悪夢U


 
 アスピア城前に、共和国軍と帝国軍が対じしていた。
 メディオンの前に、共和国のシンビオスが立ちはだかっていた。
 メディオンは拳を握りしめた。
 ・・・・・・分かっていたはずだ。こうなる事は。
 覚悟したはずなのに、それでもシンビオスの驚愕と悲しみの目に、鋭く胸が痛む。
 しかしその思いを振り切り、メディオンは静かに口を開いた。
「―降伏して頂けないか、シンビオス殿」
「それは、できません」
 きっぱりと、シンビオスは言った。
「メディオン殿。貴方こそ、剣を引いて下さい。貴方ならば分かるはずです、帝国のこの暴挙が。貴方が望んで共和国に侵攻するはずがない」
「降伏して頂ければ、貴方の命は保証します」
 頼む!
 そう叫びたい衝動を、メディオンは押さえ込んだ。
 殺させないでほしい。殺させないでくれ。
 そう願うことは、あるいはシンビオスに対する侮辱かもしれなかった。けれどメディオンにはシンビオスの剣に倒れることは、その反対であるよりはましに思えたのだ。
 だが故意に倒れることはメディオンには許されない。
 意識して冷静に降伏を促すメディオンに、シンビオスは激しく首を振った。
「メディオン殿!!」
「何をやっておるメディオン! 早く奴等を葬り、この地をわしの手に取り戻さんか!」
 メディオン軍の後方から、皇帝ドミネートが声を上げた。
 シンビオスはそんな皇帝を見、苦しげにメディオンを見た。
「なぜです? なぜ、あの男のために、わたしと貴方が戦わなければならないのですか・・・!」
「あれは・・・わたしの父だ」
 なぜ・・・だろう。
 なぜあの男が自分の父なのだろう?
 メディオンは震える拳を握りしめた。
 自分は父を嫌っていたわけではなかった。特別な何かを求めたこともなかった。それなのにドミネートは、メディオンから全てを奪っていく。
 母も、自由も、そしてこの・・・・・・目の前に立つ友も。
 シンビオスは一歩踏み出た。
「分かっています。ですが、貴方は間違いは間違いと言える方だったではありませんか」
「もう・・・遅いのです、シンビオス殿。せめてアロガント兄上が死ぬ前だったなら、違う道もあったかもしれないでしょうが・・・」
「遅くなどありません! いいえ、今ならば間に合うのですよメディオン殿」
「遅いのです、何もかも」
 メディオンはそう、静かに繰り返した。
 戦闘前のぎりぎりの緊張に耐えられなくなった兵士が、促すようにシンビオスを仰ぐ。
「―命令を! シンビオス様っ」
 シンビオスはそれに首を振った。そしてはっと何かに思い当たったように顔を強ばらせる。
「・・・・・まさか、貴方は・・・・・・はじめから、ここに侵攻するつもりで・・・・・・? ・・・メディオン殿・・・」
「・・・・・・」
 シンビオスは苦しさと恐れとに青ざめていた。
 それは違う!
 そう叫べるのならどれほど楽だろう。
 そうメディオンは胸の内で思った。
 だが真実を言ったところで、これから起こる戦いが回避できるわけではないのだ。
 それなら。
 メディオンは無言で、シンビオスを見つめた。
 それならいっそ。
 ―いっそ、憎まれたほうがいい。
 自分の肯定を意味する沈黙に、シンビオスの瞳に打ちのめされ傷ついた色が拡がる。
 切り裂かれたようにメディオンの胸が痛んだ。
 けれど、それを表すことはしない。シンビオスと戦わなくてはならないのなら、彼には遠慮もなく、本気で戦ってほしかった。
「それは違います!」
 だが、そうメディオンの横から声が上がった。
 メディオンはハッと傍らの騎士を見る。
「キャンベルっ」
「これは王子の本意ではないのです」
「―やめろ!」
 メディオンはキッとキャンベルを睨む。
 その時、再びドミネートの声が響いた。
「メディオン! いいかげんにせぬかっ。それともアレを見捨てるつもりか」
 その言葉に、メディオンの肩がびくりと揺れる。
 キャンベルはシンビオスと、そしてその傍らのダンタレスを見た。
「あのお方のお命を救うためなら、どのような非難も甘んじて受ける覚悟だっ」
「どなたかの命を盾にとられているのか」
 ダンタレスは向かい合うキャンベルに強い瞳を向けた。
「―たとえ、そうでも。我々は負けてやるわけにはいかない」
「望む所だ、ダンタレス!」
 キャンベルも、ぐいと武器を構える。
 シンビオスはダンタレスを手で制した。
「メディオン殿!! どうしようもないのですか!?」
「・・・・・・やはり、降伏しては頂けないようですね」
「わたしは貴方と戦いたくないのです」
「もはや、道はありません。貴方が選べるのは降伏か戦いかです」
 メディオンは自分のその声が、ひどく遠く聞こえた。
 共に手をとりあった時から、それほど時間はすぎていないはずなのに。
 自分たちの向かい合っている距離は、こんなにも近いというのに。
 今は、君がひどく遠い。
 そう、メディオンは心の内でつぶやいた。
 シンビオスは苦しげに首を振った。
