廻り始めたもの〜伍〜
| 如月は、じっと彼の行方を目で追っていた。 彼。 ――緋勇、龍麻。 如月は、不良を倒した時の彼の氣が気になっていた。 龍麻と別れた後も、木立の影に立ち彼を見ていたのだ。 騒がしい花見客があちこちで溢れる公園で、ただ静かに立っている如月の姿は不審な目を向けられてもおかしくはなかった。 しかし、完全に気配を絶っている如月に、周りの誰も気を向けることはない。 確かにそこに立ち、誰もの目にも見えているのに、意識が彼を見ないのだ。公園には王蘭の女子生徒の一団もいたのだが、いつもは如月に熱い視線を送る彼女たちさえ、そこに立っている男子生徒が彼女たち曰く「王蘭のプリンス」であることに気づかない。 龍麻が仲間たちと宴会を初めた時は、感じた氣は思い違いだったのかと思った。 ただ、先ほどの不良を倒した手際といい、常人であるとは思えなかったが。 それでも、宴会が続く中、さすがに如月は馬鹿らしくなってくる。 如月が微かに息をついて、そこを離れようとした時、それは起こった。 ザワリ、と如月の皮膚が何かにざわめく。空気が変わったのを感じて、如月が視線を動かすのと、如月の向いた先から悲鳴が上がるのとは同時だった。 バッと、何人もの人間が悲鳴を上げながら駆けてくる。 ただ事ではないその様子に、何が起こったのかも分からないまま立ち上がると人の波にそって一人、二人と駆け出す者がでる。それはすぐに、周りに伝染していく。 公園にいた全ての人間が、出口に向かって逃げ出していた。 如月は、その人波に逆らって駆け出した。 視界の端に、同じように龍麻が駆けているのを認めて鋭く目を細めた。 龍麻に気づかれないように、如月は少し距離ととった。 龍麻は駆けながら、鞄から手甲を取り出した。 そのまま、鞄を投げ捨てる。 手甲をつけた龍麻は、自分の前に拡がる異形の群れに足を止めた。 犬によく似た四足の異形が、十数頭龍麻の行く手を阻んでいる。 その向こうに、抜き身の刀を持つ男の姿があった。 「―――おい」 龍麻は、四足の異形を無視し、男を見た。 「――おい、聞こえるか」 冷静を装いながら、龍麻は内心苦いものを感じていた。 男はすでに、正気を失っている。――いや、そもそも人間ではなくなっている。 「おい」 それでも、一縷の望みをかけて、龍麻は繰り返し呼びかける。 男は、荒い息を繰り返すだけで、何も応えない。 ――だめ、か・・・・。 龍麻はキュッと唇を噛んだ。 龍麻が見ている前で、男の目がボコリと窪んだ。 キヒ、と奇妙な声で笑う口元が、ガバリと裂ける。 龍麻の顔は歪んだ。 「・・・・・やはり、ダメ、なのか・・・」 人間ではない。 人間ではない。 龍麻は、ギュっと拳を握り締めた。 それでも、たしかに、人間であったはずのモノなのだ。 「・・・・ごめん」 そう言うのは、ただの自己欺瞞。そう思って、しかし言わずにはいられなくて、微かな声で呟いた。 「ごめんね・・・・」 そして、細い息を吐き出す。 氣を高め、整える。 勝負を長引かせてはいけない。人が集まる前に、全てを終わらせなければならなかった。 「―――行く」 自分にか、それとも異形たちに向かってか、龍麻は小さく呟いた。 ダッと足を踏み出す。 上体を沈めて、そばにいた異形を一体ずつ確実に沈めていく。 背中が空くのはしかたがない、致命傷にならないほどの傷を負うのも覚悟の上だった。 しかし背中への攻撃がふいとやみ、代わりに覚えのある気配がした時、龍麻はハッとした。 「――京一!?」 「おうよ」 振り返る前に、すぐ後ろで彼の声が応える。 龍麻は京一に首を巡らせた。 「――どうして、ここにいるッ」 「お前だけ残して逃げられるわけないだろ」 「馬ッ」 ――馬鹿な。 龍麻の叫びは、すぐ側で響いた異形の唸り声に消される。 龍麻は、ハッと目を戻した。 眼前に迫る牙はしかし、龍麻に届く前に倒れた。異形の背中には、1本の矢が刺さっている。それと同時に聞こえる声。 「――ボクもいるよ!」 「小蒔!」 龍麻が彼女を見ると、小蒔の隣には美里が、二人を守るように立つ醍醐がいた。 「――な・・・・・!」 龍麻は驚きに言葉もでない。 醍醐は、少し笑った。 「お前一人に戦わせるわけにはいかんだろう」 「杏子ちゃんは、マリア先生に連れて行ってもらったから。安全よ」 美里はそう言う。 龍麻は異形を叩き伏せながら、怒鳴った。 「危ないのはお前たちも同じだろうッ」 「――大丈夫だって」 一閃で異形を叩きのめしながら、京一が笑った。 「なんか知らねーけど、俺たち、妙な力が出るんだよな」 その漏らされた言葉に、龍麻は心臓を鷲づかみにされたような衝撃を覚えた。 京一たちを見回す。 その身体から昇る、燐光のような青い光。 ――宿星・・・・・。 龍麻の目が悲しい色を浮かべたのを、背中を向けていた故にそばにいた京一さえも気づかなかった。 『――やがて星は集まる。黄龍の器と共に戦う仲間が』 蘇る声。 コウリュウ ノ ウツワ ト トモニ タタカウ ホシ。 エラバレタ ナカマ。 龍麻は顔から表情を消した。 