開かれた扉 V



「ランスロット様」
 エルリアは偶然ランスロットを見つけて、近寄った。
 ランスロットは振り返る。その手には馬の手綱があった。
 ランスロットはいつも街はずれに馬をつないでいる。ティリエルたちの元を訪れてゼルテニアへ戻る所だった。
「エルリア殿」
 ランスロットは苦笑する。
「様、はよしてくれ。ティリエル殿がわたしを呼び捨てなのに君が様づけはおかしいだろう?」
 ランスロットがティリエルたちと連絡を取り合うようになってから、半月が過ぎようとしていた。
 ランスロットとウォーレンはひそかに各地に伝令を送っていた。
 『星の示した我らが勇者が見つかった』と。
 帝国の目から隠れ、潜伏していた仲間たちはもうすぐ集結する。その数は約2500。多くはないがヴォルザークのゴレブを打ち破ることは可能だ。ティリエルをリーダーに、決起する。そうすれば同志は増えていくに違いなかった。
 長かった。
 そう、ランスロットは思う。
 帝国から身を隠し、ひたすらウォーレンの示した勇者を待ち続けた。何度、自分たちだけで決起しようと思ったかしれない。
 けれど。
 ランスロットの胸に熱いものが込み上げる。
 やっと立ちあがれるのだ。たくさんの大切なもの・・・愛する者を失って、それでも、堪え続けた時は終わる。
 ランスロットの目は、エルリアを通して彼女と同じ姿のティリエルを見ていた。
「ランスロット様?」
 同じ色なのに炎のきらめきを持つティリエルとは違う、エルリアの柔らかな紅い瞳が自分を見ているのに気づいて、ランスロットは我に返る。
「エルリア殿。何度も言うが様づけは・・・」
「それなら私に敬称をつけるのをやめてくれますか?」
 エルリアはにこっと微笑む。
「呼び捨てにして下さいます?」
「しかし君はティリエル殿の姉上だ」
「ランスロット様に『エルリア殿』なんて呼ばれるのは、変な感じがするんですもの」
 柔らかく微笑する彼女に、ランスロットは笑顔が漏れる。
「わたしは君が思っているような立派な人間ではないよ」
「でも、私も敬称は好きじゃないわね」
 突然かけられた声に、二人はびくりとする。いつの間にか、彼らのそばにティリエルが歩いてきていた。
 ランスロットが喜色を浮かべるのに、エルリアはなぜか微かに胸が痛む。
「ティリエルと呼んで、といつも言ってるでしょ」
「そういうわけにはいかないでしょう。貴女は我々のリーダーなのですから」
 困ったように言うランスロットを、ティリエルは睨んだ。
「そんな事は関係ない。ランスロット、私は仲間に敬称づきで呼ばれるのは好まない」
「・・・・・・はい」
 およそ、彼女を前にして否やと言える者がいるだろうか、とランスロットは思う。
 自分たちにとって、この世で唯一の運命の星。
 ティリエルはそんなランスロットに、にこりと笑った。
 ランスロットは彼女の鮮やかな笑顔に見惚れる。
 エルリアはたまらず、目を伏せた。
 いつまでも動かない主人に苛立ってか、ランスロットの馬が軽く嘶いた。
 ランスロットは馬の首を軽く叩いた。
 そして、ティリエルに目を戻す。
「それで、ティリエル殿・・・・・・ティリエル、なにかあったのですか? 先ほどの打ち合わせ以外に連絡でも?」
「違うわ。私は、エルリアを追って来たの」
「私を?」
「貴女を一人で行かせられないわよ」
「大丈夫よ、ティリエル」
「私が心配なの」
 顔をあわせる双子に、ランスロットは口をはさんだ。
「どうしたのですか」
「もうすぐ、ここを発つ事になるでしょ。その前にエルリアが、薬草(ハーブ)を摘んでおきたいって言うの」
 ティリエルの言葉に、エルリアは頷いた。
「ダスカニアに行く途中に、ラベンダーの群生地を見つけたんです。あれは他のハーブと組み合わせるととても効果のある痛み止めになるし・・・・・・。この先いくらあっても邪魔にはならないから、いまのうちにできるだけ採取しておきたいんです」
「だから誰も止めてないでしょ。ただ一人は危険だから、私がついていくって言ってるの」
「ティリエルはまだ皆と打ち合わせがあるじゃない。私なら一人でも大丈夫よ。危ない事はしないわ」
「だけど、何かあったら・・・・・・」
「こうしましょう」
 言い合いを続ける二人を、ランスロットの声が遮った。
「わたしはゼルテニアへ戻るところです。ダスカニアはその途中だ。わたしがエルリアと一緒に行きます」
「帰りはどうするのよ」
 ティリエルのその言葉に、ランスロットは少し考えてから言った。
「一度ゼルテニアに共に行って、2、3日してからこちらに送り届けます。その頃には最終の打ち合わせをしなくてはならないでしょうし。もしそれがなくても仲間の誰かに送らせます」
 ランスロットはそう言ってから、エルリアを見た。
「エルリア、それでもいいかな」
「はい」
 エルリアはこくりと頷く。ティリエルは息をついた。
「ま、いいでしょ。信用するわ。エルリアを頼むわよ、ランスロット」
「はい」
