廻り始めたもの〜四〜


 公園の一際大きな桜の木の下に、龍麻は佇んでいた。
 少し、待ち合わせの時間より早かったかもしれない。
 まだ誰の姿もなかった。
 醍醐と試合った後、美里たちと合流して職員室へマリアを誘いに行った。
 そこで、花見に行くという龍麻たちに、犬神が言ったことを思い出した。
『――桜以外のものが散らんように、気をつけるんだな』
 あの時、たしかに彼は自分を見ていた。
 ――何かが起こるというのだろうか。
 龍麻は、舞い降りてくる桜の花びらをそっと見つめた。
 やはり、花見は断るべきだったかもしれない、と思う。
 放課後一度戻ってから、ここに集合することになったのだが、その人数が多かった。
 何か起こった時に、彼らを巻き込むわけにはいかなかった。
 その時、小さな悲鳴が聞こえた。
 龍麻はその声の方を向いた。
 女の子が、柄の悪そうな不良に絡まれている。
「やめろ!」
「やめたまえ」
 声が、重なる。
 はっとして、龍麻はもう一方の声の主を見た。
 見たことがない顔だった。
 決して派手ではないが、充分に人目を引く整った顔。龍麻の知らない制服に身を包んでいる。
 彼もまた、龍麻を見ていた。
「なんだあ、王蘭の如月じゃねーか」
 不良の一人が、彼の方を見て顔を歪める。
 有名人らしいな、と龍麻は思った。
 龍麻には、如月の無表情から感情は読めなかった。
「・・・・・・・・・・・・・」
「――何とか言ったらどーなんだよ、如月?」
「――やめろよ」
 龍麻は、 如月が動く気配がないので1歩足を踏み出した。
 不良たちが龍麻の方を向く。
「あんだよ、チビが」
「――彼女、嫌がってるだろ。離してあげてくれないかな」
 龍麻はそう、少し困ったように言う。
 不良に囲まれている可憐な少女が、すがりつくような目でそんな龍麻を見ていた。
 少女は、荒事に慣れているようには思えない。
 龍麻は、そんな彼女の前で派手な喧嘩は避けたかった。
 しかし、不良たちがそれで引き下がるわけもなく。
「ヤローに用はねーんだよ」
「いい格好してんじゃねー」
 龍麻の方に、ジリジリと間合を詰めてくる。無意識にビクリとし、そしてそんな自分に苦笑した。
 旧校舎で異形と戦い、殺した自分が、不良などに詰め寄られて一瞬怯える。
 ――身に染み付いた臆病さは、なかなか抜けないということか。
 龍麻は自嘲したまま、小さく息を整えた。
 怖れや、自嘲、そう言った感情を奥へと閉じ込める。
「・・・・・・・・来い」
 佐久間たちとの喧嘩で、要領は分かっている。
 龍麻は、不良たちの位置を確かめた。
 5人。
 不良たちがカッとなって、龍麻に飛び掛る。
 だが、彼らが1歩駆けた時には、1番前にいた2人の男の前に龍麻はすばやく踏み込んでいた。
 右側の男の首筋をごく軽く手刀で叩き、1歩さらに踏み込み、左後ろの位置になった男の膝の関節の内側を軽く左足で蹴る。
 前からの大ぶりの蹴りを上体を沈めてかわし、後ろに放った蹴り足を、そのまま低い位置で回す。横の男の足をそれで払ってから、立ち上がりざまに、両手で目の前の男の腹に軽い氣を放った。最後に残った男の顔前で、ピタリ、と拳を止める。
 4人は、ほぼ同時に地面に倒れた。
 眼前に龍麻の拳がある不良は、暑くもないのにダラダラと汗を流した。
「・・・ひ・・・・っ」
「まだ、やる?」
 龍麻は、不良にすうっと目をすごませた。
 不良はブンブンと力の限り首を横に振る。
 龍麻は、すっと拳を下ろした。
