The moon is only one.





「………あれは………?」
 最初に気づいたのは、ロランだった。
 レオがロランを見る。
「どうしたのだ?」
「何だ?」
 ボルスが、ロランの視線を辿った。
 遠くから、馬が1頭駆けて来る。乗っているのは普通の村人に見えたが、その様子が尋常でなかった。
 ボルスたちは、馬をそこに向かって駆けさせた。
 馬に乗った男は、ボルスたちを見つけると泣きそうな顔で叫んだ。
「ああ! 騎士様!!」
「どうしたのだ」
 レオが男に問う。
 汗と埃にまみれた男は、肩で息をしながら懇願した。
「村を! 村を助けて下さい!! グラスランドのヤツらが、村を―――!!」
「―――先に行く!!」
 男の言葉を最後まで聞かず、ボルスは馬を駆った。
 ロランが男に言う。
「このまま、ブラス城へこの者を乗せて向かいなさい。そこで、そのことを言うのだ」
 そして、ルイスを見る。
「ルイス、非常時だ、騎乗を許す」
「俺、ロラン、パーシヴァル直属の部隊はすぐにイクセへ出撃するようにも伝えよ」
 レオはそう付け足す。
 3人の部隊は今日は武装待機している。すぐに出られるはずだった。
「わかりました! どうか、急いで下さい!!」
 ルイスは言って、状況を把握しきれない男の前に騎乗する。男の手から手綱を奪うようにとると、ルイスはブラス城の方へ駆けて行く。
 それを見送らず、ロランはレオを見た。
「我々も」
「うむ」
 頷く間も惜しく、二人は男がやって来た方へと馬を駆けさせた。
 ボルスの目に、遠く、小さく煙が上がっているのが見えだす。
 目を凝らせば、その辺りの空が夕焼けとはまた違う赤に染まっていた。
 馬の脚がこれほど遅く感じたことはなかった。
 焦る心ほどには、速さは増さない。
「……クリス様……!」
 ボルスは唇をかみ締めた。
 どうか、無事で……!!
 痛いほど強く、願う。
 女神よ! 召されるのなら、俺の、命を代わりに―――――!










 襲ってくるリザードを、クリスは切り倒した。
 鎧がないぶん身は軽いが、その代わり一撃も受けることは許されない。
 クリスは自分の周りに倒れているリザードたちを見やり、息をついた。
 炎の熱気が、疲労を強くする。
 しかし足を止めることなく、逃げ惑う村人には丘の方へ逃げるよう指示しながら炎の間を駆ける。
 パーシヴァルの身が心配だった。
 彼の腕は知っているが、あまりにも多勢すぎる。
 それに、彼の鎧はリザードたちの標的となるだろう。
 パーシヴァルが一人、敵に囲まれているかもしれないと思うと、平静ではいられなかった。
 ふと、クリスの耳に、泣いている子どもの声が聞こえた。
 クリスは、その声の方へ走った。
「ママ……ママ、立って……! どうして、動かないの? ママ、返事をしてぇ……」
 まだ5,6歳の女の子が、倒れている母親の側で泣きじゃくっている。
 少女は母親の身体をゆするが、すでに事切れているのか全く反応がない。
「…………」
 クリスは顔を歪めた。
 こんな、普通の女性まで……。
 ここに来る途中、いくつもの村人の死体を見つけた。それは男のものだけではない、そして老人のものもあった。
 ぐっとクリスは拳を握り締めた。
 とにかく、あの子をここから連れ出さなくては。
 そう思った時。
 少女が座り込んでいる炎の上がる壁の陰から、リザードが現れた。
 リザードは、泣きじゃくる少女を認める。
 少女はリザードに気づかない。
 リザードが少女に鎌を振り上げたのを見た時。
「―――やめろ!!」
 クリスは何も考える間もなく、駆け出していた。
