| 開かれた扉 U |
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| 「全く。こんな事で帝国兵に目をつけられたらどうするのよ」 ティリエルに睨まれ、長椅子で手当てを受けている男は小さくなった。 「す、すまねぇ。でも、ここらの兵は帝国ってもヴォルザークの腰抜け領主に尻尾振るしか能がない奴等ばかりだぜ」 「甘く見ないで。その荒くれ者の寄せ集めが、私たちの10倍はいることを忘れたの」 「・・・ただの喧嘩だぜ? それに相手は酔っ払ってた」 「酒に酔った奴の喧嘩を買っただけ? 相手がゴレブの配下ではそれではすまない。貴方が言うところの腰抜け領主のゴレブだからこそ、些細なことでも私たちの事をかぎつけるかもしれない」 「・・・すまん。俺・・・こんなこと、もう二度と・・・」 「さあ、これでいいわ」 エルリアはうなだれる男の腕に包帯を巻き終えると立ち上がった。 ティリエルは男が充分に反省しているのを確かめてから、集まった仲間を振り返る。 「皆も行動には気をつけて。それから帝国兵たちの動きに注意して。もしもの時はすぐこの町を出るから、そのつもりでいてちょうだい」 リーダーの言葉に、皆が頷く。 男は、痛みに少し眉を寄せた。エルリアが彼を見る。 「痛むの? 待ってて」 そしてぱたぱたと部屋の端まで走ると、戸棚からハーブ(薬草)を取り出す。 「ライラック、ラベンダー、それからこれとこれ・・・」 「エルリア?」 手が止まったエルリアに、ティリエルは怪訝な顔になる。エルリアはまたぱたぱたと、部屋から駆け出て行こうとした。 「エルリア!」 「カモマイルがきれてるの。手に入れて来るわ」 振り返って言うと、エルリアはそのまま駆け出した。 「なんだか緊張してきました」 ランスロットと並んで歩く部下が、そう言う。 ランスロツトは五人の部下とともに、勇者の元に向かっていた。馬は街に入る前に、手近な木に繋いできたのだ。 ランスロットは、他の部下の顔を見回した。どの顔にも、かすかな緊張が見られる。 少し、苦笑した。 もしかして自分も、こんな顔をしているのかもしれないと思う。 その時、ふい、と柔らかな香りが鼻孔をかすめた。そして勢いのいい、だがランスロットにとってはごく軽い衝撃。 「きゃあっ」 ランスロツトにぶつかってきた娘は、その勢いのままはね飛ばされて後ろに転んだ。 ランスロットは慌てた。 この場合ランスロットに非はない。塀の曲がり角から飛び出してぶつかって来たのは娘の方である。 それでもぶつかられたランスロットはびくともしていないが、ぶつかってきた娘は地面に倒れている。放っておけるわけがなかった。 「大丈夫ですか」 ランスロットは娘を助け起こそうと片膝をついた。娘は、軽く呻いて身を起こす。長い鮮やかな赤い髪が、彼女の肩をさらりとすべった。 先ほど感じた香りが、彼女から香って来るのにランスロットは気づいた。 ・・・優しい香りだ。 「怪我はありませんか?」 その言葉は、ランスロットが発したのではない。 腕のなかの娘が、心配そうに自分を見上げるのにランスロットは言葉をなくす。 部下たちはこらえきれず笑い声をもらした。 自分たちの上官がどうやったらこの程度で怪我ができると言うのだろう。それにこの状況ではどう考えても心配されるべきは娘の方だ。 そのことに娘も気づいたのか、娘は可哀相なぐらい赤くなった。 ランスロットは部下たちを睨んで黙らせる。そして娘を優しく見た。 「わたしは大丈夫です」 「ごめんなさい・・・」 消え入りそうな声で娘は言う。華奢な肩が羞恥と不安に震えている。 ランスロットはゆっくり彼女を立たしてやりながら、安心させるように笑ってみせた。 「気にしなくていいですよ。