 龍麻に一瞬で倒された4人も、軽くやられただけなのですぐに立ち上がる。
 そして、「おぼえてやがれ」の定番も言わずに、逃げていった。
 龍麻は、唖然としている少女に近寄る。
「怖い思いさせてごめんな」
「え!? あ、そんな」
 少女は我に返ったように、はにかんだ。
 そうすると、ますます柔らかく可憐な雰囲気になる。
「・・・・ありがとうございました」
「いや。・・・あ」
 龍麻は、去っていく如月に気づいて声をあげた。
 如月を追おうとする。
 その龍麻に、少女は声を上げた。
「あのッ。私、比良坂紗夜っていいます。あなたは――」
「緋勇龍麻。じゃあ、気をつけてねっ」
 龍麻は紗夜に、優しく笑ってから、如月を追った。
 彼は歩いていたので、すぐに追いついた。
「――待ってくれ」
「・・・・僕に、何か?」
 如月は、そう立ち止まった。その声も、瞳も冷たいともいえるものだった。
 龍麻は、笑う。
「ありがとう」
「別に、僕は何もしていないが」
「だけど、カタがつくまでいてくれただろ?」
 龍麻は、如月がじっと龍麻の動きを見ていたのに気づいていた。
 龍麻にとって、京一たちと同じように「いい人」と思える存在は大切だった。
 人を守る。優しい、人たちを守る。
 そんな陳腐かもしれない、大義名分かもしれないもの。しかし、龍麻が戦うためには、それがただ一つの支えだった。
 贖罪の気持ち以外では、ただ、この思いだけが自分を戦わせてくれるだろうことを龍麻は自覚している。
 優しさも好意も必要ない。その権利もない。
 けれど。
 自分が好きになること、優しい人間を見つけることは、とても大切なことだった。
 それは、臆病な自分の楔になってくれる。
「俺が危なそうだったら、助けてくれるつもりだったんだろ?」
「・・・・・・・。馬鹿な」
 如月はそう冷笑を返す。
 それでも、その前に一瞬だけ浮かんだ焦ったような彼の表情で、龍麻はその通りだったのだと分かってしまった。
「ありがとう」
「・・・・・・・・・。君の、名は。その制服を見ると、真神の生徒みたいだが」
「ああ。龍麻。緋勇、龍麻だ」
「――僕は如月翡翠。・・・・緋勇君、君の・・・・氣は」
「?」
「――いや、何でもない」
「そうか? じゃあ、俺もう行くよ。あ、俺のことは龍麻って呼び捨てにしてくれ―――って、もう会うこともないだろうけどな」
 龍麻は気づいて、そう笑う。
 如月はそんな龍麻に、何も答えなかった。
 龍麻はもう1度如月に「じゃあ」と言い置いてから、踵を返した。
 急いで先ほどの場所に戻ると、すでに京一、醍醐、美里、小蒔、杏子、マリアと全員が揃っていた。
「――遅いぞッ 龍麻!」
 京一がそう手を振り上げる。
 龍麻は、
「ごめんごめん!」
 笑っていいながら、皆に駆け寄った。
 適当に場所をとって、大きなシートを広げる。
 教職のマリアがいるので酒類はなかったが、美里の手作りの弁当やそれぞれ買って来たジュースや菓子類、ちょっとした軽食まであってなかなか豪華な花見になっていた。
 仲の良いもの同士の話は盛り上がり、花見客で賑わう中でもその一角は特に明るかった。
 盛り上がりも最高潮に達したころ、京一ががばりと上半身の服を脱ぎ捨てた。
 醍醐が、ブッとウーロン茶を吹き出す。
「きょ、京一ッ お前、隠れて酒を持ってきたんじゃないだろうな!」
「あー? そんなの持って来てないって」
 身体を張った京一の芸(?)に、お腹をかかえて笑いながら、小蒔がバンバンと京一の背中を叩く。
「あははは、ジュースで酔っぱらえるなんて、さすが京一っ」
