| 開かれた扉 W |
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| 眠れない。 エルリアはベッドから身を起こした。興奮か緊張か。いや、それよりも不安が大きかった。 明日、ランスロットは最終の打ち合わせにティリエルの元に向かう。その時に、エルリアも一緒に皆の所へ戻ることになっていた。 ここゼルテニアに、各地で潜伏していた2500のランスロットたちの仲間が三日後集結する。 そしてティリエルをリーダーに決起するのだ。 ぶるり、と肩が震えた。エルリアは傍らの上着を羽織るとベッドからおりた。 反乱軍として決起し、そして帝国から国を解放すること。それはティリエルたちの悲願だった。 だが。 エルリアは自らの肩を抱いた。 戦争が始まる。これまでエルリアが経験した、小さな小競り合いではなく、大きな戦争が。 帝国はあまりにも強大に思えた。 自分たちに勝てるのだろうか。 エルリアは、そして、首を振った。 何を弱気になっているのだろう、と思う。 しかし、胸の震えはおさまらない。 エルリアは小さく自嘲した。 「・・・情けないわ・・・」 このままでは眠れそうもなかった。 エルリアはきれいにたたんである服を見る。少し迷ってから夜着からそれに着替えた。 それから、部屋を後にした。 ランスロットは廊下の窓を開いた。 風が、彼の頬に触れていく。 もうすぐだ。もうすぐ・・・・・。 はやる気持ちを抑えるように、ランスロットは息を吐いた。 耳の奥に悲鳴が聞こえる。断末魔の叫びが。 必死で握りしめた手から、力なく抜け落ちる仲間の手。二度と還らないぬくもり。笑顔。 ランスロットはぐっと拳を握りしめた。 昔、いつまでも続くと思っていた、無残に壊された平和。奪われた大切な人々。 愛していた。 特別なことは何も起こらなくても、それでもランスロットにとって大切なものの全てだった。 あの日常が戻るなら、彼らの命が還るなら、どんなことでもできるだろう。 けれど二度と戻らないのだ。 「・・・・・・っ」 あの時から、魂は悲鳴を上げ続けている。 この地に平和を。帝国からの解放を。 それは、願いだ。 だがランスロットには、本当に自分を支えているのは帝国への激しい憎悪だというのも分かっていた。 失ったものがあまりにも多すぎた。あまりにも大きすぎた。 ともすれば倒れそうになる、立ち枯れかけた空洞の大樹のように、ランスロットの内は長い苦難によって枯渇していた。その空洞を埋める憎しみが、かろうじて彼を立たせているにすぎない。 けれど彼はまた、自分が成さなければならない事も、自らを律する術も心得ていた。 そして、最後まで生き続けなければならないことも。 もし帝国を倒せたら、復讐が終われば、そしてもしも生き残ったならば自分はどうなるの分からなかった。自ら命を絶つ事は有り得ない。それは、彼が最も忌むものだからだ。やがて時間が、この痛みを和らげてくれる日が来るかもしれない、とも思う。 これほどの苦痛も、魂の悲鳴も、そして叫びも。これまで経てきた時の手で、普段は胸の奥深くへ沈ませていられるようになった。 それは決して和らいだわけではなかったが。 「・・・いつかこのまま、慣れていけるのかもしれないな・・・」 この、痛みにも。 ランスロットは胸の内の痛みを押さえつけた。 今は、帝国を倒すことだけを考えなくてはならなかった。 嘆くことも後悔も、全てが終わった後にいくらでもできるのだから。 ティリエルの姿が脳裏に浮かぶ。彼女はランスロットにとって、輝かしい光だった。彼女がいれば自分たちは勝てる。 ランスロットは月を見上げた。 力ない人々を守る。自分が愛したものは取り戻せないが、人々の幸福と平和は作り出せるはずだった。この国の大地と人のために。そして・・・・・・仇をとるために。 帝国を倒す。・・・必ず・・・! 憎悪なくして戦うことはできない。だが帝国を倒すこと、彼にとっての復讐が人々のためにもなることが、ランスロットにとっては唯一の救いだった。 エルリアは回廊を曲がった。廊下は窓からの明るい月明かりに照らされて、青白く足元もたしかだった。 エルリアの足が止まる。 その先に、ランスロットを見つけて。 ランスロットは開け放った窓から、満月に近い月を見ていた。 エルリアは声をかけかけ、言葉を飲み込む。 その視線の向こうに何を見ているのか、ランスロットはひどく厳しい表情をしていた。