それより貴女は怪我をしませんでしたか」 「え? ええ」 優しい騎士の態度に安心したのか、娘の表情から怯えが消える。 「ありがとうございます、騎士様」 娘が、にこっと笑う。 可愛いらしい女性(ひと)だ。 ランスロットは思わず破顔した。 アジトの屋敷から駆け出したエルリアは、そのまま門を駆け抜けた。 カモマイル。それに、もう残り少ないラベンダーも買ってた方がいいかもしれない。 そう考えながら塀の角を曲がった瞬間、 「きゃあっ」 誰かにぶつかって派手に転んでしまっていた。 痛・・・。 「大丈夫ですか」 その声に、エルリアは我に返る。 思いきりぶつかってしまった。 さっとエルリアの顔から血の気がひいた。 怪我をさせたかもしれない! 自分の肩を抱くたくましい腕を感じれば、普通に考えると彼女がぶつかったくらいで大怪我をするはずがないのがわかる。 けれどエルリアは突然のことに混乱していた。 手とか、足とか折れてたらどうしよう!? 「怪我はありませんか?」 おそるおそるそう男―ランスロット―を見上げる。 ランスロットの驚いたような表情を見て、エルリアは自分が馬鹿なことを聞いたのに気づいた。目の前のこの男は、エルリアの仲間の戦士たちと同じか、それ以上にたくましい体躯を持っていた。 周りから笑いが漏れる。 エルリアの頬が朱に染まった。 自分はどうして、いつもこうバカなのだろう。 情けなさと恥ずかしさに、エルリアは唇を噛んだ。 急に笑い声が消える。 いぶかしく思って顔をあげるエルリアに、ランスロットは優しく言う。 「わたしは大丈夫です」 「ごめんなさい・・・」 エルリアは無意識に視線をそらせた。その目に、ランスロットの腰にさげられた剣が映る。ティリエルの顔が浮かんだ。 この人は、帝国兵なのだろうか。ゴレブの手下に、こんな所で接触してしまったのだとしたら・・・。 ランスロットはゆっくりそんな彼女を立たせてやる。 「気にしなくていいですよ。それより貴女は怪我をしませんでしたか」 「え?」 顔をあげたエルリアの瞳に、ランスロットの優しい笑みが飛び込んでくる。 エルリアはほっと息をついた。 「ええ」 この人は本物の騎士だ。 そう、エルリアは思う。 ゴレブの配下の名ばかりの騎士とは違う。 「ありがとうございます、騎士様」 その言葉に返されたランスロットの笑顔に、エルリアはなぜかどきりとした。 「あの・・・」 騎士様、お名前を。 そう聞きかけたエルリアの言葉は、背後からの強い声にかき消される。 「エルリアから離れなさい!」 エルリアは振り返った。ティリエルは剣先をこちらに向け、ランスロットを鋭く睨んでいる。 「何者!」 「違うのよ。この人は・・・」 「・・・星の・・・勇者・・・」 ランスロットは目を奪われた。 名を聞かなくても分かる。 風にひるがえる赤い髪。鮮やかな深紅の、意志の強い瞳。彼女を包む、まるで燃え上がる炎のような強烈な輝き。そのカリスマは、見る者全てをひきつけずにはいられない。 ランスロットの胸が、熱くなる。 自分たちが、自分が、ずっと求めていた運命。 「・・・騎士様?」 エルリアの声が聞こえないのか、ランスロットはエルリアのかたわらを通り過ぎた。 ティリエルの前に立つ。 「―ティリエル殿、ですね」 「・・・貴方は?」 「わたしはランスロット・ハミルトン・・・・」 ランスロットは自身のことや事情をティリエルに説明し始める。 ティリエルに注がれるランスロットの愛しげな眼差しに、エルリアの胸がズキリと痛んだ。 そしてそれに戸惑う。 ティリエルにそうして接するのは、ランスロットにはじまった事ではない。それにその事をむしろ誇らしくエルリアは感じていた。 それなのに今は、二人を見ると微かに胸が痛む。 エルリアは自らの心の内を不思議に思った。 ―なぜ彼の運命が自分でないことが、悲しいのだろう、と。 |