「降伏は、できません。わたしには・・・・・・守らなければならないものがあります。わたしがどけば、わたしの背中にあるもの全てが無茶苦茶にされてしまう。それが分かっていて、わたしはここから帝国を進ませるわけにはいきません!」
「・・・・・・これが、わたしたちの運命なのでしょう」
 その言葉はシンビオスにではなく、メディオン自身に言い聞かせているものだった。
 シンビオスはメディオンに必死に訴える。
「メディオン殿! もう一度だけ言います。どうか剣を引いて下さい」
「貴方かわたしか。どちらかが倒れねば、終わりはありません」
「メディオン殿・・・っ」
 メディオンはシンビオスの叫びを無視し、地を蹴った。
 シンビオスに振りかぶる。
「剣をかまえなさい、シンビオス殿!」
「メディオン殿っ」
 シンビオスは剣をとっさに構えた。
 だが、シンビオスの剣は震えた。
「―だめだ!」
 シンビオスは剣を引いた。メディオンの剣の下に、悲痛な顔を無防備にさらす。
「―貴方と戦うなんてできないっ・・・・・・!!」
「―っ」
 メディオンの心臓が、悲鳴をあげる。
「かまえろ! シンビオスっ!!」
 メディオンの喉から、苦痛に満ちた叫びがほとばしる。
 殺させるな!
 そう、願ってしまう。
 剣を振り下ろしているのは他でもない、メディオン自身だというのに。
 ―シンビオス!!
「―シンビオス様!!」
 メディオンの剣がシンビオスに届く直前、声とともに一つの影がその剣の前に割って入った。
 甲高い音が響いた。
 メディオンの剣をダンタレスの槍がはじいたのだ。
「ダンタレス・・・っ」
 シンビオスは驚いて、眼前の背中を見つめている。
「―シンビオス様には触れさせん!」
 ダンタレスはメディオンをきつく睨んだ。
 メディオンはすうっと剣を構え直す。
 順番が前後するだけのことだと分かってはいたが、それでもメディオンの唇からかすかに安堵の息が漏れた。
「―手加減はしない」
「それは、こちらの台詞だ!」
 メディオンの剣とダンタレスの槍が打ち合う。
「待て・・・待ってくれ、ダンタレスっ」
 シンビオスは狂おしげに叫んだ。
「僕はダンタレスの死も、王子の死も、見たくない!!」
「―貴方を失うわけにはいかないのです!!」
 振り向かず、ダンタレスはシンビオスに叫ぶ。
「―わたしも、共和国も!!!」
「っ・・・・・・。・・・・・・下がってくれ・・・ダンタレス」
 何か決意のこもった声に、メディオンはシンビオスにちらりと目をやる。
「ダンタレス、下がれ!」
 凛としたシンビオスの声に、ダンタレスの動きが止まる。ダンタレスはシンビオスの傍らに引き、戸惑うようにシンビオスを見た。
「シンビオス様?」
「・・・・・・」
 シンビオスの目は、真っすぐにメディオンを見ていた。
「わたしは・・・貴方を、倒します」
 メディオンはシンビオスの決意が分かった。彼は守るべき者のために自らの心を律せられる者であり、正しくある事を自らに課す者だった。それをメディオンは知っていた。だからこそ、本当は降伏を促しつつも、決してシンビオスがそれを受けないだろうことも初めから分かっていたのだ。
 シンビオスは剣を掲げた。 
 メディオンは静かに言う。
「・・・本気になったようですね、シンビオス殿」
 自分の肉親の命のために、誤りと知りつつ戦う自分。多くの人々のために、自分の感情を殺して戦う彼。
 こんなにも違うのか、自分たちは。
 そう、メディオンは思う。
 だができるなら・・・・・・共に肩を並べて戦う者でありたかった。
 メディオンのそれはもう、あまりに遠い願いだったが。
「・・・・・・」
 そして。
 メディオンとシンビオスの声が、ほぼ同時に麾下の兵に発せられた。
 その声に、両軍は激突する。
 メディオンとシンビオスは互いに向かって地を蹴った。
 剣が何度も打ち合わされる。
 メディオンは身体に染みついた戦闘の本能だけで戦っていた。
 剣を突き、振り下ろされる剣を避け。
 耳に響くのは兵たちの怒号。
 打ち合う剣の音。
 これは悪夢か、と思う。
 二人の剣を振るう腕は休むことがなかった。
 メディオンの前に、苦痛に揺れるシンビオスの瞳が見える。
 いったいどこで間違えてしまったのだろう。
 そう、メディオンは思った。
 だが、たとえ何かを間違ってしまったとして。
「・・・っ」
 メディオンの剣を完全に避けられず、シンビオスの頬が薄く切れた。
 それでもメディオンの剣は止まらない。
 身体だけが、勝手に動いているように感じられた。
 シンビオスの剣が、そんなメディオンの剣を遮る。
 メディオンの瞳は、シンビオスの頬を流れる赤い血を映していた。
 ・・・・・・これはいったい、自分のどれほどの愚かさに対する罰なのだろう?
 その悪夢のような時間は、永遠にも感じられた。
                             



END
                              


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