開かれた扉 Z



「少し、休まれてはどうか」
 ウォーレンに言われ、ランスロットは力なく首を振った。もっともそのウォーレンも顔に落ちる疲労の影は隠しようもない。
 ゼルテニアに集結した仲間には、すぐにティリエルの死がひろまった。帝国が吹聴している今、ウォーレンたちにそれを隠す術はなかった。仲間たちの落胆と動揺を、彼らを必死にまとめるランスロットは肌で感じていた。
 ウォーレンは息をついた。
「・・・・・・決起、するしかないでしょうな」
「そうですね。これ以上は・・・・・・・もたないでしょう」
 ともすれば瓦解してしまう希望を失った集団を、ランスロットは押さえるために日夜奔走していた。
 けれどそれはランスロットの心にとってはよかった。
 目的のために動き回り、そして深夜に倒れ込むように眠る今は、悲しみや苦悩を忘れていられる。
 そうでなければ。
 ティリエルを亡くした喪失感には耐えられそうになかった。
 おそらく仲間の兵の誰よりも、ランスロットはティリエルを必要としていた。
 ランスロットは静かにウォーレンを見る。
「勇者なくして、我々は勝利できますか」
 その問いに、ウォーレンは応えなかった。しばしの沈黙の後、ウォーレンは口を開いた。
「・・・エルリア殿の様子は、相変わらずですか」
 ランスロットの顔に、一瞬痛みに似た表情が走る。ランスロットは深い息とともに言った。
「・・・はい」
 エルリアの身体の傷はほとんど癒えたが、彼女の心は戻ってこなかった。
 食事も着替えも抵抗はしないが、まるで人形のようにただされるがままだった。
 ランスロットは決して人に弱さを見せる男ではない。ティリエルを失った悲しみも苦しみも、誰の前でも赤裸々に表すことはなかった。仲間の兵たちにはティリエルのことで、ランスロットは冷静すぎると―冷たいと言われることさえあるほどだった。
 けれど長いつきあいのウォーレンだからか、珍しくランスロットは震える声で呟いた。
「彼女は泣くことさえありません。・・・・・・いっそ、責められたほうがどれだけ楽か・・・っ」
 エルリアのことは自分に責任があるのだ。けれど、それを責める者はいない。
 ランスロットを正当に裁けるのはエルリアだけなのだ。
 いっそ責め、なじられたほうがどれだけ良いだろう。
 ランスロットは自分を罰してくれるものを無意識に求めていた。
 ウォーレンはそれに対して何も言わなかった。
 ランスロットが悪いのではないといくら言葉を重ねたところで、この騎士が自らを許すわけも、気休めになるわけもないことをウォーレンはよく知っていた。
「先ほど連絡がありまして、ラレスがこちらについたというのです」
「ラレス?」
 繰り返して、ランスロットはハッと顔をあげた。そういえばティリエルの仲間の少年だったはずだ。彼も何度か顔をあわせたことがあった。
「あの少年、生きていたのですね」
 悪い状況の中、それは希少な朗報だった。全滅したと思っていた内で、生き延びた者がいたのだ。
 ウォーレンは頷いた。
「怪我をして倒れていた所を、運よく街の者に助けられたようです。怪我も治り、つい今こちらに到着したと。どうですかな、一度エルリア殿とあわせてみては? 仲間の少年を見れば、エルリア殿が気がつくきっかけになるかもしれません」
「・・・・・・そうですね」
 はたして心を取り戻すことが、あの可憐な花のようだった娘にとって良いことなのだろうか。
 そう考えている自分に気づいて、ランスロットは苦く笑んだ。
 エルリアが心を取り戻すのが絶望的であると思っていた先ほどまでは、彼女が回復することを願っていたというのに・・・・・・。
 勝手なものだ。
 ランスロットは、そう自嘲を込めて胸の内で呟いた。




