| 開かれた扉 T |
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| コン。 ごく軽く、扉が叩かれた。 「ウォーレン殿」 扉の向こうからかけられた、深く静かなのによく通るその声にウォーレンは立ち上がった。 「どうぞ入って下さい」 その言葉に、扉が開かれる。 普通の男よりも頭一つ、いや、頭二つは背が高い男がそこにいた。 しかし細くは見えない。かと言って太さも感じさせない。完璧に均整のとれた、野生の獣のように引き締まった体躯がその服の下に隠されていた。 荒削りだが凛々しく端正な面だちからは、彼の年齢をはかることは難しい。 三十代後半という実際の年齢よりもずっと若く見えるようでもあり、その瞳をかすめる幾多の辛苦をへてきた陰りが、実際より年配とも思わせる。 ウォーレンは彼に軽く会釈した。 「ランスロット殿。こんな夜分に申し訳ありません」 「気になさらないで下さい」 ランスロットは軽くそう頷き返すと、立って自分を迎え入れた老人に椅子に座るよう手ぶりで勧める。老人と言うにはかけらの弱々しさも感じさせないウォーレンは、それに首を振った。 ランスロットはそれに食い下がることもなく、表情をあらためた。 「それで、ウォーレン殿。何があったのですか」 「はい」 重く頷いてから、ウォーレンは嬉しげに笑んだ。こんなウォーレンの表情を見るのはずいぶんと久しぶりだ。 思い当たって、ランスロットの胸が激しく高鳴る。それは今まで何度も味わった不安と祈りや焦躁感ではなく、期待とそれを待つ心地よい緊張。 「ウォーレン殿・・・」 「ついに、我らがリーダーが現れました。星が告げた勇者が見つかったのです」 神よ! ランスロツトは神に感謝を捧げた。 「それで、彼はどこに!? 貴方のことだ、もう詳しく調べているのでしょう」 そして、勢いよくそうウォーレンに身を乗り出す。ウォーレンはそんなランスロットに咳払いしてから、口を開いた。 「彼ではありません」 「え?」 「彼女です」 「彼女? 女性なのですか?」 驚きを隠せないランスロットに、ウォーレンは少し意地の悪い笑みを浮かべた。 「貴公は女性以外の「彼女」でも知っているのですか」 「あ、いえ・・・」 恥じて赤面してしまう同志をそれ以上からかわず、ウォーレンは話を戻した。 「名はティリエル・ロアーク。まだまだ三十数人だが帝国に叛意を抱く若者たちを率いています。今はフェルナミアに潜伏しておるらしいです」 「そんなに近くに! すぐに迎えにいきます」 今すぐ駆け出しかねない勢いのランスロットに、ウォーレンは苦笑して見せた。 「せめて明日の朝になさったらいかがかな」 今からでは真夜中になってしまうことにランスロットも気づく。 やはりずいぶん気が動転しているようだと、自覚する。 「気がはやる気持ちは分かります。ですが、我々は長い長い時間彼女を待ち続けてきた。今更夜が明ける時間ぐらい待ってもよいのではないですか」 「ええ。・・・そのとおりですね。そのとおりです」 予言の勇者。 どれほど待ち続けただろう。どれだけ求めてきただろう。 こんなにも強く、ただ彼女だけを。 ランスロットは静かに頷いた。ウォーレンは窓から外を見やる。それにつられたように、ランスロットも外に目をやった。 細い月が見える。 ランスロットはまだ見ぬティリエルに想いを馳せた。 ・・・貴女も、この月を見ているのだろうか・・・。 風が、娘の長い髪を揺らしていった。陽の光の下ならばさも映えるだろうと思える、鮮やかな赤い髪。天空の月を映しているのは、澄んだ深紅の瞳。 だがその身にまとう色に反して、娘のかもし出す雰囲気はおとなしかった。地味と言ってもいい。 充分に美しい顔立ちであるのに、それも目立たない。これでは彼女が人並み以上に美しいことに、周りの人間は誰も気づかないだろう。 「ティリエル!」 背中からかけられた声に、娘は驚いたように振り返った。 「・・・ラレス」 ラレスと呼ばれた少年は、少し目を見開いた。そして、軽く舌を出す。 「・・・ごめん、エルリア。間違っちゃった」 「いいのよ。こんなに暗いんですもの」 月は明るいが、それも限界がある。家屋の側から少し離れたここでは、ランタンがなければ足元もおぼつかない。 ラレスはエルリアの側に寄った。少年はまだ十五になったばかりで、仲間の内で最年少だ。 「エルリア、どうしてランタンの火をつけないの?」 「月を眺めるのに、邪魔になるからよ」 ふわり、とエルリアは微笑んだ。月? と言って、ラレスは夜空を仰ぐ。 「わあ。ホント、綺麗だ」 「キレイ、はいいけどあんまり夜更かしはダメよ」 かけられた明るい声に、二人は振り返った。 ラレスの顔がパアッと輝く。 「ティリエル!」 駆け寄る少年の頭を、ティリエルは軽く叩いた。 「さ、少年は寝る時間よ。アジトに戻りなさい」 「俺はもうガキじゃないよ」 にっこり笑いながら、ティリエルは少年の額を指で小突いた。 「自分はガキじゃないなんて言ってる内は、まだまだガキよ」 「・・・チェ」 ラレスはくさったようにそう呟く。だがその目は笑っていた。何であれ、ティリエルが自分にかまってくれるのが嬉しくてたまらないのだ。 それがエルリアには分かった。 ラレスだけではない。仲間の誰もが、ティリエルに夢中だった。 ラレスはその後も少しごねて見せてから、当たり前ながらティリエルの言うとおりアジトに戻って行った。 エルリアとティリエルは双子だ。顔の造作はそっくりだった。 だが昼間ならば誰も彼女たちを間違えたりしないことを、エルリアは当然の事として知っていた。 ティリエルは美しいわ。 エルリアは眩しげに、傍らの双子の妹を見た。 彼女は輝いている。 それは、彼女の魂が輝いているからだ、とエルリアは思う。 劣等感や、かすかな羨望が自分の内に全くないと言えば嘘になる。けれどそんな事は些細でどうでもいい事だった。 美しく強く、明るく優しいこの妹を、エルリアは誰よりも誰よりも愛していた。 「エルリア。私たちも戻りましょ。ここは冷えるわ」 「もしかして、私を迎えにきてくれたの?」 「だって、エルリア弱いんだもの」 照れて口をとがらせて見せるティリエルに、エルリアは愛しさに胸が熱くなる。エルリアは笑って妹を柔らかく睨んだ。 「きついわよ、ティリエル」 「ふふ・・・。でもね、わざわざ月なんか眺めて楽しい? 月なんていつもあるじゃない」 「それはそうだけど」 エルリアはそっと月に目を細めた。 「綺麗だし・・・それに、不思議じゃない? もしかしたら私たちの知らない誰かが、今この同じ月を見上げているかもしれないのよ?」 そのエルリアの声の柔らかな響きに、予言の美しき勇者は微笑んだ。 |