 振り下ろされる刃を、受け流す――――が、少女を庇っているため、リザードの力の全てを流すことはできなかった。
「――ッ」
 すべる刃は、クリスのわき腹から太腿を撫でて行った。
 カッと熱さに似た痛みが、そこに走る。
 ガクンと膝をついたクリスの横に、クリスを撫でて行ったリザードの刃が刺さる。
 それが地面から引き抜かれる前に、クリスは自らの剣の向きを返ると、勢いよくリザードへと突き出した。
 狙い違わず、その首を貫通する。
 リザードはどうと地面に倒れると、ピクリとも動かなくなった。
「く……」
 クリスは、剣を地面にたてると、なんとか立ち上がる。
 鎧を着ていたなら簡単に弾かれていた程度のものだった。
 これならば……。
 クリスは傷に意識を向ける。
 致命傷となるような深さではない。
 しかしそれは、手当てができるならだった。
「……お姉、ちゃん?」
 見ると、子どもが自分を見上げている。
 クリスはできるだけ優しい笑顔を浮かべた。
「歩ける?」
「うん。……でも、ママが……」
「……。ママのことは私に任せて。風車のある所、知ってる?」
「うん」
「そこに、行くの。いい?」
「一人で……?」
 心細そうな少女に、クリスは惑う。
 一緒に連れて行ってあげられればいいのだが、この足ではあまり動けそうになかった。
 しかし、ぐずぐずしていては少女もまた危険にさらされる。
「……。じゃあ、私と風車まで競争しましょう」
「! うん、わかった!」
「いい? 真っ直ぐ、走るのよ? 絶対に風車につくまで振り向いてはダメよ」
「うん」
「約束できる?」
「うん!」
「いい子ね」
 クリスは微笑んで、風車のある方角へと向きを返る少女を見つめる。
 しかしその表情はすぐに硬くなった。
 視界に、リザードの一団を見つけたのだ。
 リザードたちもクリスに気づいたらしく、こちらに来ようとしている。
 クリスはリザードたちから目を離さないまま、声だけ優しく少女に言った。
「じゃあ、行くわよ」
「うん! 行くよ!」
 少女は、風車の丘に向かって走り出す。
 クリスは、思うように動かない足を叱咤しながら、駆けて行く少女の背中をリザードの視界から遮るように立った。
 剣を、ゆっくりと構える。
 一団に、見知ったリザードを見つけて小さく舌打ちした。
 たしか、三身戦士のシバ。
 この状態で、簡単に勝てる相手ではなかった。
 最初に切りかかってきたリザードの剣を、クリスは弾く。
 それだけで、ズキリと脇腹が痛んだ。
「っ!」
 しかし、返す剣でそのリザードを斜めに切り倒す。
 シバが、続けてクリスを襲おうとした仲間を止めた。
 一歩、近づく。
「……なかなかやるな、女。イクセに戦士がいるとは聞いていなかったが」
「なるほど」
 流れ出る血のせいで、立つことに限界を訴えている足を、クリスは意志の力で保っていた。
「戦士がいない村と知っての襲撃か。三身戦士が聞いて呆れる」
「なに!! ……その目……」
 シバは、目の前の女の燃えるような強い瞳に覚えがあった。
 そして、銀の髪。剣の腕。
「貴様まさか……」
「…………」
「こんな所で鉄頭の大将に会えるとはな。……精霊の加護に感謝しよう」
「…………」
 クリスは、剣を持つ手が重くなってきていることを自覚した。
 この状況で勝てるほど、シバは弱いとも思えない。
 ………ここまでか。
 しかし、無様に倒れるつもりはなかった。
 シバの剣とクリスの剣が交わった。
 その力に、クリスの顔が歪む。
「貴様、手負いか」
「……関係ない」
「……加減はせんぞ、それが戦いだ」
「無用なこと」
 しかし、剣戟に耐え切れるものではなく。
 クリスの剣はその手から、大きくはじけ飛んだ。
「貴様の悪運もここまでよ。そして頭を失った鉄頭どももな」