その眼差しは怖いほどきつい。それはエルリアが見たことのない、ランスロットだった。 だが、ランスロットは息を飲む気配に気づいて、エルリアの方を向いた。 ランスロットの先ほどまでの表情はすっと消え去り、エルリアが知るいつも穏やかな彼がいた。 「エルリア」 「・・・ランスロットさん・・・」 ためらいつつ、エルリアはランスロットに近づいた。 ランスロットは穏やかに笑む。 「眠れないのか?」 「いえ。・・・・・・はい・・・」 少し、とエルリアは小さく言った。 ランスロットはエルリアをせかそうとはしない。エルリアはためらった後、視線を窓の外にそらせてぽつりと口を開いた。 「・・・・・・戦争に、なるんですね」 ランスロットは娘の横顔を見た。隠しきれない怯えが、そこには見える。 可哀相に、とランスロットは心底思った。 彼女はまだ若く、そしてか弱い娘だった。戦いを前にすれば、大の男でも恐怖に震えてもおかしくはないのだ。 「エルリア・・・。君は、無理に参加する事はないのだよ」 優しく、いたわるようにランスロットは言う。 「ここに残っていればいい。我々がヴォルザークを叩けば、この辺りは帝国の勢力が追い払われ、安全になる」 「足手まといなのは分かってます。でも、前線で戦うだけが軍じゃないって言ってくださったでしょう? 私なんかで、少しでも皆の役にたてるなら、行きたいんです」 「君が足手まといというわけじゃない。君のように薬草や医学に優れた者も、行軍には必要不可欠だ。けれど、エルリア。本当に無理をすることはないんだ」 「でも、戦いを人に押しつけて、自分だけ安全な所に隠れているなんて・・・!」 きゅっと、エルリアは拳を握りしめた。ランスロットはエルリアの肩に手をやる。 「それは違う、エルリア。君が安全な場所にいれば、君を大切に想っている者たちは安心して戦えるんだ」 「―だって、ティリエルにだけこんな怖い思いに耐えさせるなんてできないっ」 耐えきれず、エルリアは叫んだ。そして、ハッと口元を押さえる。 ああ、やはり、とランスロットは思った。 それほどの恐怖に、彼女は震えているのだ。 「君の無事が確信できるなら、ティリエルは何も恐れるものはないだろう。守るべき存在は、剣を振るう者に力をくれる。・・・・・・エルリア、君はここに残るんだ。かまわないね?」 それは問いではなく、柔らかに諭しているようだった。 エルリアはランスロットの言葉に心動かされる。うなずきかけるのを、エルリアは踏みとどまった。 エルリアは自分の心の内を見つめた。戦争に参加せずにいるということは、ティリエルと離れるということだ。戦うことは恐ろしい。けれど、自分が知らない所でティリエルが危険な目にあっているという恐怖のほうが大きいのではないか。 「・・・ありがとう、ランスロットさん」 エルリアは顔を上げた。 「でも、私も行きます」 「エルリア」 ランスロットは、娘の、今度は決して揺るがない瞳を見た。 夜の闇にさえ怯えそうな、か弱く頼りなげな娘に思えるのに、こうして時おりかいま見える強さがランスロットを驚かせる。こうなると彼女は決して意志を曲げないのを、ランスロットは短いつきあいながら分かっていた。 「・・・分かった。一緒に行こう」 エルリアはそれにうなずいた。ランスロットは、少し笑う。 「とりあえず、今は君の部屋まで。もう横になったほうがいい」 「あ、はい」 「部屋まで送ろう」 ランスロットはそして、エルリアを促した。エルリアは半歩遅れてランスロットの後に続く。 エルリアは不思議と、ランスロットの背中を見ていると安心する。 ずっと、この人を見ていたい。 エルリアは、そう思った。 それは夜明けとともにやってきた。 ゴレブの命を受けた騎士たちがティリエルのアジトになだれ込んで来たのだ。 怒号と悲鳴が飛び交う。 ティリエルは血に濡れた剣を手に、ラレスを振り返った。 「ランスロットたちに連絡を!」 「・・・だめだよっ。俺だけ逃げるなんてできない・・・!」 騎士の数は100をくだらなかった。 たとえティリエルたちでも、ラレスが助けを呼んで戻ってくるまでもつわけがない。 ティリエルはそれを無視し、さらに叫ぶ。 「ラル、トー、イット、あなたたちもよ!」 仲間内で年少の者たちばかりだった。 ラレスは激しく首を振る。ティリエルはいらだったように舌打ちした。 「足手まといだ!」 「でもっ、ティリエル!!」 