『牝常以静勝牡』
〜その2〜

   


陽子が目覚めたのは、見覚えの無い部屋だった。
いや、部屋というより・・・窓の無い、飾りも無い、無機質な場所。
その中の椅子の上である。

ここは・・・?
確か私は、尚隆と会う為に・・・・。

がばっと立ちあがる。
というか、立ち上がろうとする。途端に酷い頭痛と目眩が襲う。
身体は椅子に太い縄で固定されていた。

「なんだこれは・・・?」
思わず声に出る。

すると、それまで気配も感じさせなかった男が部屋の隅の椅子から立ちあがる。
「お目覚めですか?景女王。」

その男は確かに陽子を拉致したリーダー格の中年の男だった。
無表情だが、どこか異様な雰囲気が有る。
「お前は誰だ!」
陽子は身構える。

しかし、その体からは既に水禺刀は離されていた。
尚隆に会うから・・・といって、景麒の使令を一人も連れてこなかったことを
今更ながら悔やむ。

「おお、自己紹介が遅れました。私、元慶東国家宰、靖共が家臣、発祥(はっしょう)と申します。
どうかお見知りおきを・・・。」
「靖共?」
陽子は痛む頭を必死に働かせ、考える。
「何故、私をこのような目に合わせるのだ?」

発祥は、陽子を眺め、無表情で宣告する。
「景女王におかれては、やはり、王の器ではあらせられないようですな。
我が主、靖共を退け、無能な浩瀚を家宰につけられたのには飽き足らず、
なかんずく、ご自分は隣国の延王との色恋に夢中になっておられるとか・・・。」
「なんだと?」
「そのような女王をまたも選ばれた麒麟にも責任は有ると思いますが、一度登極なさったからには、
仕方が有りません。ご自分の事に夢中になられるのでしたら、政務はお止めになられた方が良い。
・・・・・・今一度我が主を家宰をお戻しになり、予王のように傀儡となられた方が良かろうかと。」

「ということは、私への脅しか?」
ますます酷くなる頭痛と闘いつつ、陽子は問い掛ける。
「脅しなど・・・。」
発祥は薄く笑い、
「私はご忠告を申し上げているだけにございます。それが、景女王にも、最善策かと・・・。」

「で、私を捉えてどうしようというのだ?この事でお前達は既に反逆者だぞ。」
思わず張り上げた自分の声が頭の中を割れがねの様に駆け巡る。

「おお、あまり興奮なさらない方がよろしいですな・・。御身に刺さった矢尻には、
黄海の最強の妖魔をも狂わせる薬が塗ってあります。
いくら、神仙といえども、あまりお体には良くは有りませんな。」

それ以上何も言うことが出来ず、陽子は再び椅子に崩れ込んだ。

「まあ、ごゆっくりお休みくださいませ。さすがの景台輔もこの場所は
お分かりにはならないでしょうし・・・。
景女王は、今は延王君とごゆっくりお会いになっていらっしゃるとお思いでしょうからな・・・。」

不愉快な笑いを残し、発祥は部屋から立ち去る。
だが、戸口の外で見張りに行っている言葉が聞こえた。

「目を離すな。台輔の使令が来るやも知れん。それと、延王も危ない。
あいつはなにを考えているか判らないそうだからな。自分の女恋しさに何をしてくるか・・。」

尚隆・・・・。
私が行かないのをどう思っているんだろう・・・。
会いたい・・・。

気分の悪いのも手伝って、思わず涙が込み上げそうになる。

景麒・・・。あいつ、私がこんな目に有っていること気が付くだろうか?
どうせ、尚隆と居ると思って心配もしていないに違いない・・・。

助けて!尚隆!景麒!

陽子の心の叫びは誰にも届かなかった・・・・・と、陽子は思っていた。

             ★

金波宮。
この中の小さな部屋で、今しも慶国の首脳陣と、延王尚隆、延麒六太を交えた
打ち合わせが終わろうとしていた。

「ということは、そいつが一番怪しいのか。」
六太がせき込むように言う。
「そうです。今この国で、主上に一番恨みを抱いているものなど、そうそうに
居るものでは有りません。」
浩瀚が断言する。
「しかし、まだ主上に恨みを持って攫ったかどうかは・・・。」
景麒が憮然として答える。

「・・・・。いや、恨み無くば、陽子を傷つけてまでは連れて行かんだろう。
あの場合、陽子の身より、攫う方が先決だったようだからな。」
黙って聞いていた尚隆が言う。
「然り。ただ、ここにおわす台輔がご無事ということは、主上もまたご無事
ではありましょうがの・・・。」
松伯が皆を安心させるように言う。

「では、どうやって、そこに主上をお助けするのですか?」
景麒が尚隆へ向かって言う。

「・・・。まず、景麒、六太、お前達の使令を放って、位置を確かめろ。
確認出来たら、俺が行く。」
「延王!」
景麒と浩瀚が同時に叫ぶ。
「そ、それはまずいのでは・・。曲がりなりにもこれは我が国の問題・・。」
浩瀚が、必死に説得しようとする。
「何を言っている。お前達が下手に動くと反って他の危険分子に知られて飛び火する
恐れがある。それに・・・景麒、お前に戦いが出来るのか?」

的を付いた尚隆の言葉に返すものがない。
「大丈夫だって。尚隆はこういういざこざに慣れているからさぁ。」
六太が努めて明るく、なだめるように話しかける。

「浩瀚、禁軍のなかで、役に立って、口の堅い奴を10人ほど貸せ。
そいつらと俺で陽子を助けてくる。」

やや間が有って、ようやく浩瀚が口を開く。
「かしこまりました。ではすぐに用意させます。」

「景麒、いくぜ!」
六太が景麒を誘い、使令を放つ。
景麒のおもだった使令と、六太の使令が一斉に陽子の気配を探りに行く。

「さて、判るまで俺は一眠りさせてもらおう。」
そういうと、尚隆は側の長椅子に横になり、直ぐに眠りに就いたようである。

「ホントにこいつってば、陽子の事心配してんのかなあ・・。」
呆れたように六太が言い放つ。

「ここが、延王君の凄い所ですな。」
松伯が笑みながら、他の人々を促し、部屋から出て行く。
「さて、我らは、主上がここにおみえにならないことを皆に悟られないことが仕事じゃ。」

頷きつつ、浩瀚が景麒と打ち合わせをし、一緒に出ていった。

実は・・・尚隆は決して眠っては居なかった。
無論、心配で眠られる訳が無い。

だが、今ここで自分が慌てふためいてもどうにもならないことを痛感していた。
それと・・・・、景麒の前でみっともない姿を見せたくなかったのだ。

陽子、待ってろ。
必ず俺が助けてやる。
それまで無事でいてくれ。

その尚隆の言葉が伝わったのか、発祥に監禁されている陽子も、頭痛に堪えつつ、
うつらうつらと眠りに落ちていた。

                                            
   



(続く)