「馬鹿なことを」
 まだ、倒れるな。
 クリスは、自分の身体を叱咤する。
 斬り殺されるのではなく。力失い倒れるような無様な所は見せたくはなかった。
 キっとシバを睨む。
「私が死んだとて、騎士団は死なぬ」
「頭を失えば力が削がれるものだ」
「お前たちの言う族長とは違う。私が倒れれば、別の者が代わって立つ。それだけだ」
「……はたして、そうかな?」
 シバが無手の彼女に剣を向けなおした時。
「クリス様!!」
 パーシヴァルが声とともにクリスに駆け寄った。
 クリスの剣も手にしている。
 クリスは肩を並べるパーシヴァルを見た。
「パーシヴァル! 無事だったか!」
 ほっと息をつく。
 これで、怖れるものはなくなった。
 彼ならば一人であれば、逃げおおせることは可能だろう。
 騎士団は必ずやって来る。
 今丘へ逃げれば、パーシヴァルは助かるはずだった。
 パーシヴァルは、シバたちから目を離さないまま、クリスに彼女の剣を渡した。
「クリス様こそ……。無事で、よかった……」
 シバは油断ならないとは言え、後はリザードが4人。
 パーシヴァルは、勝てると判断した。
 炎の向こうに、クリスが見えた時、安堵で膝をついてしまうところだった。
 彼女が立っていてくれて。
 生きていて、無事でいてくれて。
 泣きたいほどほっとしていた。
 その時は、状況は楽観できるものではなかったが。彼女の剣をとり彼女に並んだ今。
 安堵感で胸は満ちていた。
 まるで、母親を捜す子どものようではないか。
 今思えば、自分の動揺ぶりに苦笑してしまう。
 シバが、パーシヴァルを嘲笑する。
「再会を喜ぶのはまだ早いのではないか?」
「我が剣は、蛮刀の前に倒れぬよ」
 パーシヴァルは言うと、シバに向かって地を蹴った。
 時間にしてみれば、ほんの、数分。
 しかし激しい攻めあいの末、パーシヴァルの剣がシバを打ち据える。
 手ごたえからして致命傷ではなかったが、しばらくは動けないと思えた。
 クリスの方を見ると、珍しくリザード一人相手に苦戦していた。
 パーシヴァルは、他のリザードを急いで片付けると、クリスの相手していたリザードをも倒す。
「くそ、鉄頭め!」
 シバは歯軋りするが、倒れた体を起こすことはかなわないらしい。
 パーシヴァルはそれを一瞥してから、クリスに向き直った。
「村の者には、丘に逃げるよう指示してあります。我々もそこに向かいましょう」
「族長が、すぐに来る! 逃げおおせられるものか!」
 シバが、叫んだ。
「それに、我らの仲間はまだソコココにいるのだぞ!」
 その言葉の通り、新しいリザードの一団が、クリスたちの視界に現れた。
 パーシヴァルは、クリスに言う。
「急ぎましょう、クリス様。これではキリがありません」
「そうだな。………先に行け、パーシヴァル」
 言って、クリスはこちらに向かって来るリザードたちに向かって、すっと剣を構えた。
「ここは、私が時間を稼ごう」
「クリス様? 何を言って……」
「先に行け、パーシヴァル」
 クリスはそう、繰り返す。
 パーシヴァルは、そんなクリスに手を伸ばした。
「そんなことができるわけが」
 クリスの腕を、パーシヴァルが引く。
「ッ!!」
 鋭い痛みに、クリスの身体からがくりと力が抜ける。
「! クリス様!!」
 パーシヴァルは、クリスをとっさに抱きとめた。
 ヌルリとした感触に、パーシヴァルの顔が強張る。
 彼女を抱えながら地面に横たえつつ、自分の手を見た。
 真っ赤な血が、パーシヴァルの手を濡らしていた。






 
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