「行け! 口答えは許さない!!」 ティリエルから発せられる、威圧感にも似た絶対のカリスマ。 それに、ラレスたちはそれ以上抗う言葉をなくす。 「行け!!」 繰り返されるその鋭い命に、はじかれたようにラレスたちは駆け出した。 その進路に群がる帝国兵を、仲間の男が切り捨てる。 少年たちを追おうとした兵に、ティリエルは飛びかかると剣を突き立てた。 ばさり、と深紅の髪がひるがえる。 「私はティリエル・ロアーク! 死にたい者はかかってくるがいい!!」 美貌の戦神そのままに、ティリエルの周りには屍の山ができた。 けれど、あまりにも多勢に無勢だった。 ゆっくりと、だが確実に、ティリエルを囲む帝国兵の輪は小さくなっていく。 振り下ろされる剣を、ティリエルは剣で受け止めた。ぎり、と押し合う。その時。 ティリエルの背中を、わき腹を、複数の剣が貫いた。 どくり、と心臓が大きく波打つ。 「―か、は、」 薄い空気の後、ティリエルは血の塊を吐いた。 死ぬ。 そう、直感する。 こんな所で果てるのか。まだ、何も始まっていないと言うのに。 ティリエルの視界の端に、仲間の死体が映る。 「み、んな」 ―ごめん。 剣が引き抜かれる。ティリエルの身体はそれにあわせて不自然に揺れた。 ランスロットの顔が浮かぶ。彼らにも、すまないと思う。 ティリエルの身体が床に倒れる前に、再びいくつもの剣が彼女を貫いた。 強く、名前を呼ばれた気がした。 この世でただ一人の、双子の声。 エルリア・・・! 皆はティリエルを光だと言った。けれど、ティリエルにはエルリアこそが光だったのだ。 ティリエルにとって、優しさや歓び、そんなあたたかいもの全てがエルリアだった。 平和を願った。帝国から皆を解放したかった。 けれど何よりも。 エルリアに平和な世界を見せたかったのだ。彼女が、幸福で、ずっと笑っていられる・・・そんな国にしたかったのだ。 ティリエルの頬を、涙が零れた。 エルリア・・・・・・誰よりも、愛している・・・ そして、彼女は永遠に意識を手放した。 フェルナミアに足を踏み入れたランスロットは、顔色をなくした。 あちこちに火の手が上がっている。街を逃げ出そうとする人々で、辺りはあふれていた。 「こんな・・・いったい・・・」 エルリアは、ぼうぜんと立ち尽くす。そんな彼女にぶつかるようにして、街人が街の外に向かって駆け去って行く。ランスロットは近くにいた青年を捕まえた。 「何があった!?」 「何がって、わからねーよ! 帝国兵が来て何か戦いがあって、それから帰ったと思ったら、後からまた来た帝国兵が、辺りを無茶苦茶にしやがった。好き勝手に・・・奴等、興奮してて手におえねー! ここらの人間は皆避難してんだ、あんたも巻き込まれない内に逃げた方がいいぜ」 「帝国が・・・っ」 ランスロットは激しい衝撃をうけた。 エルリアは人々の波の向こうに、倒れている仲間を見つけた。 「イット!」 叫んで、人波をぬって少年に駆け寄る。ランスロットも我に返り、それを追った。 エルリアの少年に触れた手が止まる。 死んでいた。 「そんな・・・! イット!?」 「剣の傷だ・・・」 ランスロットの目は、少年の背中を見ていた。ぐらり、とめまいがする。 「・・・帝国兵に、漏れたのか・・・?」 鮮やかな彼女の姿が、ランスロットの脳裏に走った。 ティリエル!! 稲妻に打たれたような衝撃が走る。 「ティリエル・・・!!」 ランスロットは、エルリアをおいて無意識に駆け出していた。 エルリアもランスロットの叫びに我に返った。 ティリエル! 必死にアジトへと駆ける。 無事に決まっている。あの子は、とても強くて・・・! そう思うのに、息が苦しいほど胸が不安で締めつけられる。 ティリエル、お願い、無事でいて・・・!! はやる心と別に、エルリアの足がランスロットに及ぶはずもなく、二人の距離はどんどん開いた。 ランスロットは焦躁感に胸が焼ける想いがした。 ティリエル、ティリエル、ティリエル! 神よ・・・!! ランスロットの心には、ティリエルのことしかなかった。 もしも普段の彼ならば。いや、少しでも理性を残していたならば、こんな状況の場所で戦う術も持たない娘を置いていきはしなかっただろう。 戦場の醜さも何も、知っていたランスロットだからこそ。 エルリアを一人で残しはしなかっただろう。 けれどこの時、ランスロットにはティリエル以外のことを考えることはできなかったのだった。 |