「・・・・・写真とっとこうかしら」
 言いながらも、すでにカメラを構えようとしているのは杏子。
 それに気づいて、京一は慌てたように上着を羽織った。
 マリアが、龍麻に寄った。
「緋勇君。あなた、とても強いと聞いたけど」
「いえ・・・・別に」
 龍麻は、少し困ったように笑う。
 醍醐がそんな龍麻に言った。
「謙遜することはないぞ。お前の腕はたいしたものだ」
「――ねえねえ、それって誰に習ったの? お父さん?」
 小蒔が、声をはさむ。
 龍麻は首を振った。
 それじゃあ、誰に? と続ける小蒔だったが、突然身体を割り込ませるようにして声を上げた京一にかき消されてしまう。
「――親父の話はどーでもいいとしてだ! なあなあ、龍麻! お前、妹とか姉さんとかいないのかっ?」
「・・・・・・・・。妹が」
 いた、と言うまで待たずに、
「おおおお、妹がいるのかッ」
 京一の目が爛々と輝いた。
 美里が、くすりと笑った。
 杏子も興味津々で会話に入って来る。
「妹さんって、いくつ下なの?」
「双子」
「――おっしゃあ!」
 何の意味か、京一はぐっとガッツポーズをする。
 そして、勢いこんで龍麻に言った。
「名前は!?」
「・・・・・・・・・。遙(はるか)」
「遙ちゃんかッッ」
 龍麻が、ビクリ、と反応したことに京一は気づかなかった。
 京一は、龍麻に詰め寄る。
「――紹介! 遙ちゃんを紹介してくれッ」
「京一、馬鹿ばっかり言ってるんじゃないぞ。龍麻に迷惑だろうが」
「うるせえ醍醐! な、いいだろ龍麻。俺たち親友じゃねーか!」
「調子いいんだから」
 それは、小蒔と杏子の同時の突っ込み。
 期待いっぱいの京一に、龍麻は目を泳がせた。
「ご、ごめん」
「だめなのかよー。なんでだよー」
「・・・・もういないんだ」
「は?」
「――死んだんだ」
 そう、緋勇遙は死んだ。
 3ヶ月前に。
 龍麻は目を伏せた。
 葬儀も終わり、墓もある。――その下には、何も埋まってはいなかったが・・・・。
 京一は、何回か口を開いては閉じ、そして目をそらした。
「・・・・・・悪ぃ」
「気にしないでくれ。俺こそ、なんか場をしらけさせてしまって」
 すまない、と龍麻が続けようとした時。
 遠くで、凄まじい悲鳴が上がった。
 ビクリ、と誰もがそちらを見る。
 再び、上がる悲鳴。
 それは尋常な物ではなかった。
 龍麻はバッと立ち上がる。
 悲鳴が上がった方から多くの人たちが、逃げ惑いながら龍麻たちを通り越して行く。
「――なんだ?」
 醍醐が、目を険しくした。
 龍麻は、自分の鞄を握った。
「――逃げるんだ」
「龍麻?」
「――マリア先生、皆を連れてすぐここを離れて下さい」
 龍麻がマリアを見る。
 マリアは頷きながら龍麻を見上げた。
「緋勇君は?」
「俺も後から行きます。先に行っててください」
 龍麻の目は、逃げてくる人々の向こうにいっている。
 京一が憤った。
「馬鹿! お前だけ残して行けるか」
「なんだか分からないけど、逃げるなら龍麻君も一緒に」
「俺も様子を見てこよう」
 言う美里と、立ち上がる醍醐に、龍麻は視線を戻した。
 龍麻の、見たことのない鋭い眼差しに醍醐は言葉を失う。
「足手まといだ」
「・・・・・・・・」
 凄まじい悲鳴が、再び上がる。
 もう醍醐たちの方を見ずに、龍麻は悲鳴の上がる方へ向かって駆け出した。

 

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