「……全く、お前の口は減らないな」
 苦笑しながら、クリスは慣れた手つきで馬に上がった。
 それを見届けて、パーシヴァルも自らの馬に跨る。
「ええ、よく言われます」
「馬鹿」
 くすり、とクリスが笑う。
 その笑い声をのせたまま、二頭の馬はゆっくりと駆け出した。







「どうですか、久しぶりに甲冑を脱いでの騎乗は」
「そうだな」
 風が気持ち良い。
 いつもは硬く縛っている髪を解いているせいか、ひどく解放された気分だった。
「やはり、軽いな」
 クリスは前を見ながら、気持ちよさげに目を細める。
 顔にあたる風はちょうどよい涼しさで、香る緑の匂いも悪くなかった。
 風に自由になびくクリスの銀の髪が、日差しを反射してキラと光る。
 うっとりと目を細める様はひどく無防備で、自然だった。
 そんな彼女の横顔を、パーシヴァルがじっと見つめているのをクリスは気づかない。
「パーシヴァル、今ならお前との速駆けでも勝てるかもしれないぞ」
「…………」
「パーシヴァル?」
「あ、いえ。そうですね、それならイクセの村まで競争とまいりますか?」
「それもいいな。ではッ」
 クリスは一足先に、スピードを速める。
 その後を、パーシヴァルの馬が追った。







 クリスとパーシヴァルが馬を繋いでから村に入ると、すでに豊穣祭ははじまっているようだった。
 賑やかな音楽があちこちで演奏され、酒に酔ったのか赤い顔した村人が何やら大声で笑っている。
「よく豊穣祭を知っていたな」
 興味深けに周りを見ながら、クリスは言う。
 それにパーシヴァルはさらりと応えた。
「ええ、まあ。わたしの生まれ故郷ですから」
 その言葉に、クリスは驚く。
「それは……初めて聞いたな」
「まあ、たいして面白い話でもありませんしね」
「…………」
 クリスはパーシヴァルの横顔を見た。
 そう言えば、自分はあまり彼の個人的なことを知らない、と思う。
 パーシヴァルは、そんな彼女の目に気づく。
 パーシヴァルは少し困ったように笑った。
「……そういう目は、誤解の元ですよ」
「? 何?」
 そういう目ってどういう目だ。
 そう問うクリスに、パーシヴァルは何も答えようとしない。
 尚も問い詰めようとするクリスだったが、それを甲高い声が遮った。
「パーシィちゃん!」
 パーシヴァルが焦ったように声を振り向く。
 そこには50歳に届くか届かないかという年齢の、少しふくよかな女性が立っていた。
「おや、まあ! どこのお偉いさんかと思ったら、やっぱりパーシィちゃんだ」
「お、おばちゃん」
「あらまあまあまあ。立派になって……。まさかそちらの美人さんは、パーシィちゃんの……」
「おばちゃん! おばちゃんも元気だったかい?」
 パーシヴァルは勢いよく聞き、そしてクリスに近寄った。
「クリス様、わたしは少し挨拶周りをして来ますよ。クリス様も、この辺りを見物なさっていて下さい」
「…………」
「風車のある、向こうの」
 と、パーシヴァルは村の奥を指差す。
「丘は、風も気持ちいいですし見晴らしもいいですよ」
「…………」
 クリスは、小さく笑うと、パーシヴァルを上目で見た。
「そうさせてもらうわ、パーシィちゃん」
 悪戯っぽく、笑む。
 パーシヴァルは絶句すると、珍しく照れたような困ったような複雑な顔をした。









「今から遠乗りですか?」
 ルイスは、城門前で馬に跨ったロランとレオを見つけて近寄った。
 レオとロランが頷く。
「遠乗りと行っても、近場だがな」
 レオがそう言いながら、馬の首筋を軽く叩いていると、ボルスが3人を認めて近づいて来た。
「どうした、ルイス」
「あ、いえ。お二人で今から遠乗りにいらっしゃるそうです」
「ふーん。……ルイス、クリス様は一緒じゃないのか?」
「えーっと…………」
 ルイスは一瞬言葉に詰まる。
 ボルスをちらっと見た。
 これ、言ってもいいのかなあ……。
 ムっとしたようにボルスが詰め寄る。
「なんだ! 俺には言えないことなのか!?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「そうだな。朝から姿が見えないので、俺も少し気になってた所だ」
 レオまでそんなことを言う。
 ロランが静かに言った。
「姿が見えないというなら、パーシヴァル卿もですが……」
「ルイス!」
 ボルスがルイスを睨む。
 ルイスは、深くため息をつくと口を開いた。
 口止めされてるわけではないし……と思いつつ。
「クリス様は、パーシヴァルさんと一緒にイクセ村の豊穣祭にいらっしゃいました」
「なに!?」
 怒鳴るボルスを、ルイスは上目づかいで見る。
 僕に怒鳴られても…………。
「ふむ……。遠乗りは、イクセの方に行くか……」
 レオがわざとらしくそう言う。
 ロランはだが頷いた。
「そうですな」
「俺も行く!」
 力いっぱい叫んで、ボルスは馬を連れに走り去って行った。
 ルイスはうーんと唸ってから、馬上のレオを仰いだ。
「……僕も、お供していいですか」









 クリスは、夕日に目を細めた。
 パーシヴァルの言っていた通り、丘の上は見晴らしが素晴らしい。
「パーシヴァルには、礼を言わねばな……」
 そして、目を閉じる。
 ため息が、知らず漏れた。
 ここはとても平和だけれど、それはここだけのことだった。
 この腕にまだ、カラヤの村で殺してしまった少年の肉を切る感触が残っている。
 だがそのクリスの思考はすぐに断たれた。
 すさまじい音が村の方で上がったのだ。
「!?」
 クリスは振り返る。
 見えるのは、煙。そして悲鳴はここまで聞こえてくる。
「グラスランドか!?」
 クリスは無意識に胸に手をやり、そして自分が鎧を着ていないことに気づいて小さく舌打ちした。
 しかし、今はそれを後悔してもしかたがない。
 クリスは腰の剣に手をやりながら、村の中心部へと続く道を駆け下りて行った。




「丘の方へ逃げろ!!」
 パーシヴァルは村人にそう指示しながら、剣を握りなおした。
 すでに村のあちこちで火の手が上がっている。
 パーシヴァルの騎士団の鎧は、リザードやカラヤ族たちの格好の的となった。
 襲ってくる彼らを切り捨てながら、クリスの姿を目で探す。
 クリスは鎧を着ていない。
 もし村人にまぎれて丘へと逃げ、大人しく隠れていてくれているのなら、リザードたちに襲われずにすむ。
 しかし、彼女がそうしているとはとても思えなかった。
「くそッ」
 彼の行く手を阻むリザードたちを、パーシヴァルは焦りを隠せずに倒して行く。
 ただでさえ、多勢。その上剣以外は何も装備していない彼女が敵に囲まれれば。
 一分、一秒が惜しかった。
「クリス様……ッ」
 パーシヴァルは、火の粉と怒声が交わる間を、彼女の姿を求めて駆ける。
 しかし、パーシヴァルが求める姿ではなく、求めざる者たちが彼の視界を防ぐ。
「……ッく」
 パーシヴァルは立ちふさがるリザードたちに切り込んだ。
「邪魔を……ッ! どけ! 邪魔をするなッ!!」

 彼女の姿が見えない。

 一人に、するのではなかった……!
 後悔は胸を焼くように強く。


 恐ろしい予感に、剣を握る手は小さく震えていた。




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