 翌朝ラレスを、ランスロットはエルリアの部屋に案内した。
 エルリアは、椅子に腰かけていた。
 エルリアの世話は、近くの民家で雇った娘がやっていた。
 娘は部屋に入ってきたランスロットたちに一礼してから、部屋を出る。
 ランスロットは、エルリアに微笑を浮かべて見せた。
「エルリア、おはよう。・・・ラレスが無事だったのだよ」
 エルリアの瞳は開かれてはいたが、彼らを映してはいなかった。
 ラレスが、ランスロットを見る。
 ランスロットはそんなラレスに言った。
「彼女の心は今、眠っているんだ」
「・・・・・・ねえ、ランスロット・・・・・・」
 何か不穏な気配を帯びる声音に、ランスロットは眉を寄せた。
「ラレス?」
「彼女は、ティリエルなんじゃないか? 本当はランスロットが助け出してくれたんだろう?」
「・・・・・・何を言っている」
「そうだろ!? 死んだのはエルリアの方で・・・・・・」
 蒼白な顔に笑いを浮かべようとする少年を、ランスロットは驚いて見た。
「そうに決まってる。ティリエルが・・・ティリエルが、死ぬわけがないんだ」
「ラレス」
 ランスロットは、少年に一歩近づいた。
「彼女はエルリアだ。―ティリエルは、もうこの世にはいない」
「嘘だ!!」
「ラレス」
「嘘だ! 信じない!!」
「ラレス」
 ランスロットは少年を落ち着かせるように、静かに名前を呼ぶ。
 少年の瞳から、滂沱(ぼうだ)と涙が流れ落ちた。
 ラレスは等身大の人形のようなエルリアを見る。
 ラレスはぎゅっと目をつぶった。
「―エルリアが死ねばよかったんだ!」
「ラレス!」
 ランスロットの咎める声に、ラレスはビクリとする。
 ランスロットは気遣わしげな目をエルリアに向け、彼女の表情に変わりがないのにほっと息をついた。
 そんなランスロットに、ラレスは歯ぎしりした。
「なんだよ・・・っ。あんただって、そう思ってるくせに!!」
 叩きつけるようなその言葉に、ランスロットは内心ギクリとした。
 そしてその自分の心にがく然となる。
 ティリエルではなく、エルリアが死んでいれば。
 そんな事は一度も考えたことはない。
 かけらも思ったことはないはずだった。
 それなのに、まるで言い当てられたようなこの衝撃はなんなのか。
「・・・違う」
 そうだ、違う。
 そのことをランスロットは断言できた。だが、自分の知らぬ心の深淵にその想いが存在するかもしれないと思うと、ランスロットは自身が恐ろしかった。




 泣いてる・・・・・・。
 エルリアの心が、ほんの少しだけ何かを知覚した。
 誰か、泣いているわ・・・。
 初めは自分が泣いているのかと思った。そして、なぜかを考えようとした時、自分の存在全てが怖気(おぞけ)に震えた。
 考えてはダメ、思い出してはいけないと何かが訴える。
 だがその時、ふいに声が聞こえた。
 『力ない人がごく普通に、平穏に暮らして行ける世界。そんな世界になればいいね』
 ああ、そうだった、と思いだす。
 それは昔、自分がティリエルに言った言葉だった。
 ティリエルは「そうね」とそれに笑ったのだ。
 でも・・・・・・。
 キリキリと心が痛んだ。・・・エルリアの心は正気を取り戻しかけていた。
 でも、貴女がいないわ、ティリエル・・・!
 貴女がいなくちゃダメなの!!
『―エルリアが死ねばよかったんだ!』
 刃のような言葉が、彼女の内をえぐった。
 そうよ・・・私の方が死ねば・・・・・・。
 そこで、炎のように麗しい鮮やかな妹の笑顔が浮かんだ。
 私が死ねば・・・・・・ティリエルは生き返るの?
 違う。
 甦りかけている理性の声が、そう強く言った。
 そうじゃない。
 自分が今することは?
 妹はいつも自分を守ってくれた。自分はそんな彼女の力になりたかった。
 それは結局かなわなかったが。
『この世界が好きだわ。今は狂っているけど、私はそれを正したい。ねえ、エルリア』
 妹は昔、そう自分に言った。
『貴女に、平和で穏やかな明日をきっとあげるわ』
 私は。
 ―私は、ティリエル。
 エルリアはそう、記憶の中の妹に語りかけた。
 貴女が愛したものを守りたい。
 貴女が望んだ明日を、天上の貴女に見せてあげたい。
 エルリアはゆっくりとまばたきした。
 その瞳に、緩やかに感情が戻り始める。
 だがラレスとランスロットはそれに気づかない。
 泣いてる・・・・・・。
 しかしまだ、どこか遠い所でエルリアは思っていた。
 涙を流しているのは少年のほうなのに、エルリアにはなぜかその側に立つ男のほうが泣いているように感じた。
 彼は・・・・・・。
 ランス、ロット・・・。
 ずきり、と胸が痛む。
 彼が嘆いている。
「ランスロット・・・・・・」
 息を漏らすような、小さな声がエルリアの唇から漏れた。
 ランスロットとラレスは、ハッと娘を振り向いた。
 
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