『牝常以静勝牡』

   
慶東国首都、堯天の街外れ。
この国の女王である、陽子は今、ここに着いたばかりであった。

目立たない服装で、足早に騎獣から降り、馴染みの楼(みせ)に向かう。

今日は恋人である隣国の国王、延王尚隆との久々の逢瀬である。
嬉しさと待ち遠しさに心が弾む。

その尚隆から送られた趨虞のみけから降りた陽子は、その頭を撫で、
「そら、お帰り。呼んだら又迎えに来て。」
と声を掛ける。

しかし、いつもは素直なみけが今日に限って言うことを聞かない。
「みけ・・・?」
みけは、あらぬ方向を凝視し、低く唸っている。
「何かいるのか?」

声を掛けて振り向いた途端、
陽子は自分が十数人の男達に囲まれていることに気が付いた。

「誰だ?お前達は!」
「景女王とお見受けいたします。失礼ではございますが、我々とご同行頂きます。」
「何のつもりだ!!何故、私が!!」
腰に付けた水禺刀を抜こうとした途端陽子の肩に矢が刺さる。
「くっ!!」
痛みを堪え、引き抜く。
が、そのうちに視界が狭くなってくる。

「・・・・?しょう・・・りゅう・・・・」

その場に陽子は倒れる。
みけが陽子を庇うように側に寄ろうとするが、男達が身体に付けている香の匂いを嗅ぐと後退りする。

「黄海の妖魔を追い払うほどの香だ。趨虞など近寄れるものか。」
先ほど陽子に声を掛けた年かさの男が言い放つと、他の者に命じて陽子を自分達の騎獣にのせ、いずことも無く連れ去る。

その後を、陽子の趨虞はどうして良いか判らぬように、回りをウロウロしながら心配そうに見上げていた。


同時刻。
雁州国王尚隆はいつもの陽子との待ち合わせの楼に居た。
既にかなりの酒量である。

また、景麒に引き止められているのか・・・・。
苦笑半分、それでも、陽子が来ることを期待して待っていた。

『尚隆!!』

陽子の声が聞こえたように感じ、入り口を見る。
しかし、そこには、あの陽子の華奢な姿は見られなかった。

幻聴?少し呑み過ぎたか・・・・。
自分に呆れながらも、その声に何処と無く不安を感じる。
もう既に約束の刻限を、かなり過ぎている。
遅れることは有っても、こんな事は始めてである。

まさか・・・・。
立ち上がり、自分の趨虞、たまの厩舎を見に行く。
陽子は多分自分の送ったみけに乗ってくるはずだ
そして、みけはたまとつがい。
必ずここへ陽子を連れてくるはずである。

厩舎のなかで・・・不思議なことに普段は飼い主に似て、めったなことでは動じないたまが、唸りながら激しく歩き回っていた。

「なんだ?たま?」
その声に、早く出してくれ! と言わんばかりにすりよってくるたま。

なにかおかしい・・・。
と感じ、尚隆は即座にたまを引き出し、騎乗する。
たまは瞬く間に飛翔し、ある地点へ尚隆を連れて行く。

そこには・・・。みけが困ったようにグルグルと歩き回っていた。
「みけ?どうした?陽子は?」
尚隆の問いかけに、みけはますます困った顔をして頭を摺り寄せる。

おかしい・・・。
尚隆は地面を綿密に調べ始めた。

と・・そこにかすかな血の匂い。
常人では感じないほどの匂いであったが、生と死の間を何度も潜り抜けた尚隆には判る。

陽子のかっっ!!
何が有った!

頭に血が上りかける。
だが・・・・それよりも陽子が何処かへ連れ去られたことは間違いない。
どうするべきか・・・。
即座に判断すると、尚隆は再びたまに乗り、みけを連れて陽子の居城、金波宮へと向かう。

                           ★

その頃、慶国の麒麟、景麒は、自分の主が又恋人の所へ行ったことを知って、奏上の書類を片づけつつ、溜息を吐いていた。
しょうがない。自分も認めたことなのだから・・・。

その時、何かを感じる。
・・・・・・?
何だか判らないが、酷く不安になる。

その直後、
『尚隆!!』
という、陽子のせっぱ詰まった声を聞く。
「主上!?」

あの声は・・・?
ますます不安が心に広がってくる。

何か主上のお身の上に?
しかし、今は、延王とご一緒のはず。何か有っても、延王なら・・・・。

しかし、どうにも不安が治まらない景麒は、仕方なく使令を呼ぶ。
「班渠。」
「は。ここに。」
何処からともなく声がする。

「主上の所へ行ってきてはくれないか。多分、延王君とご一緒だと思うが・・・。」

「いや、俺は会っておらん。」
突然に声がする。
慌てて窓の方を見やると、開け放ったフランス窓に、尚隆が今自分の騎獣から降り、こちらへ向かってくる。
「延王?」
「勝手に入って悪いが、急ぎだ。陽子が・・・攫われたようだ。」
「ええっ??」
いつも表情に乏しい景麒の顔が動く。

尚隆はかいつまんで説明する。
「では、主上は誰に攫われたのかは・・・。」
「ああ。俺が行った時には既に姿が無かった。ということは、お前の方でそいつを探してもらわねばならん。」
「はい・・・。では、直ぐに・・。」
「それと・・・、ひそかに松伯達を呼べ。知恵は有る方が良い。」
「かしこまりました。」
「ああ、そうだ。六太にも使令を使って探させよう。」
「ありがとうございます。」

景麒は、考えながら話す尚隆の顔をちら・・と見る。
その顔にはいつもの半分ふざけたような表情は微塵も無く、険しい真剣な表情であった。

これが本当の延王の姿・・・。

陽子に対する尚隆の思いを見せ付けられたようで景麒は思わず心の底に痛みを感じた。



                                      
   




 (続く)