 ランスロットはそして、馬に乗る。そして、エルリアを向いた。
「エルリア、馬は?」
「あ。私、借りようと思っていて・・・・・・。少し、待って下さい」
「それなら、わたしの馬に乗るといい。駆けるわけではないから、君なら二人でも充分乗れる」
「えっ」
 エルリアは絶句して、ランスロットを見上げた。
 彼の前に、そこに、乗れと言うのだろうか。
 エルリアの心臓が早鐘のように激しく打ちだす。
「あ・・・あの・・・」
「エルリア?」
「私・・・」
 エルリアは耳まで赤くなった。
「私、馬を借りて来ますっ」
 叫ぶと、逃げるように走り去ってしまう。あっけにとられるランスロットを、ティリエルは睨んだ。
「ランスロット。エルリアは純情なんだから、もうちょっと考えてしゃべってちょうだい」
 ティリエルに言われて、ランスロットはそれに初めて気づく。
 他意なく言ってしまったことだが、馬を引き連れて戻ってきたエルリアの恥じ入った姿に、悪いことをしたと気の毒になった。




「エルリア、すまなかった」
 街を出てしばらくして、ランスロットに言われてエルリアは顔を伏せた。
 穴があったら入りたいとはこのことだ。
 十代の娘でもあるまいし、ばかみたいだと思う。これではまるで自意識過剰のようだった。
 ランスロットがこんな自分をどう思ったかと思うと、恥ずかしくて悲しくて泣きたくなる。
「ランスロット様は悪くありません。私が悪いんです」
「いや、わたしが・・・」
「私が悪いんです! ・・・・・・もう、このお話はやめて下さい・・・」
 エルリアは唇に拳をあて、最後は消え入りそうな声で言う。
 ランスロットは馬を並べて行く、うつむいて顔を上げようとしないエルリアを見た。
 思わず、笑みが漏れてしまう。
 彼女の恥じらう姿が可愛らしくて。
 ティリエルとエルリア。双子だというのに、こうも違うものかとランスロット思う。
 ティリエルは炎のように強く、美しく。存在感に溢れ、誰もの目を引きつける輝きそのものだった。それに比べてエルリアは、ややもすれば見過ごしてしまいそうな小さな、けれど優しく可憐な花。
「エルリア、君をこう呼べば、様はなしにする約束だ」
 笑いを含んだランスロットの言葉に、エルリアは顔を上げた。
「そうだろう?」
「・・・・・・はい。ランスロット様・・・ランスロットさん」
 そして二人は、戦いとは無縁ないろいろな話をしながら馬を進めた。
 何度か休憩をとりながら、エルリアの言っていたハーブの群生地に着いた。
「これは・・・見事だな」
「でしょう?」
 広がる紫の絨毯に、エルリアはランスロットに微笑んだ。
 籠を手に、ハーブを手際よく摘んでいく。それを眺めていたランスロットが声をかけた。
「わたしも手伝おうか」
「ありがとうございます。でも、詳しくない人には、ちょっと見分けがつかないと思いますから・・・・・・」
「そうなのか」
「ええ。ハーブとして使うのに適したものと違うのがあるんです。すぐ終わりますから、少し待ってて下さいね」
「君は、本当に詳しいな」
「私、それしか取り柄がないんです」
 エルリアは小さく笑う。その間も、彼女の手はとまらない。
「ティリエルや皆の、足手まといだから・・・・・・」
「戦うだけが全てではない。君は、医学の腕も優れていると聞いたよ。君の調合するハーブや手当てで助かった者も多いとか・・・。ティリエルが、君は仲間になくてはならない存在だと言っていた」
「大げさなんですよ、それは。・・・私なんて独学ですし・・・。手当てが上手くなったのは、ティリエルのおかげですけど」
 エルリアは早くもハーブでいっぱいになった籠を抱いて、ランスロットを振り返った。
「あの子、昔っからケガばかりして」
「ティリエルが?」
「ええ。お父様・・・傭兵だった父に幼い頃から剣を習って。父は子どもにも剣に関しては容赦ない人だったから、ティリエルはケガばかり・・・」
 エルリアの表情はかすかに曇っていた。
「でもあの子は、私が同じように剣を習おうとすると、すごい勢いで止めて。『エルリアは私が守るから、剣なんてやらなくていい』って・・・。あの子は私に、自分と同じ苦しい目にあわせたくないと思ってくれていたんだと思います。ティリエルはいつも、いつも自分が傷ついて、私を守ってくれる。昔から・・・そして今も・・・・・・。私はただ、あの子に甘えて・・・かばわれてばかり・・・」
「君たちは本当に、仲がいい姉妹だ」
「え? ―ええ。私、ティリエルが大好きなんです」
 エルリアは花が開くように微笑んだ。そして、彼女はランスロットから目を離した。その表情はすっと真剣なものになる。
「私。あの子のためなら。―命だって惜しくはない・・・・・・!」
 優しいたおやかなエルリアの内に、ティリエルにも負けないほどの強さがすかし見えて、ランスロットは思わず息をのんだ。 
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