廻り始めたもの〜参〜


 
 簡単に吹き飛ばされた醍醐は、十分一呼吸おいてから、自分がマットの上に倒れていることに気づいた。
 観戦していた京一が、小さく口笛を吹く。
 龍麻は、あせって醍醐に駆け寄った。
「大丈夫!?」
「・・・・・・・・」
 醍醐は、むくり、と起き上がった。
「――すごいな、龍麻」
 驚いた、と醍醐の目が素直に言っていた。
 龍麻は、少し困ったように彼を見る。
 醍醐が、昼休みに手合わせしたいと言ってきたのは、登校して顔をあわせてすぐの時だった。
 京一曰く、格闘オタクである彼が、龍麻が佐久間と喧嘩しているのを見て、自分も戦ってみたくなったらしい。
 そして昼休み、早速レスリング部のリングの上で試合することになってしまったのだ。
「――ごめんな、醍醐」
「何を謝る?」
 醍醐は、にっと笑った。
「いっそ、完敗すぎて気持ちいいぐらいだ」
「あーあー。男同士でむさくるしい青春なんて、ヤだねー」
「うるさいぞ、京一」
「それにしても『真神の醍醐』と言えば、この辺りで知らないヤツがいないぐらいのお前がなー。転校生に簡単にやられちまうなんて、情けない」
 京一はわざと、そう大きく息をつく。
 しかし、その目が本気で言ってないことを表している。
 楽しそうな親友を、醍醐は笑って睨んだ。
 龍麻は、言い難そうに口を開く。
「京一、そーいうこと言わないでくれよー。俺のは言ってみればズルして勝ったみたいなものなんだから」
「?」
 二人が、怪訝に龍麻を見た。
「正々堂々とした勝負だったと思うが?」
「そーだぜ、龍麻」
「いや、その。腕力じゃなくて、気を使ってるから」
「中国拳法の発剄のようなものだろう? お前の型を見る限り、古武術の流れに見えるが。気を取り入れた武術は、珍しくもないだろう。――まあ、これほど見事な気の技は初めて見たが」
「はー。さすが、醍醐。そっち関係は詳しいな」
 京一が感心したように言う。
 龍麻はしかし、後ろめたい気分はする。
「でもなんか、力と力の勝負って感じじゃないだろ? 俺、たしかに身は軽いけど、力ないしさ。純粋な腕力だけだったら、拳がヒットしたって醍醐はビクともしないよ。だから、なんか卑怯っていうか」
 普通の人間と戦うのは。
 そう思うが、そこまではもちろん龍麻も言わない。
 バン、と京一が龍麻の背中を叩いた。
「バッカ、そんなこと気にしてたのかよ。お前のその見た目で腕力あったら、人間じゃねーよ」
 女らしい線は完全に隠しているが、細い腕を太く、身体全体を体格良く見せられるわけではない。
 腕力のある醍醐や、京一の腕は、学生服の上からでもがっしりと太い。
 京一は笑って続ける。
「それに純粋な腕力勝負なんだったら、コイツがお前に言い出すだけで卑怯じゃねーか」
 京一は、醍醐の太い二の腕を叩いた。
 龍麻は、ぷっと吹き出した。
 醍醐も頷く。
「気だろうが何だろうが、それはお前の力だ。お前が自分の能力で戦うのは当たり前だ」
「・・・あ、ありがと」
 龍麻は、微笑んだ。
 うむ、と醍醐は頷く。そして、思い出したように言った。
「そうだ、龍麻。お前放課後あいているか」
「え? あ、うん」
「よかった。俺たち、お前の歓迎会もかねて花見に行こうと思っているんだが」
 醍醐は言って、京一を見た。
 京一は、話を振られて、ハッと我に返る。
「あ。なんだ?」
「――なんだ、じゃないだろう。花見の話だ。何を呆けているんだ?」
「え、いや」
 京一は言葉を濁した。
 まさか、龍麻の笑顔に見惚れていたとは言えない。
 京一は、首をかしげて自分を見ている龍麻を見た。
 コイツって本当女顔なのな。
「・・・・・・・・・・」
 それにしても、と京一は思う。
 この俺様が、一瞬とはいえ男の顔に見惚れるとはッ。
 ――一生の不覚ッッ。
「京一!」
「え、あ、そうそう、花見だよ花見」
「花見か・・・・・」
 龍麻は、一瞬迷う。
 京一たちは本当にいい人たちだと思う。
 時々、自分が「人懐っこい同級生」の演技をしているのか、本当の自分が出ているのか分からなくなるのだ。
 彼らのそばは心地良すぎる。
 気を抜けば、深入りしてしまいそうで怖かった。
 あくまで、自分は「友達」を演じているにすぎない。――また、そうでなければならなかった。
 龍麻の逡巡を感じてか、醍醐は一押しした。
「お前の歓迎会なのだから、主役がいなくては話にならん」
「美里と小蒔も来るしな。あ、それからマリア先生も呼ぼうって話になってんだぜ」
 京一は言ってから、龍麻の耳に顔を寄せた。
「――俺は、酒が飲めなくなるから、嫌だっつったんだけどよ」
「京一!」
 醍醐が、声を上げる。
「しつこいぞ。高校生が酒などもってのほかだ」
「あーはいはい」
 くすり、と龍麻は笑った。
「わかった。俺も行くよ」
「よし!」
 京一も醍醐も嬉しそうだった。
 早速美里たちに知らせに行こうと、教室へと戻りかける。
 部室の入り口で、醍醐と京一は動かない龍麻を振り返った。
 笑って、彼を呼ぶ。
「龍麻!」
「龍麻!! ――はやく来いよ!」
 眩しい。
 いとおしい。
 嬉しい。
 胸に満ちる光に、龍麻は顔を伏せた。きゅっと眉を寄せる。
 すぐに、普段の表情に戻ると、彼らの元へ歩いた。
『幸せな気持ちを得ることを、許されない者はいないのだよ。それどころか』
 優しさも暖かさも必要ないと、幸せや救いは許されないと、泣いたあの夜に師は言った。
『君は残された時を幸せに生きる資格が、誰よりもあると、わたしは思うのだ』
 龍麻は、蘇った優しい言葉に身をまかせたくなる。
 しかし。
 違うッ。
 龍麻は、グッと拳を握り締めた。
 違う、違う、違う。
 そんなものは求めない。
 ――何もいらない。何も。
 そして。
 龍麻は、京一と醍醐の後ろを歩きながら、校庭の桜の木から風にのって舞って来た花びらを仰いだ。
「・・・・・・・・・・・・・・」
 ちゃんと。――そう、ちゃんと。
 一人で、死んでみせるから・・・・・・・・。
 

 

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