「その力が覚醒したということは、お前たちは俺の『仲間』だ」 「・・・?」 言葉の内容と裏腹に、今まで聞いたことのない冷たい声に、京一は眉を寄せた。 「龍麻?」 「俺の指示に従ってもらう」 冷ややかで、傲慢な声。 それに、京一は顔色を変える。 しかし、振り返った先にゾッとするほど冷たい瞳があって、気圧されて言葉を無くした。 「京一は俺の背中をフォローしろ。自分の正面の敵は必ず倒せ」 「・・・・・・」 「小蒔!」 「えッ うん!?」 「俺は刀を持ったやつに近づく。進行方向の敵を射れ! 美里はその場で待機、醍醐は一歩出て少しずつ異形を誘き寄せろ!」 「――待てよ!」 京一が、龍麻の腕を掴んだ。 「それじゃあ、醍醐をフォローするヤツがいないだろッ」 「多少怪我をしたところで、死にはしない」 「――てめえッ」 怒声を上げる京一の肩を、異形の牙がたった。 京一は顔を歪めながらも、それを引き剥がす。 龍麻に目を戻した京一は、彼の目が少しも動じていないことを知る。 龍麻は口を開いた。 「――お前が怪我をするのは勝手だが、抜かれるな」 自分の背中に敵を寄せるなと言っている龍麻に、京一は激しく舌打ちした。 龍麻の豹変ぶりに驚きや怒りを通り越して、憎しみさえ湧いてきそうだった。 こんな人間を友達だと思った自分の間抜けさぶりが、情けなかった。 しかし戦いを放棄するわけもいかず、京一は木刀を握りなおす。 「――来いッ」 怒鳴り声は、異形に向けられたもの。 しかし京一は、もう龍麻を案じることはなかった。 龍麻は、異形を倒しながら、刀を持った男へと向かっていた。 目の奥に、京一が噛まれた時の血の色が焼きついている。胸が痛いのは、彼に血を流させてしまったからか、彼の心を傷つけてしまっただろうからか。それとも、彼らの暖かい気持ちを失ったのが辛いからか。その全てが原因なのか、分からなかった。 異形の氣、そして瘴気とでも言えるような気配は、刀を持つ男から溢れていた。 男を倒せば、他の四足の異形は力を失うに違いなかった。 龍麻は、正面に群がる異形は無視し、男との間合を詰める。 急がなければ、京一たちの危険が長引く。誰かが、また傷つく。 龍麻は、振り下ろされた刀をギリギリで避けた。同時に懐に飛び込む。 異形と成り果てた男は、空中で刃を返した。 龍麻はそれを手甲で受けた。 ビシリ、と手甲が割れる。 もう片方の手が、男の胸を捉えていた。 「――螺旋掌ッ!!」 手甲を割った刀が、龍麻の手を切り落とす前に、龍麻の技が男を吹き飛ばしていた。 男の血肉が飛び散る。 京一たちは、相対している四足の異形が急に弱くなったのを感じた。 残った異形を、次々と倒す。 龍麻のそばに、刀が落ちていた。 龍麻は無意識に、その刀へ手を伸ばした。 「――触れてはいけないッ」 鋭い制止の声はだが、間に合わなかった。 龍麻は刀を手にした格好で、声の方を見る。 彼は、たしか。 如月・・・・・・。 龍麻が考えられたのは、そこまでだった。 ザワザワと、瘴気が刀から手、身体の奥へと這い上がった。悲鳴を抑え、うめきが龍麻の唇から漏れる。 ――コロセ。 鮮明に、その声が奥で響いた。 コロセ。コロセ。コロセ。 「――うッ・・・・」 『知らないッ』 泣きながら叫んでいるのは、あの時の自分。 『知らないッ。そんなの、知らないッ』 『遙・・・』 『どうしてよ!? 私、何にもしてないのに! 私のせいじゃないッ そんなの、私のせいじゃないもの!!』 泣き叫んでいる、自分。 『嫌よ! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!!』 一面の血。 転がった首。 むせ返る血の臭い。 悲鳴。 フラッシュバックする、情景。 『・・・・もう、決めたんです。それが、私の選んだ・・・・私の、務めです』 師への、言葉。 (ドウシテ?) その声が、すうっと龍麻の胸に入り込んだ。 (どうして、そんなことしなくちゃいけないの?) それは。 彼女が自分で答える前に、声は言った。 (だって、私のせいじゃないのに。たまたまそう生まれただけなのに) 「龍麻君?」 美里が、地面に膝をついたまま動かない龍麻に寄ろうとする。 龍麻は、ゆるゆると顔を上げた。 美しい美里の顔が見える。 (私は龍麻じゃない) 違う。私は・・・・俺は、龍麻だ。 声が、あくまで龍麻ではないと囁き続けたなら、それが正気に返るきっかけになったかもしれない。けれど、声はあっさりと龍麻の理性の声を受け入れた。 (そう、私は龍麻。本物の龍麻の代わり。一時の、代わり) そうだ。・・・・・お兄ちゃんの。 (ただの、不純物) 龍麻を襲ったのは、実際に貫かれたような、そんなリアルな痛みだった。 『お前には星がない。お前には意味がない』 蘇る声。 『――生まれてきた、意味がない』 (ヒドイこと、言うよね) 違う、と龍麻は力なく首を振った。 ヒドイことをしたのは、自分の方だ。 だけど。 (だけど) 意味がないなら。 (それならドウシテ) 私は、生まれてきたんだろう―――! |